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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

医療系短編

最後の言の葉  ~最後に言葉を届けたいのは誰ですか?~

作者: 朝樹

この作品はバイクの青年が交通外傷で搬入される所から始まっています。医療用語を使用するなどして生々しい表現は控えておりますが、この様な状況にトラウマを持つ方は読むことをお勧めしません。すぐにブラウザバックをお願いいたします。

 午前4時。通常なら少し座れる時間帯のはずだ。でも救急要請の電話は鳴り響いている。

 ついさっきまで処置していた心筋梗塞の担当医師(コマンダー)が、『交代の医師が来るまで連絡聞いておいてくれ』と言い残して、救急隊とのホットラインを置いて心臓カテーテルの処置に入ってしまった。

 交代の医師は宿舎にいることは確認している。ほんの数分待てば来るだろう。

 私は仕方なく救急要請の電話に出た。


「バイク対乗用車の事故です。バイクの方の患者の受け入れお願いします」


 かなり慌てた、早口な救急隊員の声が電話口から、回線が繋がった瞬間から響く。状況は悪そうだ。

 交代で来る救命医は救急部の部長だ。知識も経験もある上、私自身も信頼している。

 それに私の勤める病院は第三次救急病院だ。断るという選択肢は少ない。


「分かりました。状況はどうですか?」

「意識はかろうじてあります。両足に骨折と思われる変形。血圧低下あり」

「到着までの時間は?」

「あと10分弱でしょうか」

「名前とか、分かりますか?」

「免許証を持っていました。名前が……」


 

 一通りの情報を貰って電話を切る。



 ここで一回深呼吸。

 気持ちを切り替える。



 さぁ。 

 ここからは戦場だ。




「救急車入るよ! バイクの交通外傷、意識レベル低下」




 相棒の看護師に声をかけるとさっきまでいた心筋梗塞の後始末をしていた。救急外来へ来てまだ二カ月の、ここでは新人にあたる。看護師歴は10年以上のベテランだがやはりこういう緊急事態には慣れていない。

 私の不安は伝染する。

 私がここで一番キャリアがあり、部長が来るまで士気を下げる訳にはいかない。


「すぐ研修医を呼ぼうか。病棟と手術室からも応援を貰おう」

「はい」

 そう言うと直ぐに相棒はあちこちに連絡を始めた。

 

 私は部長に状況を連絡する。すると部長は電話に出ながらドアから入ってきた。

 これで人材はそろった。

 このメンバーで助けられなかったら、それはもう運命としか言えない。

 救急車が入るまでの数分で点滴など様々な準備をする。

 いらないかもしれない薬剤まで所狭しと処置台に並べる。


 そこまでした所で、やっとサイレンの音が近くなった。



 さぁ、戦闘開始だ。





 救急車は、救急車搬入用の出口にまっすぐ止めることもしなかった。

 通常は切り返してバックする所を、ななめに止めたまますぐに患者を降ろしにかかる。

 そこまでひどいのか。

 私は心中でこれからの予定を組み始める。

 輸血がいる。

 人数が足りないかもしれない。

 心臓カテーテルの最中だが、もう一組血管造影チームがいるかもしれない。

 


 救急車の後部ハッチが開く。

 患者はバックボードと呼ばれる外傷用の固い板の担架に乗せられていた。

 これは脊椎にダメージがありそうなときに使用される特殊な物で、各救急車にひとつは乗せてある。

 きっちりしたサーキットでも走れそうなライダースーツを着た患者は本当にバイクが好きなのだろう。

 そして確かに足――大腿部が変形している。確実に折れている。

 顔は真っ白だ。本当に心臓、動いているのか?

 しかし目立った外傷はフルフェイスのヘルメットでもカバーできなかったのであろう顎から口の方にかけて位だ。

 ただ、ライダースーツの胸から腹部にかけてはタイヤ痕がある。

 この上を、車が通ったのだ。 

 救急隊の第一報は乗用車と言っていた。しかし第一報はあくまで一報でしかない。

 つまり、目撃者などから聞いての情報ではなく、消防の中央指令室が、通報者から聞いた不確かな情報でしかないのだ。それを全部信用する訳にはいかない。



 部長が片手に駆血帯を持っている。

 私は片手にハサミだ。部長がとりついた方の手のスーツを切らなきゃいけない。

 私自身もバイクに乗るのでライダースーツを切るのは若干の抵抗はあるが、これはそんなことを言っていられない。

 相棒は点滴セットをかまえている。

 研修医たちは採血用の注射器を持っている人が一人。電子カルテに張り付いてオーダーを出す係りが一人。

 病棟からの応援は二人とも私の指示で動ける体制でいてくれる。

 手術室からの応援は、基本カルテ記録と処置の介助だ。

 記録係がいないと、「さぁ落ち着いた」と言う時にカルテが真っ白で何をいつしたのか分からないという悲劇が生まれることがある。


 

 患者がストレッチャーにバックボードごと移される。

 

 すぐさま予定通りの処置が開始される。

 私の切ったライダースーツはライムグリーンだった。その色が妙に目に残る。

 その残像が消えきらないうちに部長が神業のように点滴を取る。病棟業務ではまず使わないような太い針だ。相棒が構えていた点滴セットを繋ぐ。それに更に加圧をかけて有り得ない速度で点滴を落とす。落すというより押し込む。


 体中にモニターをつける。

 血圧は45/22。脈拍144。完全にショック状態だ。


「輸血」


 部長が呟く。電子カルテに張り付いている研修医に輸血のオーダーを出すように助言する。患者の血液型を確認している時間は無い。こう言う時はO型を入れる。異型輸血になるかもしれないがこの場をしのぐ方が先だ。O型の赤血球はA.B.AB.O全ての血液型の人に使用は出来る。もちろん検査する時間があれば、きちんと検査して正しい血液型の物を使用するが、こういうケースの場合検査は間にあわない。


 輸血は検査室にあらかじめ必要になるだろうと連絡しておいたおかげか、すぐに届いた。

 それを急速輸液装置につないで一パック十分もかけずに入れる。輸血が入ると他の点滴も取りやすい。すぐに反対の手に二本の点滴と動脈にもラインを入れて血圧をモニターできるようにする。




 ここで、部長が人工呼吸器をつけるための挿管をしない事に私は疑問を持った。準備は完璧に出来ている。


「家族は?」

 部長が救急隊に尋ねる。

「連絡はついています。こちらに向かっているはずです」

 部長の声はいつも冷静だ。対して救急隊は妙に上ずっている。

「いつ来る?」

「時間までは分かりません」

「どこから来る?」

「それも聞いてはいません」


 なるほど。


「連絡先は分かりますか?」

 私は救急隊に声をかけた。


 部長が人工呼吸器の挿管をしない。

 家族の到着を待っている。



 つまりもう。

 

 そう言うことなんだ。



 

 私は救急隊に家族の連絡先を一通り聞いておく。

 家の電話番号、家族の携帯。

 幸い彼の携帯は壊れていなかったらしく、そこから容易に家族に連絡がついたらしい。

 住所はここから車でなら十数分の距離だ。

 おそらく後数分と言うところか。


 血圧はすでに数字に出ない。

 心拍数は下がって来ている。

 もう持たない。

 

 私は研修医にバックマスクで人工換気をするように言った。これは人工呼吸器につなぐ管を使用することなく、マスクで補助呼吸をさせる。人力で行うことなのでいつでもやめられるし、何より患者を傷つけない。動いていない肺に人工呼吸器を繋ぐと、最悪肺にたまった水があふれるように出てくる。

 かと言って、家族が入って来た時に何もしていない訳にはいかない。





 私は点滴を圧し入れている相棒に声をかける。

「とりあえず身奇麗にしようか」


 その声に初療室にいた全員が私を見た。

「もうすぐ家族が来る。足の変形を見えない様に何かかけて。そして顔の傷、何とかしよう」

「でも、」

 研修医の一人が、言いにくそうに口ごもる。


 気持ちは痛い程に分かる。

 でも。

 でも、私達は神様じゃない。

 ただ、死神が連れて行ってしまうのを黙って見ていられずにあがいている唯人(ただびと)でしかないんだ。

 彼岸との間の川があるというなら、その川の浅い所にいる人を引っ張り出すだけで精一杯で。

 その流れの強い川から、人を一人引っ張り出すのがどれだけ大変か知っているから。

 しかも、ただ引っ張り出せばいい訳じゃない。

 社会復帰まで考えて引っ張り上げなきゃいけない。




「救急外来は植物状態の人しか連れてこないのね」




 救急外来立ちあげの頃、他の一般病棟の人からそんな陰口を聞いたことがある。

 陰で言っていなかったから、蔭口とは言わないのだろうか?

 

 でも他にどうしたら良かった?

 まだ心臓が動いている人を見捨てるの?

 助かるかどうか分からない、今後社会復帰できるかどうかなんて、誰にもわからないのに治療しないの?


 私は何て言い返しただろう。

 それすら覚えていない。


 家族は一体どちらが幸せなんだろう。

 二度と目覚めない植物状態の人を、無期限で看護して行くことと、いきなり何の前触れもなく失ってしまうことを。



 だけど、その後部長と話したことがある。

「俺の仕事は人を苦しませず死なせることだよ」

 私の、その性格以外を尊敬する部長は、こともなげにそう言った。


 そうなのだ。

 

 人は必ず死ぬんだ。


 その時せめて、苦しくない様に。

 家族が必要以上に苦しまない様に。


 それも私達の大事な仕事なんだ。



 私の手は、人を助けるために使おうと思っている。

 この仕事(看取り)も、「人を助ける」仕事だと思う。

 

 人の心を助けるのだと。








「子供が、息子がこちらに運ばれたと!」


 急に初療室の自動扉が開いて中年の女性が蒼白な顔で入ってきた。

 患者の母親であろう。


「ヒロ、ヒロ、嘘でしょう 」

 その場に座り込む寸前、後ろから抱え込む。

 絶妙のタイミングで相棒が椅子を差し出す。

 母親はそこから動くことは出来ない。

 側に行けないのだ。

 後ろを見ると、父親と思しき人と、他に数人ドアの所へ立ちつくしている。



「心拍はあります。側に行かれますか?」


 可能な限り、やわらかな声が出るように祈りながら母親や親族に声をかける。

 こう言う時動くのは、母親かまたは血縁上遠い人だ。


 この母親は気丈な人らしい。

 椅子からふらふらと立ちあがった。

 すかさず椅子を患者の側に持って行って、母親が座れるようにセッティングする。

 患者の手は、しっかりしたグローブに守られたのか綺麗なままだった。

 その手を母親の手に中に入れる。


「ヒロ君、何で?なんで?」

 そう言いながら母親はしっかりと患者の手を握り締めた。


 母親は私の顔を仰ぎ見た。

「……もう、……もう、ダメなんですか?」


 私はこの問いに答える権限は無い。

 死亡診断は医師の権限だ。

 しかし、この状況でリアクションを取らないという選択肢は無い。


 私は、眉を寄せ唇を引き結び母親を強く抱き寄せた。

 それだけで、母親には伝わったようだ。

 母親は私に縋って泣きはじめた。


 反対側には父親を座らせる。父親は顔の傷が気になるようだ。

 他に一緒に来たのは兄弟と従弟と言うこと。

 兄弟の方を近くに座らせる。


 私は母親の背に手を当てて、さするように動かしながら言葉を紡ぐ。


「声をかけてあげて下さい。人は聴覚は最後まで残るようですよ」

 そしてガーゼを絞って口元の血液を拭こうとすると、母親から自分でやってあげたいという申し出があった。

 もちろん異存は無い。


「ヒロ君。ヒロ君。綺麗にするからね。痛かったね。頑張ってね」



 強い人だ。

 母親の顔は涙でボロボロだった。

 でもその眼はしっかりと息子を見ていた。


 父親の方は息子の手を握って離さない。

 弟と思われる高校生くらいの子は足元に椅子を置いたせいか、必死で足をさすっている。


 少し離れた所にいる従弟や伯父と思われる人の所へ行くと、私は他に呼べる人はいないか確認した。

 おそらくもうすぐ死亡確認となる。

 なるべく沢山の人にかこまれた方が良いだろうというのは病院側の勝手な思い込みだろうか?


 伯父と言う人が言うには、近所に祖父母がいるらしいが、立ちあうのは酷だろうという。

  


 私はこの意見には若干賛成は出来なかったが、身内には身内の事情があることがある。

 これ以上人数が増えないことだけを確認して、部長に報告した。




「もう少しね。せっかく挿管しなかったんだから」



 と言うあいまいな答え。

 これからどうすると?


 ふと、相棒がまだ必死で輸血を絞りいれていることに気がついた。

 もう、どうしようもないのに。

 患者は腹部がパンパンになっている。腹腔内で血液が漏れている証拠だ。肝臓なりの臓器破裂があるんのだろう。

 胸も動いていない。こうなったら今さら手術室に運び込んでも。きっと出血点も分からないまま家族と引き離されて死亡確認をしなければならない。


 今さら輸血を入れた所で。


 そう思ったが、家族がいるのだ。

 出来ることはしよう。

 そう思って側の点滴に手を伸ばした時、小さくうめく声がした。


 変だ。だってもう、意識なんて。


 ふと顔を見ると、唇がかすかに動いている。

 母親の声に。

 反応、した?


「ヒロ君!ヒロ君分かる?」


 瞼が震える。

 目が開くことは無かったが、その下の眼球は必死で母親を探しているのだろう。


 私はすかさず母親にお絞りタオルを渡した。

 母親は私の意図を正確に読み取ってくれて、目元をぬぐってくれる。

 

 そうすると、薄く薄くではあるが目が開いた。



 嘘だ。



 相棒が必死の輸血を続ける。

 その隣で研修医も点滴で何とか血圧を保とうと生理食塩水を押し込む。

 それでも動脈ラインが出す血圧の数値は、30前後だ。酸素飽和度の数値は既に拾えない。


 視線が合うはずは無い。

 そう思うが、そうあってほしいとも思う。


「ヒロ君」

「………………」


 母親の呼びかけに、患者の唇が動く。

 何か言いたいのだ。

 もう一度、今度は多めに濡らしたおしぼりで唇を母が拭う。



 

 これか。




 部長にはこれが見えていたんだ。

 

 だから挿管をしなかったのか。

 

 家族が間に合うと。

 

 あの時挿管をしてしまったら、この声は届かなかった。


 最後の言葉を聞くのは医療者じゃいけない。


 家族にこそ届けるべきなんだ。





「…………あ、ぁ… ぃぁ… 」




 唇は動いていた。

 でも声にはならなかった。


「分かった。分かったよヒロ君。分かったよ」


 そう言って母親は血に濡れるのも構わず患者を抱きしめる。




 そうか。


 伝わった。


 伝わったんだ。




 部長を振り返ると、顎で『外に出るぞ』と合図が入る。


 私は相棒と研修医に退室を促すと初療室を家族だけにして外に出た。

 既にモニターはフラットで、医療スタッフにはもう出来る事は無い。



 私は点滴を止めて、耳障りなモニターの警告音を止めてから外に出た。

 中からは患者を呼ぶ何人もの声がする。








「死亡診断書、いや、検案書か。書くから持ってきて」

 私はすでに揃えてあったセットを出す。これらはあらかじめ一セットにして用意してある。


 その間に、研修医の一人が部長の所へ行っていた。

「あの、何故、挿管しなかったんですか?まだ若かったし、助かったかもしれないのに」

 

 部長は表情を変えずにその研修医を見た。

 ああ、この研修医は私が身奇麗にしようと言った時に、怪訝な顔をした人だ。

 まだ一年目。今年医師免許を取ったばかりの、若い医師。


「挿管したら、どうなってた?」

 部長にしては棘のない言い方だと思った。

「呼吸器につないで、CTに行って造影して外傷の確認をして対処します」

「そうしたらCTの検査台の上で心停止だろうな」

「でも」

「入室時のバイタル分かる?」

 急に私に声がかかった。

「はい。血圧は45/22。脈拍144です。その後は輸血時に少し血圧上昇は見られましたが心拍は下がる一方でした」

「と言うことだ。手術室までは持たない。もちろん造影CTなんて取れる血圧じゃないのは分かっているはずだ。では俺達に何ができる?あの患者に出来ることは何だ?」

 研修医は下を向いて、でも目は閉じなかった。

 床を睨むように、下を向いた。

 


「でも、それでも!!」





 部長が死体検案書を書きながら、研修医に話す。



「あの時挿管したら、患者の最後の言葉を聞くのは俺だった。それで良かったのか?」


 研修医がハッとしたように部長を見た。


 こう言う良い事を時々言うから、この部長は嫌いになれない。

 普段どんなに性格が悪かろうとも。

   




 その後も二人で少し話をしていたようだが、私達には私達の仕事があった。

 病棟と手術室の看護師にはお礼を言って撤収してもらい、相棒とふたりで患者さんの帰り仕度をする。

 

 とりあえず一番冷静そうな、伯父と言う人にこれからの話を聞くと自家用車で家まで連れて帰るという。

 最近は葬儀社にお願いする事が多いから、少し戸惑ったがこれだけ男手があれば困ることは無いだろうと判断し、書類上の手続き関係の説明をする。

 葬儀社が入るのなら、任せてしまえるのだが、入らないなら別だ。

 父親も一緒に話は聞いていたが、当たり前の反応だろうが視線があちこちうろうろしていて落ち着かない。

 伯父と言う人に、父はきっとこの会話は覚えていないだろうから、書類は貴方がお願いしますと念を押して今度は母親の方へ行く。

 

 母親は先ほどと同じように息子に縋りつくようにして泣いていた。


 私は母親の背をさするようにしてから声をかける。

「綺麗に、してあげましょう。ご自宅の車で家まで帰られるそうです。何か、着せて帰りたいお洋服などありますか?申し訳ないのですが、ライダースーツは切らせてもらいました。ご本人のお気に入りの服などがありましたら、持ってくるまで待つことも出来ますが」

「あります!チームの、レーシングチームのユニフォームが!」

 そう答えたのは弟さんだ。

「すぐに持ってこられますか?」

「大丈夫です。家まで片道10分かかりませんから」

「分かりました。気をつけて行って来て下さいね。こう言う時は自分でも思っていない程動揺する物ですから、十分、十分に気をつけて下さいね」


 弟さんは、走って初療室を出て行った。


「その間に、点滴とかを取ってしまいますから、少しの間外でお待ちいただけますか?」

 そう言って家族を外に出す。

 交通事故は警察の検視の入る事例だ。

 この間に手早くやってもらわなければならない。


 警察の人に協力しながら、縫える傷は縫って肌色のテープで傷と見えない様に覆って行く。

 顔も検視が終わり次第、傷をコンシーラーで隠し男の子なので色が派手にならないように気をつけながら薄くメイクをして行く。


 途中でチームのユニフォームが届いたので血がつかないよう細心の注意を払って着せて行く。

 終わった時は、眠ってるだけの元気なバイク乗り君になった。







「眠っているみたいですね」

 母はそう言って患者の頬を撫でる。その手はひどく優しい。


「あの時、なんて言ったんですか?」

 聞いてはいけないかもしれない。でも私は聞きたかった。

 この人の心にだけ届いたあの言葉を。


「ありがとうって。ありがとうって言われましたよ。それを言わないといけないのは私の方なのに」

 そう言って、また静かに涙を流す母。


「俺にも聞こえた」

 そう言ったのは弟君。

「聞こえた、の?」

「聞こえた。兄貴しっかりそう言った」

「そう、ですか。聞こえましたか」



 聞こえたんだ。

 聞こえたんだ。


 

 届いたんだ。


 伝わったんだ。


 あの子の心が。


 そして、ついでに部長の思いも。




 ああ、何で私がこんなに泣かなきゃいけないんだ。

 私はこんなシーン慣れているはずなのに。

 何とか涙が出る寸前で我慢してやるべきことをやってしまう。


 死体検案書を正式発効して家族に持たせる。

 車を回してもらって、家族に協力してもらって後部座席に寝かせる。


 

 でも、そこまでだ。

 そこまでしか、私達にできることは無い。



「ありがとうございました」

 母が深々と礼をして車に乗り込む。

 こっちはスタッフ全員で90度の礼だ。

 それは車が見えなくなるまで続く。






「お疲れさまでした」

「お疲れ」

「御苦労さん」


 それぞれ声をかけて、それぞれの持ち場に散っていく。


 私達はまだ、あの初療室を片づけなければいけない。

 今すぐにでも次の患者が来るかもしれないんだ。




 部長の考え方が絶対正しいとは思う訳でない。

 もしかしたら、助ける方法もあったのかも知れない。

 植物状態でも脳死でも生きてて欲しかったかも知れない。



 私の目の前にライムグリーンの残像が走る。

  

 

 この問いに答えは無い。

 


 だから問い続ける。

 

 これで良かったのか。


 他の方法は無かったか。


 同じパターンの事故なんて無い。

 


 だから問い続ける。

 

 模索し続ける。



 死神と戦って、負けない技術と知識を身につけるために。






 もう朝陽が昇る。











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― 新着の感想 ―
[良い点] 衝撃を受けた [一言] 読ませてくれてありがとうございます
[良い点] これで良かったのだと思います。 親族の様々な死を看取って来た私には、最善の処置に思えました。 [一言] 私もこういうお医者さんと看護士さんに看取られて逝きたいです。 ガンになってから、よく…
[良い点] 何とも言えないですが、判断の閾値というのは、人の手によってつくられているんだなぁと、つくづく思いました。 何が正しいかなんて、分からないですよね……
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