田舎で遭遇いました(後編)
山の中は変な鳥の声や蝉の大合唱で喧しかった。
暑さで汗がじんわりと滲み出てくる。
かなりの勾配があり、しばらく歩いただけで息が切れる。
俺と美優は爺ちゃんの言い付けで、裏山にやってきた。
何をするかは美優が知っていると言われて、俺は後をついてきたのだ。
「美優、ち、ちょっと待ってくれ」
「どうしたんですか?」
ヒョイヒョイと山道を登っていく美優に、俺は肩で息をしながら制止する。
立ち止まり振り返った美優は、何事かといった顔だった。
「少し……休ませて……くれ」
「運動不足ですね」
「……うるさい」
息切れのせいで、言葉が途切れ途切れになる俺に、美優は笑顔のまま、ピシャリと言い放つ。
俺は横を向くぐらいしか出来なかった。
「時間がないので、少しだけですよ」
本当に少しだけの休憩を終えると、また歩き出した。
進むにつれて山道はどんどん狭くなり、遂には道らしい道はなくなって獣道のような所を進んでいく。
「おい、美優、何処まで行くつもりだ」
「着きました」
いい加減疲れてきた俺が不満気に尋ねると同時に、美優が立ち止まった。
ようやく目的地に着いたのか。
やれやれ、と美優の肩越しに前を見ると古びた祠のような物があった。
何やら、只ならぬ気配を感じる。
「美優、これって……」
「先輩、ここに向かって、暫く手を合わせて下さい」
尋ねようとする俺の言葉を遮り、美優は前を譲る。
仕方なく、俺は釈然としない感じで首を傾げながら祠の前に立った。
「ここで手を合わせればいいのか?」
「はい。あっ、目は瞑って下さいね」
「はいはい」
俺はちょっとふてくされた態度ながら、言われた通りに目を瞑り、手を合わせる。
「取り合えず、鈴の音が聞こえるまで待ってて下さい。それと鈴の音が聞こえても決して目は開けないで下さい」
「わかった」
いつになく真剣な口調が、この些細な事が重要である事を示している。
だからこそ、俺も真面目に返した。
鈴の音を聞き逃すまいと、目を閉じ手を合わせる。
そこで初めて俺は気付いた。
辺りが静寂に包まれている事に……。
蝉の声どころか、木々のざわめきすら聞こえない。
異常な雰囲気の中、俺は集中していた。
ちりん。
意外にも鈴の音ははっきりと聞こえた。
しかも、耳元で。
「聞こえた」
「目を開けるは、もう少し待って下さい」
美優に言われた通り、俺はそのままジッとしている。
と、次の瞬間、キャアアアと女性の叫び声が頭の中に響く。
それは、あの背後の女性の声だった。
「うわっ!」
「行きますよっ!」
「え?」
訳が分からないまま、俺は美優に手を引かれながら走り出していた。
一体、何が起こったというのか……。
聞きたいが、美優は前を走って、山を降りている。
仕方ない。
俺も本気で走り出した。
木の枝がピシピシと腕や足が当たる。
俺達が爺ちゃんの家に着いた時には身体中傷だらけだった。
「それじゃ、行きましょう」
「もう?」
疲れている俺を美優は爺ちゃんの家の二階に連れて行く。
中にはあの少年が縄で縛られ目隠しをされて寝かされていた。
見た目だけなら、完全に誘拐だ。
「先輩、中に入りましょう」
「あ、ああ……」
目の前の異常な絵面に戸惑いながら、美優の後に続き、俺は中に入る。
部屋の中にはテレビに扇風機、小さなテーブルがある。
「美優、庄助ちゃん、これから朝までこの部屋は締め切る」
「爺ちゃんっ!」
「これとこれ持って。朝になったら出て来い」
後ろから爺ちゃんが現れて、三つのお守りと目覚まし時計を渡される。
目覚ましは六時にセットしてある。
「何しとってもエエから、時間が来るまで何があっても絶対開けたらあかんぞ」
「わかった」
爺ちゃんの言葉に、俺が頷くのを確認すると、引き戸はゆっくりと閉められた。
取り合えず、バタバタしていたので食い損ねた晩飯にしようという事になって、婆ちゃんが作ってくれた弁当を食べた。
「それにしても、全然動かないな」
「紅紐様に捕まった人の特徴の一つで、死んだように眠るんです」
「なるほど」
俺は食後のお茶を啜りながら、少年に視線を送った。
そんな俺に、芋の煮っ転がしを口に運びながら美優が答える。
食事が終わり、暇な時間をテレビを見て過ごす。
時計を見ると、もう少しで日付が変わりそうだった。
そろそろ寝るか、と思った時、俺は気付いてしまった。
美優と同じ部屋で寝るのか?
思春期の男子高校生としては、それはイカンと思うのですよ。
「先輩」
「ひゃいっ!」
訳の分からない言葉が頭を過ぎっていると、不意に美優の手がそっと背中に触れてきた。
俺はあまりの動揺に、声が裏返ってしまう。
「始まります」
「何がーーッ!?」
意味不明にツッコミを入れた瞬間、ピシッと音が聞こえる。
俺は耳を澄まして、音の正体を探る。
と、ドンと壁を叩くような音が外から鳴った。
「うわっ!」
「来ました……紅紐様です」
あちらこちらからドンドンと叩く音が聞こえて、俺は恐怖を感じる。
美優がこの現象を説明する。
これが紅紐様が来た時か……。
ちょっとした心霊現象だ。
こんな事が一時間ぐらい続いた。
「……」
「……」
怖過ぎて疲れた。
ワーキャー言い過ぎて、俺は完全にぐったりとしていた。
しかし、外を叩く音は収まりつつあった。
完全に音が無くなったのは、それからしばらくしてからの事だった。
「庄助ちゃん、美優、大丈夫か?」
「爺ちゃん!」
爺ちゃんが心配して、声を掛けてきてくれる。
俺は安心して、ちょっと泣きそうになってしまった。
「外を開けて大丈夫か調べてみろ」
「わかった」
「待って下さい」
爺ちゃんの言葉に頷くと、俺は従うようにすぐさま窓を開けようとした。
そんな俺の手を美優がガシッと握る。
「何するんだよ?」
「あれは偽物です」
「え……?」
怪訝な表情の俺に、美優ははっきりと首を横に振った。
最初、意味がわからなかった。
まさかそんな事がある訳ない。
「お祖父ちゃんの言葉を思い出して下さい」
確かに、爺ちゃんは時間が来るまで何があっても決して開けるな、と言っていた。
まだ時間ではない。
しかし、その声は爺ちゃんそのままだ。
これが偽物だなんて信じられない。
「庄助ちゃん、早よう開けんか」
声は尚も続く。
先程よりも少しじれてる気がする。
ドンドンと叩きながら、俺に開けるように指示してくる。
「早よう」
ドンドン。
「開けんか」
ドンドンドンドン。
「早く……開けろぉおおおっ!」
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン。
「ヒ……ッ!」
何度も何度も激しく叩かれる。
すでに爺ちゃんの偽物は、怒気と狂気でいっぱいだった。
俺は情けなくも、小さく悲鳴を上げて怖じ気付いた。
開けろ開けろと叫ぶ爺ちゃんの偽物は今にも窓をぶち破らんばかりの勢いだ。
しかし、窓は頑丈で壊れる気配はない。
「先輩っ!気を付けて下さい」
「?」
これなら大丈夫だと思って、ホッとした時に、美優が声を上げる。
訳が分からず疑問符を浮かべていると、何かが部屋の中で動く気配がした。
ギョッとして、そちらに視線を送ると、少年が縛られたままゆらりと立ち上がった。
「紅紐様に操られています。押さえて下さい」
「わ、わかった」
俺は戸惑いながらも、美優に言われるがまま、少年の身体を押さえた。
しかし、子供とは思えない程の力をふるってきた。
「うわっ!」
俺も何度も全力で押さえつけるが吹き飛ばされた。
遂には、少年は窓にまで達してしまう。
「紅紐様が侵入します。目を閉じて下さい」
「この……ッ!」
悔しそうな美優の言葉が俺達の負けを意味していた。
このまま引き下がるのも癪だったので、少年に飛び付き押し倒す。
そして、目を瞑りながら暴れる少年を取り押さえた。
先程までとは違い静寂が流れる。
それは嵐の前の静けさだった。
次の瞬間、部屋の中では何かがぶつかり争うような音が鳴り響いた。
俺はただ必死に少年を攫われまいと抱き締めていた。
どれほどの時間が経っただろう。
急にジリリリと目覚ましの音が鳴り響いた。
俺はハッと意識を戻し、不覚にも目を開けていた。
しかし、そこは入った時と何も変わらない部屋があった。
俺の下に少年と、壁にもたれている美優の姿があった。
鳴り続ける目覚まし時計を止め、美優へ駆け寄る。
「美優!おい、美優っ!」
「先……輩?」
見た感じ、どうやら美優は怪我とかは無さそうだ。
無事で良かった。
少年も未だ寝てはいるものの、大丈夫そうだ。
「庄助ちゃん、美優、無事か!?」
「爺ちゃん!」
目覚ましを聞きつけたのか、爺ちゃんが引き戸を開けて中に入ってくる。
俺は安心したからか、ちょっと涙ぐんでしまった。
「もう大丈夫。印が消えとる」
「良かったぁ」
爺ちゃんが少年を調べると、一つ頷いてニカッと笑った。
美優も安心したのか、その場にペタンと座り込んだ。
どうやら紅紐様の危険は去ったようだ。
しばらくして目を覚ました少年を連れて両親は、俺達に何度も頭を下げ帰っていった。
「なあ美優、一つ聞きたいんだが……」
「何ですか?」
「あの祠のお参りは何だったんだ?」
「ああ、あれはですね……」
俺の疑問に、いつもの笑顔で答え始めた。
美優の説明を要約するとこうだ。
紅紐様は元々自分の姿が見える自縛霊や浮遊霊を連れて行く神様だそうだ。
たまに生きている人間が見てしまいこんな事になる場合があるらしい。
手を合わせた場所は紅紐様の祠で、俺の背後の女性と喧嘩させる為に連れて行った。
目を付けた紅紐様は職務を全うしようと少年より先に背後の女性と戦い痛み分けになった。
それが爺ちゃんの最後の切り札だったらしい。
「なるほどね」
俺は美優の説明に何となく納得した。
それにしても疲れた。
少しだけ寝よう。
見れば、後ろにいた美優もウトウトとしている。
俺はそのまま美優と背中を合わせて眠りについた。




