紅の森
「熱い‥‥。いったいどうしてこうなった」
ただひたすらに熱かった。周りは木々が燃え盛る。逃げ場のない一面の朱色、赤黒い闇と白い煙、火の粉の混じった肺まで焦がす熱い風。気がつけばそれだけだった。
マキアスたち黒皮傭兵団は、魔女の住むという森の探索に来ていた。いや、今では傭兵団とは名ばかりの野党集団。すでに、かつての傭兵団のなれの果てとなっていた。
秘宝を持つという魔女エルテルシアが居を構える館があると言われていた紅の森。怪しげな魔法使いに唆されて踏み入ってみれば、たしかに結界や怪しげな魔術の障害にも行く手を遮られなかったのだ。
「お頭、意外と簡単でしたね。あの怪しい魔術師の野郎の言う通りだった!」
「だから言ったんですよ、お頭は心配性が過ぎるって。ガハハハハ」
仲間たちは、口々に言いながら、森の奥の魔女の館に押入って物色していった。
すべては計画通り。順調なのだがどうも腑に落ちない。あの魔術師はどこに行ったのか、そもそもここに住んでいた魔女は?
魔女の住居には、たしかに人の生活している気配があったが、結界も消え、魔女の姿もない。事前の手はず通り事が進めやすくもあったが、どこかひっかかる。金品や魔女の呪文書等の戦利品は集まっていったが、秘宝と呼べるようなものは見つからなかった。だが、おおむね満足だった。しかしそれよりも、やはり嫌な予感がマキアスの胸を騒がせた。
一旦、魔女の館を出て、外をうかがったマキアスが、人の気配を感じ、その方向に数歩歩いた時、背後で爆発が起こった。
「ぐわっ火がぁっ」
「うわぁぁぁぁっ」
仲間たちの悲鳴が館の中から聞こえていたが、爆発と共に、火は瞬く間に広がり、なすすべもないまま、あっという間に魔女の館を包んでいった。
「お頭、たすけてくれぇ!」
「だから言ったんだ、魔女の森に入るのは嫌だって、ぐわあぁぁっ」
一瞬にして辺りは、うだるような灼熱の空気に包まれた。魔術なのか、とにかくひたすら熱かった。
館の内からはまだ助けを求める声が聞こえるが、入口はすでに炎を吹き出し、熱さで中に入るどころか、近づくこともできない。これでは助けるのはもはや不可能だ。館が焼け落ちるのも時間の問題だろう。
そればかりではない、森のあちこちから火の手が上がり、熱風が火の粉と共に風を巻いていく。あっという間に紅の森は、その名の通り真っ赤な炎に包まれていった。
「なにがどうなってやがるんだ!」
うろたえるマキアスの頭上で鳥たちが、絡め取ろうとする炎の舌から逃れる様に一斉に飛び立ち、森の動物たちも焼き付ける炎から逃げ惑って、足元をかすめていく。この燃え方はやはり普通じゃない。あの魔術師か、あるいは魔女の罠なのか。
マキアスは、仲間や戦利品をあきらめ、息をすることもできない程熱い火の粉を吸わないように、マスクで防ぎながら、燃え盛る森の中駆けだした。湧き上がる熱で頭はくらくらする、喉はもうカラカラだ。今は、魔女の秘宝よりも一杯の水がただ欲しかった。
熱い。まわりは炎の海。何が何だかわからず、とにかく熱い。だが、何が何だかわからないが、このままここに居ては、炎に巻かれてくたばるのは目に見えていた。
来た道はもう定かではなかったが、マキアスは何とか先ほど人の気配がしたほうに、とにかく走っていく。熱さで滴る汗や煙で霞む目に構うこともせずに、燃え盛る木の枝を弾き飛ばし、まだ燃えていない茂みを身を低くしてかき分けながら何とか進んでいった。
しばらく進むと、人影が見えた。マキアスが勢いよく駆け込むと、木々の生い茂る深い森の中で、そこは少し開けた庭園のようだった。
まだ火の手の回らないその場所は、周りの森の惨状とは裏腹に、木漏れ日が降り注ぎ風がそよぐ穏やかな場所だった。外の熱さが嘘のように心地よい風が吹いている。
「ここはこの森の中心、命ともいえる場所なのですよ」
澄んだ声が聞こえた。マキアスの前に一人の女性が立っている。おそらく魔女エルテルシアだろう。
飾り気のない白いローブをまとった細身の女性。サラサラの銀髪が風になびいている。いかにもこの森の主という清らかな風格をただ酔わせている。
だが、その顔は真新しい、深い火傷を負い、白いローブは大きな傷口と共に、自らの血に染まっていた。
「なぜこの森にきたのか、それを問いません。ですが、もうこの森はすべて失われようとしています。この森の秘宝とは、この庭園そのもの、あなた方には用の無い物なのですよ」
深手を負った魔女は、だが、その痛手を感じさせないような声音で語リかけてきた。
「あなた方が望んだ秘宝も、あの魔術師が望んだ私自身も、もう意味の無い物となりました。しかし、私はそれでもこの場所を最後まで守らなければなりません」
穏やかな声だが、決然とした圧力を感じる。どうする、この場所にははまだ結界が残っている、ここに居れば外の森より安心か。いやしかし。
マキアスの逡巡をその光を失った目が見て取れたのか、魔女はつづけた。
「あなたはどうしますか?」
森の魔女ほどではないが、野党に身を落としたマキアスにも、かつては求めるものがあった。今はそれも遠い過去。おまけに仲間もすべて失った。だが、それでも一人の男としての生き方はどこかでくすぶっていたのかもしれない。
「俺は俺で何とか逃げさせてもらうよ」
肩を竦め、踵をかえそうとしたマキアスに、エルテルシアは森の一点を静かに指さし、運が良ければあるいは。と付け足した。
片手だけ上げて礼にかえて、マキアスは振り返らずに駆け抜けていった。
庭園の外の森は中の心地よさが嘘のような熱さで、野党の根性を再び後悔させたが、それでも少しだけ火の手が回ってない場所が見えた。
マキアスは転がる様に走れる限り走りつづけ、そして気を失った。
気がつくと森のはずれだった。マキアスはどれだけ気を失ったかわからなかったが、森の火の手は治まり、くすぶった煙が残るだけだった。
マキアスは、一枚だけ失敬してきた庭園の香葉をまだ手に持っていることに気付いた。不思議と全身の痛みが和らぐような香り。意味はないと言われたが、もしかして薬草として価値があったかもしれないと、また、少しだけ後悔した。
完全に焼け野原となった紅の森。その後、いくら探しても、あの庭園も、魔女の館の跡も見つけることはできなかった。




