神とは何かと問う禅問答のようなモノ~あるいは人間とは何か~ ※セルフカバー版
「この世界に神はいると思うかい?」
夕暮れに染まる部室、僕は対面に座る少女に声をかけた。腰まで伸びる黒髪が美しい、まるで大和撫子を体現しているような少女だ、僕にとっては、だけど。ちなみに今年の“ミス東桜”である。私立東桜高等学校、それが僕らの通う高校の名だ。
僕は夕暮れの時間、こうして部室の中で彼女とやりとりをするのが好きだった。何せ二人っきりだからね。
が、かけられた声に顔をあげる彼女は、とても億劫そうだった。
「先輩、今私は本を読んでいるのです。見てわかりませんか? 何故読書の邪魔をするのです?」
かなりの毒がこもった言葉が返ってきた。その表情は、相も変わらず無表情である。
「いやいや、伊吹さん、何故読書をしているのかが分からないのはこちらですよ」
僕の問いかけに彼女――遠野伊吹――は首を傾げながら答える。こうした仕草もいちいち可愛いから困る。
「部活に合っている本を読んでいますが、何か?」
そう言って彼女が僕に見せてきた本の表紙は、「月刊●ー」であった。確かに、「月刊ム●」は僕らの部活の活動内容に合致するけれども……ッ!!
「私ほどこのオカ研の活動内容にふさわしい行動をしているのはいないでしょうね」
彼女が言うオカ研とは、我が校にいくつかある高校生の部活とは思えない名前の部の一つであるオカルト研究会の事だ。まあ、日本全国探せばだいたいどこの学校にもあるマイナー部活の一つだ。昨年の三年生の卒業により、めでたく同好会に格下げになったけれど。昨年までは、「部」を名乗る事が許されていたのだ。僕が部長になってから新入部員はいない。伊吹が何故オカ研部員になってくれたのか、オカ研部員でいてくれるのか、未だよく分かっていない。
「いやいや、月刊●ーを読むだけなら、文学部でもいいじゃない」
僕はあっさりと文学部に喧嘩を売った。文学部だって我が校では弱小の部活動だ。それでも、規定の人数がいて、「部」を名乗る事を許されている。
ため息が聞こえてくる。仕方ないですね、と言わんばかりに月刊●ーが閉じられた。
「神はいると思うか、でしたか?」
「そう」
別にこんな話題で彼女の――伊吹の――注意をひこうとは思わない。僕はただ、彼女と同じ空間にいるだけでも楽しいのだ。こんな同好会に格下げになったオカ研に残ってくれた彼女と同じ空間にいるだけの事が、楽しくて仕方ないんだ。
「私は神などいない、そう考えていますよ」
「神社の娘がそういう事言っていいのかなぁ?」
伊吹はこの高校の近くにある――近くとは言っても、数キロは離れているが――遠野神社の宮司の娘だ。宮司の娘が神などいない、と断言していいモノだろうか?
「だいたいにして、先輩が言う“神”とは何ですか?」
“神”とは何か、か。確かに、漠然とした問題かもしれないな。
「世界を破壊するような破壊神の類ですか? それとも、一神教の宗教の神ですか?」
舌鋒鋭い、とはこのような事を言うのだろうか? それとも、単なる毒舌、か?
「人智を越えたモノ、そうした類のモノが神だと思うよ」
「八百万の神は、どうです?」
ありとあらゆるモノには神が宿る、と言う神道における神の考え方、か。悪くはない、悪くはないんだけど。
「八百万の神というのは、ちょっとなあ……。自然現象の大半が科学で説明出来る時代だからね」
僕としても苦笑するしかない。
「宮司の娘の私を敵にまわすつもりですか?」
あらら。もしかして、ご立腹だろうか?
「じゃあ、さっき神などいない、と言ったのは何なんだい?」
「私がいないと考えているのは、全知全能の神ですね。私は無神論者ですから」
本当に全知全能の神などいるとしたら、欠陥品だらけの人間など創造しなかったでしょう、との事だ。
確かに、人間は欠陥品だけど、それでも、不完全だからこそ、人は他人を愛する事が出来るだろう。そんな僕の意見はあっさりと斬り落とされた。
「不完全だからこそ、人は他人を羨み、妬みますよ。何故自分には出来ない事をアイツはあんなに簡単に出来るのだろう。そして、不完全だからこそ、人は他人を見下しますよ。何故こんな簡単な事が出来ないのだろうか、コイツは、と」
簡単に論破されてしまった。
「そんな不完全な人間を、神は愛おしいと思うのでしょうか? 私が神だったら思いませんね。人を愛する事は確かに素晴らしい事だと思います。ですが、人を羨んだり、人を見下す事は醜い事だからです。そんな醜いモノを、全知全能なる神が愛おしいと思う事はないと思います」
だからこそ、と彼女は続けた。
「だからこそ、私は少なくとも全知全能の神などいない、と、そう思うのです」
見事な意見だった。他の人はどう思うか知らないけれど、少なくとも僕はその意見に太刀打ちできる意見は持ち合わせていなかった。
「じゃあ、八百万の神は?」
「宮司の娘として、いない、信じていないとは答え辛いですね」
苦笑しながら答える伊吹。まあ、それもそうだな。
「先輩の言う、人智を越えたモノ、というのは“神”になるのでしょうか?」
難しいな。あくまでも、人はそういったモノを“神”と言って恐れたのであって、“神”そのものを目にした人は多くない。それを実際目にした人は、それらを“神”と呼べるのだろうか?
「でも、人は“神”になれるよ」
生きながら神になった人、死後に神になった人、色々だ。学問の神様、競馬の神様、代打の神様、数え上げればきりがないかもしれない。それこそ、八百万と言ってもいいかもしれないな。
「人は神になれる、ですか? なれませんよ、神になど」
ため息をまたつかれてしまった。代打の神様や競馬の神様などはどうやら“神”とは認めてくれないようだ。あくまでも、それらはマスコミや周囲の人からそう呼ばれているだけで、単なる人間でしかない、との事だ。
「それこそ、代打の神様や競馬の神様は人智を越えているワケではないのですから。あくまでも彼らは人間の範疇にすぎません」
まあ、それもそうだけどね。
「死後に神になる、と言うのは?」
「有名どころで言えば、菅原道真ですね。学問の神様として崇められているらしいですが、私にはイマイチよく分かりませんね。お参りするだけで成績が上がるのなら、先輩が真っ先にお参りに行く筈ですが」
……神社にお参りするだけで成績が上がるなんて、信じていないよ。だいたい、勉学で神頼みをするなんて、自分を限界まで追い詰めた人間が最後にするべきで、限界まで追い詰めていない僕がしても、何の意味もないだろう。
「でも、本当に人は“神”になれるんだよ。誰かが誰かを“神”と呼んだのなら、思ったのなら、その人にとっては“神”になるんだ」
僕の方を見つめてくる真剣な眼差しを、僕が狂いそうな程愛おしいと思うようになったのはいつ頃だろうか?
「人は、“神”にも“悪魔”にも、“英雄”にだってなれるんだ」
思い出すのは、遠くもなければ、近くもない日々。
“ここではない、どこか”に僕はいたんだ。
まるで一日中、太陽が沈む事がないような“アカイヤミ”が支配する世界に。僕はそこで、“神”とも、“悪魔”とも呼ばれた。確かに、呼ばれていたんだ。
一方の勢力からは“神”と呼ばれ、もう片方の勢力からは“悪魔”と呼ばれた。望んでなどいなかったのに、“英雄”だなんて祭り上げられて――。
「先輩、先輩」
かけられた声に、僕は意識を取り戻す。対面に座っていた筈の伊吹がいつの間にか僕の後ろにまわって肩に手を置いてくれていた。
「大丈夫ですよ、ここは部室です」
見渡せば、夕闇。太陽が完全に僕の視界から消えかけていた。こんな時は、何処かへ消え去りたいという思いが、よく心を支配する。“ここ”は、“この世界”は、僕の居るべき場所ではない、と疎外感が胸を締めつける。
「大丈夫です。“ここ”には、“この世界”には、私がいますよ」
だから、もう何処にも行かないでくださいね……。そんな弱弱しい声が聞こえてきた。もう苦しむ必要はないんです――。後ろから抱きしめてくる伊吹の声は、震えていた。
「そろそろ、帰りましょうか」
いったいどのくらい伊吹に抱きしめられていただろう?
十秒? 一分? 十分? 暖かい感情に包まれ、短い時間ながらも僕は満たされていた。
壁にかけられた時計を見ればもうじき午後六時半。体育系の部活だってぼちぼち帰りはじめる時間だ。
「そうだな、帰ろうか」
「私は図書館に寄ってから帰ります。『月刊●ー』を返さないといけないので」
そう言って伊吹はさっさと部室を出て行った。部室とは名ばかりの、ほとんど不法占拠に近いこの部屋を。
「私が戻ってくるまで、部室を出ないでくださいね」
部室を出る前、僕に釘をさすのを忘れなかった。
今日は一緒に帰りましょう。家まで送りますから、そう告げる彼女に、心配性だなあ、とは思ったが口には出さないでおいた。本来は僕が彼女を家まで送るくらいはしてあげないといけないのだが……。
彼女が心配性になるのは仕方ないのかもしれない。何故なら、僕があの“アカイヤミ”が支配する世界に行ったのは、夏祭りの日、遠野神社で彼女の神楽舞を見たあの夕暮れの時間帯だったのだ。
こういう日は、僕が“この世界”が僕のいるべき世界じゃないのではないか、と深く考えてしまうのをよく知っている彼女は、また僕がいなくなってしまうのではないかとつい考えてしまうのだろう。
足早に図書室へと向かう伊吹の足音を聞きながら、
物思いにふけっていた僕の前に、一人の女性が現れた。去年までオカルト研究部の顧問であった――今ではオカルト研究会の顧問的存在だ――松崎梓先生だ。二十代半ばでスタイルもイイ為、彼女に恋い焦がれる男子生徒は多い。
「神代、大事な話がある」
「何でしょう?」
神代というのは、僕の名字だ。さっきまで“神”について熱く語っていた僕の名字が神に代わるなど、皮肉でしかないかもしれないな。
「お前、このままだと留年だぞ」
その言葉のナイフは、僕の心に深く、突き刺さった。
「二学期のテストの成績もそうだが、何より出席日数が足りない」
テストの点でいい点を取れれば、出席日数は何とかしてくれる、らしい。事情が事情だからな。が、とてもじゃないけどいい点数をとれるとは思えない。二学期の中間テストだって受けていないんだ。温情で期末テストを受ける事が出来たのも、事情が事情だったからだ。
我が校は一応、進学校だからな。出席日数が足りないのが影響している。簡単には成績が追いつかないのだ。学問の神様に真っ先にお参りに行く筈です、などと伊吹にからかわれたのも、この辺りが影響している。
「そ、そこを何とか。何とかお願いします。何でもしますから――!!」
僕は土下座をした。それはもう、恥も外聞もなく。
「そうか、何でもするんだな」
「か、金を払えばいいのなら、幾らでも払いますから!!」
いくら私立の進学校とはいえ、何億も要求はしてこないだろう。僕が用意できる金で払える筈だ。金で卒業できるなら、簡単なモノよ。“あの世界”から何故か持ってきたモノを、売り払えば、松崎先生が要求してくる金額くらいは払える筈だ――!!
土下座をしている僕に顔を近付けてきた。先生の唇が耳の近くまでやって来た。耳に息がかかってこそばゆいが、僕の視線の先は、先生のブラウスを盛り上げる豊かな胸に集中していた。仕方ないだろう、若いんだから。
「じゃあ、してくれるな……」
もちろん、僕に出来る事なら何でもしますとも――!! 金だって用意できる分はいくらでも用意しますから――!!
だから、だからお願いします、神様、仏様、松崎様‼
「勉強を♡」
神は死んだ!!
夕闇が支配した部室で僕は伊吹が図書室から戻ってくるまで、絶望に支配された僕はがっくりとうなだれていたのだった。
「卒業、おめでとう!!」
桜舞う季節、僕はめでたく卒業をする事が出来た。東桜の名が示す通り、かどうかは知らないが、卒業式は桜の花びら舞い散る中行われた。
卒業式を終えて体育館を出て来た僕は、桜の花びら舞い散る中、隣に並ぶ伊吹の顔を見た。
「卒業、おめでとうございます、先輩」
「先輩と呼ぶのはやめてくれ、それと、卒業おめでとう」
彼女――伊吹――の手には卒業証書の入った筒。そして、僕の手にも卒業証書の入った筒が握られていた。
「結局、“神隠し”からの完全復帰に一年かかってしまいましたね」
去年、いや、もう一昨年か。一昨年の夏祭りの日に神隠しに遭った僕は、一昨年の二学期終了前にこの世界に帰って来た“帰還者”だった。
そのおかげで、学校の勉強にはついて行けなくなり、めでたく留年となったのだった。
結局、松崎先生にした土下座は効力を発揮しなかったのだ。どうせ留年するなら、土下座なんてするんじゃなかった。まあ、よく考えればほぼ新人と言っても差し支えない松崎先生に僕を卒業させる力なんてなかったんだけど。
「ふふ、進路はいいんですか、今のままで」
「“神隠し”経験者を採用しようなんてところはまずないさ」
そう、“帰還”してきた時に異世界の服装を着ていて、この世界のこの時代では見た事もないような武器を持っていたせいで、僕のニュースは結構広がっていた。“神隠し帰還者”として、有名になっていたのだった。
おかげで世間から好奇の目で見られ続けた僕は、人間嫌いとなっていた。高校を早く卒業したいと思い、土下座だってしたのだ。まあ、結果はご覧の有様だけど。高校くらいは卒業してくれ、という両親の願いを聞き入れ、何とか高校は卒業したのだ。
人間嫌いに陥った為、大学進学すら怖くなっていた僕に、一つの進路を示してくれたのは伊吹だった。遠野神社の跡継ぎにならないか、と。僕はそれに飛びついたのだった。いや、縋り付いたのかもしれない。
思い返せば僕が別の世界へと旅立ったのも遠野神社で、戻って来た場所も遠野神社だった。そして、帰って来た僕を最初に見つけてくれたのは伊吹だったな。きっと、僕は遠野お神社に物凄い縁があるのだろう。
この世界に帰還してから、僕はだいぶ伊吹に助けられてきた。こうして、一年留年してでも高校を卒業出来たのも伊吹の助けがあったからこそだ。
「では、これからよろしくお願いしますね、“未来の旦那様”」
桜の花びら舞い散る中、僕に微笑みかけてくれる。その笑顔は、とてもとても綺麗で、暫くの間見惚れてしまった。今年の夏になって正式に付き合いだしたけれど、僕は何度この笑顔に救われただろう?
あちらの世界で“神”と名乗る存在は沢山見たけれど、ああ、僕はこの世界でもやっと、“神”を見つける事が出来た。僕の心を癒してくれる、傍に居るだけで心安らげる存在を。
「よろしくな、これからも」
僕は伊吹と手を繋ぎながら、桜舞い散る中を歩き出したのだった。そう、僕にとっての“女神”と一緒に――。