02 - 王子様は恋人役
「あら、オルフェ様。あちらを見てくださいマセ。とっても……とーっても、おいしそうな、魚のスープですコトヨ」
「ああ。なんだその喋り方は」
「ハッ! あっちは肉だんご! あっちはパイ包み!? まさか唐揚げや掻き揚げまで!?」
「ああ。もう喋り方元に戻ってるぞ」
「文化に差がないって最高ですね! 街の人はいい人たちばっかりだし、言葉に不自由しないし、水も変な味しないし、なにより食べ物がおいしい。あっ、なんだろうあれはっ、薫製かな!?」
わたしとオルフェは、今、馬車屋から宿屋までに通った、お店がずらーっと並んでいた小道を、並んで歩いている。手を繋いで歩くのはやめました。
もともとあれはオルフェの気まぐれだったみたいで、飽きちゃったんだろう。たぶん。深く考えると腹が立つからやめよう。
この通りは、『ミグミル十日商い通り』と言うらしい。日本でいうアーケード通りみたいなもので、もともと商いをする建物(店舗)が自然と集って、出来あがった道なんだそうだ。
一年の始めから数えて、十日目、二十日目、三十日目、四十日目……というように、十のつく日だけ、露天を開いて『市』とする慣例になっているから、『十日商い』。日本にも『十日町』っていうのがあるよね。どこも同じなんだなー。
……とまあ、ここまでの知識は、もちろん、ジャンさんが教えてくれたことだ。
デート中にオルフェが話したことでは決してないのである。
そうデート。これはデートなのだ! 悲しいことに。
「うるさい! お前は食べ物のことばかりだな、チカ。俺様の恋人ならもっと可愛いことを言わんか」
ふふ、恋人。恋人ですか。はっはっは。笑っちゃいますね。
『恋人』とは、もちろん、わたしと、この俺様王子・オルフェが、好き合って告白して恋人同士になった、とかいう、超あり得ない、意味の分からない超展開の話ではない。
ジャンさんが勝手に作った、ミグミル滞在中の『変装のための設定』のことだ。
ジャンさんは商人。わたしはその義理の娘。フレデリクが小間使い。……そして、オルフェがわたしの恋人役。この四人で商いを兼ねた小旅行をしているという設定なのだ。
――で、なぜわたしとオルフェがデートなんかをしているかと言えば。
謎の権力を持ったジャンさんが、「恋人はぶらぶらと街歩きなぞをするものです。チカは買い物があるそうですよ。オルフェ様にお願いしてみては」とかなんとか言い出し。
かわいく頼めとか無理難題を押し付けられ、「オルフェ様付き合っていただけませんか? お願いしまぁっす! この通り!」と体育会系で騒いでいたら、「うるさい、俺様の安眠を妨害するな!」と怒られて、……なぜか付き合ってくれた。なんでだ。そんなにうるさかったのか。
でも『恋人』を強調して言って来るあたり、イライラしてるんだろうな。あの役柄を引き受けなければよかったと思ってるだろう。ざまあみろ。ジャンさんが発案した時点で却下しとけっつーの! 上司だろ!
ちなみにジャンさんは、協力者への連絡を取っていて、フレデリクは旅の間の生活用品や携帯食糧など細々した買い物へ出掛けている。王子様がわたしのお守りをしなきゃいけないほど、大変な任務をしてるわけじゃない。
いつも通り、フレデリクにわたしがくっついていってもよかったのに、役に合った動きをさせたがるあたり、ジャンさんの趣味なんだと思う。あの人、紳士で止まっておけば素敵なのになぁ。
「オルフェ様。恋人が言う可愛いことって……何ですか?」
「知らん」
「ええ、知らないで言ってたんですか。それって無理なことですよ。目標のないものに向かって努力しろって鬼ですか」
「フン。なるほど。そういう考え方もあるな」
えっ、納得した!? びっくりして二度見してしまった。オルフェはものすごく難しそうな顔をしている。そんな真剣に考えることではないような気がするのだが、彼にとってはそうじゃないんだろう。よくわかんないなあ、ほんと。
「……女の言っていることだろう?」
「ですね」
なんでちょっと自信なさげなんだろう。もしかして経験ないのか? 王子様なのに?
「装身具を買えだの、着飾ったから褒めろだの、そういうことを言われた経験ならあるな」
「それ可愛いって思ったんですか?」
「知らん」
うわあ、自分で自分の言ったことに責任持って下さいよ。『可愛いこと』とか言い出したのあなたです。かわいいの基準すらねーのか、この俺様王子はよぉ……!
色々言いたいことはあるが、怒られそうなので、ぐっと飲み込んだ。
「オルフェ様。具体的に考えて見てください。わたしが『あらこのダイヤス・テ・キ。このダイヤを贈ってくだすった殿方に惚れてしまいそう』、なんて言ったら、……気持ち悪いでしょう?」
「そうだな、気持ちが悪い」
「ぐっ! 同意されたら同意されたで腹がたちますね。どうしてくれようぞ」
「……ハァ……」
オルフェは悩ましげで麗しい、例のため息をついた。
変装によって、キラキラオーラは半減している。うん。半分だけしか減らないあたり、さすがイケメンだ。
具体的な格好を描写するなら、目立つ金の髪を帽子に隠し、大きめのストールのようなもので顔つきを隠し、決して上質とは言えない単純で荒い織物の、青っぽいカーディガンとクリーム色のシャツとズボンを身につけている。
うん、はっきりいって、ダサいし、ヤバい。めっちゃ怪しい。
でも、人通りの多い道に行けば、似たような格好の人がいるから目立たなかったりする。不可思議現象だ。たぶん、庶民の、フツーの服装なんだろうな。中身は完全に俺様王子のままなんですけどね。
この変装は、知ってる人から見たら丸わかりだろう、とはオルフェが自分で言っていたこと。まあ、プロポーションとかね、動作とかね。イケメンオーラ漏れちゃってるからね。
誰から逃げてるのか未だに知らないけど、知ってる人にバレるなら、変装とか意味ないんじゃないかなぁ、と素人ながらに思ったりする。うーむ、でもやってるってことは意味があるんだろうし……。ああもう分かんない。知らないことだらけのわたしには、対策の立てようがない。
どーせわたしは部外者だしさっ、食い倒れ観光しかすることがないって言うんだよ、この野郎。
「チカ。お前、服を買うのじゃなかったのか?」
買ってもらったフカヒレスープ……のようなものを、ベンチに座って食べていると、オルフェが思い出したみたいに言った。
「あ、そうでした!」
「忘れてたのか。鳥頭だな」
ぐっ、オルフェだって忘れてただろうに。食べてる最中だから言い返せない。ていうか、やっぱり食い倒れ以外にもすることあったんだ、わたし。嬉しいけど鳥頭が証明されたようで悔しいぞ。
ずずずっと飲みほして、屋台のネコ耳お姉さんにおいしかったです、と挨拶をして器を返す。毛並みのいいネコ尻尾がくるんっとうねって挨拶してくれた。可愛いなぁ。
そうそう、ああいうのを、可愛いっていうんだよ。恋人のかわいさかどーか、って言ったら、まあ、マスコットに感じるような可愛さなんだけどさあ。
そう考えると、わたしも恋人の可愛いってよく分かんないや。彼氏なんかいないしさっ。
「さっそく、行きましょう。あっちに店舗型のがありましたよね。店舗型と露天って何が違うんでしょうか。単価が高いとか?」
「ふむ。知らん」
「まあ、ですよねー……オルフェ様が一般婦人服の相場を知ってるはずないですよね」
「王都の大店の平均値、原材料の輸入額、輸出額は知っている」
「げっ、なんですかそれは」
「王都で王子をやっていた頃、上がってくる書類を読むために、資料に目を通さざるを得なかったのだ。俺様の時間を浪費させた恨みは深いぞ。過去王三代ぶん覚えてやったがな。ふはははは」
おい、街中で王子とかサラっと言うんじゃねえ。変装台無しでしょう。聞いてる人なんかいないだろうけどさ……。
つか、目を通しただけで覚えてんの!? 超人かよ!?
「……もっとも、俺様の知っているのはどれも最新の値ではないがな。二ツ回りほどは遅いだろう」
オルフェたちが知ることのできる情報というのは、逃亡生活を始めてから格段に少なくなったのだろう。すごく悔しそうな、複雑そうな表情をしている。
二ツ回り前、はたぶんわたしと出会う前のこと――わたしの感覚だと二ヶ月前なんだけど、実際はちょっと違うかもしれない――で、オルフェが逃亡している期間より短いはず。半年は逃亡してるって言ってたから。
ってことは、何かのきっかけで知る機会があったのだろうか。協力者に教えてもらったとか? うーむ。よく分かんない。
「じゃあ、一緒に知っていきましょう。知ってる人に聞くのも勉強になりますが、自分で比較してみるのも、楽しいですよね」
「ああ。面倒だがな」
と、オルフェは興味なさげに、大きなあくびをひとつ。イケメンはあくびもイケメンだな。
イケメンって、本当はわたしと違う生物なんじゃないのかなあ。フレデリクが犬耳で犬尻尾だったみたいにさ。オルフェはオルフェっていう生物だったり。
もう、オルフェなら仕方ないかなぁ、みたいなところあるもんね。
「あ、ここですここ。入ってみましょう」
「……店構えが古いな。そこかしこが痛んでいるし、なにより狭い」
「なに躊躇してるんですか。入りますよ」
確かに、長いこと風にさらされたのか、外壁となるレンガは真っ白く変色し、ところどころ欠けている。劣化した看板はもっともひどく真っ黒状態で、オルフェだってこの店の名前を読めやしないだろう。ちなみにわたしはもともと読めないけどね。服に値札をつけた状態で、店先からこぼれ出すくらい、マネキンっぽいものがディスプレイされていて、はじめて服屋ってわかる有様。
でもこれが大事だよね。パッと見て、目をひくこと。それはきっと服屋とわたしの運命なんだ。
苦い顔をして、ドン引きしているオルフェの腕を掴んで引っ張り、いざ入店。
店内は所狭しと服が並んでいて、薄暗い。入り口と、小さな窓から射す陽光だけが唯一の光源だ。
「こんにちはー、どなたかいらっしゃいませんか」
どこに店の人がいるか分からないのでおそるおそる、奥に入って行きながら声を掛けた。
「はいはぁい、パックの野郎か? 今行くよ。ちょっと待っててくれ」
ドタバタ、ガタゴト、奥の方で男の人が叫んで返事をしてくれた。パックの野郎って誰のことだ。人違い? もしかして、ここって婦人向けの服屋じゃないのかな。
「こっちが皮、これは木? ……リル製のもの、ヌー製のもの、……ふむ。あとは織り方の違いか。理解はできるな。価格は……」
オルフェの意見が欲しいなと思って振り向くと、ヤツはそこかしこを触ったりしてブツブツ言っている。おい、デート中だぞ、この野郎。恋人ほっとくなよ。役だけど。さっき、興味なさそうだったのはなんだったんだ。
やっぱりオルフェはよくわからない。
俺様で気まぐれでぐーたらかと思ったら、知的なトコ見せたり。王子様なのに、恋愛経験が高くなさそうだったり。あとは、ある一点において、暴力的だったり、ね。
知らないことだらけなのに、よくもこう、フツーに一緒にいれるよなぁ。
でも、『元の世界』でもそうだった。友達のこと、ぜんぶぜんぶ知ってるわけじゃないけど、一緒にいて楽しいって思ってた。楽しいってだけでよかったもん。オルフェほどワケわかんない奴なんていなかったけどさ。『世界』が違うから、ってだけの話じゃないと思う。だって、わけ分かんないのが、すごく気になるんだ……。
――わたし、なんで今、オルフェたちと一緒にいるんだろう? 保護してもらったから?
見るともなしに服を眺め、待っていると、ガサガサガサッと服を掻きわけて、ぬぅっと大きな影が姿を現した。
「おいこらパック、時間が違ぇじゃねえか、……って、ありゃ。お嬢ちゃんがお客さんか」
やってきたのは短髪の大柄な、ムキムキのお兄さんだった。首に手ぬぐいを巻いて、腕まくりをしている。
服屋さんって言うより、日本で言う、『魚河岸』の人みたい。優しい顔つきをしていて、なんとなく実直な商売をしてそうな印象を受けた。こんなこと思っちゃ失礼かもしんないけど、悪い人に騙されやすそう。
「こんにちは。パックの野郎じゃなくてすいません」
「いや、こっちこそ、間違っちまってすまねえ。ウチはあんま新しいお客さんが来ないからよ。それで、何か欲しいものでもあったかい?」
「あ、まだ見てないんです。実はわたし、今旅をしていて、服、たくさん欲しいんですよ。普段着七着。スカートとズボンを半分ずつ。半袖多めの長袖少なめ。コート一着。大きめの帽子ひとつ。……ざっくりどういう感じのがよさそうですかね」
「へえ。だいぶ量が多いね。ざっくりねぇー、ざっくりかぁー」
余程ツボにハマったのか、ざっくりざっくり、と繰り返しながら、ぐるっと自分の店を見回して、『魚河岸』さん(仮)は、おやっと首をひねった。
「あの男はお嬢ちゃんの恋人?」
魚河岸さんが指差した先にいるのは、もちろんオルフェだ。変装で誤魔化せないイケメン臭を嗅ぎとってか、とても晴れやかな笑顔で言われてしまった。
リア充だね! ってことですか。違います誤解です。悲しいし虚しい。
「あはは……。ブツブツ言ってますが、ほっといて大丈夫です」
「熱心に見ているから、同業者かと思った。そうか。ま、お嬢ちゃんが可愛くなれるように、おれもあんなふうにがんばって服探してくっかな」
「も?」
その辺に肌着があるよ、と指さされた棚に向かった。なんか話はぐらかされたな。
しかし男の人が個人経営してる服屋なんて、わたし初めて来たなあ。日本じゃどのショップ店員さんも女の人だったし、チェーン店舗の店は男の人だけじゃないし……。
棚にはびっしりと、パンツとか、サラシ以上ブラジャー未満みたいな下着がサイズ別に小さなハコに入れられている。パンツはビキニタイプの両脇に結び紐があるやつと、トランクスタイプの二種類。
あの人がこれを並べたのかと思うと、ううむ、複雑だ。でも背に腹は代えられん。肌触りのいいものがいいなあ。肌に直で、長時間触れるものだし……。
「チカ」
「わあ! な、何でしょうか、オルフェ様!? このサイズはですね、太ったとかそういうことではなく、あんまりザラザラしてたら肌に触れなさそうなのがいいんじゃないかと思った次第で大きめのはどっかなーみたいな感じで」
「何を言っている? これを着ろ」
下着を選んでいる最中に来たものだから、慌てて弁解していると、オルフェが、バカかおまえは、みたいな顔をして、どさどさっとわたしの腕に服の山を載せてきた。
な、なんだこれは。重い。初売りで山ほど福袋を買いこんだとき以上に重い。
「なんですかこれ」
「お前用の服だ。選んでやったぞ。女の買い物は長いからな」
「わ、わたしから買い物の楽しみを奪うとは……ッ! なんたる所業! 鬼ですか!」
「知らんな。俺様が選んでやったのだから、着るがいい」
麗しい、イケメンオーラ70パーセントくらいのキラキラ笑顔で言われて、見えないヒットポイントが減少している気がする。オルフェが変装してなかったら死んでたんじゃないか、わたし。
ああもう、なんか、仕方ないかもねえ、って気分になってくる。オルフェだし。何言っても無駄だぜ。
着ればいいんでしょ……着れば……。
「すみません、試着したいんですが」
「おっ? ははは。やっぱり、先を越されちまったか」
魚河岸さんは魚河岸さんで何を張り合ってらっしゃるのか。その、身体半分服に埋もれながら喋るのやめたほうがいいと思います。服の塊で腕ぷるぷるさせてるわたしが言うことじゃないかもしれないけど。
「そっちに試着室があるよ。箱どけてみて」
「じゃあ勝手に使わせてもらいます」
さすが個人経営店。フリーダム。言われた通りに箱をどけると――置く場所がないからまた新たに犠牲になるコーナーがあるけど仕方ない――古めかしい木のドアがある。おそるおそる入ってみると、これまたすごく古そう。掃除はきちんとしてあるみたいなのはほっとする。
服を選んでる最中に話しかけられるのも困るけど、全てご自由にとか言われたら自信がなくなっちゃうねえ。わたし小心者。
「さっさと着てこい」
「はあい!」
俺様はそんなことはなさそうだ。羨ましいことです。
汚れなさそうなのを確認して、手に持った服を床に置き、ドアをきっちりと締める。あれ、鏡がない。外にある系かな。まあいいか。
「で。オルフェ様はどんなのを選んだんだろうねって話で……」
オルフェに渡された服の山のなかから、目についたものをびろーんと引き出して広げてみる。
ワンピースタイプだ。ノースリーブで、襟つき。
「ま、まとも……! なんかキラキラしいもの選んだり、センス悪いの選んだりするのかと思ったのに。すっごい地味だし、清楚系カッコワライ的な感じはするけど、嫌いじゃないし!?」
まさかわたしに選んだとか……いやそうなんだろうが、そうなのか? え? そういうことできちゃう人なのかオルフェって?
「あのー、着ましたけど……」
避暑地のお嬢様ふうのファッションに身を包み出て行くと、オルフェ様は眠そうにあくびをしていた。うん、通常運転ですね!
とくに感じることもなさそーな、興味なさそーな顔で、「まあそんなものか」と言った。はい、アウトー! 褒めろよ! 過去に女性に言われたんだろ! 『マトモな服を選んだ』ってプラスポイントが今ので一気にマイナスです、おめでとうございます。
いや褒められたら褒められたで、難癖つけてアウトー! って言ってやる気満々だったけど。
「すごく普通です。その辺にいそうな感じ」
「それはそうだろう。目立つ服では俺様が困る」
「あっ、そっか。これ、変装用でしたね……」
「は? 何を言っている?」
忘れていたのかこの鳥頭。という顔をして、オルフェがわたしを見た。うう、すいません。忘れていました。
オルフェが『わたしに』選んだんじゃなくて、オルフェが『変装用に使うならコレ!』って服を選んでくれたのか。
わたしには変装用に使える、街中に溶け込みそうなよくある服、ってのが分からないから、オルフェが選ぶのが正しいっちゃ正しい。そしてわたしはなんというか、勝手に勘違いして華麗にダンシングしてたってわけですね。なぜわたし喜んだし。恥ずかしい。
「や。お嬢ちゃん、着たね。似合ってるよ」
「ありがとうございます、魚河岸さん」
「うおがし?」
「いえ、こちらの話で」
手に何着か服を持った魚河岸さんが、いつのまにか隣に立っている。この店、服で埋まってるけどまさか隠し通路があるのか? どうなってんすか。
「そうかい? その服もいいけどね。おれもざっくり選んで来たよ」
「うう、お兄さんの笑顔は癒しですね……。キズにしみわたります」
「キズ? 怪我でもしたのか? ウチの店に危ないもんはないはずなんだが」
魚河岸さんがちょっとあわてて、わたしの手を取ろうとした。いや、物理的なケガの話ではないですごめんなさい、とフォローしようと口を開いたとき――
「おい、下郎。俺様の恋人に不用意に近付くな」
魚河岸さんの腕を、オルフェがガッと掴んだ。地に響くような低い声だ。
げ、下郎って。お店のご主人に向かって何を。とか、そういう雰囲気ではない。
オルフェは、顔がギラツいた、こわい表情をしている。
それは、支配者の顔、とでも表現するのが正確だろうか。
――わたしはこの顔を見たことがある。初めて会った時、オルフェはこんな顔をしていたのだ。暴力的で、傲慢で、排他的な、すっごくすっごく、いやーな感じ。
「おっとっと。違うよ、彼氏さん。おれはお嬢ちゃんが怪我したんじゃないかと思って、見てただけさ」
「フン。こいつが意味の分からんことをいうのはいつものことだ。見ればわかるだろう、怪我などしていない」
「はあ……」
「そのまま、貴様は動くな。チカ。こっちへ来い」
その顔でわたしに命令しないで欲しい。
反発したい気持ちはある。でも、従わないわけにはいかないのだ。従ったら何をされるか分からない、っていう、根源的な恐怖が呼び覚まされてしまった。またあの苦しい痛い目に合うのかって、そういう恐怖。
フザけんなよ、サイテー、とか、心では思ってるんだけど、いざ、この顔を目の前にしたら言えないものだ。足や手が震えて自分の意思じゃ動かないんだ。こんなんじゃダメなのにさ。
オルフェがもし、もしだよ。もし『王』になったらさ――もっと日常的にこんな命令するんでしょ?
なんか、いやだなあ……。いつものオルフェなら、ちょっぴり俺様なだけ。でも、このオルフェはいやだ。
「……どうした? チカ」
「あ、えっと……」
いつのまにか、オルフェがわたしの肩を抱き寄せている。顔を仰ぎ見ると、キラキラしいオーラ(半減処理済)のイケメンがいる。
それになんだかホッとして、えへへ、と笑っちゃった。
オルフェは目をぱちぱちと瞬かせたが、何やってんだ、みたいな、呆れた、つめたーい目をされた。
うう、嬉しい。ドMじゃないのに嬉しい。いつものオルフェだ。
「えーっと、それで、どうするの? 服のことだけど」
気まずそうに言うのは魚河岸さんだ。言われてはっ! とする。
これじゃバカップルじゃんね!! 何してんだこれ!
接客してたら、バカップルがイチャつきだしたぜ、どうするよ、みたいな気分だろうな。マジでごめんなさい。本当の恋人じゃないです、ごめんなさい。
「もっ、勿論買います! 下着のこのサイズと、この腕のなかの奴と、魚河岸さんが選んでくれたの全部買います!」
「え、試着は?」
「大丈夫です、買います。会計よろしくお願いします、オルフェ様」
一刻も早くこの場から逃げ出したい一心で、よく見もせずにどどーんと服をカウンターに置いた。どのくらいの会計になるかは……知らない。やばっ。逃亡生活のお財布、わたしがひっ迫させてたらごめんなさい! ダメならダメって言って!
オルフェは何でもないような顔をして、サラッと言われた金を即金で置き、三袋にもなった荷物の全てをわたしに任せてさっさと店を出た。
なんだあのただの金持ちは……。
「独占欲強そうな彼氏だな、頑張れよ、お嬢ちゃん」
ご迷惑をおかけしましたと陳謝した際、魚河岸さんが励ましてくれた。
ありがとう魚河岸さん。彼氏じゃないですけど頑張ります。あなたのことは忘れないよ。二度目ましてがあるか分かんないけど。
それにしても、袋三つ、中身は服でも、ものすごい重い。これわたしに全部持たせんのな! さすが王子だよね! 荷物は持たぬ主義なんでしょうな。
彼氏って「じゃあこっちは俺、そっちがお前で、このひとつは一緒に持とう」とかキュン台詞を言うものだとわたしは思っていた。
いや、そんなのオルフェが言ったら、熱があるんですか? と思うけどさ。気持ち悪いし。っていうか、そもそも本当の恋人じゃないしなっ。
「オルフェ様、お待たせしまし……あれ? オルフェ様?」
荷物を持って、よたよたと店を出たら、そこにはオルフェの姿は無かった。
な、なんだそれ! わたし置いてかれた!? はぐれた!?
それともオルフェに何かあったのかも。王子だし……何かに追っかけられてるらしいし……!
オルフェはどうしてここにいないんだろうか。
飴ちゃんあげるよでついていく人ではもちろんない。何かのトラブルが発生して、止むを得ない状況になって、自らここを離れたのかもしれない。誘拐されて、意思とは違って離れさせられたのかもしれない。
ど、どーしよ。わたし、追手の詳しい事情とか全然知らないんですけど。どーするべき?
焦りと不安で頭が混乱する。お、落ち着こう。状況を整理しなくては。とにかくオルフェはいないのだ。わたしがどうするかは、わたしが決めなくっちゃならない。
このままオルフェを探してもいいけど、もし追手と戦闘中とかで、わたしが行くことによって、「危ないっ、チカ!」グサーッ! 「お、オルフェー! 死ぬなー!」……みたいな展開になったら困る。
ってことは、やっぱり、宿に急いで戻らなくっちゃだ。
オルフェと合流できるかもだし、残りの二人――ジャンさんとフレデリクさんに伝えなくちゃ。
ジャンさんとフレデリクさんは、わたしとオルフェが二人連れで行動していると思ってる。だからオルフェが対処できる問題では、わたしもオルフェも無事だと思っているはずだ。その上で色々と、逃亡生活のためのなんやかんや面倒くさいことをやってるんだろう。
もし、わたしとオルフェがともにトラブルに巻き込まれたなら、わたしや、オルフェだけがうまく隙をついて助けを呼ぶなりできるもの、安心だろう。でも、はぐれてオルフェの安否も分からないって状況は、あの二人は知らないんだ。
ただ置いてかれただけなら、笑ってすまされる話だけど、そうじゃなかったら、早くあの二人に伝えないと!
「違う、もっとすることがある」
走りだそうとして、待てよと思って立ち止まる。
まず、オルフェがさっさと行っちゃっただけのことを考えて、魚河岸服屋さんに言付けを頼もう。
「置いて行かれちゃったんですが、もし戻ってきたら、わたしは宿に行ったって伝えてもらえませんか。もしかしたら、彼はここに来ないかもしれないですが」
魚河岸さんが人の好い笑顔で了解! と言ってくれた。こんなに早く、二度目ましてが出来るとは思いませんでした、魚河岸さん。っていうか、マジで、そのうち誰か悪い人に騙されると思いますよ……!
問題解決後に改めて挨拶しに来なくちゃだ。いい人に心配ばかり掛けさせられぬ。
「あとは、現場の聞きこみだ」
街に溶け込めてるとはいえ、イケメンオーラを放出しているオルフェのことだから、女の人の目は絶対に惹いているはず。
どういう状況でここを去ったか、みたいなことを聞いて、宿に急ぐなり、少しだけ後を追ってみるなり、いろいろ出来るだろう。
魚河岸服屋のちょうど斜め前あたりに店を出している、露天商三人に声を掛ける。
「ああ、あの美形さんね。何か走って行ったかな……。切羽詰まっていたか? うーん。あ、走りだす前、誰かに話し掛けられていたみたいだったよ」
キツネ耳の露天商の一人から有力な情報ゲット! ってことは、やっぱ、追手って考えるのが妥当かな。深くお辞儀をしてお礼を言う。
これは、マジで急いで、宿に帰らなくちゃいけない。
来た方向にまっすぐ、うねうねとした小道を抜ける。最初は走っていた足も、段々と速度が落ちて行く。はあ、はあ、と息を切らして、一歩一歩進んでいくかたちになった。肩に袋のヒモが食いこんで痛い。
走らなきゃよかった……走らないほうが早かったかも……。ぜーぜー言いながら坂道をのぼり、四方に伸びる道を見て、おやっ? と首をひねる。
「何ここ。どこ? 宿から馬車屋の通りにこんなとこなかった……。行きすぎ? あ、でも……なんか、服見ようって言って……魚河岸服屋に行ったんだ。ここまでの道は一本だった。つまり……えーと、スープを飲んだ場所から曲がったんだ、たぶん」
すごく怪しい答えだが、合ってるはず。たぶん。
ぐるぐると見渡して、フカヒレっぽいのが入っているスープの出店を、小さく発見する。カワイイ尻尾の、猫のお姉さんがやってるやつだ。アレだ。
ホっとして、猫のお姉さんに馬車屋か宿までの道を聞こう、と歩きだした――。
が、わたしは後ろから、ぐんっと腕を引っ張られて、そのまま背中から倒れこんだ。重い荷物を背負っていたせいもあるが、ごろーんと、盛大に、そして無様に、わたしは地面に転がった。
腹が立つことにスカートはめくれた……が、頭は打たなかった。あぶねー! 死ぬっつーの! ありがとう、大量の服! どのくらい金が掛かったか知らないけど。そして犠牲になったわたしのパンツ。いいんだ、あんな安物異世界パンツ。
「君」
上からぬううう、と影がわたしを見下ろしている。逆光になってよく顔が見えないのだ。でも、多分、っていうか、間違いなく、こいつがわたしの腕を引っ張った犯人だ。ムカつくー!
亀が甲羅を下にして倒れた時のように、手足をばたばたさせて、訴える。
「なっ、なんですか!? 危ないじゃないですか。お、起きられないし! あなたのせいですよ!」
「なにそれ。惨めだね。滑稽だね。君、白」
「ぎゃあああ! 大量生産品の布の色の名前を言われただけなのにこの精神的ダメージはなんだろう!!」
ですよねー!!!! やっぱり見られてますよねー!!!
「早く起きなよ。僕を待たせるんじゃない」
「ハッ、す、すみません!?」
肩からヒモを抜いて、ばっと立ち上がり、反射的に頭を下げて、オルフェごめんね! とか思って、アレ? と思う。
なんでわたし、コイツに謝ってんの?
っていうかオルフェじゃないし。
いや、さっきのコイツの言い方、すっげえオルフェっぽかったけど。それにしても一ヶ月は一緒に暮らした相手と初めて会う相手を間違うなんてそんなばかな。
「何してるの。僕を待たせるなと言ったよね。顔。見せてよ」
「ヒィッ」
ガバッと顔を上げた先にいたのは、わたしより少し身長が高いくらいの、小柄な男の子だった。年齢はフレデリクと同じくらいかな。十代半ばだと思う。
髪の色は金。目の色はアメジスト。頬は白く、あんまり健康的じゃない。すっごく、正統派な、『美少年』って感じ。可愛い系だけど、将来は美形になりそう。聖歌とか歌って、天使の再来とか言われそーな雰囲気を持っている。
だが、そんな天使を目の前にして。なぜかわたしはデジャヴを感じたわけで……。
「ええと。初めましてですよね? ええーと、……どなた様でいらっしゃいますか?」
ほら。自然にわたしの口調が丁寧語になっちゃう。
「僕? 僕の名前を聞きたかったら、君から名乗るべきじゃない?」
「はいっ、すいません! チカです。野々部千夏です」
「僕はルイ。このクインス王国の王子」
ぎゃあ! やっぱりィィ!?
「君が今、身を寄せているオルフェ兄上の異母弟だ」
ワァ! 母が違うんですって! 超・王家っぽーい。スッテキー。とでも言うと思ったか。
ええ、分かってました。あなた、母が違っても、完璧にオルフェの弟だよ! ミニチュアオルフェだよ! むっちゃこわい。
イケメンオーラ――ルイの容姿に即して言えば、美少年オーラ――が、目玉を焦がすんじゃないかというくらい、見えます。
俺様を待たせるな、とかさ。命令し慣れているんだろうなー、って、オルフェに対しても思ったけど、年下から言われるとまた違った衝撃がある。うーむ、王子ってなんでこう、なんでこう、俺様なの……。
いやそれよりもだ。パンツの件だ。絶対に許さない。フザけんなよお前ら兄弟マジで! 口には出さないけどっ。
「はあ……それで、オルフェ様の弟様がわたしに何のご用でしょう」
「ルイと呼べ」
「ぐっ……ルイ様は、どーしてこんな、わたしのよーな庶民の女にお声掛けくだすったんでごさんしょー」
「兄上が捕まらないんだ。だから、君を捕まえようと思って!」
「はっ!?」
なんだろう、もんのすごい言葉を聞いた気がする。
「君。僕に捕まって、兄上をおびき出す餌になれ」
にっこり、天使の頬笑み頂きました! やったね! 言ってることは極悪だけどなッ。