M-076 旧アラスカ厳冬期
確かこの辺りはマッキンレーとかいう山脈地帯だったような気がする。地殻変動もこんな極北では余り変化がないようだ。
一旦、東へと歩いているのだが一面の白い山脈だ。
低い杉のような樹木が森を形成しようとしている場所が至るところで見られる。
極北の地では生育もままならないようだな。
それでも、精一杯伸びようとする姿は生命の力強さを俺に教えてくれる。
そして、こんな土地で懸命に生きる獣達もいる。鹿に似た獣は足の先がカンジキのように広がって雪の中を苦労せずに歩いていた。1本角のその姿はまるでユニコーンにも思えるぞ。
ガトルに似た奴もいる。凍った雪原を素早く動けるようにスパイクのように脚の爪が特化していた。
極めつけはグリズリーだ。どう見てもグリズリーなのだが、何と前足が4本ある。後足で立つと3mを越える巨漢だ。この大地の頂点に立つ獣だな。そういえば、グライザムってグリズリーに似てるよな。グリズリーから進化したのだろうか。
そうだとすれば、カナダはグリズリーの王国だ。もっと変わった奴がいるかも知れないな。
俺達が持っている自動小銃はAK47の流れを汲むものだ。弾丸は鉄を分厚い銅で包んでいる。ある意味徹鋼弾としても使えるから、グルズリーの頭蓋骨等連射すれば破壊できるだろう。
ベレッタもあるし、とりあえずは備えは万全だと思う。
重力制御で体を軽くするぐらいなら、常に行なっていてもエナジーの消費はさほど変わらない。
体重を四分の一にすると凍った雪の上なら足がそれ程潜ら図にすむ。靴底に新たに鋲を数本溶接したから、氷の上でも大丈夫だ。
北風に晒されながらひたすら南西に向かって進む。
フラウのコースは山並みを数箇所斜めに横切る事になるのだが、俺達は生体ではないから寒さからは開放されている。
革の上下に革のブーツ、それに風雪をマントで防いでいるだけだ。
明人達ならたちまち凍死してしまうような軽装だが、俺達には快適な装備と言える。
「あの山の斜面を進む事になります。」
「雪崩が起きないか?」
「その時は上空に逃れます。」
かなりの急斜面を斜めに上る事になりそうだ。
この季節、雪崩がなにより怖いのだが、どうやら俺達にはその危険性が適用されないみたいだ。
雪崩が発生して俺達を巻き込むまでの数秒間に重力傾斜を頭上に展開して逃れる事は、ある意味究極の雪崩脱出法じゃないかな。
と言っても、それが出来るのは俺達だけだろうけど…。
杖をストック代わりにして斜度のきつい雪原を歩く。
何か、一人前のアルピニストになったような気分だな。
モノトーンの世界は、何となく水墨画の中に入ったような感じになる。距離感がおぼろげで幽玄な世界だ。
「マスター、もう少しで尾根に出ます。」
先頭を歩くフラウが俺に振り返って声に出す。
俺は片手を上げてそれに応えた。
3,000m級の山だ。尾根から眺める景色も格別なんだろうが、生憎と天候は下り坂だ。先ほどまでの景色が、遠景から少しずつ消えている。
それでも、尾根に出ると少しは周囲を眺める事が出来た。
北極海を渡ってから、3つほど尾根を越えたから、真下に広がる森の木々も少しは樹幹を高くしている。
最初は地を這うような森だったが、今度の森は俺達の姿をその中に隠してくれるだろう。
「…という事は、獣も多くなるという事だな」
「何か言いました?」
「あぁ、下の森は森らしい姿だと思ってな。森が深くなれば獣も多い筈だと思ったんだよ。」
「此処からでは、まだ生体反応が確認できませんが、確かに何かがひそんでいるような感じがします。」
かなり曖昧な言い方だが、こんな感情的な思考もフラウは出来るんだな。何となく人間臭い考え方っが出来るようになってきたぞ。
明人の所のディーと言うオートマタはどうなのかな?
戻ったら一緒に暮らそうと思っているが2人のオートマタのやり取りを考えただけでも面白そうだ。
まぁ、喧嘩はしないと思うけどね。
斜度のきつい雪原を慎重に下りる。真直ぐではなく斜めに下りていくのが雪崩を作らないコツらしい。
2時間程掛けて雪原を下りると、森の縁に俺達は立つ事が出来た。
「どうだ? やはりいるか。」
「いますね。まだ敵対はしていませんが。」
ヘッドディスプレイに生体反応を表示させると、なるほど沢山いるな。
動いている者、じっとしている者様々だ。
「悪いが、動体反応も監視してくれ。この寒さだから虫や爬虫類はいないと思うが念のためだ。」
「了解です。確かに気温は-8℃ですから、動けるのは恒温生物だけだと思いますよ。」
森の中に入ると、空気が澄んでいるので遠くまで見ることが出来る。
俺達の歩みに応じて生体反応の輝点が道を開くように別れていく。どうやら草食獣のようだな。無用な狩りはしないことを相手も理解しているようだ。
とは言え、動かない輝点は肉食獣の可能性がある。
近くを通る時は不意打ちを受けないように注意を向ける。
逃げていく獣はイネガルのような奴だ。平べったい前に伸びた角は、雪を掻き分けるのに使うのだろう。
それを追う、獣を見ることが出来た。
俺達に注意を向けていないので最初は草食獣だと思っていたのだが、大型のガトルのような奴だ。
大きさ的にはガトルというよりガドラーに近いが、十数匹の群れでイネガルを追って俺達の視界の端を駆け抜けて行った。
「ユーラシアと獣の姿がそれ程違わないな。」
「寒冷地に適した獣が元々少なかったからだと思います。遺伝子変異が起っても生態系によって変異の激しいものは淘汰されたのではないでしょうか?」
生態系による淘汰ねぇ…。
一度は爆発的に増えたものの、この厳しい寒冷地では生き残れなかったという事か。確かに毛足の短い獣は辛いだろうな。そして、捕食者から逃れる為の手段を持たなければやはり種族を保つ事は困難だ。
となれば、この地に人間が住むのも難しいかもしれない。ガドラー並みの体形を持ったガトルを退けるのは武器を作れて体力負けしないだけの体が必要だ。
突然、フラウが片手を横にして俺の歩みを止める。
ゆっくりと腰を下ろして、フラウに近付いた。
「どうした?」
「この大陸の狩人です。」
そう言って前方を指差す。
双眼鏡を取り出してその方向を見ると…、人間と言うよりサルだな。
体毛に覆われてがっしりとした姿はゴリラを思い出す。
待てよ。あれに似たのがアクトラス山脈の東にいたな。相違点は、頭か。
あいつ等は小さな頭を肩に乗せて、本来の頭は腹にあった。腹にお面のような防具を付けていたがこいつ等は腹を毛皮で覆っている。そして頭は体形と比べて小さくは無い。まぁ、普通に見える。
体にはイネガルの毛皮を纏い、短い槍は磨製石器だな。
何となく原始人を思い浮かべる姿だ。
「前に俺達を追ってきた奴とは違うみたいだな。」
「類似点もありますが、こちらは前にあったサル達とは明らかに違います。」
「まぁ、俺達を襲わない限り放っておこう。彼らも彼らなりに生きているんだ。」
無闇に生態系を乱すことは無い。彼らが火を使うかは怪しい限りだが、明人達と一緒に暮す者達の害になりそうも無いならこのまま見守っていくのがスジと言うものだろう。
彼らが視界から去って行く。ヘッドディスプレイを見ると、イネガルの群れから遅れた1匹を追っているようだ。だが、その1匹はガトル達も狙っている。
生存を掛けた争いが後1時間程で始まりそうだな。
そんな思いを浮かべながら俺達は南西方向に森を進んでいく。
森を抜けると、南に山並みが見えた。
次ぎはあの山を越える事になるのかな。
次の森が広がる場所まで数kmの雪原が広がっている。
どうやら、河原のようだな。夏にはここは草原に変わるのだろう。
そんな雪原を歩いて、大きな岩が転がっているのを見つけたので、その岩を風除けにして焚火を作った。
久しぶりの休息だ。
俺が近くの藪から薪を集める間にフラウがお茶を沸かしてくれた。
「アッサムのお茶が残り少なくなってきました。」
「あれは、予定外だからな。これから南に進むんだし、また違うお茶が手に入るかもしれないよ。」
そんな事をフラウからカップを受け取りながら話してあげる。
南米に行くんだよな。あそこにはマテ茶がある筈だ。どんな葉で作るかは後でバビロンの神官に確認してみれば良い。
此処で、活動時間を延ばす為にのんびりとお茶を飲む事にする。
シェラカップ1杯で約20時間だ。現在260時間程だから、200時間程延長させるには10杯を飲む必要がある。
デガラシのお茶でも、ただのお湯よりは飲むにはマシだ。
俺がタバコを取り出すと、フラウは何時ものように長剣を取り出した。
・
◇
・
少しは南に来たから、気温が上がるかと思いきや、相変わらず-8℃前後を日中は示している。夜間は-10℃以下になるし、吹雪が来れば、更に気温は低下する。
とは言え、山越えをする時には、気温が低い方がありがたい。雪は硬く締まっているし、雪崩の危険性も少ない。
そんな旅をして8日目に俺達は太平洋を見ることが出来た。
此処からは海岸伝いに南下してユーコン川を溯上するのだが、地形図で見る河の位置は、地殻変動の影響でだいぶ南にずれているぞ。
それでも海岸を3日程歩くと広い河口に辿り着いた。厳冬期だから、河口も完全に凍り付いてる。
俺達は凍った河の上を東に向かって歩き始めた。河口付近の川幅は1km近い。湾のようにも見える地形だが平らな氷原がずっと奥地に続いているからこれが河だと分るようなものだ。
杖で氷の上を適当に叩きながら歩いているが、フラウには反響音で氷の厚さを推定出来ると言っていた。その厚さは1m以上という極めて曖昧なものだが俺達が歩くには十分な厚さであることは確かだ。
障害が何も無いから、俺達は1時間に5km程進むことが出来る。その日の内に平野部から山裾に周囲の風景が変わってきた。
そして、凍った川幅が300m程になって山間部に掛かろうとした明け方近く、フラウが突然足を止めた。
「どうした?」
「例のグリズリーです。群れで行動してますよ。」
確かグリズリーは個別行動を取るんじゃなかったか?群れで狩りをするなんて聞いた事も無いぞ。
双眼鏡でフラウの教えてくれた方向を見ると、確かに10頭近くの6本足のグリズリーだ。
親子連れでもなく、同じ体形の群れだから集団行動を取っている事になるな。
「距離1,400。こちらに気付いたようです。」
「不味いな。逃げてもあっちの方が早そうだ。」
「上空に逃れて彼らを飛び越えますか? 5km位なら行けそうですよ。」
「そうするか。」
重力制御で上空に移動すると、前方に重力傾斜を作って河を上流方向に進んでいく。そして、再び凍った河の上に降りた。
「不味いぞ。周辺に群れが2ついる。」
「後ろのグリズリーもこちらに向かって来ました。」
どうやら、この辺りはグリズリーの巣窟らしい。
俺達は杖を仕舞うと、自動小銃のセーフティを解除して上流側に走り出した。
早速数匹のグリズリーが俺達目掛けて走ってくる。数十mで自動小銃を連射して退けると、斃れたグリズリー目掛けて他の群れが集まりだした。
共食いをするのか?
だとすれば、適当にグリズリー倒しながら走ればこの場を逃げ出すのもわけはない。
「フラウ。群れの1頭を倒せばやつ等は追ってこない。」
俺の言葉に頷きながら、走ってきたグリズリー目掛けて自動小銃を撃つ。
約20km程上流まで、俺達は自動小銃を撃ち続けながら走り抜けた。