M-074 冬を待つ間に 2nd
足元に2本の吸殻が落ちている。今吸っているのが3本目だ。
フラウは俺と違って作業が丁寧だから、結構時間が掛かるみたいだ。
とは言え、あれから3時間は経ってるな。落ちゲーにも飽きてきた所だし、そろそろ様子を見に行くか。
その時、ゾワリ…っと背筋を誰かに撫でられたような悪寒が走る。
何だ? 俺の体はナノマシンベースだ。肉体を持たない俺が悪寒を感じるなんて、ちょっと変だ。
そして、何かの音を聞いた。可聴域を遥かに超えた、超音波に分類される音だな。
急いで音源を捜すが、既に音は消えていた。
何かいるのか?
まさか、幽霊の類じゃ無いだろうな。確かに大勢の兵士が死んでいるようだし、いてもおかしくは無いのだが、それは人間の妄想に拠るものであって、今の俺には関係無いように思えるのだが…。
とりあえずフラウと合流だ。フラウなら何か分かるかも知れない。
そう思うと、武器庫に俺は駆け出した。
ドアを蹴破るように武器庫に入ると、フラウが自動小銃を組み立てていた。どうやら終ったみたいだな。
「マスター、終了しました。マガジンを装着して試射をお願いします。」
フラウから自動小銃を受取って、ガチャリとバナナ弾装を組み込む。セーフティレバーを単射モードに切り替えるとコックを引いてトリガーを引いた。
バァン!
問題無さそうだ。更に数発発射しながら腕の3次元位置とヘッドディスプレイのターゲットマークの微調整を行なう。
「フラウ。少し気になる事を聞きたいんだが?」
試射が終ったフラウに俺が訪ねると小首を傾げる。
「さっき、外での出来事なんだが、悪寒を感じた。そして超音波領域での音を聞いたような気がするんだが。」
「マスターには、ナノマシンの他にピコマシンが使われています。人間の持つ感覚器官を更に倍増する機能が無いとも限りません。それは何らかの信号をマスターが捕らえたと考えるべきです。」
となると、何かがこの基地内に今もいるって事か?
「このまま、引き下がるのも面白くない。調べてみるか?」
「そうですね。これも、何かの役に立つでしょう。」
そう言って、200cc位の小瓶を持つ。アセトンだよな。
武器庫を出ると、先ほど一服した階段の場所に出る。
「下ですか…。」
「たぶんな。」
ゆっくりと階段を下る。
確かこの下は、士官達の居住区だった筈だ。
「何か、感じますか?」
「いや、何も感じない。念のためにセンサーは動体、生体を機能させておいてくれ。」
「了解です。」
通路が大きく弧を描いて、通路の両側にドアが並んでいる。
そんな扉を片っ端から蹴破ると、中を確かめていった。
戦闘の跡があるもの、何も無いもの色々とあるが、やはり遺体が無いのが気に掛かるな。
ちょっと待て、俺達は扉を破壊して中に入っている。そしてその中で弾痕と床に広がる染みはあるが遺体が無い。
どうやって、遺体を運んだんだ?運び出した後に扉に鍵を掛けたのだろうか? だが、そんな几帳面な殺し合いをこの基地の連中はやったんだろうか…。
「フラウ、周辺に異常は無いか?」
「別に…。しいて上げるならば、室温が少し上昇しています。現在27℃を越えています。」
肉体を持っていたなら、暑く感じるかな? 湿度が低そうだから意外と快適に思うかも知れないな。
そんな事を思いながらも、扉を開けていく。
何か、不毛な作業だな。
「一周したようです。下に下りましょう。後9階層あります。」
コンクリートむき出しだが劣化の進行があまりない。普通なら鉄筋が錆びてコンクリートが内部から破壊されるんだが、クラックすらないようだ。
「何か、劣化防止剤のような塗装がされているのか、それとも鉄筋を使っていないのか…。」
「後者ですね。SUS316L極めて腐食に強いステンレス鋼材です。強度が不足するのを部材の太さでカバーしているのでしょう。」
弾痕の跡を調べていたフラウが教えてくれた。
という事は、コストを度外視してこの基地を建設した事になる。
一体、何を研究していたんだ。
次の階も士官室のようだ。そして更に下の階は倉庫が並んでいる。
そして、更に下の階に足を運ぶ。
「これは…!」
「どうやら、生体兵器の研究施設のようです。先ほどエアロックが3段組み合わされていましたからここは本来減圧されていた場所でしょう。」
「大丈夫か? 俺達は平気でも明人なんかに変な病気を移すことが無いだろうな?」
「全て、消毒されています。慌てて廃棄したようですね。グローブボックスに消毒薬の缶が転がっています。」
教室の2倍程の広さで天井が高い実験室だ。手前には作業台、奥にグローブボックスが10基並んでいる。
そんな中に、何かが蹲っているのを見つけた。
急いでそこに近寄ると、ミイラ化した遺体がグローブボックスの中で、俯いて状態で座っている。
「自殺ですね。メスで頚動脈を切り裂いたようです。」
「確かに。だが、何からこいつは逃げようとしたんだ? 自殺は絶望感からだろうが。」
この遺体は意外と目立つ。だが、この遺体を片付ける者はいなかったようだ。
20部屋程ある実験室を調べても他には何も無かった。
そして、不思議な事にこの階には戦闘の跡があまりない。あっても数発の拳銃弾の跡だ。
「室温が更に上昇しています。現在30℃を越えました。」
「動力炉が生きているのか?」
「核融合炉でも燃料供給が無ければ停止します。恐らく地熱ではないかと…。」
地熱を使う方法で、これだけ長く電力を維持する方法は…、熱伝対を使うのか?
ペルチェだったかそんな効果だ。異種金属の接合部に熱を加えると電流が発生すると聞いた事がある。だが、極めて微弱な電流だ。それで基地全体の電力を賄う事は出来ない。だとすれば温度差発電? スターリンエンジンも良いな。
「たぶん、外気と地熱の温度差を利用しているのでしょう。その熱が少しリークしているので温度が上昇しているのだと推測します。」
「もうすぐ、分るんじゃないか。後、数階で底に着く。」
「そして、遺体の無くなった原因も判るかも知れません。下の階で動体反応が一瞬ですが確認できました。生体反応は壁に吸収されるようで、上手く観測できません。」
生体検知機能は役立たずか…。だが、動体検知機能で周囲を探れれば不意打ちを喰らう恐れはない筈だ。
「行ってみるか。」
フラウにそう言うと、自動小銃のセーフティを連射に切り替えてゆっくりと階段を下りていった。
次ぎの階に下りると、フラウが素早く周囲を探る。
俺に頷いて、周囲に異常がない事を教えてくれた。
「これは?」
「何かの液体ですね。まだ半分ほど入っているようです。」
通路の真中に何故かドラム缶が2本立っている。中身が入っているドラム缶なんて障害にもならないぞ。溶媒や揮発油なら弾丸を1発浴びたらドカンだ。
運ぶ途中で置いたにしては不自然だな。
通路の部屋を開けると、どうやら生体実験用の動物を飼育していた場所のようだ。色んな種類の檻が並んでいる。
「人間も実験材料だったようですね。」
フラウが人体をスライスして、プラスチックに封じ込めた標本を見て言った。
「所詮、人類の敵は人類さ。意外と凶悪な種族だと俺は思うよ。」
手術台の上にはミイラ化した遺体が乗っている。
だが、手術台の周囲の床には明らかに流血の跡が残っているのにこの遺体は放置されているんだ?
「この遺体は前の画像とは少し違っていますね。」
ん? 良く遺体を観察する。そして、その違いが分ってきた。
これは、人間じゃないぞ。ボロ布に覆われて見えなかった体の半分から下は、蛇のような…いや、芋虫のような胴体に繋がっている。
遺伝子変異でここまで姿が変わるのか…。
まるで、アラクネだな。
だが、遺体が無いのは、アラクネの仕業とは思えない。この姿はどう考えても移動するのが難しい。網を張って獲物が掛かるのをジッと待つような形態だ。
檻の中に、残った獣や変異種がいるかと一通り部屋を眺めたが、檻には何もいない。数個の檻の金属棒が捻じ曲がっているが、これをやったのが何者かはまるで分らない。
「マスター。湿度が上がっています。現在室温32℃、湿度60%です。当初は30%以下でしたから、この湿度上昇はおかしいです。」
「下になにかある。と言う事だな。」
残りの部屋を素早く確認して回ると、階段を下にゆっくりと下りる。
「生体反応があります。場所の特定は出来ません。この階一杯に広がっています。」
フラウが素早く俺に伝えた。
何なんだ?
自動小銃を構えて次の階の通路に出た。
壁に走るグロテスクな内臓のような物は脈を打っているようにも見える。
明らかに何かの生体機関だ。
背中の長剣を抜いて、脈を打つ内臓のような物に傷を付けると体液が滲み出す。
「生き物だな。どんな生物か分らないけどね。」
「動体検知には素早く動く姿は確認できません。その扉を開けてみますか?」
階段に近い扉を蹴破ると、素早く室内に飛び込む。
そこには、俺の身長を越えるキノコが無数に生えていた。
湿度は90%を越えている。温度は33℃に達していた。
そして、近くにキノコが切取られた跡がある。
誰かが育ててるのか?
不思議な事にこの部屋には通路に広がっていた生体が無い。
ドォン! とフラウが何かに小銃を発射した。
「何かいたのか?」
俺の問いにフラウが指先でキノコの根元を指差した。
そこには、1mほどのゴキブリが頭を潰されている。それでも足が動いてるのが不気味だな。それにゴキブリとも少し違ってる。羽根が退化して胸部にちょこんと着いているだけだ。胴は蜂のような模様が付いて前後にまだ動いている。足の数も左右に5本付いている。そして顎は発達しているぞ。
「キノコの奥から出て来ました。」
「あぁ、こんなのが出て来たら俺なら連射してるよ。」
キノコを育てているのはこいつなんだろう。だが、こいつ等の顎はとても草食性とは思えないぞ。
その時、何かの音に気が付いた。
可聴域を遥かに超えた凄まじい音だ。まるで断末魔の叫びにも思える。
「聞いたか?」
「下の階です。生物の発する音ですが、極めて高い音です。」
俺達は急いで下の階に走った。
下の階も通路に不思議な生体がうねっている。危険は無さそうだが余り気持ちの良いものでは無いな。
「室温変化なし。湿度100%に近付いています。」
「動体反応は?」
「通路の奥に…、かなり数が多そうです。」
さっきのゴキブリかな。
一度にこっちに来たら厄介だぞ。
通路の生体はその姿を大きくしている。殆ど通路の三分の一を占めている。
そして、突然に一つの部屋の壁を破って中に入り込んでいた。
「この中です。」
「確か、爆裂球を持っているよな。一応準備しておけよ。ヤバイ時にはそれを投げて一目散だ。」
フラウがアセトンのビンをポケットに仕舞うと、バッグから爆裂球を2つ取り出した。自動小銃は肩に担いでいる。
俺も同じようにバッグから爆裂球を取り出すと、フラウに頷く。
フラウが頷き返した時、扉を蹴破って中に入った。
「フラウ、投げて一目散だ!」
4つの爆裂球を投げると、重力制御を使って通路を滑るように階段へと急ぐ。
遠くで連続して爆裂球が炸裂した。
階段を駆け上る。確か少し上の階にドラム缶があったな。
2つ上の階の通路にあったドラム缶を階段室に運び、そこに爆裂球をセットして急いで階段を上る。
ドォン!っという音と共に火炎が俺達を追い掛けて来た。
重力制御で一気に階段を上ると、フラウの後に付いて通路を飛行し、崖の横穴から飛び出す。
急いで断崖から離れると、俺達が開けた穴から黒い煙が立ち上っていた。
あの部屋で俺達が見たものは、ゴキブリがサルのような異形の生物を齧っている所だった。ただ齧っているのではない。数百のゴキブリ達が一斉にサルを齧り、その肉体を砕いて大きな桶のような物に溜め込んでいるのだ。
その桶にあの通路を占めていた生体が管を伸ばして啜っていた。
部屋の半分を占める生体の体にはびっしりとゴキブリが張り付きその体を食べている。
ゴキブリは生体に餌を運び、生体はゴキブリに体の肉を提供しているのだ。
ある意味、共生しているといえるだろう。
たぶん、あの基地の兵隊達は全てゴキブリに餌として運ばれて生体に食べられたんだと思う。
どんな生体実験をしていたかは分らないが、哀れな末路には違いない。
しかし、あのゴキブリはゴキブリから進化したとしても、あの生体は何から出来たんだろう。神経や血管すらなかったように思える。
「あの生体ですが、ガン細胞から進化したと思います。暴走する細胞の成れの果てと言った感じでした。」
「かもな。ガン細胞は栄養さえ与えれば死なないと聞いた事がある。あれだけ大きくなっても自らは移動出来ないから、周辺に生物がいなくなれば自滅するしかない訳だが…。」
そうは言っても、グロイ奴だ。
俺達はのんびりと北東に向かって歩きだす。まだまだ冬は遠い。次ぎは何をして過ごそうか。




