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M-068 初登頂と異形の版図

 


 「現在標高6,000m付近です。」

 フラウの声に、改めて周囲を見渡す。

 白い峰々が俺達の周囲に広がっている。そして俺達の前には一際高く聳え立つ峰がある。それが俺達の目標だ。


 流石に、ここまで登って来ると獣達の姿はない。

 あの小さなコロニーを出た後で、出会わなかったところをみると、あの崖が獣達の生息範囲の限界線なのだろう。


 季節を無視して登っているから、昨日は酷い吹雪で俺達は雪洞に身を潜めた。

 そして今日は新雪雪崩を2度程見掛けている。

 まぁ、俺達は重力傾斜で体重を軽減しているから、足も雪に深く埋もれる事はない。雪崩に遭遇したら上空に逃げるまでだ。


 「活動限界250時間を切りました。現在の標高は6,500mです。」

 それでも、10日以上活動出来る。この速度で登っているなら明日には頂上に着けるだろう。その後は稜線にそってコンロンを目指そうと思っているが、少なくとも5日程度で雪山を降りる事は出来る筈だ。

 周囲の温度は-20℃前後だから、俺達の水筒の水は凍っている。しばらくは水分の補給は無理だ。


 「標高8,000mを越えました。周囲の峰で標高がこれより高い山は後4つです。」

 フラウの言葉に周囲を見渡す。

 確かに、高そうな峰が3つ見えた。後の峰々は眼下に望む形だな。風が強く吹いており、俺達は吹き飛ばされないように雪面に這うようにして登っている。


 しかし、登山家の心理は理解出来ないよな。これ程にして登ろうとする理由は何なのだろう。

 自分の限界を試そうというなら、無謀だとしか思えない。やはり名声が目当てなのだろうか。俺達なら普通の格好で登れるけど、人間なら装備もそうだが体力が持たないだろう。エベレストが後100m高ければ登頂に成功する者は半減するに違いない。

 ましてや、俺達が登るこの峰は9,000mを軽く越えている。

 果たして生身の体で、この峰の登頂に成功する者等いないのでは無いだろうか。

 「ここで、9,000mです。あと400m程の高さです。」

 「あぁ、だいぶ登ったな。2時間程度になるな。」

 フラウの頷く顔を見て、頂上を見上げながら俺はひたすら歩いた。


 そして、遂にその時がやってきた。

 頂上は凍った岩の塊だ。

 5m四方のゴツゴツした足場に立って、周囲を眺める。

 確かに、ここが最高峰だ。白い峰が遥か下の方で四方に広がっている。そして、空が紺碧を通り越して黒く見える。

 対流圏ギリギリの高さだからな。もう少しで成層圏に着きそうだ。


 ゴツゴツした岩にも平らな場所はある。そこに俺達の名前を刻んだ。

 初登頂と思って登った者の驚く顔を想像しながら岩をクナイで削る。俺の笑い顔を訝しげに見ながらフラウが手伝ってくれた。


 そして、記念撮影だ。デジカメの動作温度範囲に問題は無い。

 フラウが岩に杖を挟んで動かないようにしてデジカメを取り付けた。

 タイマーをセットすると急いで俺の隣に移動して来る。

 

 にっこりと微笑んでピースサインを出す。

 2回写して出来を確認する。まぁ、これなら良いだろう。

 確かに眺めは良いけど、俺達には用の無いところだ。ピョンピョンと飛び跳ねるようにして、コンロンのある東に降りて行く。


 「大きく跳んでください。後ろから雪崩です。」

 フラウの声に、一際高く跳ぶ。眼下を雪崩が通り過ぎていく。

 ちょっと稜線をズレたようだ。やはり稜線をきちんと渡って行く方が雪崩に巻き込まれずに済む。

 

 「フラウ。先頭を行ってくれ。この稜線を伝って行けば、ほぼ東に行けそうだ。」

 「了解です。」

 フラウは、下に下りると直ぐに跳ぶ。俺もその後を追い掛けた。


 丸1日掛けて下界に降りる。と言っても、フラウの話では標高3,000mを越えているらしい。

 更に1日掛けて森林限界が見える麓まで降りて行く。

 

 標高2000m程に降りると、山肌に這うように針葉樹が枝を張っている。

 そんな枝を集めてお茶を飲む事にした。

 日中の日差しに水筒をかざして凍った水を融かす。それを燻る焚火に乗せてお茶を作った。

 久しぶりに飲むお茶は体に沁み込むように感じる。ゆっくりと周囲の景色を楽しみながら飲むお茶は格別だ。振り返れば俺達の登頂した名も無い高峰が俺達を見下ろすように聳えている。


 「水はどれ位あるんだ?」

 「腰の水筒に0.3ℓ。バッグの袋に2ℓ入りが1本です。」


 真鍮製の大型水筒が3本あったが、その内の2本を飲んでしまったようだ。半分を切っているなら早めに水を補給しといた方が良いな。

 

 「このまま、東に向かい最初の谷で水を補給する。」

 「了解です。たぶんそれ程時間を要せずに水を補給出来ると思います。」


 フラウも気にしていたようだな。

 1度、たっぷりと補給しておく必要があるな。

 そんな事を考えながら、タバコの箱から1本取り出して焚火で火を点ける。

 パイプのように長い間は楽しめないが、俺にはこれ位で十分だ。

 後2箱はあるからしばらくは楽しめそうだ。

               ・

               ◇

               ・


 俺達が、谷に流れる雪解けの流れを見つけたのは2日後だった。

 たっぷりと水筒に水を補給し、腰の水筒の水も交換する。

 近くの森から薪を取って川岸に焚火を作る。

 

 「久しぶりにお茶以外の味が楽しめるな。」

 「そうですね。いくら美味しいお茶でも飽きてきました。」

 小さな鍋で乾燥野菜と干し肉のスープを作る。

 干し肉に塩味が着いているから、調味料は必要ない。

 しばらく煮込んで、シェラカップに注ぐとスプーンで味わう。

 やはり、食べるという事は大事なようだ。俺達はオートマタの体だが、フラウの表情が和らいで見える。ほんとに人間みたいな仕草になってきたな。

 だが俺達は、将来的には人間の中に住み込む心算だ。

 歳を取る事のない体は、周囲から見ればエルフ族の血を引いているように見えるだろう。100年単位で寒村を廻るようにすれば、誰も俺達を怪しむ事はないと思う。


 カップに1杯半のスープを飲み干し、チンチンと音を立てているポットにお茶の葉を入れて食後を楽しむ。

 久しぶりにフラウはバッグから長剣を取り出すと、砥石で研ぎ始めた。まぁ、フラウの趣味みたいなものだから、俺はそんなフラウの姿を見詰めながらタバコを楽しむ。


 夜になると、星が綺麗だ。

 周辺に人家なんて無いし、焚火だって周囲1,000kmにここだけだと思う。そんな場所で見る星空は前に住んでいた町とはまるで違って見える。天の川がはっきり見えるし、星の数も多くないか?

 そういえば、オートマタの体だったな。肉眼で見える限界等級が上がったのかも知れない。確か瞳孔が6mmに開いた時に見えるのが6等星だったように聞いた事がある。

 今の俺は、瞳孔を10mm程度に開く事も出来るし、暗視機能も付いている。隣に明人がいても明人にはこれ程の星空を堪能出来ないのかも知れないな。


 「マスター!…生体反応を検知しました。南から谷を上って来ます。」

 フラウの声に、急いで荷物をバッグに詰め込む。ナップザックを背負うと杖を持ち、フラウが東の断崖の上に跳ぶのを見て後に続いた。

 

 「何だ?」

 「山越え時に遭遇したゴリラに似た生物のようです。それ程速度は出ていませんが確実に谷を上って来てます。」

 

 あれか。確か寄生体の頭を持ってたな。本体の頭は腹に付いていた。

 

 「距離は?」

 「焚火まで300mという所です。焚火を見つけたようで歩みを停止しています。」

 俺も生体探知機能を作動させると、ヘッドディスプレイに表示させた。確かに川下に6体の生物がいる。

 見ている内に2体が焚火に近付いていく。偵察か?…となると厄介だな。知的生物という事になる。

 焚火の手前数十mで2体は動きを止めた。どうやら、焚火の周囲を探っているようだ。

 そして誰もいないことを確認したのだろう。1体が川下に下りて行く。

 残りの連中を引き連れて、焚火の回りに現れた者は…、ゴリラが3体とオランウータンが2体だった。

 粗末な革の袋から鍋を取り出して、流れの水を汲むと焚火に掛ける。

 更に取り出したのは獣の肉だ。包丁のような石器でむしり取るように千切って鍋に入れて煮込み始めた。


 どうも、文化レベルがハッキリしないな。

 鍋は鉄製のようだ。少なくとも鉄を鋳込む技術はあるようだが、肉の調理に使ったのは石器だ。望遠鏡を取り出して細かな所を見ると、やはり石器だな。しかも黒曜石を使っている。ゴリラの持つ武器は棍棒だが、オランウータンは魔道師が使う杖を手にしている。その柄頭に光って見えるのは魔石のようだ。

 奴等が魔法を使えるのは前に判ったが、魔法は人間が使うものとは限らないようだな。

 この辺は、やつらの版図になるのだろう。

 余り長居せずにコンロンを目指した方が良さそうだ。


 「フラウ、先を急ごう。」

 俺の言葉に崖に腹ばいになって焚火を見ていたフラウが立ち上がる。

 革の上下をパタパタと手で塵を払うと、俺達は東に向かって歩き出した。

 

 やはり2,000m以下になると色んな奴に合う事になる。少し山を上って稜線を歩く事にした。

 森林限界を超えた荒地を進むのは見通しは良いのだが足元が悪い。

 岩を迂回したり、小さな谷を飛び越えながらひたすら東に歩いて行く。

 

 そんな行軍を5日程続けた時、前方に焚火の光を見つけた。

 時間は夜の10時過ぎ、こんな場所で野宿する奴は何者だろう?


 300m程の距離で焚火の周囲を望遠鏡で見ると、そこにいたのはゴリラ達だった。10匹以上の数だ。

 「マスター、近くに彼等の巣穴があるようです。生体感知モードで監視していましたが、不意に2体が現れました。このモードでは地下は探れませんから、穴から這い出たものと推察します。」

 「全部、ゴリラだ。たぶん戦士なんだろうな。…という事は、トンネルの入口を見張っている。という事になるのだろう。」

 

 この地域もゴリラ達の版図なのだろうか?…だとしたら、奴等の数は思った以上に多い事になる。まだ狩猟採取の生活ならば生活圏が広いことは頷けるが、それにしても広すぎる。明人達の暮す王国全てを合わせたよりも広い事になる。

 そして、穴倉で暮らしているのだろうか?…そうではあるまい。狩りの場所はこの下の森の筈だ。そこまでの距離が遠すぎる。たぶん穴を連結したトンネルを作っているのだろう。

 それを利用して天候、季節に関係なく移動して狩りをするのに違いない。

 これは、明人に伝えておいた方が良さそうだ。奴等が大挙して大国に攻め入るとも限らないからな。

 

 「どうします?」

 「迂回しよう。無駄な殺生は必要無い。」

 俺達は更に山を上るようにして、焚火から離れると東に向かって歩き出す。

 

 明人の話では、大規模な遺伝子改変が過去にあったらしい。それで変容したとしても余りにもおぞましい姿だな。

 この先のコンロンがその元凶なのだろうか。

 本来は、見る必要の無い場所だが、やはり1度は誰かが見ておくべき場所だと俺は思う。

 

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