M-065 温泉?
大河を渡って、今度は北東方向に進路を取る。
これで、アッサム地方を通りながらヒマラヤ山脈に向かう事が出来る筈だ。
王国で飲んでいたハーブティみたいなお茶も良いが、やはり本物のお茶を飲みたい気分だ。
とは言え、インド地帯はキメラで占められている。お茶位、昔のままで残っていて欲しいと思うぞ。
森を歩くとトラに数回出合った。向こうが気付く前にまんまと逃げおおせたが、森を抜けた湿地で今度はサイと遭遇してしまった。
サイと言っても列車位の大きさで足は8本もある。全身を鎧のような板状の皮膚で覆った姿は、恐ろしくもある。
そして、このサイは肉食だった。高速で地上を走り、ライオンの餌のようなピョンピョン跳ねるシカモドキを1m程の長さの角で引っ掛けて倒すと、ムシャムシャと食べだした。
俺達も追いかけられたが、僅かの差で俺達が速い。そして俺達のほうが小回りが効く。
空に逃げる事も無く、サイから逃げおおせたが、5km以上走ったような気がする。人間なら、とっくに食べられていたかも知れないな。
「前の王国と全く生態系が異なります。ここには知能のある生物は住んでいないようですね。」
「そうだな。だけど、知能と形態に法則性があるとは思えない。全く別の姿をしたものが高度の知性を持っているとも限らないんだ。一般的な常識で考えないようにしよう。」
「確かに…。それでも、知能を持ってかつ、文化を持つ者の形態は似通ってくると私は考えます。」
「集団を作り、自由度の高い手を持つ種族…。まぁ、俺も似たような事は考えたよ。」
荒地を抜けると次の森が始まる。ちょっと、大森林地帯に似たような感じだけど、スケールはこちらのほうが遥かに大きい。森によって獣まで異なるのだ。
フラウが周囲を見張る中、俺はのんびりとさせて貰う。
どうしても人間的な行動、思考が残っているな。
キョロキョロと辺りを見回しながら、面白そうな物を探す自分を笑ってしまう。
「距離800、包囲西南西。こちらに近付く固体がいます。」
「距離300で木の上に上がろう。この辺は高い木が多い。」
さて、今度はどんなキメラなのかな。
「距離、500。個体数が2になりました。」
近付いて来るか…。この森で俺達に気付くなんてどんな生物だ。見通しは利かないし、俺達には体臭すらない。何を検知して追って来れるのだろう。
「距離、300。」
「木に上るぞ!」
重力傾斜を作って自分の体を上に落とす。スイーっと体が木の枝付近まで上った所で手頃な枝に取り付いた。重力を清浄に戻しながら、隣に座ったフラウと共に下を見下ろした。
藪を破って現れたのは大きな蛇だった。
胴の太さは50cmはあるだろう。そして全長はうかがい知れない。20mは越えてるんじゃないかな。
俺達の上った樹野根元付近で鎌首をもたげ周囲を眺めている。
直ぐ下にいるからその姿が良く判る。頭部には蛾のような触角を2本立てているが、目が見当たらない。
そして、その頭が上を向いた時、危うく叫びそうになった。
大きな蛇の口が半ば開いて、その中に人間の顔があったのだ。
飲み込まれたのか?…と思ったが、その顔の目は生きていた。俺達を見つけるとニヤリと顔が笑う。そして、木に体を巻き付けるようにして上がって来た。
人と蛇のキメラなのかもしれない。知性はあっても手が無いから、文化を育てる事は出来ないだろう。
「知性体かも知れないから、殺すのは止めておこう。このまま枝を渡るぞ。」
俺達は枝を渡ってその場から離れる事にした。
「追って来ません。どうやら、私達の歩く地面の振動を捉えて追っていたようです。」
「色んな方法で獲物を知るんだな。目で捉えるばかりじゃないんだ。」
俺の呟きにフラウが頷いた。
その森を抜けた所は荒地だった。
大きな洪水の後のような感じで岩がゴロゴロしている。
そして、遥か彼方に白い山並みが見える。あれが次の目的地だな。
小さな流れを見付けたところで水筒の水を補給する。
バッグに入れた大型の水筒にもたっぷりと水を入れると、小さな焚火を作ってお茶を楽しむ事にした。
「周囲に問題は無いんだよね。」
「はい。1.5kmの範囲で生体反応は出ていません。」
そう言って、俺にシェラカップに入れたお茶を渡してくれた。
それを飲みながら、パイプに火を点ける。
かなり横道にそれてしまったかな。まぁ、色んな生物に出会える楽しみはあるけどね。
「この辺の高度は、まだ500mに達していない。この大陸は暑いんだ。それが高度1,000mを越えると涼しい場所が広がる。昔は、そんな場所で大掛かりにお茶を栽培していたんだ。」
「まだまだ先ですね。」
「先は長い。アキト達の結論はしばらくは出ない。真直ぐ行けば1年位で着けそうだが、それでは詰まらないじゃないか。昔行きたかった場所がどうなったか、寄り道しながら進むよ。」
「私は、マスターに従います。」
当然のように言ってくれるけど、フラウがいるから俺は安心して旅が出来るんだよな。
3杯程お茶を飲むと、稼働時間が72時間程伸びたのが判る。合計で200時間をこえているから、しばらくは問題ない。
俺が焚火を始末している間に、フラウが流れでポットとカップを洗う。腰のバッグに戻すと杖を掴んで歩き始める。
日が暮れても、俺達は歩き続ける。元々疲れるという事に無縁な体だ。
視野を暗視モードに切り替え、生体検知と動体検知のセンサーで周囲を監視しながら俺達は歩いて行った。
昼間の荒地は獣1匹見当たらなかったが、やはり夜になると出てくるな。
沢山の黄色の輝点がヘッドディスプレイに映る。そしてそれを狙う少し大きな輝点が狩りを始めたようだ。
俺達に近付かねば問題はない。…でも、ここは逃げる場所が無いから、俺達を狙ってくる者が現れたら上空を飛んで逃げるしか無さそうだ。
1時間に5km程の速度で北東に歩いて行くと、何時しか硫黄の匂いが当たりにたちこめてきた。
「火山性のガスです。私達には問題ありませんが、生物には有害です。」
そう言って傍らの獣の屍骸を指差した。
重いガスが地表を這ったのだろう。運の悪いものは、それを吸い込んで死んだ訳だな。
「という事は、温泉がある可能性もあるな。」
「泉種と温度によります。私達は生体ではありませんから、どちらかと言うと有用元素を吸収する意味で温泉は助かりますね。」
という事で、俺達は上空に飛び上がる。地上1.5kmからサーマルモードで地上を見ると、ダイダイ色の流れが北の方から流れているのが分かった。
地上に下りて、流れを見つける。手を入れると確かに暖かい。
「どうやら、上流に温泉があるな。行くぞ!」
俺達は、流れを辿って歩き出した。
荒地を抜け、森を抜け…、俺達は1日近く歩き通した。そして、その場所を遂に見つけた。
そこは、200m程の小さな小山が続いている荒地だった。噴煙が至る所から噴出している。
時折、100m程の熱水が立ち上る所を見ると間欠泉もあるみたいだ。
赤や、蒼、それに緑の温泉があちこちに湧いている。色は溶け込んでいる元素の違いだろう。温度は70℃を超えてるぞ。…まぁ、俺達は余裕で入れるけどね。
どれを楽しもうかと、思っていたらフラウが俺の服の裾を引いて腕を伸ばした。
どれ?…フラウの指差した所にあったのは泥沼だ。
ボコボコとアンコを煮た時のような粘度の高い泡まであちこちで上がっている。いくら、泥は美容に良いかも!なんて考えても何となく嫌悪感を覚えるぞ。
「かなりの希土類元素を含んでいます。ナノマシンの活性化と再生に極めて有効です。」
効能も確からしい。
早朝の温泉地帯には俺達の外には訪れる獣すらいない。まぁ、有毒ガスが吹き出ているのを知ってるのかもしれないけどね。
周囲の再確認を行って俺達は装備を外して服を脱ぐ。もっとも直ぐに持って逃げられるように近場にきちんと畳んでおいた。
裸で泥の中に入るのは最初はイヤだったが、入ってみると中々良い気分だ。
もっとも、沼の底は相当深いみたいで足が付かない。重力制御で肩が出る位に沼に2人で浸かっている。
「元素の取り込みを行ないます。マスターの制御を一時的に行ないますので、ご承知置きください。」
「あぁ、何か面倒みたいだからお願いするよ。」
ヘッドディスプレイが次々と切り替わり、アイコンが開いて選択が進んでいく。
直ぐに、何かが体に染み込んでくる感覚を覚えた。
ホントに温泉に浸かってる感じだな。リラックス感まであるぞ。
「このまま3時間この泥に浸かって頂きます。10年では使え切れない程の元素を抽出出来そうです。」
フラウの言葉に頷く事で答える。
この体で温泉を堪能出来るとは思わなかったな。もっとも肉体で入る温泉とはちょっと違うけど同じような感覚を味わえる。
3時間が過ぎると、ヘッドディスプレイの表示が再び切り替わって行く。
フラウが通常状態に俺を戻しているのだろう。
それが終ると、間欠泉のシャワーを浴びて、蒼く透き通った温泉に入って泥を落とす。
俺達の温泉コースを、普通の人間が行なったら大火傷では済まないだろうが、俺達には丁度良い。
最後に、服を着て装備を整える。
周囲を再度確認してみたが、獣の姿はどこにも無い。
ここは、俺達だけが楽しめる温泉場のようだな。
少し寄り道してしまったけど、結果的には満足してる。フラウも少し微笑んでいるようにも見える。
「さて、今度は北東に向かうぞ。」
「はい。しばらくは金属元素を補給しなくても問題ない程、抽出出来ました。ナノマシンの活性化も問題無いようです。」
俺が少しハイになっているのも、活性化のためなのだろう。
足取りも軽やかに火山性ガスの噴出す荒地を俺達は歩き出した。
3日程歩くと、標高が少しずつ上がって来たのが判る。
鬱蒼とした森ではなく、100m程先まで周囲を見通すことが出来る。
前と違って、森に住む獣の数も少なくなってきた。
「キメラの生存地帯を離れたんだろうか?…あの獣は、王国でも見た事があるぞ。」
「そうですね。でも、油断は出来ません。」
そう言った、途端に前方に走って蔦を杖で刈り取った。
ウネウネと蔦が蠢いている。まだ、変な奴はいるんだな。油断せずに進む外、無さそうだ。