M-063 キメラ
峠を下って行くと、前方にまた峠が現れた。複数の峰が此処で重なり合っているみたいだな。
そんな峠を2つ越えた時に、朝が訪れる。
眼下に広い緑の森林が現れた。何処までも、地平線の向うまで続いているように見える。
「さて、デカン高原はどっちだ?」
「あっちですね。少し戻る事になります。」
そう言ってフラウが腕を上げて方向を示す。
確かに少し戻るような感じだな。まぁ、先は長い。寄り道は大歓迎だ。
森林限界から、森に入る。
直ぐに生体反応を探ると、豊かな森のようだ。沢山の獣が生息している。
問題は、こいつ等が俺達に害があるかどうかだが…、俺達との距離が100m程になると逃げるように離れていく。
大きさはガトル程度のようだが、草食獣なのだろうか?
「2時の方向に大型の獣がいます。こちらにゆっくりと近付いています。」
距離は、800mか…。大きさは確かにグライザムクラスだな。単独行動という事は、肉食獣の可能性が高い。
さて、どうしたものか…。
「200を切るようなら反撃します。」
「一応、相手を確認してからだな。出来ればベレッタを使用せずに、これで何とかならないか?」
そう言って、フラウに杖を見せる。
少しずつ近づいて来ている。間違いなく肉食獣だな。そして、あの動きはネコ族特有のものだ。姿を隠して少しずつ近付く。そして、最後の瞬間に飛び掛かって得物を押さえ込むのだ。
「どうやら、相手が分かったぞ。あれはトラだと思う。」
「トラですか…。」
フラウが俺の記憶データを検索しているようだ。
「確かに、類似点があります。でも、トラは木を飛び移りませんよ。」
ん?…改めて俺達を追って来る獣の移動を再生してみる。
ゆっくり近付くのは分かったが、木を飛び移るとはどういう事だ?
再生してみると、数箇所で確かに跳ねたような動きをしている。藪から藪に移動したんじゃないのか。
「データ表示を3次元にして再生してみてください。」
そうか、俺は平面で状況を見てるけど、フラウは3次元で見ているんだな。確かに深い森だから3次元の方が役立つかもしれない。
ヘッドディスプレイを3次元に切り替えたとたん、それが分かった。
俺達を追って来ている獣は、地面を歩いているんじゃなくて、木々を飛び移りながら追って来ている。その高さは地上10m付近。いったい、そんなところを移動する大型肉食獣ってどんな奴だ。
「距離200。先程少し姿が見えました。翼を持っているようです。」
「鳥か?…そう言えば、クルキュルってニワトリみたいな大型の鳥がいたな。鳥は恐竜の生き残りって聞いた事があるぞ。大型の肉食の鳥がいてもおかしくは無い。」
しかし、どんな奴だろう。この辺はパキスタンからインドに入る高原地帯の筈だ。
孔雀の一種かな?それともやはりニワトリみたいな奴かな?
「マスター。この世界のバイオテクノロジーは驚く限りです。」
フラウが立木の間を見ながら言った。
「まぁ、色々見てきたからな。…でも何で今頃?」
「マスターがトラと言った獣ですが…、胴がチラッと見えました。胴体はトラです。」
俺は歩みを止めるとフラウを見た。
「待て、確かに色んな奴はいた。だが、異なる生物同士を組み合わせた生物はいなかったように思うぞ。」
「ですが、あの獣は動物の体に鳥類の羽を持っています。融合させるにはかなりの技術が必要です。」
確かに、優れた生体工学を持っている者なら可能かもしれない。しかしそれは作り出せるというだけで新たな生命、同じ容姿を持つ子供を作ることは不可能だろう。遺伝子情報が動物と鳥類では全く異なる為だ。
フラウは生体工学により作り出されたと思っているようだが、それは不可能な話だ。全く異質な技術、遺伝子工学を無視したような技術が使われ、それが種として定着したと考えるべきじゃないのか?
「尻尾は蛇のような鱗があります。」
新たな情報だな…。このまま行くと頭はサルという事になるのか?
「頭は…ありません。肩から触手状の目が3つ伸びています。」
悪夢の中の怪物だな。キメラと言うべきなのだろうが、そうなると知覚中枢はどこにあるんだろう?
「距離、200mを切りました。杖では仕損じる可能性があります。」
「そうだな。ベレッタを使おう。…Mで良いか?」
「私が殺ります。」
そう言って、右腿に装備したベレッタをホルスターから引き抜き、森の中に向けて発砲した。
ドサっと小さな音が聞こえてくる。一撃で殺ったらしい。
「お見事!」
そう言いながら、先程の獣を見ようと森に分け入った。
数mまで近付くと、まだ腹部が動いている。フラウの事だから心臓を打ち抜いた筈だが、位置が違っているのか?
一瞬で獣に近付くとフラウが杖を一撃する。
バキっと骨が折れる音がしっかりと聞こえた。腹部の呼吸をするような規則正しい動きは緩慢になって、やがて停止した。
俺は杖を手に更に近付く。
なるほど…、キメラだな。
頭は無く、肩の首がある位置に大きな口がある。歯は棘のような物が同心円状に口を取り巻いていた。目は蝸牛のように触手の先に付いている大きさは野球のボール程あるぞ。
胴体には4つの足。これはトラのようだな。そして翼がある。羽の色は黒だからカラスのような羽だ。尾は確かに蛇だな。腕ほどの太さを持つ胴体には頭もあるぞ。まだこっちは死んでいないようだ。それに気付いたフラウが杖の石突で頭を潰した。三角形の頭だからきっと毒蛇なのだろう。
いったい何種類の生物が合体しているのだろう。確か、ギリシャ神話や皇居の屋根にいたキメラでもこれ程多くの獣は合体していなかった筈だ。
しかし、考えてみるとおかしな話だよな。西洋と東洋で同じようなキメラの伝説があるなんて…。ひょっとしたら、ヌエも次元の歪を越えて来たのかもしれないな。
「フラウ。画像を記録出来るか?」
「記憶完了です。何か?」
「これからも、不可思議な生物に出会いそうだ。後で明人に教えてやろう。」
意外と面白いライブラリーが出来そうな気がする。
何となく、探検隊になった気分だ。まだ誰も入った事が無い未開のジャングルに分け入る探検隊って感じだな。
フラウがトラをXレイでスキャンしている。
やがて首を振ったところを見ると、目ぼしい物は無かったようだ。あったとしても荷物になるから、よほどの物じゃなければ置いておくしか無さそうだ。
そして、また森を歩き始める。
さっきのトラの縄張りだったのだろうか?…大型の獣は姿を見せない。
日暮近くに、一際高い立木を探してその枝の上で夜を明かす。
森の獣は昼より夜のほうが活発だ。無理に移動しなくても時間だけはたっぷりある。
「夜のほうが獣の動きが格段に多くなってます。それでも肉食獣と思われる固体は確認出来ません。」
「生体反応だけでなく動体検知の方も確認してくれ。虫や動く木もあるんだから。」
フラウは俺の言葉に頷いて目を閉じる。
俺はのんびりとタバコを楽しむ。まだ最初の袋に沢山有るし、この外にも子袋を数個持っている。
確か、タバコはアメリカが原産地の筈だ。野生のタバコの葉を手に入れられるかも知れないな。
・
◇
・
森は思いの外に深く、鬱蒼としている。
その森を構成する木々も高く茂っている。正しく昼なお暗いジャングルといった感じだな。
ジャングルと違っている事は、この森が針葉樹であることだ。
針葉樹の森は豊かではないと聞いていたが、そんな事は無いようだ。
苔を主食にしてる獣の種類が多く、ネズミから犬ぐらいの大きさまで見る事が出来た。その獣を捕食する肉食獣は、前に見たトラのようなキメラのような生物だ。
トラ以外にも、ムカデのような足を持つ蛇や、移動はしないがラフレシアみたいな食肉植物を見たぞ。
皆、データを取って置いたから後で明人達に送ってやろう。
そんなある日、俺達は大きな河に行く手を阻まれた。
「対岸まで約1kmはあります。」
「まぁ、あれだけの山脈だからな。河があってもおかしくは無い。…で、渡れそうか?」
フラウは河を見ながら考え込んでしまった。
仕方なく、薪を集めて焚火を作るとポットでお茶を沸かす。
「渡れない事は無いです。…でも、あれを何とかしなければならないでしょう。」
お茶を入れたシェラカップを受け取りながら、フラウが前方を指差した。
それを見て、思わずお茶を噴出しそうになったぞ。
「何だ、あれは?」
「判りません。生物である事は確かですが…。」
望遠鏡を取り出してその姿をジッと見た。
大きさは20mを越える。最初は岩礁のように見えたが、その実態は巨大な2つ頭の亀のようだ。その背中に誰かが乗っているようだ。まぁ、明人の所にいる嬢ちゃん達も亀に乗っていたから、この世界の亀は乗り物として意外と一般的なのかも知れないな。
「誰かが乗っているな。」
「良く観察してください。」
フラウが俺に問いかける。
その言葉に、改めて注意深く眺めて見た…。
「何だ、あれは?」
背中の人間は亀に乗っているのではない。融合しているのだ。
「キメラの一種と判断します。そして、その大きさも問題です。明らかに人間の標準体型を外れています。トラ族の成人男性の2.5倍はあります。
私が最初に確認した時は魔法を使いました。上空を飛ぶ鳥を落としています。氷の矢を放ったように見えました。」
「となると、あの亀も火炎弾位は飛ばしそうだな。」
「見たんですか?」
「いや、そんな亀を画像としてみたことがあるんだ。」
フラウが感心して俺を見ていた。俺の記憶データはフラウが自由に見られるようだから、早めにロックを掛けておこう。
とは言え、困った。…あんなのがいたら、なるほど河は渡り辛いな。
さて、どうしたものかとお茶を飲んでいると、フラウが呟いた。
「こちらに気付いたようです。…近付いてきます。」
その言葉に亀を見るとさっきよりも大きく見えるし何より2つの頭をこちらに向けている。
「フラウ、逃げるぞ!」
急いでポットのお湯を焚火に掛けるとバッグに戻す。カップを入れてバッグの蓋を閉じると、2人して川下に向かって駆け出した。