M-061 北の大地
ネウサナトラムの村を出て山裾の道を東に歩くと、サナトラムの町からノーランドへ続く街道に出る。
俺達は迷わずノーランドへ歩き出した。
残雪がだいぶ残っている街道は、凍りつき滑りやすい。ブーツに用意した革紐を巻いて滑り止めにする。
「マスター、あれは?」
「たぶん、関所になるんだろうな。ほら、あそこに砦がある。…だが、この季節、誰も通らないんだろうな。」
数百m先にある隘路を塞ぐように建てられた石垣設けられた扉は開いたままだった。
その、横幅4mもある大きな扉は俺達が潜れるぐらいの高さしかない。雪で深く埋もれているようだ。
扉を潜った先は大きな広場がある。ここで荷物を調べるのだろう。その奥に街道は続いている。
今度は下り坂だ。少し重力制御を行なって体重を半減する。これで、ブーツの底が滑らずに済む。
バッグから杖を取り出して、少しずつ慎重に下って行く。
「こんな事ならアイゼンを作って置くんだったな。」
俺の言葉に首を傾げるフラウにアイゼンの構造を説明する。
「ブーツの鋲に逆向きに鋲を溶接しますか?…1cm位の釘が靴底に付きますが。」
「出来るのか?」
俺の質問にフラウが頷いた。
早速、比較的平らな場所を見付けて、新しい靴の底に鋲を溶接して貰う。
指先からアーク放電を起こしてたちまち靴底に6個の鉄の棘を作ってくれた。鋲はブーツの補修用に沢山買い込んでいたらしい。
履き変えた新しいブーツは踝まで防水塗料が塗ってある。安心して凍った雪道を歩けるようになった。
それまで履いていたブーツは焚火ですっかり乾かして袋に入れて置く。これからは町や、村は無いのだ。貴重に扱わねばならない。
丸2日程歩くと雪原に出た。山脈の南は春だというのに、ここはまだ春は遠いようだ。
今度は林交じりの雪原を東へと歩いて行く。
「真直ぐ、ククルカンに向かわれるのですか?」
「いや、明人達が歪の消し方を探すと言っていたから、直ぐには無理だろう。折角だから、世界を回ってみようと思う。」
「最初は?」
「インドを目指す。ユグドラシルのGPSで現在地は知る事が出来る。この辺りは東欧の感じがするんだよな。インドはそれ程遠くないと思う。」
俺のヘッドディスプレイに地図が2つ投影される。片方は俺の知る世界地図だ。そしてもう1つが現在の地球だな。
2つが重なりあうと、今いる場所は旧世界の黒海周辺になる。そしてインドは…、この山脈が尽きた場所になる。今は大陸の中に取り込まれた感じだな。
「だいぶありますね。1,500kmはあります。そして、この地の何処を目指しますか?」
「まぁ、距離は問題ないと思うぞ。俺達の1日の踏破距離は100km近くある。そして目指す場所は、此処と此処だな。片方は高原地帯、こっちは昔の大山脈だ。地下コロニーを作るとなればどちらかだな。」
「コンロンは皆逃げ出したと聞いています。そして、バビロンからは4つのコロニーしか残らなかったと…。」
「大型コロニーだけがコロニーではないと思うな。科学は相当発達したようだし、小さな閉鎖的なコロニーが残ってるかもしれない。折角、ククルカンまで歩くんだからそんなコロニーを見つけてみようと思ってる。」
ある意味、道草以外の何物でもない。だが、科学衛星では探知できない変化や、ひょっとしたらまだ人が残っているコロニーがあるかもしれない。
そんな人間なら、明人達の世界に迎え入れ皆で暮らすもの良いと思う。
フラウが最初の目的地をデカン高原にセットした。残りの距離と方向がヘッドディスプレイに表示される。後はヘッドディスプレイに表示された方向に向かってひたすら歩いて行くだけだ。
アクトラス山脈を右に見て、ひたすら東へと山裾を歩く。
右手は300m程先に林が裾野を取り巻いており、左手は遠く遥かに続く雪原だ。
足元は雪が固まってそれ程深くブーツが潜らない。まぁ反重力制御で体重を減らしているのもあるんだが…。
2日程歩いたところで休憩を取る。
特に疲れてはいないが、気持ちの持ちようだ。たまにお茶を飲んで、パイプを楽しむ事で俺達の旅に変化を付けたい。
単調な水墨画のような風景は、時間の経過を忘れさせる。普通の人間なら耐えられないと思うぞ。
そんな事を考えながら、林で薪を集め焚火を作る。早速フラウが綺麗な雪を鍋に入れて火に掛ける。
ネウサナトラムで手に入れた取っ手付きの木製カップに、お茶の葉を入れると鍋のお湯をお玉ですくって入れる。そこに先端に小さな穴が沢山空いた金属製のストローを差し込んで渡してくれた。
まだ持ってたんだな。お茶をこの飲み方で味わうのは久しぶりだ。
「ありがとう。これを使うのは久しぶりだな。」
「これだと長く味わえます。でも、金属製の筒に入ったお茶を使うようになったら、ポットを使います。」
手持ちのお茶という事だな。俺もタバコを沢山購入したけどフラウもお茶を購入したようだ。
2日おきに飲むお茶なら、こっちの方が味わい深い。
「そうだ。インドからコンロンに向かう時に少し南に行ってみよう。上手く行けば、お茶の木が見つかるかもしれない。」
俺の言葉を聞いたフラウが顔を上げる。小さく頷いてる所をみると賛成してくれたのかな?
そんな事を考えながらパイプにタバコを詰める。この小さな革袋で楽しめる分量は数回だ。タバコの革袋は2個あるし、紙袋が5個ある。それが無くなれば茶筒1個にいれたのがあるから、これ位の頻度で楽しんで入る分には問題ないだろう。
途中のコロニー探しで、タバコが見つかると良いな…。
そんな事を考えながらパイプに火を点ける。
「ところで、周囲には何もいないのか?」
「相変わらずですね。小型の獣とそれを狙う獣はおりますが、危険な程ではないと思います。」
村では春が近付いているが、このあたりは冬の最中だ。それでも、北の春は夏と一緒だと誰かに聞いた事があるな。
ここも、一面の草原になるんだろうか。
そんな事を考えながら、白い平原を眺める。
・
◇
・
焚火を始末して先を急ぐ。と言っても、ひたすら歩くだけなんだが…。
日が暮れても星空の元、俺達はナビの指し示す方向に向かって、歩いて行く。
林の外れを歩いているのだが、山脈のうねるような並びに俺達の進む方向は、結構南北に振られてしまうが、目的地の方向さえ見失わなければ問題は無い。
突然、フラウが俺を林の方へと歩かせる。
「どうした?」
「大型の獣です。アクトラス山脈の南では見た事がありません!」
何なんだ?
そう思って、ヘッドディスプレイで位置を確認する。
なるほど、大きな輝点がある。そしてそれを追う小さな輝点もあるぞ。黄色だから俺達にまだ気付いて無いようだな。
方向を確認して、美月さんに貰った小さな望遠鏡を向ける。口径30mm倍率6倍だが、それなりに良く見える。
その望遠鏡に映ったものは…、マンモスだ!
回りで取り囲んでいる者達は人間のようだな。粗末な獣の皮を身に纏って、石槍で巨大な獣に挑んでいるのは、思わず応援したくなる光景だ。
フラウに望遠鏡を渡すと、今度はフラウがその光景に見入っている。
1度滅んだ世界だという事だが、色んな生物がいるようだ。まさか、1度滅んだマンモスを見る事が出来るとは、…クラスの連中に自慢したい位だな。
「マスターの記憶ライブラリーにあるマンモスと酷似した生物です。ですがあれはマンモスではありません。」
望遠鏡を俺に戻しながらフラウが言った。
マンモスじゃない?どう見たってあれはマンモスだよな。
そう思いながらもう一度望遠鏡で覗く。
!…確かに、フラウの言うとおりだ。マンモスとは違う似た姿という事か?
興奮して気が付かなかったが、その頭には2つの鼻が横に並んでいる。
周囲に群がる原始人のような姿をした人間の胴を巻きつけて叩き着けている。
「変化したという事か。進化とは違う何かがあったようだな。」
望遠鏡を仕舞いながらフラウに呟くと、小さく彼女が頷いた。
面白い旅になりそうな気がする。
生物の種類が何かをきっかけに爆発的に種類を増やしたのだろう。その中には人間も含まれる。それは進化ではなくて変化だな。
人間からトラ族、ネコ族、犬族…そしてリザル族が生まれている。
ゾウからはあのマンモスモドキが生まれたのだろう。そしてそれが1種類という事はない。違った形のゾウがいる可能性がある。
そんな事を考えながら俺達は東へと歩いて行く。
10日も過ぎると少しずつ雪が解けて平原に荒地が現れ始めた。進路は何時しか少し南に向いている。
雪が消えればブーツを履き変えようと思っていたが、何時しか足裏の鋲が磨り減って丁度良い感じだ。
休憩してお茶を飲んでいる時にブーツの裏を見てみたが、だいぶ磨り減っていた。最初は1cm程出ていた棘がいまでは5mm程の台形になっている。
「滑り止めだったけど、結構使えるな。このまま履いて行くぞ。」
俺の言葉に、フラウが頷きながらお茶のカップを渡してくれた。
「だいぶ東に来たようです。そろそろ山脈を越えても良いのではないでしょうか?」
「そうだな。次の山脈の切れ目山脈を越えるか。」
山脈等何時でも越えられる。
問題は、その先にいる生物だ。この北の荒れた大地では、それ程獣は見かけない。だが、南はどうなのだろう?
多様化した生物が独自に環境に適用した姿は俺には想像も出来ない。幾ら俺達がオートマタであっても損傷部位を修復するには時間が掛かるだろう。だとすればあまり危険な場所には近付くべきではない。
ギリギリまで北を進んで最接近した場所で一気に山脈を抜けることを考えていたのだが、フラウにはお気に召さなかったようだな。
たまにはフラウに付き合うのも良いだろう。この頃は自我を持っているような気もしてきたし、1人の人間として見てみると結構面白い発見がある。
焚火を消して、東に向かって歩き出す。
フラウは周辺の地形までも参照しながら歩いているようだ。周辺の警戒も任せているから、俺は比較的のんびりと足を運ぶ事が出来る。
とは言っても、一面の荒地と疎らな潅木が続く台地はずっと先まで続いているようだ。