M-060 長い旅の始まり
明人達が集めた測量士の卵達は、中々物覚えが良い奴ばかりだ。
何とか、1週間で四則演算を覚えさせ、次に三角関数になるのだが、これは原理はあとで誰かに発見させるとして、使い方を重点的に教える事にした。
サイン、コサイン、タンジェント…。基準となる辺とその角度が判れば目的とする辺の長さが数表で判る事を知った彼等の驚きは凄かった。
アルキメデスもそんな感じで裸で駆け回ったんだろうな。
そして、測量の仕方を西の門(どちらかと言うと北の門だと思うぞ)を出たところにある沢山の杭を使って三角測量を実体験で覚えさせる。
トランシットの使い方も2週間を過ぎると様になってきたな。
データの取り方。データの纏め方を天文台の建物の中で教える。
そして、夜は、明人にダメだしされた、天文台までの凸凹道の整備だ。確かに歩きづらいかもしれないから、大きな石を割って低い場所に入れ、立木を引っこ抜く程度にしておけば良いだろう。
何もかも俺達には、ちょっとね。この道をきちんと整備すれば西の湖面に面した場所に、良い別荘が建ちそうだ。それを考えると道路の整備は明人が担当すべきだと思うぞ。
とりあえず、歩くのに支障が無いようにしておけば良い筈だ。
そんなある日の事だ。
「だいたい理解できたかな?」
「はい。…しかし、三角形の内角を足すと180度になるというのは驚きました。どんなに角度を変えても、足すと180度になります。」
「それは、1足す1が2であるようなものだ。俺達は定理と言う言葉で表現する。だが、お前達がこの世界の測量をやると、面白い出来事に遭遇する筈だ。」
皆が怪訝な顔をして俺を見る。
「今、三角形の内角を足すと180になると判った筈だが、この直線距離を更に長く、例えばここから王都位の距離にするとどうなるか?…後で確かめるといい。そして、そこから何が判るか。たぶん、今までの常識が変わるぞ。
そこで、1つ俺から言っておく事がある。
自分で測定した数値に自信を持て!…そして定理を疑え。とは言え、定理が正しい事も、今日の教えで知った筈だ。なら、その定理が成り立たない理由を考えろ。
俺が、今言える事はそれだけだ。」
「俺達の価値判断が変わるとは、どういうことですか?」
エリルが俺に聞いてきた。
「それは教えないでおく。だが、この仕事をしていくといずれ知ることになる。その時は、絶対に自分の観測を疑うな。疑えばその後、この仕事が出来なくなるぞ。」
男達がゴクリと唾を飲み込む。
俺の言葉に、簡単な作業の中に危険な何かが潜んでいると感じたようだ。
「そして、お前達と同じ事を疑う者がもう一組出てくる。この天文台で星の観測をする者達だ。俺としてはお前達に先にそれを見付けて貰いたいと思っている。」
まさか、地球が丸い事が判るとは思ってもいないだろう。三角形の内角の総和が180を越える。それは地球が球面である以上仕方がないことだ。
俺が教えるのはユークリッド幾何学での定理だ。そして、彼等が扱うのは非ユークリッド面での観測になる。誤差と思っている内にとんでもない事実に気が着くのは果たして誰なんだろう。
明人の奴、誰かに教えて無いだろうな。
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◇
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一冬掛けて測量士の卵達に教える事は教えた心算だ。
春が近付き、村の周りの雪もだいぶ融け始めた。そして少し距離を取った測量を実地で訓練する。
そんなある日。東門に立派なモニュメントが出来た事に気が付いた。
これが、測量原点になるんだな。そう思うとちょっと誇らしい気がする。この原点の北を示す線の延長上にはこの世界最初の天文台があるのだ。
美月さんが天文台にこだわったと明人が言っていたが、やはりそれは正しい事のように思える。
だいぶ、測量の手際が良くなってきた。3つのグループで測定を行なってもその誤差は最小桁の数値が1つ異なる位にまで機材の扱いにも精通してきている。
これなら、世界の測量を始めても大丈夫だと思う。
そう思って、エリル達リーダー3人を伴って山荘を訪ねた。
早速、御后様に出迎えられるとリビングに通される。
「直ぐに婿を呼ぶ。どうやら始められそうじゃな。」
「彼等に任せれば問題ない。そして、彼等に何人か付けて技術を学ばせれば、測量技術が広がっていく。
国作りは正確な地図作りからというのは、間違いではないと俺は思う。」
「やはり判るか。…4つの王国が1つになろうとしている。かねてよりの夢であったが今現実となりつつある。1つになることで軍の規模も縮小できる。それだけ民生に力を入れる事が出来るし、軍を辞めた者を使って大規模な開拓や用水路も作る事が出来よう。それには我等の国の正確な地図が必要じゃ。」
たぶん明人辺りの入れ知恵だと思うが、間違ってはいない。
奴も、辺に国政に片足を突っ込んだものだ。そして、バックに美月さんがいればこの国も安泰だろうな。いや、周辺諸国を含めて安泰という事になるのかな。
「遅くなりました。」
そう言ってリビングに入って来たのは、明人と美月さんだ。
「約束通りに、測量技術を教えたぞ。明日は、東門の広場にある子午線の測量原点から、街道に向って測量を始める。
測量隊は3隊あるから、第1と第2部隊がサナトラムの町まで共同で測量を行ない、その後は第1部隊は王都へ、第2部隊はマケトマムへと分かれる。
第3部隊はこの村の測量を行った後で、測量データを御后様に預ける。その後は、先行した第1部隊と連絡を取り、測量点を確認した上でサーミストに向う。」
俺の言葉にエリル達3人が頷いた。
「これで、この村での俺の役割は終ったと思う。例の話の通り旅立つ事にしたい。出来れば報酬として銅を少し分けてもらいたいのだが…。」
「いかほど入用じゃ?」
俺の言葉を聞いて、直ぐに御后様が聞いた。
「出来れば2G(4kg)程用立てて頂きたい。」
御后様は侍女を呼ぶと小声で何事か話している。そして用を仰せつかった侍女は直ぐに部屋を出て行った。
「直ぐに用立てる。じゃが、天文台の構築と測量技術の伝授を銅地金2Gでは安すぎないか?」
「それで結構。…そして、明人。たまに通信は送るが、明人の方でも何か分かれば俺達に伝えて欲しい。バビロン経由なら可能だろう。」
「あぁ、勿論だ。…そして、全てが終れば、また会おう。」
「勿論だ。」
そう言って俺は立ち上がると、明人の両手をしっかりと握る。
「じゃが、困ったのう…。測量で得た結果を元に地図を作る者がおらん。」
御后様は困多用な顔付で呟いた。
「それは、この国で何とかしてください。幸い、この地には美月さんがいます。そして彼女を補佐する明人もいるのです。」
「そうじゃのう。婿殿達にまた苦労をかける事になりそうじゃの。」
「その話ですが、フリーナ様はどうでしょうか?…昨年伴侶を亡くされましたが、その聡明さは評判です。そして彼女の友人達も…。」
測量隊の隊長の1人、エリルさんが御后様に話す。
「ふむ。フリーナの話は聞いた事がある。そうか。…伴侶を亡くしたか。フリーナも確か下級貴族であったな。伴侶が亡くなれば…子供は幾つじゃ?」
「子供は4,5歳と聞いております。確か女子であったかと…。」
「となれば、フリーナの嫁いだ貴族も断絶することになるか。僅かな蓄えを使いながら子を育てるは苦労の連続じゃろう。不憫な話じゃ。しかし、この作業は温情で行う物ではない。ジュリーに調べさせ、使えると判断すればこの地に呼び寄せようぞ。」
「基本的に地図作りは単調な作業だ。忍耐強ければ良い。後は慣れになるだろう。出来れば天文台の方も観測者を募集して頂きたいのですが。」
「そう言えば、まだ見ておらぬが出来たのじゃな?」
「はい。内装はマケリスさん達が行なってくれましたから、何時からでも住む事が出来ます。春から東門の広場から天文台までの小道を作りますから、そうなれば…。」
明人が説明してくれる。
「分かった。それもジュリーに頼むとしよう。確か2家族が生活出来ると言っておったな。」
俺と明人が御后様に頷いた。 扉が開くと、近衛兵が重そうな包みを抱えてやってきた。
一旦、御后様に中身を告げると、御后様はその包みを俺達に渡すように伝えている。
近衛兵が俺達のテーブルの上に包みを載せて、その包みを解いた。
中から現れたのは銅の地金だ。
「これで良いじゃろうか。約3G(6kg)はあるはずじゃ。」
「有り難くお受けします。…我等は、このベレッタという銃で使います。その弾丸は銅という制約があります。これより長旅でどんな怪物に出会うとも限りません。この報酬が何よりです。」
「それでも限りがあるじゃろう。それとは別に、これを持っていくが良い。」
そう言って侍女に何かを告げると、侍女が急いで部屋を出て行った。
直ぐに戻った侍女は、近衛兵を連れている。
その兵が持っていたものは、長剣だった。
俺は、鞘から抜いて刀身をジッと眺める。中々の出来だ。
「有り難く、頂きます。」
そう言って、御后様に頭を下げた。
次の日。俺達は東門の広場に集まった。
三脚に載せられたトランシットから真直ぐに先の尖った錘が吊るされている。その錘の先端は、総量原点の中心に真直ぐに下ろされていた。
トランシットの水平を水準器で何度も確かめながら微調整をすると、エリルがトランシットを覗き込んだ。
「87.32度でプラス0983だ。」
1人が素早く手帳に数値を書き込むと、エリルが覗いたトランシットで拡大された視野に写る小道の先に立てたポールに刻まれた数値とトランシットの水平目盛りを読む。
「数値確認。トランシット反転で再確認します。」
トランシットを180度回転させて同じように測定を行なう。
一回測定する度に2人で目盛りを確認し、機械を反転させてもう2回。都合4回の測定は個人の読み取り誤差と機械の誤差を最小にするためだ。
「3級測量点の測定を終了しました。作業を継続します。」
「あぁ、今の調子なら問題ない。俺が教える事はもう無いから、後は皆で国の全域を回って測量をするんだ。そしてその調査結果は御后様に渡す事。いいな。」
俺はそう言って測量隊を激励する。
そのまま、俺達が東門から出て行こうとした時、明人から声を掛けられた。
「待て、もう出掛けるのか?」
「そうだ。考えてもみろ。殆ど地球の裏側だぞ。俺達はこれから街道を北に進み、凍った大地を東に歩くつもりだ。寒い方が獣は少ないだろう余計な心配をしないで済む。」
「有難う。哲也、…色々と世話になった。」
「何の。友達じゃないか。…じゃぁな。連絡を待ってるぞ。」
そう言うとフラウを促がして門を出る。
さぁ、これからの旅は半端じゃないぞ。
何ていっても地球のほぼ反対側だ。
山裾を廻る道を歩いて行き、大きくうねるような尾根で後ろを振り返ると、先程分かれた村の門に明人達が手を振っているのが見えた。
俺達は立止まってもう一度手を振る。
全くの異世界だと思ってたけど、まさか明人達がいたとは驚きだった。
そして、明人達のおかげで俺の成すべき事も判ったような気がする。多元宇宙全体に影響を与える歪とは壮大な話だ。
どんな消去方法をバビロンが示すかは分からないが、その場所に行かない事にはどうしようもない筈。
俺達のように食事を必要としない者には丁度良い。のんびりと世界を歩いていこう。