芽吹き
この世の中はクソッタレだ。
偽善者だらけで、欺瞞に満ちている。
愛を語るやつは、俺から見ればただのエゴイストだ。
優しさを語るやつらはもっとたちが悪い。
思いやりってやつを装備して、だれかれ構わずぶん回しやがる。
どっから見たってテロリズムだっていうのに、それに気付こうともしない。
あぁ、あとあれだ、教育だ。勉強で腹が膨れたことなんて1度もねぇ。
アホ共を一掃するのにいちいち数なんか数えてられるかよ。
それから、最後に言っておく。
俺をそこらへんの反社会派みたいなガキと一緒にしないでくれよ。
俺はただのクズだ。
これは彼が10日目に書いた手紙だ。
彼は手紙とは言わず、手記みたいなものだと言っていたけど、受け取ったこの1冊のノートには、誰かに分って欲しいという気持ちが沢山詰まっている気がしてならない。
彼が房を出る時、時間がない中で私は彼から直接このノートを受け取った。
この程度の物なら私が後で回収することは容易いことだ。特に彼には所持品もなく、唯一の遺留品となるのはこのノートだけだったから余計だ。
だが彼は直接手渡したのだ。
鉛筆やペン等の先の尖った物は囚人に与えてはならないという規則は知っていただろうから、私が与えたことをバレないようにしたのかとも思ったが、ここの規則が看守に対して厳しくないことも彼は知っていたはずだ。だから彼の感情が沢山詰まったこのノートを直接手渡された時、私はこれを彼からの手紙だとそう思った。死刑を執行される為、私の前から連れられる直前の話だ。
ノートの裏面を見ると、そこには川島一侘と大きく力強い筆圧で書かれていた。これは彼の名前だ。
私が彼と過ごした2年間には、思い出とよなれるもがあった。
このノートもそのひとつだ。
私は彼に、ノートを手渡した後、表面上キレイなままのノートを見て、名前は書かないのかと尋ねたことがある。刑務所の中では自分の所持品には必ず名前を書かなくてならない。衣服、下着類に至るまですべてだ。そうでなければ盗まれた時や、破けたり破損した場合に、新たに用意されるまでに時間がかかる。すると、彼はノートの裏を私に見えるように堂々と見せびらかした。あまりの字の大きさと、黒く太くアートのように描かれた名前に、彼の生きるエネルギーをそこに感じた。
ところで、なぜ表紙ではなく裏なのか気になった私は、彼に質問してみた。彼は最初、ぶっきらぼうにうるさいとだけ言い、教えてくれなかったのだが私が房を離れる前に「枠にはまるような男じゃないからだ」と、さっき教えてくれても良さそうなほどに堂々と少し威張って教えてくれた。私は少し笑ってしまったが、なるほどと納得できた。
本来、死刑囚と仲良くするなど正気の沙汰ではない。看守仲間にもイカれたのかと心配されていた。私自身もそう思う。だが、彼に対する興味は抑えることは出来なかった。彼のように頭が良く、小柄とはいえ整った顔立ちで女性にもモテそうな青年が、この死刑制度が廃止に向かっている国でなぜ死刑囚になったのか。もちろん好奇心もあったが、彼の中で大きく育つ闇を、私にはどうしても理解出来なかった。彼を知りたかったのだ。
彼が看守に手酷く虐待を受けた時、私はあの後囚人に対する扱いを改めるよう仲間に異議を唱えた。あまりの剣幕に、皆その場は了承してくれていたが、虐待自体はなくなることはなかった。
彼の容態が気に掛かり、医務室を訪れては手荒い看護をされていないか確認しに行った。というのも、本来であれば、刑務所内に医療の設備は充実しておらず、外の病院へ一時的に手術や治療を受けるのが通常なのだが、この虐待が横行しているR刑務所では頻繁に搬送されることが予想されているせいか、ある程度の怪我に対応出来るよう設備が整えられている。それが良い場合もあるが、悪く言えば、この刑務所から外部に漏れる情報はないと言うことだ。医務室ですら油断ならない。
暴行を受けた日数よりも早く回復しする彼に、医師を驚いていた。彼のすさまじい生命力を目の当たりにしたのはこの時が初めてだった。
意識を取り戻し、順調に回復したので房に戻されることになった。
松葉杖は与えることが出来ない為、房までは車椅子が使われた。それには私も同行し、医師と二人で死刑囚038番用の房へ向かった。
部屋の中央でよろよろと車椅子から立ち上がろうとした時、医師すばやく車椅子を後ろへ引いた。彼はまだ立ち上がる準備が出来ておらず後ろへ倒れた。ケタケタと笑う医師を押しのけて彼に手を貸そうと近づいた。するとすぐに払いのけられてしまった。
川島「なんだ?腕を折り忘れたのか?」
冗談めいてそう言った彼の目には、冗談は一欠けらも宿していなかった。
医師「それはまたの機会にするよ。お大事に。」
医師は笑いながら車椅子を押して医務室へ帰っていった。
背中から煙のように怒りを発する彼に、近づくのは恐ろしかったのだが、順調に回復しているとはいえ、やはり怪我人だ。私はしゃがみ込み、もう一度彼に手を差し出した。
私「手を貸すだけだ。」
そう一言付け加えると、彼はチッと舌打ちをして私の手を無視し、差し出した側の肩に自分の手を乗せ、グっと力を込めて立ち上がろうとした。だが、片足の不自由さに慣れない彼は、私の反対側へと体制を崩した。慌てて彼の体ごと抱きしめる形で支えると、右頬を思い切り殴られた。
川島「いいか!気安く俺に触るんじゃねぇ!次やったら喉元食いちぎってやる!」
何に興奮し、そもそも何が起こったのか全く理解出来ない状態だった。だが、どうにも落ち着きを見せないようなので、私は房を出ることにした。
看守室に戻ると、右頬の腫れについて笹森先輩に聞かれ、慌てて扉に挟まったと言った。ついた嘘が嘘すぎて部屋の中に居た看守に一斉に「は?」と言われてしまったが、誰かが笑ったおかげでその場は追求だされることなく笑いで収まった。
翌日、私はまた彼の様子を見に行った。
房の前には手のつけられていない食事が置かれてある。やはりまだ食欲がないのかと思い、房を覗き彼に声をかけた。
私「まだ食欲が戻らないかい?」
彼は昨日の位置からほぼ変わらない場所で大の字に寝そべっている。目をつむり返事はない。
私「少しは食べた方がいいぞ」
また声をかけた。めんどくさそうに顔を若干歪めた。
川島「てめぇが食え」
私「私はもう食べたよ。これは君の分だ」
そう言うと、彼は目をあけてこちらを睨む。
川島「てめぇもしょんべんする場所間違えたのかよ。」
私は彼の言った言葉の意味がわからず、どうゆうことか尋ねたが、答えてはくれなかった。何か食べやすい物がないか食堂できいて来る事にしようと、手付かずに置かれていた食器を持ち上げると、変なニオイがすることに気付いた。ご飯が入った茶碗には黄色い茶漬け状になったご飯。他のおかずが入る食器も同じ状態だった。医務室から戻った早々からこのようなことが開始されるとは思ってもおらず、すぐに取り替えてやった。だが彼は二度と私を含め、看守達に用意される食べ物に口をつけることはなかった。
傷の癒えた彼は囚人同士ではすでに存在を確立されており、運動の時間などで外に出た時に他の囚人達に食べ物を用意させて腹を満たしていた。
私からの食べ物も受け取らないので、彼に食べ物を用意している囚人に、少しでも良い物を食べさせてやってくれと時々千円札を手渡した。
何も善意でやっているわけではない。彼が言っていたように、優しさや同情の類でやっているつもりもない。
死刑という極刑で罪を償うことが決まっている彼に、これ以上自らが犯した罪から目を背けるようなことが起きないようしたかった。死刑囚という彼に興味があるのはあくまでもプライベートな部分だ。彼がここに死刑囚として収監されているということは、必ず被害者が存在するということを私は理解している。
死刑という制度が償いではなく、犯罪の予防や、改善の見込めない者には相当の処罰を持って然るべきであるという考え方から思だという。それは社会的なことであり、その時点で被害者も加害者もなくなる。【この事件は死刑。はい、次に備えましょう。】もちろんそんな簡単なことでは決してない。だけれども、微かでもそんな風にも思えてしまう。それならば、被害者にとっての救済はどこにあるのだろうと。
このR刑務所配属されてから幾度となく自分自身に問うてきた質問だ。
被害者のことを思えば、虐待もあっていいのだろうか。死んで償うべきだ。色々な考えに至った。だが、彼が来てから違う考えが浮かぶようになった。看守に虐待されながら死刑を待ちわび、怒りと失望に身を包む姿には、被害者のことなどどこにもない。加害者である本人が罪を意識していないからだ。説法には耳を貸さず、与えられる暴力には暴力で返す。外も中も何も変わらない。私は数少ない死刑囚に限らず、このR刑務所に収監される囚人は、罪を犯した人間という意味で皆同じなのだという考えに至った。そして、静かに考え、自分を見つめる時間をこの刑務所の中で持って欲しいとも思うようになった。
いつか、自らが犯した罪に気付けるように。言葉や、刑期では言い表せない程の謝罪を被害者に思えるように。
だが、このことを彼に話すと、「あんたが一番残酷だ」と言われた。
「誰も望んでいない謝罪、到底気付くことのない加害者、このまま死刑がなくなれば、ムショの中なら金の心配しなくてすむって考えの奴ばかりで満員になる。さっさと殺すのが一番だ。世の中は何も変わらない」と彼は言っていた。
それでも、誰かが少しでも思ったことを行動に移せば、世界の何かは変わるさと引き下がらずに言ってみた。すると彼は私に「頑固ヤロー」とあだ名をつけた。
正直、彼と出合ってから初めて体験することばかりだ。そもそもこんなにも自分の考えを口にしたこともなかった。考えなど他人と分かり合えないものだとそれこそ私自身が諦めてばかりだった。だが、彼にどことなく自分に似たものを感じた私は彼と話さずにはいられなかった。
食事係りの囚人が、私が与えた金のことを彼に話したことも彼が私の話をきいてくれるようになったきっかけにはなっていたかもしれない。