マヤカシと人間
久しぶりの更新です。
やたら長い解説パート(伏線回収のつもり)に入ります。
最初、俺の身体に巻きついているのは、縄か植物の蔦かと思った。けれど、ソレは生き物のように動いて、俺を締め上げた。
『人間、お前はどれだけ戦えるかな?』
耳元で囁かれた不愉快な声。
そちらに顔を向けると、そこには先ほど以上に化物の姿をした化物がいた。
そこにあったのは、赤い眼をした蛇の頭部。だが、その下は鱗に覆われた四肢のない身体ではなく、ムカデのような無数の小さな足が生えた胴だった。しかも、異常に長い。その長さを利用して俺を拘束している。
――ものすごく気持ち悪い。
先ほどから服の上をウゾウゾと動く感触があるのは、その細かい足が蠢いているせいだろう。そして、この気持ちの悪い生き物は先ほどの兎に似た化物の転変した姿に間違いない。
あまりの気持ち悪さから俺は拘束を振り払おうともがくが、全く拘束が緩む気配はない。
『――動くな』
その台詞は俺に向けられたものではない。
それに気が付いたのは、目の前で緑新が派手に転んだせいだ。彼女の足にも、化物の白くて長い身体が巻きついていた。
どうやら彼女は化物の注意が俺に向いている隙に、少女を助け起こそうとしてくれたようだ。しかしそれを化物に感付かれた。
緑新は顔を上げたが、起き上ろうとはしなかった。足を拘束されてはいるが、両手足は自由だ。その気になれば起き上がれるだろうに、彼女は倒れたまま化物を睨んでいる。
その様子を見て俺は小さく舌打ちした。
――俺が捕まったりしなければ。
すると、それを見た化物が笑う。
『勘違いするなよ、人間。これはお前らがよくやる人質なんてものじゃない。お前など捕まえなくても、そいつを殺るのは簡単なことだ』
俺の心を読んだかのように、化物は言う。
『ただ、その間にお前らに逃げられては少々面倒だからな。…それにしても、こうしてみるとますます理解できないな。雨月の使いどもは何故お前ごときを“我が君”と間違えたのか』
化物の蛇の頭部がぐぐっと近づいてくる。それに吐き気を感じながら、俺は口を開く。
「お前らがさっきから話してる、その“我が君”ってのは何なんだ?」
それは先ほど、緑新から訊こうとして訊けなかった問いだ。
少女が、その“我が君”とやらの贄とはどういうことなのか。それが本当なら、彼女が捕まっていたあの社が“我が君”の社で、彼女を監視するようにうろついていたあの蛇たちが“我が君”なのだろうか?それとも、他にいるのか。
――どっちにしても、俺から彼女を奪うことは許さない。
「答えろ、“我が君”って何なんだ? そいつは彼女に何をする気だ」
俺がそう言うと、化物は探りを入れるような目で俺を見た。
『…へぇ、これは驚いたな。お前は本当に“我が君”を知らないのか。“我が君”が封印されてから、まだ二十年も経っていないというのに。人はそんな簡単にものを忘れる生き物なのか、それとも、俺達のことなど、たいした脅威と見なしていないと?』
まるで責めるような、落胆するような“声”で化物は話す。
そんなふうに言われても、俺は本当に何も知らないのだから、どうしろというんだ。
『…違うわ。その子は、私達の存在そのものを知らなかった。だからきっと…遠い異国から来たのよ』
緑新が、俺を庇うように声を上げた。
化物は緑新を一瞥すると、俺に視線を戻して『それは面白い』と笑った。
『いいだろう人間、お前に教えてやる。“我が君”は――俺達の絶対的な王だった存在だ』
その呼称からして、それとなく想像はついていたが…、
――…だった、だと?
過去形で語られたことに、何か意味があるのか。
『俺達の世界は弱肉強食で成り立っている。強い者がすべてを支配する権利と義務を有する』
そして、化物は続けて話し始めた。
“マヤカシ”と“マヤカシ”の王がどういう存在なのか。それは、緑新からは全く聞かされなかった“マヤカシ”の本質に関する話だった。
“マヤカシ”の王に血筋など関係ない。
ただ、強い者が王になれる。弱き者は無謀にも強者に挑んで死を選ぶか、強者に服従するかのどちらかの生き方しかできない。それが“マヤカシ”達の常識であり、誰が決めたわけでもない本能的なルールなのである。
そして、“我が君”に敵う者などいなかった。それゆえに“我が君”はすべての“マヤカシ”を統べる絶対的な王だったのだ――と。
『かつてこの森の周辺には多くの人間達が住んでいたことは知っているか?』
――そんなこと、知るはずもない。
俺が“こっち”に来たのはほんの少し前なのだから。“こっち”で俺が出会った人間はあの少女だけだ。
『だが今はもういない。その理由は何だと思う?』
質問しているのはこっちだというのに、化物は俺に問うてくる。
しかし、その問いに緑新が顔色を変えた。続いて焦ったような声を出す。
『それは…っ』
『黙ってろ。低級』
『……』
俺には分からないやりとりだったが、そこで俺はあることを思い出した。
――緑新は、俺が“マヤカシ”について何も知らないことを喜んでいた。それには何か理由がある。それも、人間に対して後ろ暗い理由が。
それは、化物の口からあっさり語られる。
『それは、俺達が人間を狩ったからさ』
そっちから質問してきたくせに化物は俺の返答を待たず、答えを告げた。
それを聞く緑新は無表情だが、その視線は下を向いている。
『俺達と人間はお互いの存在を認知して以来、ずっと争い続けてきた。言っておくが、先に仕掛けてきたのはお前達の方だ。俺達を化物と罵って、無断で領域に踏み込み、意味もなく殺し尽くそうとした』
『それは、私達が人を喰うからよ。彼らが私達を害獣と判断して排除しようとしたのも仕方がないことだった』
化物の説明を修正するように、緑新が声を挟んだ。
対して化物は、そんな緑新を小馬鹿にするような眼で見る。
『なら、俺達が人を喰うのも仕方のないことだ。人間達が鹿や兎を喰うのと何が違う?俺達は人を喰らうが、人を絶滅させようと考えたことはない。だから、必要以上に奴らを殺すことはなかった。人間どもが、争いをしかけてくるまでは、な』
緑新はその言葉を聞いて沈黙する。けれど、決して納得したわけではないだろう。その目は化物を睨んだままだ。
『本来なら、人間と俺達の力の差は歴然だ。奴らが俺達を滅ぼすのは到底無理なはずだった。…だが、人間はいつのまにか、俺達に対抗しうる妙な力を身につけていた』
普通の人間が生身で“マヤカシ”とやり合うなど無謀なことだ(俺が言っても説得力はないが)。
彼らの姿は個々によってさまざまで、緑新はそれを偽りの姿だと言っていたが、決して虚仮威しではない。その爪や牙は簡単に人の皮膚を引き裂き、骨を断つことができるだろう。さらに、先ほどの緑新の蹴りの威力を顧みるに、その筋力も相当のはずだ。
もともと人間はヤワで壊れやすい生き物だ。単体では、普通の熊や狼にだって敵わないだろう。だが、その分人間は知能が高く、それによって様々なものを生み出すことができるのだ。
化物が言う“対抗しうる妙な力”とは人間の生み出した武器――兵器のことだろうか?
俺が想像したのは、剣や弓(…いや、ミサイルや戦車かもしれない)などである。
化物が詳しく話すかと思ったが、その力についてそれ以上触れなかった。
そして、その不思議な力によって人と“マヤカシ”の力関係は揺らぎ、争いは苛烈を極めたということだった。
『――そんな時、その力関係を一瞬で元に戻したのが、“我が君”だ』
それだけ“我が君”の力は絶大だったのだ。
不利だと思われた戦況でも、一度“我が君”が介入すれば、勝利は確実だったらしい。
かつて争いが始まる前までは、人間達に“我が君”の存在は知られていなかったそうだが、奇しくもその争いが切っ掛けでマヤカシの王――“我が君”の存在は多くの人間に認知された。そして、やがて彼らはその姿を見ただけで無力化し、恐れ慄いたのだという。
『だけど、ある時突然“我が君”はおかしくなってしまったのさ』
そう言った化物は、何故かとても嬉しそうに笑った。
“我が君”のことを話す化物は本当に誇らしげで、畏敬の念すら感じられたのに、その“我が君”がおかしくなったという話をして笑っている。それは、変ではないか?
『あの方は俺達も人間も見境なく、その金の眼に映ったものすべてを消そうとしたのさ』
化物が続けた言葉の一片に、俺はぴくりと反応した。
――…金の眼?
偶然か?それとも…
「…そいつは今どこにいる?」
思考がまとまらないまま、気が付けば俺はそれだけを口にしていた。
“我が君”とは一体何なのか――今の説明だけですべてを理解したわけじゃない。
そいつが、俺の…少女(名前を呼べないことが苛立ちを募らせる)を脅かすのなら、もっと知らなければいけない。
“こっち”に来てから、力はとても強くなった。化物達を簡単に倒せるくらいに。そして、その力に俺は浮かれた。この力さえあれば、大丈夫だと思い込んだ。“こっち”のことを何も知らなくても、問題ないと過信していた。
――俺は、なんて無知なんだろう。
返答を待つ俺に、化物はしばし沈黙していた。ギチギチという音はまだ僅かに聞こえていた。
『…それは俺も知りたいな。“我が君”を正気に戻す方法を探すために、あの方を封印することにした らしいが…それ関する詳細は俺も知らん』
――知らない?
あれこれと詳しく話していたくせに、その重要な一点を知らないとはどういうことか。
もしくは、嘘をついて誤魔化そうとしているのか。
俺が疑心を抱いていると、緑新の声が聞こえた。
『当時の貴方はまだ幼かった。だから、あえて悟られないようにしたんでしょう』
それは化物に対して言ったというより、俺の疑問に答えたような言い方だった。
化物もそれを感じ取ったらしく、俺と緑新の顔を交互に見て目を細めた。
『……その事と、俺が我が君の所在を知らないことは関係ない。俺は当時の“我が君”を見ているし、狩りにも加わっていた』
化物はイラつくように言った。当時は幼かった、と言われたことが気に障ったようだ。
人間と違って、マヤカシの年齢は外見から全く判別できない。
しかし、今の会話を聞くと、緑新はこの化物より年上なのかもしれない。
『いいえ、関係あるわね。貴方は我が君のことをよく知らない。だから、リオ様は貴方が我が君の封印を解いてしまうことを懸念したのよ』
『へぇ…。それはまたどうしてかな?』
『貴方はマヤカシの中でも、特に戦闘本能に忠実だと言えるわ。貴方はずっと、我が君を倒して屈伏させたいと思っていたんでしょう?』
『それの何が悪い?』
化物は悪びれる様子もなく、笑みを浮かべて訊き返した。
すると緑新はさらりとこう言い返した。
『別に悪いことではないわね。我が君が正常な状態なら、むしろ大歓迎だったと思うけれど』