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お前は何だ?

4月11日、後半の一部を変更しました。たいして変わってないですが、前よりも読みやすくしたつもり。

 無表情の少女を見つめながら、青白い女――緑新は難しい顔をしていた。

 その視線は少女の腕に注がれている。彼女の腕の包帯はすでに取り払われている。


 ――…やっぱりね。


 緑新は少女の腕を見ながら、心の中でそう呟いた。伝えようという意思がなければ、声が他者に聞こえてしまうことはない。

 緑新は憐れむような目を少女に向け、そっと頬に触れる。少女は無感動にされるがままじっとしている。いや、動きたくても動けないのだ。


 ――少女の魂は、ズタズタに傷つけられてしまったのだから。


 緑新は少女の頬を優しくなでる。

 『…ごめんなさい』


 少女に向けて、そう“声”を発する。まるで泣きそうな“声”で。

 さらに何かを言おうとした時、



 「おい、まだ終わらないのか」

 少し離れた場所から、声をかけられた。

 この少女と一緒にいた、あの少年の声である。

 その声を聞いた緑新はガラリと表情を変えてこう返事した。


 『まだよー。今脱がせたところ』


 すると、ちっという舌打ちの音がワザとらしく聞こえてきた。ついで、不機嫌丸出しの声が続く。

 「…はやくしろ」

 『わかってるわよ。だけど、手荒に扱うなって言ったのは貴方でしょ?』

 そう切り返すと、少年は反論に困ったのか何も言い返してこなかった。それに緑新は面白がるように笑みを浮かべ、何事もなかったかのように少女の包帯を取り換える作業に移った。




 ***




 俺はイライラしていた。

 それもこれも、すべてあの女のせいだ。


 あれから結局、あの青い女が包帯を換えることになった。

 さらに、包帯を換える間、俺は少し離れた場所で後ろ向きに待たされることになってしまった。

 俺が不満そうな顔をすると、女は温泉を指しながら言った。

 『なんなら、待っている間に泉にでも入ってる?気持ちいいわよ』

 「結構だ。彼女をお前に預けたままで、そんなこと出来るか」

 『あら、この()と一緒に入りたいの?』

 また意地の悪い笑みを浮かべて何を言っているんだコイツは。

 「…違う」

 『分かってるわよ。貴方、私のことが信用できないんでしょ?』

 「ああ」

 ここで嘘をついてもバレバレだと思ったので、はっきり肯定しておいた。この女の前で温泉に入るなんて、無防備なことはしたくない。

 『だったら足だけでも浸かったらどう?それならいいじゃない。ただ待ってるのは(ひま)でしょ?』


 そうして今に至る。

 俺は彼女達から背を向けて温泉に足を浸していた。あの女には言いたくないが、確かに気持ちいい。お湯は丁度よい熱さで、身体がホカホカしてくる。

 知識として知っていたが、実際に温泉に入るのは初めてだった。


 「…おい。今何をしてるんだ」

 もう何度目か分からないが、俺は背後にいる青い女に声をかけた。

 女の方からすれば、こう何度も声を掛けられるとウザいと思うが、そんな配慮をしてやるつもりはない。時々声をかけなければ、何があるか分からない。

 『何してるって…聞きたいの?今彼女の胸の包帯を取ってるんだけど、彼女、かなり大きい…』

 「そこまで聞いてない」

 馬鹿なことを言ってないで、本当に早くして欲しい。

 ――…へぇ。胸大きいのか。包帯のせいで、服の上からはよく分からなかったな。

 ちらっとそう思ってしまったのも事実だ。

 思い浮かんだ光景を誤魔化すように俺は足を軽く動かす。お湯がぱしゃっと跳ねる。まるで子供みたいなことをしているな、と俺は小さく笑う。

 その時、ざあっと風が吹いた。それと同時に妙な悪寒を感じた。身体は温泉のお湯で暖かいはずなのに、なぜだろう。

 その悪寒に言いようのない不安を煽られて、俺はまた女に声をかけようとした。


 『…もう半日くらい待ってくれるかと思ってたんだけど、私の考えが甘かったようね』


 先に女の方が俺に声をかけてきた。何を言っているのか、意味が分からなかったが。

 『もうこっち見ていいわよ。包帯換え終わったから』

 そう言われたので、素直に振り返る。

 そこには綺麗に包帯を巻かれた少女と、あの女が立っていた。

 本当にもう終わったらしい。

 少女の様子が気になり、俺はさっさと立ちあがって彼女達に近づいた。

 少女は相変わらずの無表情だが、青い女の方も、何故か無表情だ。さっきまでの憎らしいほどの笑みはどこへ行ったのか。

 『…状況が変わった。ねぇ、貴方の名前を教えてくれないかしら?』

 「言いたくない」

 そう言いながら、俺は眉を寄せた。どうして今更、そんなことを訊くのか。

 『…なら仕方ないわ。これからも人間さんと呼ぶことにするわ。それで、私の名前は緑新よ』

 女はあっさり引き下がった上に、自分の名前を名乗ってきた。

 だからなんだと言うのか。俺はお前の名前なんて知りたくもなかったし、必要以上に慣れ合うつもりもない。包帯を巻く作業が終わり次第、早々に立ち去りたいのだ。それだけの付き合いの相手と名前を名乗り合う必要を感じない。

 「ふぅん、そうか」

 だからそっけなくそう返事をしておく。

 それで青い女――改め、緑新に対する俺の興味は一切失せた。少女をこちらに引き寄せ、じっと見る。心配していた包帯はきちんと巻かれている。


 ――そういえば、俺はこの少女の名前を知らないな。


 彼女が自分から名乗ってくれる可能性は少ないし、俺が名前を付けてもいいだろうかと考える。

 『――貴方はこの()のこと、どう思ってるの?』

 「は?」

 何の脈絡もなく、先ほど以上に唐突な質問を受けた。

 「何故そんなことを聞く?」

 名前を訊いたかと思えば、一体何なんだ?

 『これは大事なことよ』

 緑新の“声”から、酷く緊迫した感情が伝わってきた。

 『貴方は、この()をあの社から助け出した。それが、どういうことか分かってるの?』

 その言葉を聞いて、俺ははっとした。

 「やはり、お前も…」

 すぐにでも少女を抱えて飛び退きたい気持ちを抑え、俺はなるべく冷静にそう呟いた。

 『その様子だと、すでに追手と遭遇したのね。なら、この()を連れていることの危険性は、それなりに理解しているのよね?』

 俺は、ただ緑新を睨みつけていた。奪われないように、少女を背後に庇う。

 『それでも、貴方はその()を守るの?』

 「俺から彼女を奪うことは許さない」

 強い口調でそう言うと、緑新が一瞬たじろいだように見えた。さらに、驚いたように瞬きを繰り返している。

 『覚悟…は、あるようね。でも、あなたはその()が何なのか知ってるの?』

 そう言われて、俺は返答に迷う。


 彼女は何かに捕まっていた。それも酷く良くないものに――何故そう思ったのか自分でも分からないが、彼女の姿を見た瞬間、俺は助けなければいけないと確信していた。今でもそれは勘違いではなかったと思っている。

 彼女が何者であっても、俺は彼女を手放すつもりはないが、彼女のことを何も知らないままでいてもいいのか。

 「……知らない。だが、関係ない」

 少し語調が弱くなる。俺は、彼女の名前さえ、知らないんだ。

 緑新は探るような顔で俺のことをじっと見つめていたが、俺の答えを聞くと、ふっと息を吐いて僅かに安心したような顔になった。――何故だ?

 緑新は少女に目を向けた。

 『その()は、狂ってしまった“我が君”を慰めるために用意された大切な(にえ)

 「…“我が君”…?」

 その言葉には、聞き覚えがある。そして、贄という言葉にも。そうだ、あの黒い犬や、目の前にいる この女も最初にこの言葉を口にしていたはずだ。

 我が君とは確か、主君(しゅくん)に対する敬称ではなかっただろうか?

 「我が君…って何なんだ?」

 今更な問いだったかもしれない。今思えば、その言葉は何度も耳にしていたのだから。

 すると緑新は怪訝な顔つきになる。

 『本当に、何も知らないの…? 我が君のことでさえ? …貴方は一体何なのかしら…』



 『――それは俺も気になるな。お前は本当に“我が君”なのか?』



 唐突に脳に響いてきた“声”に俺は反射的に少女を抱えて飛び退いた。その判断は正しかったのだと、一瞬後に理解する。

 さっきまで俺達が居たところは、地面が抉れて、窪んでいた。

 そして、その場所には、巨大な何かがいる。

 温泉の湯気と地面が抉れた時に舞い上がった砂埃でよく見えないが、とても大きな動物がそこにいるのが分かる。

 『リオ様が直接来ることはないと思ってたけど。…成程、貴方が来るなんてね、ディフィロス』

 姿は見えないが、緑新がそう呟いたのが聞こえた。

 『ほぉ。その様子だとお前は俺を知っているのか?あいにくと俺はお前を全く知らなかったが』

 次に聞こえてきた“声”は知らない“声”だ。たった今現れた動物…いや、緑新と同じ“マヤカシ”の“声”であることは確かだ。

 『知らなくても無理ないわよ。私は、貴方達の集会には参加していなかったから』

 『“参加していなかった”? “参加できなかった”の間違いじゃないか?』

 見下すような響き。

 次いで、ギチギチという嫌な音が響く。

 『貴様のような奴は目障りだが、今はこいつらに用がある』

 ゴウッと風を切る音と共に、湯気と砂埃が散る。

 そうして露わになるのは、じろっとこちらを見下す、血のような赤い眼。そこに居たのは、巨大な白い体躯の、化物(ばけもの)

 そう――化物だ。蛇でもなければ犬でもなく、緑新のような小鳥でもない。それは少なくとも、俺が知っている動物の姿をしていなかった。

 あえて例えるなら、その姿はウサギに似ている。長い耳と跳躍力が強そうな足の形はウサギそっくりだ。だが、その口にはウサギにはない鋭い牙があり、前足は鷹のような鉤爪(かぎづめ)状になっている。身体は熊よりも大きく、(ゾウ)と同じかそれ以上はあるだろう。

 その化物は赤い眼を細めてこう呟いた。


 『――さて、お前は“我が君”か?』






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