白の少女
金色の髪と瞳、黒い肌。
――別にこの色を嫌ったことはない。…けれど、嫌な思いをしたことはあった。
自分の外見が異質であることは、幼い頃から自覚していた。祖父母や叔母は黒目黒髪の黄色人種――モンゴロイドだというのに、自分だけが違うのだ。
当然のように、学校では外見をネタに虐められた、けれどそれは最初のうちだけだった。俺の通っていた学校はいじめに対して適切に対処してくれたらしい。そのおかげで俺に対する虐めはなくなったのだが、それでも人々の好奇の視線まではどうにもならなかった。初対面の人間は必ずといってもいいほどに「もしかしてハーフ?」「どこの国の人?」という質問を投げかけてきた。
それに対する俺の答えは、いつも曖昧だった。
なぜなら、俺も答えを知らないのだから。
俺を育てたのは、母方の祖父母だった。俺が一歳くらいの頃までは、母親と一緒に祖父母の家に住んでいたらしいのだが、彼女はある日突然、失踪してしまったのだという。
父親に至っては顔さえ知らないのだが、俺の外見はおそらく父親の血筋によるものなのだろう。
おそらく、というのは祖父母らも俺の父親のことを何一つ知らないからだ。
母は高校生の時に俺を産んだ。彼女の妊娠と出産は祖父母らにとって完全に寝耳に水の出来事だったらしい。しかも、生まれてきた子供は見たこともない髪と目、肌の色をしていた。祖父母らは激怒して、母に向かって「父親は誰なのか」と尋ねたそうだが、結局母は何も話さなかったらしい。
――そして、母は俺を祖父母の元に残して姿を消した。
実の娘が生んだ子とはいえ、父親が誰かもわからない奇妙な色の子供。母がいればまだマシだったのかもしれないが、祖父母らが俺を見る目は厳しかった。虐待はされなかったが、彼らが俺に愛情を注いでくれることはなかった。ただ事務的に、面倒を見てくれただけだった。
――だから俺は、すべてを捨てて、ここに在る。
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――歌が聞こえる。
聞いたことなんかないのに、それはまるで、子守唄のような優しい歌だった。
どこかから歌声が聞こえた気がして、俺は目を覚ました。
「……朝か」
寝入った時は真っ暗だった周囲が、今はうっすら明るくなり始めていた。太陽はまだ昇り切っていない ようだが、もう朝と言っても差し支えない時間だろう。
一瞬、二度寝しようかとも考えたが、起きた時に聞こえた歌の正体が気になって、結局俺は身を起こすことにした。
俺が身を起こすと、がさっという枯れ草を踏むような音がした。――当然だ。俺が寝ていた場所は森の中の、枯れ草の上なのだから。
少し離れた場所には、昨夜暖をとるために作った焚火の燃えかすが残っている(火は寝る前に消した)。
「―――っ」
そこで俺はあることに気が付いて、慌てて周囲を見渡した。辺りには木々が生い茂っているだけで何もいない。
「あいつ、どこ行った…!?」
俺は急いで立ちあがった。そのまま駆けだそうとしたが、その時また歌声が聞こえてきた。
「この歌…」
間違いない。さきほど聞こえた歌だ。俺は、歌が聞こえる方向に向かって、歩き出した。消え入るような、か細い歌声だったが、俺の耳にはしっかりと聞こえるのだ。
歌を追って、茂みをかき分けて進んでいく。すると、
「…っと」
茂みの先は、急な傾斜になっていた。危うく滑り落ちるところだった。
そして気付づく。歌声はこの下から聞こえる。
「……」
滑らないように気をつけながら、ゆっくりと下へ降りた。
「…探したぞ。お前、歌なんて歌えたのか」
俺はそこにいた人物に声をかけた。
けれど、その人物は反応しなかった。ずっと歌を歌い続けている。
「……」
俺は嘆息して、そっとその人物に近づいた。
そこにいたのは、白と赤を基調にした着物を纏った少女。髪は黒く、腰よりも長い。髪と同じく黒い瞳は、なんの感情も浮かんでいないように見えた。
少女は俺が近づいても身じろぎ一つしない。俺の姿が見えているのかさえ疑わしい反応だった。いや、反応など全くしていない。
近くでみると、少女はボロボロだった。おそらくあの傾斜から落ちたのだろう。着物のあちこちは破れているし、顔にも小さな切り傷ができていた。
「おい、包帯が解けかけてるぞ」
俺は少女の右手を見ながらそう言った。
少女の身体は斜面から落ちたせいでボロボロだ。だが、それとは別に彼女は最初から全身の至る所に包帯を巻いていた。
右目から頭にかけて巻かれた包帯に、両手、両足の一部にも包帯が巻かれている。それは、俺が彼女と初めて会った時から付けたままだった。
少女は歌うのをやめた。そして、虚ろな顔で右手の包帯を見る。左手で包帯に触れるが、結び直すことができないようだ。
「……俺が結んでやる。手、出せよ」
そう言ったが反応はなかった。右手を見つめたまま、呆けたように動かない。
俺は少女の前で片膝をつくと、勝手に少女の手をとった。少女は顔を上げたが、その目は自分の手を見ているだけで、俺に向かって何かを言うこともない。無断で手をとったことに対する拒絶も許諾もなかった。それは今更驚くことでもないのだ。
――俺がこの少女と初めて会ったのは、僅か昨日のことだった。
あの時の俺は、少し浮かれていたのだと思う。
すべてを捨てて“こっち”に来た時、俺は心の底から歓喜した。
幼いころからずっと居場所が無いと感じていた“あっち”から、俺はついに開放されたのだ、と。
だから俺は、普段なら絶対しないであろうことを――監禁されていた少女を助けるなんてことをしてしまったのだ。
理由はよく分からないが、この少女は何か良くないものに捕えられていた。それも、森の中にある古びた社のような場所で。いや、牢屋といっても差し支えないような場所に、こいつは全身包帯だらけの姿で監禁されていた。
俺は少女を助け出して、今に至るというわけである。
思い返してみれば、俺の行動は浅はかで、馬鹿だったと思う。その時の俺は、自分を正義のヒーローだと思っていたのかもしれない。思い出しただけで恥ずかしいことだ。
けれど――、
「きんいろ…」
包帯を結び直している最中に、少女が声をあげた。
「…ん?」
思考にふけっていた俺は、反応が一瞬遅れた。
この少女は初めて会った時から無口で無表情……と言うより、まるで自我がない人形か何かのようだった。名前を尋ねても答えないし、自宅や、監禁されていた理由についても尋ねてみたが、同じだった。その様子は、答えないというよりも、聞こえていないという感じだった。さらに昨日は俺が手を引かなければ歩こうとさえしなかったのだ。
少女は何故こんなふうになってしまったのか。それだけ酷いことをされたのか。
だから今朝起きた時に姿が見えなくなっていて驚いた。しかもさっきは歌っていた。
「おまえ…今しゃべったのか?」
言いながら少女の顔を見ようとすると、少女は俺の顔をじっと見つめていた。
どくんっと心臓が跳ねた。
片方だけの黒い瞳で、少女はじっと俺の顔を見ている。昨日から一緒にいて、こんなことは初めてだ。
少女は包帯だらけの左手を伸ばして、俺の頬に触れる。(右手は俺が押さえているからそのままだ)さらに彼女は、自らの顔をゆっくりと俺の顔に近づけた。その黒い瞳には先ほどまでは存在しなかった光が見える。
俺は動くこともできず、彼女の目を見つめた。徐々に鼓動が速まる。
そして、少女が再び口を開く。
「きんいろ、の…め」
「――っつ」
しかし、そこまでだった。
彼女の目から急速に光が失われ、再び虚ろな眼差しに戻った。同時に、俺の頬に添えられていた左手が落ちる。
少女の目はもう俺を見ていなかった。
それでも、俺はしばらく動くことができなかった。
――喜んで、浮かれて、考えなしに助けてしまった少女。
しかも彼女はまるで人形のように感情のない子で、こんな少女をどうすればいいのかと途方にくれた。
――けれど俺は、
この少女に出会ったことを全く後悔していない。
俺はこの少女を一目見た時から、どうしようもなく、惹かれていた。
理由なんて分からない。
理由なんて必要ない。
包帯が巻かれた彼女の右手を、強く握る。
俺は、この少女を手放したくないと思ったんだ。