人になりたかった悪魔
その悪魔は人になりたかった。
悪魔の中でも最上位に位置する彼の者は、この世でもっとも下級な生物……人間になりたがっていた。
しかし、自分は悪魔……周りも悪魔であることを誇りとする者ばかりである。
「俺は人になりたい」
その感情を押し殺し続けて数千年……ようやく地上に悪魔が行けるようになった。
悪魔は率先して人を殺し、蹂躙し、喰らった……そうすれば人になれると信じているかのように……
しかしなれなかった。どれだけ人を喰らっても自分は醜い姿のままだった。
毒が噴き出す槍を持ち、山羊や蛇の頭を持つこの姿が憎くて憎くて仕方がなかった。
人から恐れられ、悪魔からは崇拝すら当たり前……
そんな自分が嫌で嫌で……
そうした感情を持ち続けながら、人を殺していたある日。
一人の女性と出会った。
周りが血の海で埋まった死体が散乱している中、その少女は毅然と背筋を伸ばして座っている。
その朱に映えるような豊かな銀髪。闇を照らすかのように白い肌。
悪魔はそのすべてを気に入り、犯したいという気持ちに駆られた。
色欲こそ我が原動力。同族を喰らうのもいいが、ことさら人間の色欲は格別だ。
欲望を満たすために、女性に近づく。しかし女性は悪魔に恐れることなくこちらを睨み、口を開いた。
「あなたはアスモデウスなのかしら?」
「っ!?」
まさか自分の名前を一発で当てられると思っていなかった。
古来人が自分の名前を言い当てたら、知識を与えるという伝承がある。
だがしかし……今やこの世は悪魔が右往左往している。
そんな伝承を律儀に守る道理はない。
しかし、女性はそんなことはどうでもいいと言わんばかりに言葉を重ねる。
「私を犯したいのなら犯しなさい。でも私は絶対に屈さない。屈するなら銀のナイフであなたと一緒に死にます。」
「ほぉ……」
確かに銀は悪魔にとって天敵となる物質だ。
しかしそれは階級の低い悪魔だけに対してだ。それより上になれば銀は無用の長物と化す。
アスモデウスはそのことより、女性の強気な態度が気になった。
死を覚悟しているのであれば、神に祈るか、目をつぶるかぐらいはするはずだ。
ここまで饒舌になることはまずない。
だがこの女性はこちらをきつく睨み、絶対に目線を反らさない。
こんな態度を取るこの女性にアスモデウスは興味を持った。
「……なぜ、俺を恐れぬ?」
「恐れたところで何になるの?なら、最後ぐらい気丈に振る舞いたいものだわ。」
「くっ……はっはっはっ……気に入った。一つ質問させてくれないか?」
「何?悪魔が人から教わる事なんてないと思うけど。」
「人になるには、どうすればいい?」
「……そんなの、自分の思い込みじゃない。自分が人になりたいと思えば、なれるものよ。」
女性の言葉にアスモデウスは衝撃を受けた。
ならば、この人になりたいと思い続けた数千年は無駄ということになってしまう。
もしかするならば自分の思い方が悪かったかも知れない。
「クククッ……豪気な人間もいたものだ。犯すのも殺すのも惜しい。」
「じゃあ、どうするの?」
「お前と契約をしたい。」
「……悪魔契約のことは分かるけど、まさか悪魔から言われるなんて……」
「お前の元で人に塗れるものまた一興……この魂、まだまだ朽ちるのは先だ。その一生でこういう座興もあってもいい。」
「仮に百歩譲って契約するとして、私たち人間に対するメリットは?」
「まず、今この世界に蔓延している悪魔達の対処法を授けよう。それからお前にありとあらゆる力をっ」
「そんなのはいいわ。あたしが欲しいのは……今苦しんでいる人を助けられる力。アスモデウス、契約して欲しいのなら悪魔達の対処法、そして人々を救済できる力を授けて。」
これほど豪気な女性が自分のことを後回しにして他人のことを思っている。
ますます気に入り、この女性と契約したくなった。
この女性について行けば、違う世界が見れる。
魔界では感じることのなかった高揚感が体を包み込む。
「……いいだろう。悪魔のすべてを教えようぞ。」
「わかったわ。で、どうやって契約するの?」
「俺の今の姿で契約すれば、数分も持たずに精神が崩壊してしまう。なら、そちらの力を増幅して俺も力を押さえる。」
そう言って、アスモデウスは体の中から一つの指輪を取りだした。
「……ソロモンの指輪?」
「ほう……よく知っているな。では、使い方も知っておろう。」
「ええ。はめて、契約の呪文をいうだけでしょ?」
「そうだ。我の言葉を続けていってくれ。」
アスモデウスは悪魔契約の呪文を唱えていく。
女性もその後に続いて唱えていく。
最後の呪文を言い終えた時、指輪から光が漏れ出す。
アスモデウスはそれを確認し、自分の力を指輪に封印していく。
光が収まる頃には、あの醜い姿ではなく一応人らしき姿を取れていた。
「……これで完了かしら?」
「ああ。指輪に力を封印して、お前の力で俺を従えるようになった。」
「ふ~ん……」
「この姿は……ドラキュラか?人語を理解できる悪魔でよかった。」
「そうね。意思疎通できないのは困るわ。」
「それではマスター……あなたのお名前を教えてくれませんか?」
「シルヴィア・クロネンスよ。」
「我が主……では、最初の願いを叶えようぞ。」
二人は血の海を歩いていく。大地は黒く腐り、空が暗雲で覆われている中を歩いていく。
その後、二人は十年間かけて悪魔達に対抗するためのノウハウを造り上げていく。
これがアスモデウスとシルヴィア・クロネンスの出会い。悪魔と人が共に歩んでいく第一歩であった。