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宰相様、侍女は繁殖要員ではありません! ~無表情宰相の重すぎる溺愛求婚に、小ネズミ姫は今日も逃げる~

作者: 佐倉硯
掲載日:2026/03/16

「貴方は明日から宰相閣下の元へ行きなさい」


エミリア・ハリントンは耳を疑った。


言われたことを理解できず、何度か瞼を瞬いたところで、自分の主であるセラフィーナ・ヴァレンティス侯爵令嬢がもう一度ゆっくりと噛み砕くように告げる。


「ですから、エミ。貴方は明日から宰相閣下の元へ行きなさい、と言いました」

「な……なななっなぜですかっ!?」


セラフィーナに頼まれ、彼女の婚約者である第二王子から送られてきた花を、活けている最中の出来事である。

手に持っていた花瓶を落としそうになりながらも、優雅に紅茶を飲むセラフィーナに詰め寄ると、彼女はスンッと澄ました顔のまま紅茶の香りを楽しんだ。


「宰相閣下から直々のご指名よ。貴方、以前、王宮で体調を崩した宰相閣下を助けて差し上げたとか?」


聞いていないわよ、とも言いたげな語尾に、エミリアはグッと言葉を詰まらせ、落とさないように花瓶を元の位置に戻しながら今一度セラフィーナに向いた。


「それはっ、そのっ! 確かにありましたけどっ! 私、ご迷惑になると思って名前もお伝えしなかったんですよ?!」

「うちの侍女だっていうのは制服を見てわかったそうよ」


音を立てずソーサーにカップを戻したセラフィーナは、にっこりと微笑んだ。


「私、言いましたわよ? あれほど……あ・れ・ほ・どっ! 王宮に行く際は気をつけなさいと」

「ででででっでもっ! 体調が悪そうな人は放っておけませんよっ!」


半泣きになりながらエプロンを握りしめるエミリアの姿に、セラフィーナは大きく息を吐いて指先で頭を抱えた。


「そうよね、私のエミはそういう子よ。知っていたわ」


だからこそ、と言いたい言葉を飲み込んだセラフィーナはエミリアをまじまじと見つめた。


セラフィーナにとってエミリアは秘蔵っ子だ。


大切にしていたからこそ、他の人に横から掻っ攫われるのは気に喰わない。

けれどエミリアが王宮に――宰相の傍にいた方がいい理由はいくつかあるが本人は知らない。

宰相が侍女一人を指名するなど、普通はあり得ないのだが。


魑魅魍魎の渦巻く王宮にエミリアを、単身で向かわせるのは本当に拒否したいところではあるが、これはエミリアの為にもなると心を鬼にして。


「ともかく、貴方をしばらく貸し出すことになったから。大人しく行ってらっしゃい」


そう言って、シッシッと手を振ると、エミリアの目尻に溜まっていた涙がどばっと溢れた。


「そんなぁっ! セラフィーナ様ぁぁぁっ!!」


こうして、エミリア・ハリントンの王宮出向は決定した。


本人の意思など、まったく関係なく。



 ◇◆◇



そもそも、エミリアが宰相――ルシウス・グレイヴ侯爵を助けたのは偶然だ。


エミリアが仕えているセラフィーナは、この国の第二王子の婚約者だ。

領地を持たない男爵家の長女であったエミリアが、侯爵令嬢セラフィーナと出会ったのは学生の頃だった。

本来であれば交わることのない立場ではあったが、ひょんなことからセラフィーナがエミリアを気に入り、仲のいい友人として学生時代を過ごした。


その後、エミリアとの交友を断ち切りたくないセラフィーナがエミリアを自分の侍女として召し上げて今の関係が続いている。


第二王子と婚約しているセラフィーナは度々、王宮に足を運んで交流している。

エミリアにも優しい第二王子はお似合いで、政略とは思えないほど仲睦まじく相思相愛だ。


二人が交流している時間は、王宮の侍女が二人の傍にいるため、エミリアは待機である。


そんな折、まあお花を摘みに行きたくなる時ももちろんあるわけで。


その帰り道に、具合が悪そうにしている御仁に出会ったのだが。


長い廊下の途中で、壁に手をついて座り込んでいる人物を見つけ、エミリアが最初にやったのは周囲を見渡すことだ。

どう考えても体調が悪そうで、助けを呼ぼうにも人の気配がない。


ストレートで艶のある長髪は真っ黒で、俯いた人の顔は見えない。


「だ、大丈夫ですか?」


恐る恐る手を伸ばして触れようとした瞬間、勢いよく手が払いのけられて、驚いたエミリアが次に見たのは、真っ青な顔色なのに酷く歪んだ美しい顔の男性で。


「も、もしかして……魔力酔いですか?」


オロオロとしながら尋ねると、男性はまた短い息を繰り返し吐きながら俯いていく。


魔力酔いは強い魔力を持つ者が、ときどき起こす症状だ。


酷くなると立っていられなくなると聞いたことがある。


この国の国民は少なからず魔力を持っている。

魔力は能力に反映され、容姿、頭脳、運動、芸術など様々な才能として現れるのだという。


魔力がない者も稀にいるが、迫害されるほどではない。


ないより、あったほうが格段によい――そんな認識だ。


魔力の強さは髪色に現れると言われている。

色が黒いほど、強い。


目の前の人物の髪は、艶のある真っ黒だ。


ちなみにエミリアの髪は灰色。

魔力は極小である。


「……さわ、るな」


低い男性の声がエミリアの鼓膜を震わせた。

小さな声だったが、苦渋を混ぜた声色にエミリアは膝をついて目の前の人物を見つめる。


「で、でもっ! 大丈夫じゃないですよねっ!? は、吐きます!? 吐いた方が楽になりますか!?」


アワアワと尋ねるも、男性はぐぐっとくぐもった声を零し、ゲホゲホと、吐き出せないもどかしさに咳き込むばかりだ。

改めて周囲を見渡すが、人の気配は一向にない。

エミリアは身に着けていたエプロンを素早く外すと、俯く男性の顔の下に置いて。


迷うことなく、男性の顎を掴むと――。


「ちょ、ちょっと失礼しますね!」


二本の指を男性の口の奥へ突っ込んだ。


驚いたのは男性だ。


エミリアの行動にギョッとしたものの、刺激された口の奥から一気に吐瀉物をまき散らす。


先に敷いてあったエミリアのエプロンが汚れ、それでも止められない嘔吐に男性は生理的に涙を浮かべる。


エミリアはひたすら男性の背中を下から上へとさすりながら、必死に話しかけた。


「上手です! 大丈夫! 全部、吐いちゃってくださいっ!」


男性が落ち着いてきたところで、エミリアはポケットに入れていたハンカチを差し出した。

少し顔を上げた男性が、そのハンカチを素直に受け取って口元を拭き始めたのを見て、エミリアはようやくホッとする。


男性もようやく体勢を変えて壁に背中を預けながら座り込む。

口元にハンカチを当てながら、呼吸を落ち着かせつつエミリアを見た。


当の本人は、男性からの視線に気づかず、汚物だらけになったエプロンを零さないように包み込むよう持ち上げて、男性に振り返った。


「上手に吐けてよかったですっ! 今、誰か人を呼んできますね!」


自分のスカートに、汚物の入ったエプロンを包みながら走り去っていくエミリアの後ろ姿に、男性は意味ありげな視線を向け続けた。


「……なんだ……あの女(アレ)は……?」


ちなみにこの時のエミリアはまだ知らない。

自分が宰相ルシウス・グレイヴ侯爵の口に指を突っ込むという、とんでもないことをやらかしていたことを。



 ◇◆◇



敬愛するセラフィーナの命令に渋々従う形となったエミリアは、翌朝、王宮についた瞬間から帰りたくなっていた。


いつもはセラフィーナのオマケでついてきていた王宮が、今日は主賓待遇で出迎えられたのだ。

入口で名前を告げた途端、案内役として現れたのは、宰相の側近だ。

貴族位も仕事としても目上の人物が、「エミリア・ハリントン嬢でいらっしゃいますね」とにこやかに微笑み、エスコートをするように手を差し出した。


慌てて固辞するも、その人物は気分を害することなく、エミリアを案内してくれた。


先頭を宰相の側近が歩くのはわかる。


エミリアの後ろに白銀の鎧を纏った近衛騎士が二人、静かに後をついてくる。


すれ違う侍女が、宰相の側近に軽く会釈する。

だがその視線が、やけに自分に突き刺さる気がしてたまらない。


これは、連行ではない……と思いたい。


緊張と不安で道中の記憶を飛ばしながら、いつの間にかやってきたのは宰相の執務室だ。


側近のノックの音に我に返ると、部屋の中から「入れ」と短い返事が聞こえてくる。


「失礼します。エミリア・ハリントン嬢をお連れしました」


そう言って重苦しいドアを開けた側近に促され、足を進めたエミリアの視界に入ったのは、書類に視線を落としたままの黒髪の男性。


紙にインクが走る音だけがやけに響いて聞こえて、背後でドアが閉じられたことにも気づけなかった。


側近の人は案内を終えると、宰相の斜め前にある自席に戻り、何事もなかったかのように仕事を始めた。

後ろについてきていた近衛騎士の二人は、どうやらドアの外に立っているらしい。


重苦しい――というより、気まずい空気が漂う高貴な場所で、エミリアが居心地悪く指先を揉んでいると、目の前の男性はようやく顔を上げて、ペンを置いた。


「ご足労かけてすまない。宰相をしているルシウス・グレイヴだ」


そう言いながら立ち上がると、ゆっくりとエミリアに近づいてきたのだが。


「……? なぜ目を閉じている?」


率直に疑問を投げかけると、エミリアは恐る恐る目を細めて開け、震える声で言った。


「……す、すみませんっ――ご尊顔があまりに眩しくてっ!」


真正面から回答したところ、横にいた側近がブホッと噴き出して笑いを堪える音が聞こえてくる。


介抱している時はまったく気にしていなかったが、ルシウスは稀に見る美貌の持ち主だ。

艶のある長い黒髪を高い位置で一つに結び、切れ長の瞳は鮮やかな紫色。

あの時の男性と同一人物だったか、エミリアにはいまいち思い出せない。

介抱に必死過ぎたので。


一応、一般常識として宰相の名前と容姿の噂は聞いていたが、実際にまっすぐ見るのは初めてだ。


目が潰れそうになるくらいの美形を、こんな間近で拝めただけで今日は帰りたい。


瞬きを繰り返して美形に目を慣らしたところで、エミリアは気を取り直して自分も自己紹介をした。


「あの、セラフィーナ様よりお話を伺って参りました、エミリア・ハリントンと申します」


スカートの端を摘んで軽く膝を折り、エミリアは礼を取ると、ルシウスは小さく頷いて。


「……」

「……」

「……」


「……あの? ……ご用件は?」


じっと見つめてくるだけで一向に話し出さないルシウスに痺れを切らせて、エミリアが尋ねると、ルシウスはハッと我に返り、近くにあった応接用のソファに座るよう促した。

エミリアが素直に座ると、対面のソファに座ったルシウスは姿勢正しくまっすぐにエミリアを見つめて話し始めた。


「先日、体調を崩した件なのだが」

「は、はい」

「私は人より魔力量が多い。よって、他人の魔力の影響を受けやすい」


確かに宰相の魔力は国でも一、二を争うと聞いたことがある。


魔力は情が強く動くと漏れることがあり、魔力制御は訓練はされる。

それでも魔力量が多い人ほど他人の魔力を感知しやすく、魔力酔いしやすい。


「君は魔力量が少ないと聞く。あの介抱も助かった」

「は、はぁ……」

「魔力量が多いと、子供ができにくいという話は知っているか?」


唐突に話の舵を違う方向に切られた気がしたが、エミリアは黙って頷く。


エミリアの実家――ハリントン家は子沢山で有名だ。


貴族は高位になればなるほど魔力量が多い傾向がある。

そんな中で、魔力量が少ない貴族としてハリントン家は位の一番に名前が挙がるだろう。

子沢山で親戚も多いため、他の貴族からは揶揄を込めて「ネズミ一族」とも呼ばれている。

高位貴族からは、別の意味を込められているのだが――それはまた追々としよう。


そんなわけで、高位貴族と下位貴族との婚姻が結ばれることも珍しくはない。


「そういうことで、花嫁修業と思ってくれていい」

「…………はい?」

「子作りを前提に結婚してくれ」


「…………すみません、ちょっと聞き間違いかもしれないので、もう一度」


「まず初めに、抱きしめていいだろうか?」

「むりですうぅうぅっ!!!」


ソファの背もたれにしがみつき、エミリアはギャン泣きを始めた。

ルシウスはソファに座ったまま無表情で両手を広げてみせる。


「行くか? 来るか?」

「恐怖の二択ぅっ!」


美形だからといって全てが許されると思わないでほしい。


大パニックになっているエミリアに、ルシウスは距離を縮めようと腰を浮かせた、その時だった。


「ちょいっ、落ち着いてくださいっ!」


そう言ってルシウスの両肩に手を置き、強引にソファへ押し戻したのは、案内をしてくれた側近だった。


「邪魔をするな、セドリック」

「流石にします! 女性との距離の詰め方下手かっ!」


ルシウスが無表情ながらも不満そうにセドリックを見上げると、やれやれといった様子でエミリアを見て。


「あー……ハリントン嬢、申し訳ない。ルシウスは仕事が出来る奴だから、うっかりしていた。まさかこんな女性へのアプローチ下手だとは思いもせず、怖がらせてしまって大変申し訳ない」


べそべそと泣き続けるエミリアに謝るセドリックに、ルシウスはまた不服そうに「なぜお前が謝る」とブツブツ言っている。


「ルシウス、そもそも順序がおかしい」

「子作りするのであれば、最短距離が望ましいだろう」

「その合理主義を、か弱い女性に強制すんな!」

「婚約、結婚、子作り」

「項目増やせって意味じゃねぇよ!」

「子作り?」

「減らせって意味でもねぇ! 助走もなしに崖から飛び降りるなっ!」

「どうしろと言うんだ」


無表情のまま淡々とズレたことを言い続けるルシウスに、セドリックは頭を抱えた。


「逆にお前がこんなポンコツだと思わなかったよ! 仕事できるのに、なんでこんな仕事以外でフォローしなきゃいけないんだよ!」


ギャーギャーと喚くばかりとなったセドリックとの会話を聞いていたエミリアは、おずおずと小さく挙手をして割り込む。


「……あの」

「どうした?」


置いてけぼりだったエミリアが会話に参戦してくれたのが嬉しかったのか、ルシウスは少し身を乗り出すように彼女の方を向く。

無表情ながらも真剣なまなざしに、エミリアは小さく息を飲んで、恐る恐る尋ねた。


「……その、誰と、誰が、結婚?」

「君と、私だ」

「……なぜ?」


唐突に振られた話題に恐怖しかなかったが、改めて確認するとやはり恐怖だ。

が、理解できないままでもよくないと察したエミリアが勇気を持って質問すると、ルシウスは改めて向き直って話し始める。


ちなみにセドリックは、ルシウスの隣に座って暴走しないよう見張り役を買って出てくれた。


曰く、ルシウスは今年で二十八歳になるが、未婚で婚約者もいない。


史上最年少での宰相という立場から、仕事に忙しくとにかく時間がない。

更に、魔力量が多いせいで女性が近寄りがたく、相手の魔力が干渉してきてルシウスに魔力酔いが生じる。

女性は感情の揺れが激しく、魔力を制御しきれない者も多い。

結果、魔力酔いのトラウマからルシウスは軽い女性嫌いになっている。


立場的にそろそろ結婚をと急かされ、縁談も山のように来ているがなかなかうまくいかないのが現状だ。


「ハリントン家と言えば、貴族の中でも魔力量が少ない。実際、以前介抱してもらった時、君が傍にいても不快になるどころか、とても居心地がよかった」

「は、はぁ……」

「領地を持たないとは言え、私も侯爵として家を継続していかなければいけない」

「だから、結婚、ですか?」

「そうだ」


ようやく納得のいく説明を聞けたところで、エミリアは思案した。


順序は違ったが、これは打診だとようやく理解した。


上位貴族からの申し出を断ることは難しいが、できないわけではない。


膝の上でギュっと手を握り締めて、エミリアは告げた。


「……そのっ、すみません。政略として理解はできるのですが……ごめんなさい、お断りさせて下さい」

「……理由を聞いても?」


下位の存在から断られたにも関わらず、激高もせず淡々と理由を聞いてくれるルシウスの対応をちょっとだけ見直しながら、エミリアは続けた。


「私の兄妹の中にも、“ハリントン家だから”という理由で婚約した者はいます」


どんな理由であっても、請われて嫁ぐというのは幸せな事だ。

けれども、とエミリアは少し俯く。


「でも……それは、相手の家にとって都合がいいからです」


ルシウスが黙って聞いている。


「子供を作るため、とか」

「……」

「魔力量を調整するため、とか」


エミリアはそう言って顔をあげ、まっすぐと自分を射抜く紫色の視線を見つめ返した。


「私は、そういう理由で結婚したくないんです」


少し震えながらも自分の意思をはっきり伝えると、ルシウスは静かに息を吐いて、ソファの背もたれに体を預ける。

思案するよう、少しだけ視線を逸らして考え込んだが、すぐにまたエミリアを見て告げた。


「君の言いたいことは理解できた。だが、私の事情も先ほど話した通りだ」


それは理解できる、とエミリアも頷くと、ルシウスは無表情なまま淡々と尋ねてきた。


「君が結婚相手に求める条件を教えて欲しい」

「じょ、条件……ですか?」


今まで結婚願望がなかったこともあり、条件など考えたこともなかった。

おどおどと視線をさまよわせながら、今考えられる条件をエミリアが並べ出した。


「……結婚後もセラフィーナ様にお仕えすることを、許してくださる方がよいです」

「なるほど、他には?」

「えっと……そのっ、両親は政略ではありましたが、相思相愛で今でも仲睦まじく……やはり、想いを寄せ、寄せられ、互いを尊重し合える相手が一番かと」


今まで異性に好意を持ったことがないエミリアだったが、それなりに憧れはある。


親族には平民に嫁いだ者や、自ら貴族籍から外れた者もいるため、爵位も気にしない。

忠誠心から、セラフィーナの足枷にならない相手であればとは考えている。


誠実に答えたエミリアに対し、ルシウスは静かに頷いた。


「私は、その希望に添えるよう努力していく」


ルシウスの静かで低い声が、なんとも耳心地がよい。


「エミリア嬢」

「……は、はいっ」


家族以外の男性から名前を呼ばれた事に驚き、頬を高揚させながら返答すると。


「出来るなら、婚姻相手の候補者として、私が名を連ねる事を許してもらいたい」

「……あの、でも……私自身、宰相閣下のご希望に添えるかわかりません」

「それでも最初から排他的にならず、少しだけ歩み寄ってもらえないだろうか?」


真剣な眼差しをまっすぐに向けられて。


確かに、先ほどの態度に驚きはしたが、結婚相手と考えると超優良物件だ。

なにより、エミリアをこの場に寄越したセラフィーナが、ルシウスの意図を理解した上でエミリアに命じたというのであれば。


「あの……本当に、強制でなく……意思を尊重していただけるのであれば……」


小さく息を飲み。


「その……検討させていただきます」


おずおずと答えたエミリアの返答に。


ルシウスは初めて無表情を崩し、破顔した。


「では、子供は何人欲しい?」

「ルシウス!!!」


セドリックの叫び声が執務室に響いた。


――早まったかもしれない。



 ◇◆◇



宰相執務室を飛び出したエミリアは、その足でセラフィーナの元へ向かった。


飛び出した、というのは比喩だ。

正確には、逃げるように、である。


宰相閣下からの求婚という、とんでもない爆弾を抱えて戻ってきたエミリアの報告を聞き、セラフィーナが頭を抱えたのは言うまでもない。


「……行動が読めな過ぎるわ。初日から求婚されて、しかもそれを保留にしてきたですって?」


前半はルシウスへの、後半はエミリアへ向けられた苦言のようにも聞こえる。


エミリアは半泣きになってセラフィーナに縋りつく。


「セラフィーナ様、知ってて送り出したんじゃなかったんですかっ?!」

「何となく察してはいたけれど、宰相閣下がそこまでポンコツと思わないじゃない。仕事はお出来になる方だから、うっかりしていたわ」


セドリックも似たようなことを言っていたな、と反芻しながらもエミリアは半ば泣きそうな顔でセラフィーナを見上げた。


「わ、私、一体どうしたらいいんでしょうか?」


セラフィーナは軽く頬に人差し指をあてながら、しばらく考え込んだ。

自分の大切な侍女であり、親友でもあるエミリアの由々しき事態である。

しかしセラフィーナは侯爵令嬢であり、第二王子の婚約者でもあるため、決して感情だけで動く人間ではない。


それに――と、セラフィーナは、ふっと小さく息を吐いた。


「……一度、家に帰りなさい」

「え?」

「宰相からの求婚となれば、もうあなた一人の問題じゃないわ。家の判断も必要になる」


そう言ったセラフィーナの意図を理解したエミリアは、侍女の顔つきになり、小さく頷いて。


「宰相閣下へは私から、連絡をしておくわ。エミのことをしばらく貸し出すと約束してしまった手前、すぐに返して欲しいとは言いにくいけれど」


と、言葉を一度区切って少しだけ思案して。


「家に報告する時間くらいは、くれるはずよ」

「保留、でいいんでしょうか?」


自信なさげに告げるエミリアに、セラフィーナはふっと笑って。


「むしろ上出来よ。格が上の方からの求婚を、一度断っただけでもすごいことよ。それを押し切られることなく保留にしたのだから」

「ひ、必死で……」

「充分よ。ハリントン家の親族に対する扱いは、男爵だからといって侮っていいものではないわ」


とはいえ、とセラフィーナは改めて気を引き締めたように姿勢を正すと、エミリアも釣られたように姿勢が整った。


「慎重に対応しなさい」

「はい」


セラフィーナの許可を得たエミリアは、帰省の準備を整えることになった。



 ◇◆◇



「宰相閣下から求婚されたって?」


翌日、セラフィーナの命令通り、出迎えてくれた兄――カシアンの開口一番に、エミリアはヒッと肩を竦ませた。


「なななな、なんでっ!?」


涙目になっているエミリアに対し、カシアンの後ろから現れた父親は、恰幅のいい腹を撫でながらはっはっはっと笑う。


「我が家はハリントン家だぞ?」

「そ、そうでした……」


ガックリと肩を落とすエミリアに対し、次に声をかけてきたのは、おっとりとした様子の母親だ。


「保留しているんですって? 我が娘ながらやるわねぇ」


のんびりとした口調でそう言いながらも、嬉しそうに微笑む母親の姿に、エミリアはますます目元に貯めていた涙を大きくする。


「そこまで知ってるなんてぇ……」


諦めの境地ではあるが、噂の回りの速さに恐怖しながら、エミリアは早くも帰省したことを後悔し始めていた。


ううぅっと打ちひしがれるエミリアの周囲に、まだ幼い弟と妹達がまとわりついて踊り出す。


久々の長女の帰宅とあって、家族総出で大喜びだ。


「ねぇたま、けっこんしるの?」

「し、しないよ!?」

「ねぇたま、たまのこしぃ?」

「まって、どこでそんな言葉を覚えたの!?」

「にぃたまのおねぇたまが」

「義姉様が!?」


ちなみに「にぃたまのおねぇたま」は、カシアンの妻――つまりエミリアの義姉だ。

現在妊娠中で、さらに言うと母も妊娠中であり、父にとっては孫と実子が同じ時期に生まれるというカオスな状況だ。


エミリアは、そっと遠い目をした。


玄関先はすっかり騒ぎになり、収拾がつかなくなってきた。


両親の指示で、使用人達がカシアンとエミリアを除いた兄妹達を別の場所へと誘導し始めた。

あとでエミリアと遊ぶ約束をしっかり取り付けた兄妹達は、騒がしいながらも去っていく。


それを見送り、両親に促されてサロンへ足を踏み入れる。

ようやく落ち着いたエミリアは、改めて両親へと向き合った。


「それで、情報は本当だな?」


改めて尋ねてくる父親の言葉に、エミリアは諦め半分で頷く。


「宰相閣下、ご本人から直接お話を頂きました」


その言葉を聞き、父親はふむっと顎髭を指で撫でた。

思考し始めた父親の隣で、母親がワクワクと目を輝かせて尋ねてきた。


「それで? どんな求婚だったの?」


こうなった母親は、多少言葉を濁しても止まらない。

実際、エミリア自身も持て余していた感情を吐き出すように、執務室で起こった洗いざらいを話す。


母親は「まぁ!」「あらっ!」と時々、感嘆の声を上げて聞き入っている。


「はぁっ……素敵ねぇ。娘の恋バナが聞ける日が来るなんてっ」

「……これ恋バナか?」


カシアンが怪訝そうに突っ込むが、ときめきが止まらない母は、聞いちゃいない。


「お母様は賛成よ。侯爵家だし、宰相様だし、魔力も申し分ないなんて、この上ない縁談だわ」

「まぁ、エミリアにしちゃあ、大物釣りあげたって感じだよなぁ。……しかし宰相かぁ」


浮かれた母の賛成意見に続いて、カシアンは現実的な状況を口にした。

少し慎重な雰囲気を醸し出す兄に対し、今まで静かに話を聞いていた父親がようやく口を開いた。


「宰相閣下がハリントン家を、知らぬはずがなかろうな」


今まで誰も口にしてこなかった現実的な部分を、男爵本人である父親が口にすることで、急にこの縁談がただの恋物語でないことを突きつける。


「まぁ、それもありきだろうね」


と、カシアンが肩を竦めるのを見て、エミリアも静かに頷いた。


ハリントン家は、少々事情の複雑な家系だ。


貴族としては魔力量が少ない分、多産傾向にあり、親戚が非常に多いからだ。

情報が集まりやすいのは、そういった理由がある。


実際、直系の父親の子はカシアン達を含めて八人――現在、母親は九人目を妊娠中だ。


ハリントン家がここまで大きくなったのは、親戚の多さを武器とした人材派遣事業が好調だからだ。


一人一人の能力はそれほど高くはない。

だが数が揃えば、それは力になる。

爵位が低いこともあり、平民にも親戚が存在する。

良くも悪くも情報が集まりやすい。


古くからあるハリントン家ではあるが、男爵ということもあって他の貴族からは評価の分かれる家である。


下位貴族からは「ネズミ一族」と呼ばれ、魔力量が少ないことや多産傾向を揶揄されるが、高位貴族からはその情報網を評価されていて侮るものは少ない。


「宰相閣下は中立派だったな」

「ああ、今、王妃派も側妃派も、ちょっとアレだもんな」


父親が確認するように呟いた言葉に、カシアンも付け加えるように頷く。

流石の母親も、この国の現状を思い出したらしく、複雑そうにため息を漏らした。


現在、この国が抱えている問題は、王太子の指名が未だ行われていないことにある。


正妃が産んだ第二王子と、側妃が産んだ第一王子の間で、貴族達の思惑が揺れ動いている。

正妃の実家が公爵家であり、側妃の実家が伯爵家であることが、王太子指名を慎重にせざるを得ない大きな理由の一つだ。


だが、それ以上に状況を複雑にしているのが、それぞれの配偶者(予定)だ。


第一王子の配偶者は他国の王女であり、現在妊娠中だという。

第二王子の婚約者は、エミリアが仕えるセラフィーナで、結婚も間近だ。


実際、第一王子の子が生まれる時期と、セラフィーナの結婚式の時期は非常に近い。

それが状況を、より一層複雑にしていた。


「なるほどな。宰相が中立でいられるかどうか、皆気になるわけだ」


カシアンのため息交じりの言葉に、エミリアも同様に重い息を吐いた。


ハリントン家は中立だ。

しかしエミリアがセラフィーナに仕えていることもあり、周囲からは王妃派寄りと見られている。

ルシウスがエミリアに求婚したとなれば、中立派筆頭の宰相が一気に王妃派に傾くのではないか。

貴族達が気が気でないのも無理はなかった。


「まぁ、そういうわけで」


カシアンが肩を竦める。


「エミリアは今、一番話題の人となるわけだ」

「うぅっ……一生、セラフィーナ様の傍でひっそり過ごしたい」

「セラフィーナ様にお仕えする時点で、ひっそりは無理だろ。諦めろ」

「大丈夫よ」


母親がにこにこと微笑んで。


「恋って大体、面倒なものだから」


この場で一人だけ別の方向に思考を飛んだ母親の言葉に、カシアンと顔を見合わせたエミリアは深くため息を吐いた。



 ◇◆◇



ルシウスから求婚されて約一か月。

その噂は、王宮だけではなく各貴族家にもすでに噂が広まりきっていた。


家族会議を終えた翌日、エミリアはセラフィーナに結果――“現状維持”を報告した。


それを聞いたセラフィーナは、ただ一言頷いて。


「では、明日からまた、宰相閣下のもとへ行きなさい」


と、あっさりエミリアを追い払う。


こんな状況でルシウスの所に行きたくないエミリアは必死に抵抗したが、セラフィーナは約束だからとエミリアの意見を却下する。


あれは絶対、第二王子の結婚式の打ち合わせの時だ。

セラフィーナの意思を通す代わりに、エミリアが差し出されたに違いない。


ティアラの宝石が大きくなっていたら、その分、給料も上乗せしてもらおう。

腹をくくったエミリアは心に誓った。


それからルシウスの元に通うこととなった。

とはいえ、やることと言えばお茶出しや簡単な書類の整理くらいで、それ以外は執務室の端に用意された椅子に座っているだけだ。

持て余した時間は許可を得て、読書や刺繍をしていた。

だが、ルシウスの方が気になるらしく、執務の手を止めてエミリアにちょっかいをかけてくる。


「何を読んでる?」

「“楽して稼ぐ十の方法”です」

「……給料は悪くないはずだが?」

「楽に越したことはありません」

「侯爵夫人はどうだ? 楽して稼げる」

「それ、アピールポイントにしていいんです?」

「昨日までやっていた刺繍もなかなかの腕前だったじゃないか。あの鳩をモチーフにしたハンカチは完成したのか?」

「……ウサギです」

「……飛ぶところは似ているな」


ウサギは、跳ぶである。


「ところで、そろそろ次の段階へ進みたいのだが」

「ゴメンナサイ。私の記憶では一段もあがってないです」

「では今日、段階を上げよう。婚前契約書の内容なんだが――」

「段階飛ばし過ぎて転げ落ちました」


ルシウスがぺらりと差し出した用紙を、エミリアは一瞥もせず突き返した。


本当に用意しているところが恐ろしい。


最初こそ戸惑いが多かったが、毎日のように繰り返される不器用なアピールに、流石のエミリアも慣れてきた。


ここに派遣されてからわかったが、真面目に仕事をしているルシウスは非常に優秀だ。


部下からの信頼も厚く、頭の回転が非常に速くて受け答えが明確だ。


エミリアが理解できない専門用語が飛び交っても、ルシウスが戸惑うことはない。

王宮内の政策から地方貴族からの嘆願書まで、細部まで記憶している。

過去の事例も、簡単に知識から引っ張り出してくるので、議論も決裁も滞ることがない。


美形で仕事ができて、さらに爵位は侯爵。

どこを取っても欠点がないはずなのだが、エミリアが関わると途端にポンコツになるから不思議だ。


そんな執務室の日常を繰り返すうちに、王妃主催の王宮社交日がやってきた。


これは以前から決められていたことだ。

この日ばかりは、エミリアもセラフィーナの元へ戻り、侍女として付き添うことになっている。


「あれが“小ネズミ姫”?」

「ほんと。顔も小さくて、ちょこちょこしてて……まさに小ネズミね」

「魔力量も少ないって聞いたわよ」

「宰相閣下も人が悪いわ。繁殖目的って丸わかりじゃない」

「小ネズミなら、たくさん産んでくれそうですものね」

「男爵令嬢なんて、所詮そんなものですわね」


クスクス、と令嬢たちが笑う。


王宮社交日は若い貴族令嬢に社交教育を施し、王宮の文化を学ばせるための場だ。


本来ならば、慎みと品位を求められる場である。

それにも関わらず、エミリアの噂を下品に囁いているのは、決まって下位貴族の令嬢たちだった。

少し離れた場所では、上位貴族の令嬢たちが静かにその様子を眺めていた。


エミリア本人にその陰口は届いている。

当然、エミリアの前に座るセラフィーナの耳にも届いているはずだ。


それでもセラフィーナは否定も肯定もせず、ただ優雅に紅茶を口に運ぶ。

エミリアもまた、それに倣い、侍女として静かにその場に控えていた。


――ネズミと言われることを恥と思うのは、家族を恥と思うのと同じよ。


そう言ったのは、セラフィーナだった。


学生の頃、エミリアは誹謗中傷の格好の的だった。

魔力が少なく、多産傾向の家に生まれ、体格も他の者より小さい。灰色の髪も揶揄され、「小ネズミ姫」と呼ばれて幾度となく傷ついた。


男爵令嬢という低い爵位も、標的にされやすかった理由の一つだろう。


陰口に晒され続け、心が折れかけていたエミリアを救ってくれたのが、セラフィーナの言葉だった。


――大切な家族を酷く言われるのは悲しいことだわ。だからこそ貴方は胸を張って前を向きなさい。


そう言って、涙に暮れていたエミリアの手を取り、優しく微笑んでくれた。その温もりを、エミリアは今でも覚えている。


それからセラフィーナは、エミリアを侍女として迎え入れてくれた。


爵位を超えて友情を育んだ二人は、やがて唯一無二の親友となり、そして大切な主従関係を結んだ。


セラフィーナ自身もまた、エミリアの存在に救われたことがあるらしい。

だが、その詳しい話をエミリアは聞いたことがない。


――そのセラフィーナが、今、目の前にいる。


侍女である自分が、下を向くわけにはいかなかった。


王妃はすでに挨拶を終え、この場を退席している。

さらに公爵家に令嬢はいない。


となれば、この場で最も位が高いのは第二王子の婚約者であるセラフィーナだ。


令嬢達の噂話を諫めることも拾うこともないセラフィーナの態度に、周囲の噂話はますます膨れ上がっていく。


そんな時だった。

この場にルシウスが現れたのは。


騒めきの波をかき分け、こちらへ歩みを進めてくるのは――間違いなくルシウスだった。


無表情のまま足早に向かってくるルシウスを見て、さすがのエミリアもギョッとする。


本来、ルシウスが真っ先に挨拶をすべきはセラフィーナだ。

だがルシウスはその横を素通りし、まっすぐエミリアの前に立った。


そして、さも当然のように両手でエミリアの手を取り、ギュっと胸元で握りしめる。


まっすぐに見つめ続けるルシウスの姿に、エミリアは完全にパニックだ。


普段なら、人気のないところで詰め寄られるだけだ。

こんなに大勢に囲まれても同様の動きを見せたルシウスに度肝を抜かすしかない。


「あら、宰相閣下。私はこちらでしてよ?」


セラフィーナが、座ったままルシウスの背中に話しかける。

周囲の令嬢はルシウスの登場に慌てて立ち上がる。

そんな中、セラフィーナだけが気軽に声をかけた。


「王宮社交日とのことで視察に伺いました。ご機嫌麗しゅう、ヴァレンティス嬢」

「よろしくてよ。宰相閣下、せめてご挨拶くらい私の方を見て頂きたいわ」

「申し訳ない、エミリア嬢しか目に入らない」

「そのようね。失礼だわ」


セラフィーナがチクチクと言っても、ルシウスの視線は一度もエミリアから外れない。

当の本人は手を握られたまま硬直していて、完全に使い物にならなくなっていた。


「エミリア嬢、会いたかった」

「おわっ、おっ、おっ、きっ、昨日会ってます!」

「今日は会ってない」

「て、手をお離しになってくださいませっ!」

「はぁ、エミリア嬢の手は小さくて温かい」

「うえぇっ……さ、さすさすしないでくださいぃっ!!」


いつも通りのやり取りをしていると、周囲で成り行きを見守っていた令嬢達がざわざわとし始める。


「……え?」

「宰相閣下……ですわ、よね?」

「お人柄が聞いていたのと……随分と、違うようですわ?」


エミリアを中心に動揺が広がる中、一人の令嬢が声を上げた。


「グレイヴ侯爵、それはいささか……ご立場に相応しくないのでは?」


第三者の介入に、ようやく周囲がハッとする。

声を上げたのは伯爵令嬢だ。

かつてルシウスに何度か婚約を打診していたことでも知られている。


前半はルシウスに向けた言葉のようで、後半は明らかにエミリアを攻撃していた。

ようやくルシウスがエミリアから伯爵令嬢に視線を移した。

その視線に勘違いした令嬢は、嬉しそうに微笑む。

エミリアの手を握りしめたままなのだが、それは令嬢の視界に入っていないらしい。


「グレイヴ侯爵ほどのお方が……侍女をそのように扱われては、周囲が誤解してしまいますわ」


穏やかな口調ながら、エミリアを蔑む言葉を選ぶあたり、いかにも伯爵令嬢らしい物言いだ。

ルシウスは静かにその言葉を脳内で反芻させて、静かに問いただした。


「誤解とは?」


まっすぐな言葉が返ってくるとは思っておらず、伯爵令嬢は少しだけ言葉を詰まらせる。

けれどすぐに持ち直したように微笑んで、続けて言った。


「いくら“小ネズミ姫”が可愛らしいからといって、社交の場でそこまで可愛がるのは……少々お戯れが過ぎるのでは?」


その言葉に、ルシウスはハッとした。

そしてすぐにエミリアへ向き直り、早口で告げる。


「エミリア嬢は他の令嬢から見ても可愛いのか。やはり早く結婚しなくては、他の令息に取られてしまう」


斜め上の解釈をされた伯爵令嬢は、さきほどまで浮かべていた余裕の笑みを消し飛ばした。


「は?」


間の抜けた声が、思わず漏れる。


社交界ではよくある嫌味の言い回しだった。

だがルシウスの解釈は、その常識からあまりにも逸脱していた。


周囲も理解が追いつかない。


ただ一人――セラフィーナだけは面白そうに、扇で顔を隠しながら噴き出すのを必死に堪えていた。


「エミリア嬢。私達は周囲から相思相愛に見えているようだ。結婚しよう」

「解釈が曲がりすぎです!」

「一周回って結婚ではないだろうか?」

「曲げすぎて一周させないでくださいっ!」


周囲の空気が、すっと引いた。

令嬢たちは互いに顔を見合わせ、戸惑ったようにルシウスを見ている。


――この人、本当に何しに来たのだろう。


誰もが同じ疑問を抱いていた。

どう見ても、社交の場で繰り広げられるやり取りではない。


やがて落ち着きを取り戻したエミリアは、ふとルシウスの異変に気づいた。

いつもの調子で真顔のままやり取りしていたが、顔色が悪い。


――魔力酔いだ。


最初に出会った時のことを思い出し、エミリアはハッとする。


確か、ここへ来た時もすでに顔色が悪かった気がする。

それなのに、こんな大勢の令嬢に囲まれて平気なはずがない。


執務室で何があったのかは分からない。

だが、もしかすると助けを求めてここまで来たのかもしれない。


そう思い至ったエミリアは、握りしめられていた手をギュッと握り返した。

その力に、ルシウスはわずかに息を呑む。


「宰相閣下、お仕事を放り出してこられましたね?」


わざとジト目で言うと、ルシウスはうっと言葉を詰まらせた。


エミリアの演技に気づいたセラフィーナは、パタリと扇を閉じて命じる。


「宰相閣下がここにいては、せっかくの王宮社交が台無しになってしまいますわ。エミ、宰相閣下を執務室にお連れして。きっと側近の方がお探しだわ」


「かしこまりました」


セラフィーナに言われれば、エミリアも周囲も従うしかない。


先ほど勢いづいていた伯爵令嬢も、気まずそうに道を開ける。


半ば引きずられるようにルシウスが退席すると、セラフィーナは気を取り直してその場を収めた。


一方、エミリアに手を引かれたルシウスは、黙ったまま大人しく後についてくる。


その場から一番近い空いていた応接室にルシウスを押し込んだエミリアは、人がいないのを確認して振り返った。


「大丈夫です――わっ!?」


体調を気遣おうとした瞬間、エミリアの小さな体がすっぽりとルシウスに抱きしめられた。


今まで言い寄られたことはあっても、接触は手を握る程度だった。

ルシウスがここまで大胆な行動に出たのは初めてだ。


異性に抱きしめられた経験など当然ないエミリアは一瞬硬直する。

だが、肩にうずまるルシウスの呼吸が酷く乱れていることに気づき、我に返った。


「すま……ない、エミリア嬢……少し、この、ままで……」


苦しそうに告げるルシウスを、突き放すことなどできない。


行き場を失っていたエミリアの手が、恐る恐るルシウスの服を握る。

それから背中を撫で、落ち着かせるように尋ねた。


「どう、されたんですか?」

「……ローデン伯爵夫人が……手続きに不備があるからと……」


苦しそうな言葉をつなぎ合わせると、事情はこうだった。


ローデン伯爵夫人は、数年前に夫を亡くした未亡人だ。

息子はまだ未成年で爵位を継げないため、現在は夫人が家を取り仕切っている。

様々な手続きを進める中で、どうしても通らない申請があり、宰相に直接確認したいと執務室を訪れていた。

だが運悪く、部下も側近も出払っている時間があり、二人きりになる瞬間があったらしい。


その時だった。


突然ローデン伯爵夫人がルシウスに言い寄り、しなだれかかってきた。


その瞬間、魔力酔いが発生した。

ルシウスは必死に彼女を追い返し――そのままエミリアの元へ来たのだという。


後先も考えず、ただ必死に助けを求めた結果の行動だったのなら、あの暴走も頷ける。

公の場であることを差し引けば、だが。


エミリアの手が背中を撫でるたび、ルシウスの荒かった呼吸が少しずつ落ち着いていく。

体の震えも収まり始め、撫でる手もやがてトントンと優しいリズムを刻み始めた。


「よく、がんばりましたね」


弟たちにするように、自然と零れた言葉だった。


その瞬間、ルシウスが息をのむ。


抱きしめる腕に、わずかに力がこもる。

かと思えば、エミリアの背中に回っていた腕がゆっくりと解かれた。

同時に、ルシウスの顔が起き上がる。


至近距離でエミリアを見下ろすルシウスの表情は、恐ろしいほど妖美だった。


「エミリア嬢……」


確認するように呼ばれた名前に、エミリアはルシウスの視線から何故か目が離せない。

ルシウスの指がエミリアの頬を撫でる。


「エミ……」


それはセラフィーナがエミリアを呼ぶ特別な呼び方だ。

先ほど公の場でセラフィーナがそう呼んだことを思い出したのだろう。

家族にすら呼ばれたことのない呼び名を、ルシウスが至極当然のように口にしたことで、心臓が大きく跳ね上がる。


「そ……れは、セラフィーナ様の……特別です……」


視線が絡み合ったまま、けれどこれだけは譲れないとエミリアが小さく抗議すると、ルシウスの腕がエミリアの体を引き寄せる。

ビクッとしたのは一瞬で、反対の手でエミリアの頬を、唇を親指の腹で撫でるルシウスに、全身の熱が顔に集中し始める。


「リア」


とろりと溶け出してしまうほど甘い声だった。

それと同時に浮かんだルシウスの笑みは、ガトーショコラに粉砂糖をまぶしたように甘く蕩けている。


今まで気づいていたようで、気が付いていなかった。


ルシウスはエミリアをハリントン家の人間だから欲しがっているのだとばかり思っていた。


ふざけた態度も、よくわからない求婚も、全部が身分差のあるエミリアを、緊張させないためのものだと思っていたのだが。


「……間違っていたら、すみません」

「ん?」

「……あの、もしかして……」


そう言いながら、エミリアは顔色がよくなってきたルシウスの頬に初めて自分から触れて。


「宰相閣下は……私に、好意があるの、でしょうか?」


自分から言い出したのに、なぜか恥ずかしくなったエミリアは触れた手を引っ込めて。


けれど逆にルシウスは、大きく目を見開いて硬直して。


「…………え?」


急に何を言い出すのかと言いたげだったルシウスだったが、次第に自分の行動を思い返しはじめたようで。


百面相が始まったかと思うと――。


「…………あ、れ?」


抱き締めていた手をホールドアップし。


「…………こう、い……」


自分の気持ちに改めて向き直ったルシウスは。

急激に顔を真っ赤に染めて――


「……っ!!」


あろうことか、その場から逃走したのだ。


その場に一人取り残されたエミリアは、しばらく呆然と立ち尽くす。

今の今までルシウスが無自覚だったことにも驚いたが。


「……え? 逃げ……今!?」


こちらもこちらでパニックになっているのだった。



 ◇◆◇



王宮社交日から十日ほどが過ぎた。


ルシウスは、エミリアとの接触を一切絶っていた。


セラフィーナに事情を説明し、エミリアを元の侍女として戻すことを願い出たのだ。

セラフィーナもそれを了承した。


あの後、どんな顔でエミリアに接すればいいのか分からなかったルシウスの、半ば突発的な願いだったが――結果的には正しい判断だったのかもしれない。


というのも、同時期にルシウスは多忙を極め始めていたからだ。


水面下で貴族たちをざわつかせているのは、王太子指名に関する噂だった。


――第二王子が王太子に指名される可能性が濃厚。


そんな話が、いつの間にか王宮内外に広がり始めていた。


これまで王妃派と側妃派は、かろうじて均衡を保っていた。

だがこの噂が流れたことで、情勢は一気に正妃派へと傾き始めている。


もっとも、国王はまだ何も明言していない。


第一王子の子供が生まれ、その性別が分かってから情勢が動く――それが多くの貴族の共通認識だったはずだ。


にもかかわらず、状況は大きく前倒しになろうとしている。


誰が、どんな目的でこんな噂を流したのか。

それすら分からない。


真偽を確かめようとする貴族たちが互いを疑い始め、王宮内には不穏な空気が広がっていた。

当然、その矛先は宰相であるルシウスにも向く。

真相を問い質そうとする貴族たちが、次々と執務室を訪れている。


その対応だけでも、仕事に支障が出始めていた。


「だめだ、仕事が進まない」


投げやりに苛立ちを言葉に乗せたのは、側近のセドリックだ。


ルシウスの学生時代からの友人で、子爵家の次男だ。

その才能を見出され、今では宰相の右腕として働いている。

普段は宰相としてルシウスを立てているが、時折こうして同級生の気軽さを見せてくれる。

それが、ルシウスにはありがたかった。


魔力量の多さから、人より強く感情制御を強いられ、結果的に無表情になってしまったルシウスを理解してくれる親友でもある。


ルシウスは、無表情であるが無感情ではない。


現に、セドリックの言い分も理解できるし、疲れているのは同様だ。


「せめて誰がどんな理由で、こんな面倒臭いウワサを流してるのかだけでもわかればなぁ」


ボヤキきながら溜まっている書類をさばき続けるセドリックに、ふとルシウスは解決策に思い当たる。


――だが、その方法にはエミリアの協力が必要だった。


そこまで考えて、ルシウスは自分の感情を思い出し、静かに机へ突っ伏した。


「え? 何? ルシウス、いきなりどうした?」


真面目に仕事をしていたはずのルシウスが、唐突に机に突っ伏したことに動揺したセドリックが尋ねる。

しかしルシウスが顔をあげると、相変わらず無表情ではあるが頬が赤くなっていることに気が付いて。


「……そういえば聞きそびれてたけど。ハリントン嬢と、何かあった?」


気軽に尋ねてきたセドリックに、ルシウスは珍しく言葉を詰まらせた。

少しだけ口の中でモゴモゴと何かを唱えていたが、諦めたように視線を外しながら答える。


「……どうやら、好き、らしい」


恥ずかしそうに告げたルシウスの態度に、セドリックはコンマ数秒思考を停止させ、改めて尋ねる。


「……誰が、誰を?」

「…………俺が、エミリア嬢、を……」


珍しく自分を“俺”と言ったルシウスに、セドリックは天井を仰ぎ見ると大きくため息を吐きだして。


「今更っ!!」


叫ばずにはいられなかった。


セドリックの急激な叫びに、たまたま居合わせた部下達は、ビクッと肩を震わせる。

二人が気兼ねなく会話するのは今に始まった事ではないが、聞き耳くらいはたてているだろう。

誰もが怪訝な顔でルシウスを見ているのを、当の本人がようやく気が付いた。


「もしかして、皆わかっていたのか……?」

「わからいでか!」


セドリックから思わず地方言葉が出る程度には、ルシウスの態度が分かりやすすぎた。


「むしろ自覚なくてアレだったのか!?」

「女性の口説き方としては普通なのかと」

「ずーっと普通じゃねぇって言ってただろうにっ!」


本来、貴族であればまず相手の家――親へ打診するのが筋だ。

それを色々と段階をすっ飛ばしておきながら、当人は無自覚だったのだから質が悪い。


「えっ!? じゃあ何!? 最近、ハリントン嬢が来てないのって、自分の恋愛感情自覚したから!? 避けられてんじゃなくて、避けてる方か!?」

「な、なぜわかる……」

「もー! やだ、なにこのポンコツ! 恋愛初心者どころか、恋愛未履修じゃねーか!」


自分の髪をぐしゃぐしゃとかき回すセドリックに、ルシウスは居心地悪そうに肩を竦める。


「今は、それどころではないし、その話は、まぁ……」


言葉を濁すルシウスに、セドリックは目を座らせて睨んだ。


「よーし、じゃあウワサだ。巷を賑わせるウワサをさっさとどうにかするぞ。そんでもって、お前のそのポンコツ恋愛をどうにかするっ!」

「まて、ウワサの方を二の次みたいにするな」

「俺にとっちゃあ、お前のポンコツをどうにかする方が優先順位高いんだよっ! ハリントン嬢にも申し訳なさ過ぎて、今すぐお前を引きずっていきたいの我慢してんだから終わらせるぞ!」


俄然やる気を出し始めたセドリックに対し、ルシウスは困った様子で書類に視線を落とす。

とにかく、ウワサの真相を確かめるのが先だという意見は一致している。


色々と対策をしているものの、後手に回って思うように事が進まない。


そんな中で、新しい噂が流れ始めた。

そしてその噂は――すでにエミリアの耳にも届いていた。


――第二王子の婚約者であるセラフィーナが、宰相を取り込むために自分の侍女を差し出した。


――その結果、セラフィーナが宰相を操っている。


そんな、悪意に満ちた内容だった。



 ◇◆◇



膨れ上がる噂の熱量は、日に日に大きくなっていく。


その渦中にいるはずのセラフィーナは、しかし一向に動きを見せない。


そんな彼女を心配した同派閥の令嬢たちが、次々とサロンを訪れていた。

それぞれが耳にしてきた噂を抱えたまま、優雅に紅茶を飲むセラフィーナへ口々に訴える。


「セラフィーナ様、聞いていらっしゃいますの?!」

「もしかして噂は本当ですの?!」

「何とかおっしゃってくださいな! 王太子指名のこと、すでにご存じなのでは!?」


真偽を確かめようとするのは、令嬢たちも同じらしい。

エミリアはその背後で静かに控えている。

だが、今回の噂の渦中にいるのは、彼女も同じだった。


子爵令嬢がチラチラとエミリアに視線を向け、蔑むほどではないが、あまり好意的ではない目つきで語りだす。


「私、ずっと思っておりましたのよ。侯爵令嬢であるセラフィーナ様に、なぜ男爵令嬢であるエミリア様が付いていらっしゃるのか」


不服を申し立てる子爵令嬢に、事情を知っている伯爵令嬢が小さく窘める。


「おやめなさい」

「だっておかしいじゃありませんかっ!」


今まで黙っていたのは、セラフィーナがエミリアを気に入っていることを知っていたからだ。

けれど現状で足を引っ張っている存在のエミリアに、子爵令嬢はここぞとばかりに騒ぎ立てる。


本来であれば子爵令嬢の彼女の方がセラフィーナの侍女に相応しい。


爵位だけみれば(・・・・・・・)それは明らかだ。

だが、事情を知らないまま口にするのは、ただ無知をひけらかしているのと同じだ。


憤る子爵令嬢を見つめ、それから後ろに立つエミリアへ視線を向けると。


「ですって、エミ。貴方、どうしたい?」


ふわりと微笑み、エミリアに判断を委ねるあたり――セラフィーナも人が悪い。

エミリアは静かにセラフィーナを見つめ返し、ゆっくりと口を開いた。


「セラフィーナ様の御心のままに」


いつも泣き言をいう親友ではない――明確にセラフィーナを主と仰ぐエミリアの態度に、セラフィーナは満足そうに頷いて、令嬢達に向き直ると。


「私がなぜ、エミを傍に置いているか。理由を知りたいのなら教えましょう」


まるで噂など気にも留めない様子で、セラフィーナは凛としていた。


「エミリア」

「はい」

「この件を任せるわ。三日で片付けなさい」

「御意」


恭しく一礼をしたエミリアは、その場を静かに去っていく。


子爵令嬢はその後ろ姿を唖然と見送っていると、諫めていた伯爵令嬢が小さくため息を漏らしながら子爵令嬢に告げた。


「貴方もそろそろ知るべきよ。ハリントン家がどういう家なのか」


笑みを浮かべたままのセラフィーナと、呆れた様子の伯爵令嬢に挟まれ。

子爵令嬢はただ、踏み込んではいけない場所に足を踏み入れてしまった気がして。


ぞくりと背筋を凍らせた。



 ◇◆◇



三日後、宰相の執務室に静かなノック音が響いた。


ここ最近は少なくなってきているものの、先ぶれなしに訪れる貴族は存在する。

今度は誰だとセドリックが立ち上がると、部下がおずおずと訪問者の名を語った。


「ヴァレンティス侯爵令嬢がお見えです」


思わぬ訪問者に、セドリックとルシウスが顔を見合わせた。

噂の渦中である張本人がここまでくると思っていなかったのだ。


宰相の執務室まで来るとなると、クレームに違いないだろうと腹をくくったセドリックが入室許可を告げると、たおやかな笑みを浮かべたセラフィーナがエミリアを連れて入ってきた。


「お仕事中、失礼致しますわ。火急の知らせがございましたので、自ら足を運ばせていただきました」


簡単な挨拶を済ませながら、応接のソファに案内すると、セラフィーナは素直に座り、エミリアはソファの背後に立つ。


ルシウスがエミリアに会うのは王宮社交日以来であり、姿を見るだけで胸が高鳴る。

けれど今日のエミリアはいつもと様子が異なり、すっと唇を一文字に結んで静かに佇んでいた。


「噂の出所が分かりましたので、お知らせ致します」


いきなり本題を切り出したセラフィーナに対し、向かいに座ったルシウスとセドリックは一瞬、言葉の意味が理解できなかった。


「……は?」


思わず声を上げたのはセドリックであるが、それを無視してセラフィーナは背後に立つエミリアに手を差し出す。

エミリアは手に持っていた書類をセラフィーナに渡すと、そのままセドリックとルシウスの手元に移動する。


「エミ、説明を」

「はい」


そう言って書類に視線を落として説明をし始めたのはエミリアだ。


「噂の最初の発信は、アルデウス伯爵家次男の発言でした」


唐突に出てきた人物の名前に、セドリックは頭の上に疑問符を浮かべる。


確か辺境に領地を持つ中堅の伯爵家だ。

可もなく不可もなく、現伯爵に至っては、平凡で争いを好まない性格だと記憶している。


「ただし――本人はそれを “政治的示唆” のつもりで口にしたようです」

「……なんだ、それ?」


困惑しながらセドリックが告げると、資料に視線を落としたままのルシウスがポツリと告げた。


「つまり……陰謀でも何でもなく、ただの小物の噂か」


呆れ半分に呟かれた言葉に、セドリックはまさか、と言いたがったが、それよりも気になったのはこの情報をどうやって突き止めたかだ。


「その、これはどうやって?」


信ぴょう性を持たせるために尋ねたセドリックに、セラフィーナは初めて意外そうな顔を向ける。

ルシウスに至っても、セドリックが知らなかったことに少しだけ驚いた様子だったが。


「そうか、お前は子爵家だったな」


納得したように告げると、セドリックは少しだけムッとする。

ルシウスと関係を持ってから、今まで爵位を持ち出してきたことはなかったのに、今更何を言うのかと思ったが、セラフィーナはそれを聞いて納得した様子で頷いた。


「エミの――ハリントン家が、どういう家かご存じないのね」


高位貴族にとっては常識でも、子爵家には届かない情報も多い。

その線引きは、大抵伯爵と子爵の間にある。


すっとセラフィーナの視線が向けられた事に、エミリアは頷いてセドリックに向けて説明を始めた。


まず、噂というものは貴族 → 侍従 → 従者 → 商人 → 貴族の順に広がる。


そう考えると、噂は商人・使用人・御者・宿屋など下から追った方が早い。


ハリントン家は親族が多いことを武器にした、人材派遣事業を行っている。

そこをたどればおのずと道筋は見えてくるという寸法だ。


「いや、だからって……こんな早くにわかるものですか?」


動揺を隠せないセドリックに対し、ルシウスは書類を膝に置いて静かに尋ねた。


「この国の貴族は、国民全体の二%であることは知っているか?」


ルシウスの問いに、セドリックはなぜそんな話が始まったのかわからないまま、素直に頷く。


その二%というのも、一緒に暮らしている親族を含めていることも理解している。

戸惑いながら話を聞くセドリックに、ルシウスは無表情で頷きながら続けた。


「ハリントン家は貴族の中でも魔力量が少なく、その分、多産傾向にある。貴族のみならず、たどれば平民にもハリントン家の血筋を持つ者が多い」

「は、はぁ……」


それも何となく聞いたことはある。だからこそ「ネズミ一族」なんて呼ばれ方をしているのも知っているが。


「十八%だ」

「……は?」


何の数字なのか理解できず、セドリックは固まる。

ルシウスは淡々と告げた。


「この国の国民、十八%がハリントン家の血筋だ」

「……十八っ!?」


多産とは聞いていた。


――だが、規模が桁違いだ。


下位貴族が揶揄で「ネズミ一族」と言っているように、高位貴族もハリントン家を「ネズミ一族」と呼んだのは。


この国に最も情報網を張り巡らせている、一族がゆえに与えられた“称号”だったのだ。


 ◇◆◇



真相が分かれば、後処理は早かった。


宰相であるルシウスから伯爵家当主に話が行き、次男は叱責と謹慎処分を言い渡された。


伯爵を継がない次男は、自分が軽率に口にした噂がここまで悪意を重ねて膨れ上がるとは思っていなかったらしく、本人も大きく反省しているとのことだ。


流れた噂も、セラフィーナが公の場でたった一言。


「宰相を操れるなら、私はもう王妃ですわね」


と笑い飛ばしたことで、噂はあっさりと収まった。


噂が収まった頃、ルシウスはもう一つ後回しにしていた問題に直面していた。


――エミリアに、どう会えばいいのか。


今まで平気で愛の言葉を並べ立てていたのに、自覚した途端、言葉がうまく出てこない。

ある程度、仕事も日常に戻りつつある中、セドリックがやたらと口うるさくなっているのも、悩みの一つだった。


ハリントン家の事情を知ってからなおのこと、ルシウスに必要不可欠な人材だと思ったのか、恋愛面からも政治面からもゴリ押してくる。


理解はしている。

だが、実行に移せない。


政略的な結婚話ならば、ルシウスにも過去にはあった。

言い寄られたことも多々あったし、女性は無表情でも寄っていたのだ。


ところがエミリアに対してはどれも通じない。


そもそも追いかけている側がルシウスであり、そのルシウスが引いたならこの関係はあっさりと終わってしまう。

突発的とは言え、セラフィーナにエミリアを返してしまったのも悔やまれる。


もう一度、と言っても、セラフィーナはそう簡単にエミリアを寄越すことはないだろう。


――チャンスが巡ってきたのは、それから二日後のことだ。


第二王子との定期交流にやってきたセラフィーナ。

その侍女として、王宮に足を運んだエミリアの所に突撃したルシウスは。


ぐるぐると考えを巡らせた末に、ルシウスが導き出した結論は。


「子供の名前を考えてきたんだが、どうだろう?」


まだ存在しない子供の名前リストを渡すという、とんでもない暴挙であった。


「は……へ? ……え?」


エミリアの手にリストを押し込み、その両手を握りしめて真正面から向き合うルシウスは真剣そのものだ。


動揺するエミリアを見て、ルシウスは確信した。


やはり可愛い。


小さい。


可愛い。


食べたい。


可愛い。


撫で回したい。


可愛い。


抱き締めたい。


可愛い。


キスしたい。


可愛い。


連れて帰りたい。


可愛い。


その先だって――。


「いやあぁぁぁっ!!!」


バッと勢いよく手を離され、後ずさりしたエミリアは大号泣する。


「む、むむむむむりですぅっ!!!」


少しまともに会っていないだけで、初対面のようにふりだしに戻っていた。


「あの凛としたリアも可愛かったが、泣き顔も可愛い」

「ひえぇっ?! 悪化してるぅっ?!」


真顔でにじり寄るルシウスに、エミリアは壁に背中をつけてイヤイヤと首を横に振る。


「リアが自覚させてくれたおかげだ」

「ああああっ! 私のバカバカバカッ!! なんで施錠されてた鍵開けちゃうの!?」


馴れ馴れしくリアと呼ばれていることにツッコミできる余裕はない。


まさに袋小路のネズミのようなエミリアに、ルシウスは遠慮なく近づいていく。


「よく考えて、リア」

「……な、なに、を? です?」


涙目になりながらも、エミリアは一応話を聞く姿勢を見せる。

ルシウスはそこで、得意の理詰めを開始した。


「ヴァレンティス嬢はもうすぐ、第二王子とご結婚を控えている。リアはヴァレンティス嬢がご結婚されても、侍女を続けたいのだろう? となると次はお世継ぎだ」


そこで、ルシウスが言いたいことを理解し始めたエミリアはハッとする。


「同時期に子を産めば、リアはヴァレンティス嬢の御子の乳母になれる」

「……っ!」

「さらに、リアの子がヴァレンティス嬢の御子にお仕えすることができる。二代に渡って」

「に、二代っ!?」


目をキラキラとさせ始めたエミリアに、ルシウスは至近距離まで近づいて。


「そうしてリアはヴァレンティス嬢にこの先ずっと言われる。“貴方がいてくれてよかった”――と」

「はうぅっ!!」


いつの間にか涙が引っ込み、ルシウスの誘引に胸元で両手を握りしめながらときめくエミリアに、思わず可愛い(ちょろい)と思ってしまうあたり、ルシウスも重篤だ。


そうして、胸元で握りしめられているエミリアの両手を包み込むように握ったルシウスは。


自然と優しい笑みを浮かべて。


「だから、リア。()と結婚して子供を産んでくれ」

「はいっ! ……あれ?」


元気よく返事をしたものの、すぐに我に返ったエミリアは。


「……あ。……あの、やっぱ、そのっ」

「言質は取った」


ニヤリと笑ったルシウスの表情に顔面を蒼白とさせて。


パクパクと何かを言いかけたその唇を、ルシウスの唇が静かに塞いだ。



2026/3/16 執筆了

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