10 王子の後悔
あの日のことを、いまも忘れられない。
王宮に告げられたのは『聖女を召喚し、その聖女を妃とする』という決定だった。
わたしの心は絶望に沈んだ。幼いころからずっと共に過ごしたバーバラと末永く暮らすのだと信じて疑わなかったのに。その未来が、突然断ち切られたのだ。
やがて召喚の儀は行われた。異国の衣をまとった少女が現れ、怯え、泣き、帰りたいと叫んでいた。
ユラリ‥‥‥それが彼女の名だった。わたしも最初は彼女を聖女と認めることができなかった。ただの迷子の少女にしか見えなかったのだ。
しかし、日を追うごとに彼女は変わっていった。民の嘆きを聞き、国の荒廃を知り、やがて「浄化の旅」に出ると決めたのだ。泣き腫らした瞳で、それでも真っ直ぐに前を見据えたその姿を、わたしはいまも思い出す。
もちろん、わたしも付き添った。だが、旅は想像以上に苛酷だった。瘴気に侵された土地、病に倒れる人々、道中での粗末な食事や寝床。地方の領主の館に泊めてもらうこともあったが、寝台は固く寝具は薄かった。ろくに湯浴みもできない日々が続いた。
それでもユラリは一度も不満を口にしなかった。血を流し、声を枯らしながら祈り、聖樹を浄化する。彼女の指は裂け、手は震え、吐血して倒れることさえあった。それでも「まだできます」と立ち上がった。
わたしは‥‥‥耐えられなかった。
ある日、王宮に呼ばれたと嘘をつき、彼女を護衛と侍女に任せて隊列を離れた。逃げたのだ。
先ぶれを出して訪ねた先は、もちろんバーバラの屋敷だった。
質素な衣をまとい、しとやかに微笑んで迎えてくれた彼女を見たとき、胸の奥が熱くなった。
「殿下が苦労なさっているのですもの。わたくしだって」
そう囁く彼女に、わたしは愛を誓った。必ず娶ると。
そして翌日、出発のまえに、今一度会いたいと公爵家を訪れた。
華やかな色彩と笑いがそこにあった。バーバラが友人と庭でお茶を楽しんでいたのだ。
王子のわたしが苦労していると言うのに‥‥‥楽しく過ごしているのか‥‥‥そんな思いが胸をふさいだ。
わたしに苦労させておきながら自分たちはのんきに笑っている。怒りがこみ上げて来る。抑えても抑えても噴き上がってきた。
そして再びの旅路。ユラリは黙って歩みを続けていた。なんの関係もない世界の為に自分を削っている。
彼女に感じていた尊敬は愛情に変わった。一人でやって来たユラリ。わたしが守り慈しみ、家族になる。そう思った。
だが、王宮での生活はすぐに色を失っていった。彼女は異邦の娘であり、後ろ盾を持たない。貴族たちは冷たく、わたし自身も圧力に抗いきれず、バーバラを第二妃に迎えてしまったのだ。
ユラリは優しかった。
「バーバラ様が子を得れば、また二人に成れますよね」そう言った。
わたしもそう思った。だから、バーバラのもとへ通った。
「世継ぎを得れば、またユラリと二人になれる」そんな愚かな慰めを胸に。
バーバラは、すぐに身ごもったが子は産まれず、ほかの妃を迎えても同じことが繰り返された。
人々は囁いた。「これは聖女の呪いではないか」と。
そしてユラリは‥‥‥笑みを浮かべ、何も語らなかった。その沈黙こそが恐ろしかった。
わたしは知らされた。彼女は復讐を選んだのだ。わたしが、わたしたちが、彼女を追い詰めた。
ユラリは涙を流しながら告げたことがある。「帰りたかった。子を産めば帰れるはずだった」と。だが、わたしたちはその未来を奪った。
わたしは彼女を愛していたはずなのに、守ることはできなかった。
いま国は滅びに向かっている。子の声のない国など未来はない。
それでもユラリは玉座の隣に座り、冷たい美貌を保ったまま、淡々と日々を過ごしている。
わたしの胸を締めつけるのは、ただひとつの思いだ。
もし、最初からユラリだけを選んでいれば。
もし、彼女を守り抜いていれば‥‥‥。
だが、もう遅い。彼女の微笑みの奥には鋭い刃が潜んでいる。あれは愛ではない。復讐を遂げた者の笑みだ。
それでも、わたしはまだ口にしてしまう。
「ユラリ‥‥‥愛している」
彼女が振り返ることはない。返ってくるのは、冷たい沈黙だけだ。
王子として、夫として、男として、わたしはすべてを失った。
ただ、滅びゆくこの国を彼女と共に見届けることだけが、残されたわたしの役割なのだろう。
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