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第4話 神聖国大聖堂の集い。

 双子の女神を主と崇め奉るルミナ教に、五大国の中央に位置する神聖国。

 人族のリーダー的な存在であるこの国は、そのルミナ教の頂点である大聖女を国主とする宗教国家である。

 この国は善人の国である。

 国の上層部には本当に善人しかいない。

 何故なら。

 女神様は清廉な心を是とし、国民は、それを心掛けるほどに、特別な力を賜わることが出来る。

 魔力が増えたり、膂力を授かったり、頭が良くなったり、足が速くなったり、お肌がスベスベになったりと、まぁ色々である。

 また、その恩寵にかまけて悪しき様に振る舞えば、見る間に力を失ってしまい、失脚してしまうのだ。

 ただまぁ、俗物的な女神様の好みというか、匙加減によるところが多いので、まったくの公平という訳ではないのだが。

 そして、完全に実力主義の国である。

 貴族もいないし、世襲制や縁故による昇進などもなく、賄賂など金で立場を買うなど以ての外の、とってもクリーンな国である。


 さて。


 その神聖国の、他国では王城に位置する大聖堂にて。

 この国の最高戦力が集結していた。

 聖女の頂点たる大聖女を筆頭に九人の聖女、百人の聖騎士、他、高位の神官にシスターと、大聖女を先頭にして、全員が跪いて列を成している。

 皆は一様に、胸の位置で手を組み、双子の女神様に祈りを捧げているところだ。


 先頭で跪くのは国主であり大聖女たるマリア。

 歳は四十代後半だが、その色気たっぷりの美貌は二十代のお姉さんにしか見えない。

 秘訣は女神より賜わる魔力の恩恵によるアンチエイジングである。

 この国は女神のおかげで美形だらけであり、中でも、上層部ほど得られる恩恵は果てしないモノとなる。

 その頂点たる美貌に、さらにはボインでもあるお姉さんが祈るその眼前には、大理石で作られた双子の女神像だ。

 仲睦まじく手を取り合い、その繋いだ手では銀の明滅がピカピカと繰り返されている。

 只今、神託の真っ最中である。

 大聖女はブツブツと囁いては、ウンウンと頷き、小さく首をフリフリと、その一連を繰り返す。

 どの仕草も晴れない表情で、いわゆるお説教前に見る顔である。

 間違いなく悪いお告げだと、マリアの背後が戦々恐々としている中。


「チ」


 美しくも苦々しい面持ちで、小さく舌打ちをしたのを合図に光の明滅が途切れた。

 長い神託が終わったのだ。


 マリアは、はぁとため息を吐くと、姿勢良くスクッと立ち上がり、クルリと振り返る。

 二列目に控えているのは九人の聖女。

 皆が真摯に祈りを捧げている。

 張り詰め厳かな空気が流れる中、マリアは一人の聖女に声をかけた。


「聖女アニエス」


「はい」


「顔を上げなさい」


「はい」


 歳の頃は女盛りの二十代中頃か。

 長く美しい金の髪は枝毛一つなくサラサラで、ぱっちりとした大きなお目目がなんとも愛くるしく、この世の全てから愛されてしまう、そんなお顔立ちの聖女が顔を上げた。

 美女ばかりが居並ぶ聖女の中でも、圧倒的な輝きを放つ、まさにこれぞヒロインという存在感だ。

 タイプは全くの真逆だが、大聖女の氷のような美貌にもまったく劣らないプリティでキュートな聖女様だ。

 この可愛らしい美人さんこそが、三年前に魔王を討ち果たした勇者パーティの一人である。

 その能力は、エースと称されるほど抜きん出てはいるが、しかし誰よりも明るい性格と、うっかりするような失敗が多く、その何処か抜けているところに国民からの絶大な人気を得ている。


 ――うーむ。何やら胸騒ぎが止まらないんだけど。


 アニエスは嫌な予感を覚えていた。

 こういう勘は得てして当たるものだとドキドキが止まらない。

 目の前のビッグマム、大聖女が発する威圧感なのか、魔王と対峙した時よりも緊張している。

 悪戯がバレる寸前のハラハラとした想いだ。

 大聖女の直弟子にあたる十人の聖女。

 中でも、このアニエスはマリアに叱責を受けた回数が最多である。

 それはもうぶっちぎりの問題児だ。

 皆がワザとだと怪しむ、いや確信しているくらいである。


 ――最近は何かやった覚えが無いんだけど。


 内心ヤバいと思いつつも、取り繕ったお澄まし顔を完璧にキープしていると、母なるマリアは端的に告げる。


「汝の序列を一位とする」


「ややっ!」


 ――なんで?!


 素っ頓狂にも間の抜けた声を漏らして、完璧だったお澄まし顔は一瞬にして崩れた。

 チビッコに大人気な変顔である。

 顎をしゃくれるように突き出し、目を見開いたままにフリーズする。

 予感は的中したが、それは想像以上に悪いものだった。

 序列一位とは次の大聖女を示すものだ。

 この国の生きとし生ける全ての者たちの母になれと言うのだ。

 そんな。

 そんな。

 そんな。

 バナナ。

 まさかまさかの大どんでん返しである。

 そうはならないように上手く立ち回っていたのに?

 ちょっと楽しみながらも、アホの子を演じていたのに?

 自慢の美尻を百叩きもされてきたのに?

 今までのネチネチとしつこいお説教タイムとは一体なんだったのか?

 今までの苦行を。

 苦痛を。

 屈辱に耐えた時間を返してよー!


 そんな胸中で、無言で口をお魚のようにパクパクとするアニエス。

 この口パクには勿論意味がある。

『嘘でしょ、嘘だと言ってよ、母様』と、必死に訴えているのだ。


 その対面でギロリと鋭く。


『てめえ、こんな時に嘘なんて言わねーよ』と目線で返すマリア。


 師弟関係を結んでから十年の時が過ぎた今。

 二人は完璧に通じ合っているので、声無き会話は一言一句違わずに成り立っている。


「此度の魔王軍を退けた後、私は大聖女を引退します」


「……。」


 そんな。そんな。そんな。バナナ。


 半ば放心状態となったアニエスは、フラリフラリと左右に大きく、とても大袈裟に揺れ始めるが。

 しかし、マリアはコレを無視して続ける。

 決して構ってはならない。

 アニエスのペースに持っていかれる訳にはいかないのだ。

 とってもとってもとーっても長くなるから。


「貴女がこの国の母として差配しなさい」


「…………ぁ」


 アニエスは我に返った。


「ちょちょちょちょちょちょ」


 このまま決まってなるものかと、断固拒否の姿勢を見せる。


「ちょっと待って下さーい!」


 バーンと、右手の平を勢いよく突き出し。


「何故に私なのですか?

 そんなのおかしいでーす!

 私よりも優秀で序列の高いお姉様方がいるのでありまーす!」


 アニエスの序列は六位だ。

 歳上で纏め役となれる聖女は五人もいる。

 まったくもっておかしな話だ。

 私が皆の母様なんて畏れ多いし。

 荷が重いし重すぎる。

 ストレスで太っちゃうよ。

 っていうか真平ごめん、嫌なのだ。

 本当に嫌だから必死である。


「……。」


 そんなアニエスの心からの叫びは。

 馬耳東風。

 見事に右から左へと通り抜けた。

 マリアは眉一つ動かさずに涼しい顔で、無言で完全に無視。

 氷の美貌は何一つ揺るがない。


「ややっ!」


 ――この流れはまずーい!


 完全に受け流されたアニエスは、負けてたまるものかと次なる攻めを講じる。


「むん!」


 突き出した手のひらを、メキメキと音を鳴らしながらの握り拳へと変えた。

 ギュウギュウに力を込めた握り拳だ。

 それをマリアへと突きつけてみせる。

 力づくも辞さないぞ、これはそういうポーズである。

 この二人は普通に殴り合いの喧嘩をする。

 師弟の絆はぶつかり合う度に、強固なものへと変わっていくのだ。

 二人の絆は誰にも引き裂けない。

 それはもう、カッチカチである。


「ふふふ」


 ――母様よ、そう簡単に勝てると思うなよ。成長したニューアニエスの力を思い知るが良い。


 二十年前、母様は魔王討伐を果たしている。

 その経験の違いからなのか、今まではまったく歯が立たなかった。

 容赦なくボロ負けだった。

 けちょんけちょんにされてきた。

 だがだがしかし、だがしかし。

 魔王討伐を果たした今は違う。

 経験値の差は、ほぼほぼ無いだろう。

 肉体も今がピークだ。

 この国で一番強いと自信を持って言える。


「ふんっ!」――絶対に退くものか!


 ぶん殴ってでも撤回させてやると、アニエスは息を巻く。

 歯を剥いて睨みつけるその容貌は、獰猛な肉食獣の気配を漂わせ始めた。

 事実、アニエスは歴戦が居並ぶ勇者パーティの中でも二番目に強い。

 剣聖の卓越した剣術と互角に打ち合う見事な杖術。

 大魔法使いの究極へと昇華させた攻撃魔法と互角の強固なる結界術。

 スピードスターである女シーフの驚異的なスピードにも対応してみせる合気を活かした体術。

 そして何より、どんな大怪我も瞬時に癒してしまうという究極の回復魔法。

 流石に聖剣ありきの勇者には敵わないが、素手での殴り合いでは、その勇者でさえも圧倒してしまうほどの女傑である。

 だがだが、しかし。

 だがしかし。

 そんなアニエスから放たれた歴戦のプレッシャーにも、マリアはスンっと、顔色を変えることなく、至って冷静に告げる。

 勝利が確定する、魔法の言の葉を。


「神託が下りました。

 次の大聖女はアニエスで決まりだと。

 水の女神アクア様、並びに、闇の女神アーク様の要望です」


 女神様のお言葉。

 そう。

 神託だよ。

 私が決めたのではないよ。

 女神様たちが決めたのだよ。

 私は代弁しているだけだからね。

 だから私に凄んでも無駄な事だよ、と言っているのだ。

 この神聖国において、女神様のお告げは絶対だ。

 覆す事など不可能である。

 これには流石のアニエスも、たちまち勢いが削がれていき。


「ぐぬっ」


 突き出した拳を引っ込めて、下を向いてしまった。

 獰猛な気配は一瞬にして霧散する。

 後に現れたのは、大きな瞳も相まって、まるで泣きそうなチワワの如く、プルプルと震えながらの沈黙となる。


 ――それはまずい。迂闊な発言が出来なくなった。


 得意の弁術は完全に封じられた。 

 完封である。

 双子の女神様は心が狭いと有名である。

 故に危惧したのは自らの美貌だ。

 神託に逆らったら、このスベスベお肌を没収されてしまうだろう。

 豪華な艶のあるサラサラな金髪も色を無くし、枝毛だらけとされてしまう。

 この神聖国を代表する見事なヒップラインが、デロンと崩れてしまうに違いない。

 その美尻が大好きな、あの彼をガッカリとさせてしまうかもしれない。


 それでも。

 なお。

 しかし。

 なんとかして。


「で、で、でも、でもでも、でもでもでも」


 嫌だ嫌だと、二の句を繋ごうと足掻き始めたプルプル聖女。


「わ、わ、わたくしなんかより―――」


「黙りなさい」


 マリアは、もうぶった斬ることにした。

 もう勝負付けはついたのだ。

 これ以上の問答は時間の無駄にして意味をなさない。

 マリアはマリアでそれどころではない、とっても忙しいのだ。


「女神様のお告げは絶対です。

 貴女は聖女。

 ならばわかりますね。

 近く神託が下ることでしょう」


 最上位の者だけが神託を賜わることが出来る。

 母なる大聖女が言うのだ。間違いなくその日はやって来る。

 それが来た時、即ち、大聖女生活スタートだ。

 そこまでいけばもう後戻りは出来ない。

 水の女神アクアはとても気さくで軽い方だと有名だ。

 脳裏に過ぎったのは、軽い感じで「やっほ~」なんて神託を下す青髪の女神様だ。

 それは良い。

 問題なし。

 全然大丈夫。

 とにかく明るいアニエスだ。

「やっほ~」と返してやる所存である。

 テンションが合いそうな姉の方は心配ないさ。

 問題はもう一人。

 姉とは逆に無口だと有名な闇の女神アーク様だ。

 無言でジッと、ずぅっと見つめてくるらしい。

 死んだ目でだ。

 一体どんな罰ゲームだと突っ込みたくて仕方がなくなるらしい。

 無言なんて無理。

 アニエスなら絶対に我慢出来ない。

 死んだ目がクールだと勘違いをしているお方だ。


「YOU、目がいっちゃってる~♫」


 なんて歌いながら指摘された腹いせに、自分にも死んだ目を強要してくると確信している。

 そして死んだ目のブームを巻き起こせという無茶振りをしてくるに違いない。

 そんな痛い母様なんて、皆、嫌だろう。


「まだだ」


 そう。まだだ。

 アニエスは逆境に強いのだ。

 諦めるなど、アニエスの辞書には載っていない。


 ――こうなったら私の美声と演技力を駆使するしかなーい!


 アニエスは正攻法はダメだと悟ると、攻め方を変える事にした。

 変幻自在のトリックスターと言われる真価が、此処に発揮されたのだ。

 頭をフル回転して瞬時に悲しげなシナリオを思い描き、それを直ぐに実行へと移す。

 こうなりゃヤケであるという玉砕戦法とも言える。


「ぁぁ」


 低くて重い、血を吐くような呻き声だった。

 ズーンと分かりやすく肩を落として、オーバーアクションから入ることにする。

 此処から観客を魅了して味方に引き込むという目論見、情に訴えてみるという精一杯の抵抗である。

 浅はかが過ぎるが、それもアニエスの人気の一因でもある。

 まぁ、しかし。

 煽っているだけだが。

 マリアの苛立ちは募るばかりなのだが。


 アニエスは悲壮感を滲ませた貌で、くるーりくるりと踊るように、ゆっくりと回り始めた。


「そんなぁぁぁぁぁぁぁ」


 穏やかな水面を優雅に泳ぐ白鳥の如く。

 スローテンポな足捌きで、滑らかな円を描く、見事な三回転である。

 神々しいとまで感じてしまうほどだ。

 まぁ、マリアにしてみれば、めちゃめちゃ煽りに煽られている感じなのだが。


「こ、この、野郎」


 ヒクヒクと頬を引き攣らせて、それを睨みつけるマリア。

 こめかみには、ビシっと青筋が張り付いている。

 もう、ブチ切れる寸前である。

 彼女の胸中はこうだ。

 私は二十年も皆んなの母をやっているんだけど。

 その間、休みは月に半休が三日しか無いんだけど。

 その貴重な半休も、お前たち聖女に気を使い、お茶に誘ったりして潰れているんだけど。

 しかもお前は呼んでもいないのに、毎回顔を出しているんだけど。

 自腹で用意した自分の分のお菓子を、文句を言いながらも分けてやっているんだけど。

 それに毎日のように夢に女神様が出て来るんだけど。

 寝ている時まで仕事をしているんだけど。

 お前は有給までちゃんと消化しているだろうが、コノヤロー!


 しかし、その爆発寸前の苛立ちは、テンション上げ上げのフィーバータイムに突入してしまったアニエスに届くことはなく。


「い~や~だ~よ~、ママン~~~」


 身振り手振りを交えながらの悪ノリが始まってしまった。

 アニエスには直ぐに調子に乗ってしまうという悪い癖がある。

 そうなると、つい楽しくなって暴走してしまうのだ。

 そんな時、マリアがする事は決まっている。

 問答無用の鉄拳制裁だ。


「わ~た~し~♩

 では~♪

 無~理~♩

 今からでも~♩

 嘘だと言って~♩

 か~あ~さ~ま~♫」


 初めの悲壮感も何処へやら、明るく朗らかな歌声である。

 なんだかとってもポップな気分にさせてくれる。

 その歌に魅了されたアニエスのファンである茶坊主たちが。


「はい!はい!はい!はーい!」


 合いの手を入れ始めた。


「アーニーエースー!」


「ラララ~♫アリーナー!サンキュー!」


 まるでミュージカル俳優のように歌って踊るノリノリのアニエス。


「っ!!」


 その無防備な背後に、鬼と化したマリアが素早く回り込み。


「ラララ~♩ハッ殺気?!」


 やばいと気づき、顔を上げるがもう遅い。

 マリアは右手を大きく振り上げて、既に振り下ろした後だった。

 狙われたのはアニエス自慢の見事な臀部である。


「お前が次の母様だ。しっかりしな!」


 パァン!と特大の喝撃音!


「ぎゃっ!」


 空気を切り裂く容赦の無い一撃に、膝から崩れ落ちる、夢破れしミュージカルスター。

 流石の反応速度を発揮して、咄嗟に障壁を張ったがしかし、いかんせんの硬度不足につき、パリンと破られ大ダメージを被る。


「ぁぁぁぁぁぁぁ」


 そのままお尻を抑えて踞り、涙声を震わせる。


「い、いった~いぃぃぃぃ。

 自慢のお尻が、割れちゃったよぉぉぉ」  


 しかし。

 それでも。

 ここからだ。

 逆境に強いアニエスは、陽気なナンバーと共に腰をフリフリしながら、再び歌い始める。


「でも、でも、でも、でも、でも、でも~♫」


 尚も悪ノリを続けようと大復活寸前のアニエス。

 してやられても千両役者っぷりを十全に発揮して、此処から盛り返そうと主人公のごとく立ち上がってみせる、が。


「そんなの関係――」


「うるさい、邪魔だ、どけ」


「ぐえっ」


 美尻にサッカーボールキックが炸裂した。

 そんなフラグは蹴散らされてしまう。

 さあさあ、主役の交代だ。

 新たなる主役は、そのまま皆の前にまで躍り出ると、ボインな胸を張った。

 見事なボインに溢れる美貌。

 漂うのは熟年の色気だ。

 そんなマリアに性的な目を向ける者など一人もいない。

 いるわけがない。そんなのありえない。

 マリアはこの国の、みんなの母なのだから。

 お母さんにそういう目を向ける人などいないだろう。

 いないはずだ。

 いないと信じたい。

 お願いだ。

 そんな変態、登場させないでくれ。


 それはさておき。


 マリアは目を細めて、呆然とする皆をゆっくりと見回しながら続ける。


「この馬鹿は放って置くとして……。」


 一通りに目を向けた後、目を閉じて三拍ほど溜めた。

 ゆっくりと息を吸っては、そうっと吐き、さらに勿体つけるようにして続ける。


「皆の衆………。」


 静寂。

 物音一つしない。

 大聖堂にいる誰もが釘付けとなる中。


 ビッグマムはクワっと目を見開き。


「っ!」


 右拳を高らかに突き上げて、ババーンと叫んだ。


「魔王軍来たる!出陣じゃーい!」


「!!!!!」


 その力強い呼びかけがハートに直撃した皆の衆は、大きく退け反った後、肩をワナワナと震わせ始める。


「お…お、お……」


 その一瞬の静寂は力を溜めるための時間だ。

 噴火寸前の火山の如く。

 そして。

 皆が一様に、湧き上がってきた感情を爆発させる。


「おおおおおおおお!!!」


 魂からの叫びが、

 大聖堂がドカンと沸いた。

 聖女が、聖騎士が、神官が、シスターが、休憩の準備を進めていた茶坊主までもが。

 ジジイからガキまでの老若男女が、拳を高らかに上げる。

 心は一つに、大聖堂は一体感に支配された。

 この場に居る者たちは、ほぼほぼ孤児である。

 大聖女を母とした大家族だ。

 その母が言ったのだ。

 出陣だと。

 やってやるぞと。

 だから皆も続けと。

 高揚しない者などいない。

 涙目となった唯一人を除いて。

 次の大聖女に任命されたアニエスは、寝っ転がってふて寝をしている。


「えー、本当に嫌なんだけどー」


 大聖女になる。

 それは誰もが憧れる存在、という訳では無かった。

 名誉はある。

 凄くある。

 威張り散らせる。

 母様に母様と呼ばせる事も出来る。

 しかし。

 デメリットが多すぎるのだ。

 まずは引退するのが女神の神託次第となる。

 自己都合では出来ない。

 下手をすると死ぬまでだ。生涯現役である。

 聖女はまだ良い。

 週休二日に有給もあるし給金も決して高くは無いが、まあまあだ。

 希望や意見なども聞いてくれる。

 ある程度の自由が確約されているのだから。

 しかし大聖女は違う。

 国主としての責任が重くのしかかってくるし、仕事も多忙を極める。

 残業代も出ない。

 丸一日休んでいる日など、見たことも無い。

 国から出ることも許されず。

 大聖堂から出ることすら簡単にはいかなくなる。

 アニエスの大好きな屋台巡りなどもっての外だ。

 教会の食堂でしか食べられない。

 長生きするようにと、薄味の健康食のみだ。

 自由など無いし美味しい物も食べられない。

 そこまでやっても給料など聖女となんら変わらない。

 せいぜい聖女たちに振る舞うお菓子代くらいのものである。

 更に、使う暇も無い給料が、ある程度溜まってしまうと寄付を余儀なくされる。

 奴隷か?

 頭のおかしい所業。

 まったくもって意味がわからない。

 一体何が楽しくて働いているのだろうか。

 そして、一番の懸念。

 何よりも、何よりもが、夢である結婚が遠のくということだ。

 聖女は三十歳を目処として引退するかどうかの選択を問われる。

 もちろんアニエスは円満に辞する所存だ。

 結構な退職手当を貰えるし、それを元手に他国で治癒院を開くのでも良い。

 元聖女なら引っ張りだこだ。

 生きてさえいれば大抵の傷は癒してしまう、破損した四肢でさえも生やしてしまうのだから。

 週に一日営業するだけでも大儲けだ。

 憧れのスローライフの幕開けである。

 しかし、大聖女となれば話が違う。

 やめられないのだから。

 あと数年ほどで引退して、絶賛恋人関係にある勇者に嫁ぐというライフプランが叶わなくなった。


「うーん」


 勇者にどう説明しようかと頭を抱えるアニエス。


「勇者を辞めてもらって、秘書として手伝ってもらおうかしら?

 彼は優秀だから週一の休みくらいは確保出来るようになるかも」


 なんて、勇者を引退するなどあり得ない未来を思い描いたところで。


「ちょっと待てよ」


 違和感を感じた。

 勇者と結婚を約束していることは、既にマリアもご存知だ。

 先日報告した時は喜んでくれた。

 早く子供を作れよ、なんて下世話な事も言われた。

 まぁ、

 母様も早く作れよ、あっ、その前に彼氏を作らなきゃね、と白々しく返して、結構本気のどつき合いへと発展したが。

 ちょっと言い過ぎたと感じていたので完敗だった。

 ともあれ。

 なんだかんだ言っても母様は慈愛に満ちた優しい人だ。

 大聖女ともなれば女神様に進言する事も可能である。

 これまで何度も意味不明な神託を退けている。

 それをぶった斬ってまでの突然の人事。

 更に信じられないのは大聖女の出撃だ。

 歴史上、大聖女が出撃したという記録は自分の知る限り無い。

 明らかに異常事態だ。

 此度の魔王はそこまで強いということなのか?


 アニエスが顔色を変えて困惑する中。

 出陣の準備は粛々と進められていく。


「よーし!皆の衆!」


 一先ずの時が過ぎたところで、マリアがワイングラスを高らかに掲げた。


「杯を待て!」


「おおおお!」


「かんぱーい!」


 景気付けにとワインが振る舞われた。


「ぷはーーっ!」


 大聖女はそれを男前に一息で飲み干すと、詳しい概要を下知する。


「此度は経験豊富な精鋭のみの出撃とする。

 聖女は私を含めた上位の五位まで、聖騎士他は三十歳以上の百名までとする。

 準備が出来次第、速やかに出立だ。

 若い奴らは転移魔法陣に魔力を充填しておきな!」


「おおおおおおおお!!」


 皆が雄叫びを上げる中、ただ一人違う反応を示したのは、後ろ向きで考え込んでいたアニエスだ。


「え?!」


 若い者を残していくという内容に、バッと振り返り、目を剥いて母様を見る。


「母様!まさか!」


 焦り顔でそう呼びかけると、マリアは人差し指を唇に押し当て、ゆっくりと首を振る。

 黙っていろ、だ。

 直後、厳しい顔から一転、優しく微笑んでみせた。

 それは久方ぶりに見た母の貌。

 聖女に就任した時に向けられた慈愛の笑みだった。


「あ」


 ――母様は死ぬ気なのだ。


 アニエスはマリアが生きて戻るつもりは無いのだと悟る。


 アニエスは天を仰いで瞳を閉じた。でないと涙が溢れてしまうからだ。士気が最高潮となった出陣前に、水を差す訳にはいかない。


「ああ」


 そうだ。そうだった。

 母様はいつだって自分を一番に犠牲にする人だった。


「誰か!私の杖を持てーい!」


「そんな」


 浅はかな自分を恥じて膝をつくアニエス。

 あれだけ明るかったその貌は見る影も無くなり。


「母、さ、ま」


 その力の無い呼びかけは、誰一人拾う事はなかった。


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