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 蓮希の袖を掴まえた少年は、天使のように愛らしい顔で、これまた天使のような極上の微笑みを浮かべた。

 くりくりした大きな目のなかに、太陽をそのまま落としこんだような光がちらちらと瞬いている。吸いこまれそうになって、蓮希は意識を保つように思いきり首を振った。


 同じ人間とは思えない。

 いや、人間ではない。


 目に入ったのは純白の髪だ。

 あちこちに跳ねた髪は、しかし絹糸のように輝いていて、指通りはよさそうだった。襟足だけがみぞおちのあたりまで伸ばされている。


 服装も、子供の姿に似つかわしくない重たそうな真っ白い着物だった。この暑いのに、これまた白い羽織を羽織っている。


 これで人間であるはずがない。


「……だれ?」


 蓮希はようやく問いかけた。ささやき声とそう違わない、かすれた声だった。喉がからからだ。心臓が痛いくらいに鼓動を打って、耳の奥で響いた。


 祭りを楽しむ人々の声も、客を呼びこむ屋台の店主の声も、太鼓の音も、セミの鳴き声も、すべてが遠い。


(ちがう、そうじゃない)


 蓮希は顔を上げた。

 誰もいなかった。

 屋台も食べものもそのままに、人間だけが綺麗さっぱりいなくなっている。セミの声も、葉擦れの音すらもない。


 蓮希は掴まれた袖を引いた。びくともしなかった。さして力をこめられているようにも見えないのに、プレス機に挟まれたような心地だ。


 蓮希はもう一度……今度はいささかの警戒をこめて問いかけた。


「あなた、だれなの?」

「僕が誰かなんて、冥月から聞いたろ?」


 少年がこてんと首を傾げる。目尻が垂れた大きな瞳を、ぱちりぱちりと瞬いた。


 どういうわけか、そこに冥月の姿が重なって見えた。蓮希は思わず、ぎゅっとまぶたを閉じる。


 顔立ちも背格好も、真逆もいいところだ。奇妙な感覚で……不気味だった。


 蓮希が戸惑う様子を、少年は「なにも聞いていない」と捉えたらしい。

 彼はきゅっと口を引き結んで俯いた。蓮希の浴衣の袖を握った手が、小刻みに震えている。


「聞いたはずだよ。だって、その……」


 蓮希から、彼の表情が見えることはなかった。

 少年のつま先が、石畳をつついている。彼は地面を見つめたまま、叱られた子供のように、本当にごめんなさい、と小さく呟いた。その声もまた、小さな手と同様に震えていた。


「君のおばあさんになって脅したの、僕だから」


 それで蓮希はひらめいた。

 冥月の主の座を狙っているという、昇晴(あきはる)。彼がその人なのだ。


 冥月のことを思いだしたら、ふたたび彼の姿が、目の前の少年――昇晴に重なって見えた。蓮希は掴まれていない方の手の甲で、今度は目をこすった。


「でも」


 蓮希は反射的に否定していた。「あなた、冥月さんに似てる。仲間とかじゃないの?」


 昇晴が声を立てて笑った。澄んだ笑い声だった。誰もいない境内によく響く。吊り下げられた提灯が、風もないのにふわふわと揺れた。


「僕と冥月が似てるだなんて、そんなの当たり前じゃないか」


 昇晴は晴れやかな笑顔で言い切った。金の瞳は、楽しそうに細められていた。いや、違う。


 懐かしげな顔だった。

 真っ白な睫毛がわずかな陰を作っている。その陰には、寂しそうな色も滲んでいた。


「僕と冥月はふたりで主さまを守ってたんだもん。相棒だったんだ」


 蓮希はぽかんと口を開けた。


「ちょ……っと待って。冥月さんに、相棒?」

「そうだよ? 狐の像は両側に二体。像がふたつあるんだから、狛狐も二匹でしょ?」


 蓮希は頭を殴られた気分だった。

 言われずともわかっているはずだった。だって、冥月から彼が狛狐である話を聞いたときも、蓮希が思い浮かべたのは二体の狐像だった。つい先ほども、神社の入り口で見たばかりである。


 その片方が冥月として顕現しているのなら、もう一体の像にあたる狐がいるのは当たり前のことだ。いままで思いもよらなかった。


(ということは……主さまは、自分を護る眷属に裏切られたってこと……?)


 そんな馬鹿なと思うと同時に、素直に納得してしまう自分がいた。


 容姿は全然違うのに、冥月と昇晴が似ていると思ったのは、彼らが対を成す存在だからだ。白と黒の二匹の狐。色を反転しただけで、その存在は限りなく近い場所にある。すとんと腑に落ちた。


(冥月さんが、昇晴さんのことを話したがらなかったのは、裏切ったのがかつての相棒だったから……?)


 口を閉ざしたくなるのも当然である。まだ冥月のなかで整理がついていないのかもしれない。


 蓮希は改めて昇晴を見下ろした。もう、袖を取り返す気にはなれなかった。彼が明確に、敵だと判明したのにも関わらず、である。


 だって、昇晴はこんなにもあどけない。


 冥月と昇晴が相棒だということは繋がるのに、そして相棒に裏切られた、というところも繋がるのに、「昇晴が裏切った」と考えると、とたんにわからなくなった。


(この小さな子が、主さまを狙って?)


 そもそも祖母のふりをした、地を這うような声のあの男と、目の前にいる昇晴とが、どうしてもイコールで繋がらない。冥月が負っていた大怪我も、この小さな少年の仕業だとは……そんな力を持っているようには、どうにも見えなかった。


 昇晴はいつの間にか、蓮希の袖を放していた。蓮希がもう逃げないとわかったのだろう。

 代わりに、やわらかくて小さな手のひらが蓮希の手をぎゅっと包みこんだ。蓮希はびくりと肩を震わせる。


「蓮希は騙されてるんだよ」


 彼のかたちのいい眉が、へにゃりと八の字になった。どういうわけか、昇晴は蓮希を案じている。

 心配される理由がわからなかった。


「君と冥月を一緒にしたくなかったの。きっと君は、あいつを信じちゃうから」


 小さな手に力がこもる。あたたかい。蓮希の指先がひどく冷えているのがわかった。どうしてだろう。なんだか落ち着かない。

 

 静かだったはずの境内に、風が吹き始めた。緩やかに揺れていた提灯が、次々と荒れた動きに変わる。


 それはそのまま、蓮希を必死に見つめる昇晴の心を表しているようで。


「冥月は僕が裏切り者だって言ったでしょ。でも本当は違うんだ。僕、言ったよね? 冥月は主さまをかどわかしたって」


 同時に、焦りを募らせる蓮希の心も表している。


(たしかに……冥月さんが私を抱っこしたときに)


 たしかに言っていた。昇晴……と思しきニセ祖母は、冥月が主を拐かしたのだと。低く轟いた声は、あのときの恐ろしい気持ちと一緒に、記憶にこびりついている。


 いやな予感がした。

 耳鳴りがする。一度は静かになったはずの心臓が、ふたたびうるさく鳴りだした。


 聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。それは、蓮希を混乱の渦に叩き落とす言葉だ。


 しかし、蓮希の手を痛いくらいに握りしめた丸っこい手が、耳を塞ぐことを許さなかった。


「主さまを殺そうとしてるのは、僕じゃない」


 冥月なんだよ、と。


 昇晴の一言はまっすぐに蓮希の鼓膜を貫く。

 胸のなかを、冷たいものがすべり落ちていった。

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