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 どうやって家に帰ったのかは覚えていない。

 気づいたら祖母の家で、気づいたら布団に寝かされていて、気づいたら天井を見上げてぼんやりしていた。


「起きたかい?」


 やわらかい声が耳を撫でた。


 蓮希が首を巡らせると、枕元を囲むように広がった着物の裾と、その上に散る桔梗色の髪が目に入る。部屋の明かりを反射して艶々と輝く髪は、半ばで複雑に編まれたあと、絹の反物のようにうねりながら伸びて、寝ている蓮希の腰のあたりまできていた。


 この色は、見覚えがある。波槙神社の主神だ。それにしても、蓮希が少し前に見たときとはずいぶん違う様相である。


「このまま蓮希が目覚めなかったらどうすると、千代子にずいぶん怒られてしまったよ」


 微かな吐息。彼が苦笑したのが、空気でわかった。


 視線を持ちあげれば、見た者が頬を染めてうっとりとため息をついてしまいそうな、極上の顔と目が合った。染みも毛穴もないなめらかな頬には、シャープな輪郭を失わない程度に、ほどよく肉が乗っていた。紅を引いたように鮮やかで、艶のある唇。蓮希を見つめる瞳には生気が宿り、きらきらと輝いていた。


 これが主の本来の姿だ。こうして完全な姿の彼を見てしまうと、昇晴に力を奪われていたときの主がどれほど惨い状態だったのか、身に染みて感じてしまった。


「……あ、主さま」


 蓮希の声は、ひどくかすれていた。空気がかさかさの喉を引っかいて、咳きこむ。蓮希はいったい、どれだけ眠っていたのだろう。


「とりあえず、水を飲みなさい。千代子を呼んで――ああ、ちょうどいいところに」


 部屋の襖が開いて、祖母が盆に乗せた吸いのみと共に部屋に入ってきた。


「おばあちゃん」

「はーちゃん……よかった。目を覚ましたんだね。はーちゃんが帰ってきてから、もうまる一日経ったんだよ」


 今日も起きなかったらどうしようかと、と傍らに腰を下ろした祖母に、蓮希もからだを起こした。主の大きな手のひらが、背中を支えてくれる。


 よく冷えた水はしっとりとからだに沁みるように、蓮希を潤した。

 ようやくきちんと声が出るようになって、蓮希は祖母に頭を下げる。


「ごめんなさい、あの……連絡もしないで。すごい、心配かけちゃった」

「いいんだよ。狐に攫われたんじゃ、仕方がなかったろう。無事に帰ってきてくれただけで十分。謝る必要なんかないさ」


 うん、と蓮希は弱々しく頷いた。


 無事に。果たして本当にそうだろうか。


「主さま、元気になったんですね」


 きらきらしたオーラをまき散らしながら祖母と蓮希のやり取りを見守っていた主が、ことりと首を傾げた。


「力も戻ったし……私には、千代子がいてくれたからね。信じてくれる人の子がひとりでも、いるのといないのでは、ずいぶん違ってくる」


 主が祖母に微笑みかけた。しかし、当の祖母はほんの少し眉をひそめただけである。


「それなら、はーちゃんのこともきちんと守ってほしかったね。自分だけすっかり元どおりに綺麗になって……」

「勘弁してくれ、千代子。巻きこんでしまったのは、本当に申し訳ないと思っているんだ」


「それに、蓮希が負った怪我はすべて綺麗に治して……」とまで言ったところで、祖母がものすごい形相で睨んだので、主はぴたりと口をつぐんで黙った。両手を挙げて降参する。

 本当に困った様子の彼に、祖母はふん、と鼻を鳴らした。

 こんな剣呑な祖母は初めて見る。それだけふたりの仲が長いということだろう。


「主さまが元気になったなら……冥月さんは?」


 冥月も、元気になったのだろうか。ここにはいないようだが。

 主の返事は、肯定とも、否定ともとれる曖昧なものだった。


「うん……いや、消滅はしていない。大丈夫だよ」


 大丈夫だと言われたのに、安心できなかった。含みのある言い方だ。もやもやしたかたまりが、蓮希の胸の内に湧きあがる。


「消滅、は?」

「ああ。少なくともあの子は生きているし、今後消滅してしまうこともないよ。それは本当に、安心してくれていい。冥月は無事だ」


 駄目だった。不安は膨らむばかりだ。眉間に皺が寄って、表情が沈んでいくのが、自分でもわかった。


「ただ……私の眷属として顕現し続けるには、少し重い傷を負いすぎた。私の力でひと息に回復させようとすると、今度は私が消滅してしまう恐れがある。時間をかける必要があるんだ。いまは自分の祠で眠っているよ」


 主はそこで、蓮希からそっと視線を外した。


「だから、はっきりしたことはなにも言えないんだが……結論から言えば、蓮希は、二度とあの子に会えないかもしれない」


 痛いくらいの沈黙が、その場に落ちた。


 波槙神社で見た、粉々になった狐像。蓮希の予想は、あのとき感じた絶望は、間違いではなかった。

 蓮希の視界がにじんだ。目尻からすべり落ちた雫が、布団に染みをつくる。


「あーちゃん」


 祖母が主を咎めた。


「これでも言葉を選んだんだよ」

「そうじゃないよ。本当にもうクロちゃんに会えないんだったら、そんな風に言い淀んだり、曖昧な言い方をしたりしないだろう。なにを隠しているんだい」

「隠しているわけじゃ……わかったよ」


 僅かに間が空いて、深いため息が聞こえた。主である。


「蓮希」


 改めて名前を呼ばれて、蓮希は顔を上げた。ぽろり、と残っていた涙が頬を伝う。


「いいかい、確証があるわけじゃない。前置きとして、それだけは言っておく」

「……冥月さんに、会える?」

「可能性がある、という話だよ」


 蓮希次第だ、と言い置いて、主は話を始めた。

明日の更新が最終話となります!!最後までお付き合いよろしくお願いします!!!!!

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