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「……真に、受けないで、くださいよ」


 はっと視線と落とすと、冥月が起きあがろうとしているところだった。石畳についた血まみれの手が、がくがくと震えている。


「蓮希は、悪くありません」


 顔を上げた彼は、蓮希を見たらしい。しかし蓮希の視界は、もうそれすら捉えることができなかった。次から次へとこぼれる涙がすべてを覆って、なにも見えない。


「っう、うー……ごめ、なさ」


 声を上げて泣き始めた蓮希に、冥月がふっと吐息をもらした。


「泣くのはやめなさい、気が滅入る」


 言葉の合間に、苦しそうな息継ぎが挟まった。


 それが余計に、蓮希の心臓を締め上げる。苦しい。蓮希は首を振って、泣き続けた。まるで子供だった。


 はは、と聞こえたのは、まさか笑った声だろうか。


「変わりませんね……あなたは。いつか転んだときと、まるで一緒だ」


 蓮希の頬に、ぬるりとしたものが触れた。冥月の指だ。涙を拭ってくれようとしたのか、なまあたたかい指は、蓮希の目の下をすべる。


 蓮希の視界が、わずかにはっきりとした輪郭を取り戻した。

 代わりに、ぬるりとした感触が頬の上で引き伸ばされる。


 あ、と微かな呟きのあと、冥月の手が止まった。涙を拭うはずが、逆に血の跡をべったりとつけてしまったらしい。離れた指が蓮希の頬の横をさまよったあと、今度は衣擦れの音が聞こえた。袖で拭おうとしたらしい。しかしそちらも血まみれで、冥月はいよいよ諦めた。


 一度咳きこんだあと、冥月は困ったように吐息をこぼした。


「駄目ですね、泣かれてしまうと……どうすればいいかわからない」


 そっと目を伏せた彼は、着物を引きずって、蓮希と向かい合うように腰を落ち着けた。胸に空いた穴から、向こう側が見える。どうして平然と起き上がれるのだろう。それに、痛がる素振りをまったく見せない。


 彼は、抉り裂かれた蓮希の腕をとった。


「痛かったでしょう」


 痛いのはそっちだろうに、と蓮希はしゃくり上げる。


 冥月が指先で切り傷の横を撫でると、あふれていた血がぴたりと止まった。剝きだしになった肉が隠れ、裂けた肌が閉じる。血まみれのまま、蓮希の腕は綺麗に治ってしまった。


「どう、して」


 ああ、自分はほかになにも言えないのか。情けなくなった。


「なんで……」


 冥月の方がひどい怪我をしている。治すなら冥月が先だ。それなのに。


「うん、大丈夫そうですね。これを」


次いで冥月が懐から取り出したのは、一枚の紙切れだった。いや、二枚だ。冥月は取り出した紙切れの片方を、蓮希に差し出した。

 くしゃくしゃで端が血に濡れているが、かろうじてわかる。お札だった。


「肌身離さず持っているように。丸めて飲んでしまえばなお安心できるのですが……そこは任せます。効果は変わりませんから」

「なあに、これ」


 涙の隙間に、蓮希が言えたのはそれだけだ。


「祖母君の家に貼ったのと似たようなものです。昇晴からあなたの姿を隠してくれます。町を出てしまえば、彼もそれ以上は追っていかないでしょうから、せめてあなたの家に帰るまでは」

「それを持って、どうするの」


 嫌な予感がした。冥月は表情ひとつ変えず、お札を蓮希の手に押しつけた。


「今すぐ、ここから逃げなさい」


 崖から叩き落とされた気分だった。


「……冥月さんは」

「主を見捨てるわけにはいきません」

「そんなからだなのに」

「こんなからだだからこそ、です」


 どうせ死ぬのだから、最期くらい主の盾になろう。

 つまりは、そういうことだ。わかってしまう自分が嫌だった。


 蓮希にひとりで逃げろという。冥月が己の命を捨てるのを黙って放っておけという。


 冥月と主がどうなったのかもわからぬまま。死んでしまったかもしれない、もう二度と会えぬのだろう。本当に自分だけ逃げてよかったのか、ふたりを救うことができたのではないか。今後一生、後悔の念に苛まれながら蓮希に生きていけという。


 そんな馬鹿なこと――。


「……冥月さんの、ばか!!」


 蓮希は握らされた札を引き裂いた。ふたつ、四つ、八つ。粉々になった札を投げ捨てる。


 初めて、冥月に怒りを覚えた。


「そんな馬鹿なこと、できるわけないでしょうっ!!」

「蓮希……」


 冥月がかすれた声で蓮希の名を呼ぶ。聞き分けのない子供を前に、途方に暮れたような声だった。


「絶対認めないから。そっちはなに?」


 蓮希は、冥月の手に握りこまれたままの、もう一枚の札を指す。蓮希が粉々にちぎったものとは、まったく様子が違った。

 赤いのは冥月の血で濡れたからだと思っていたが、こちらは違う。細かい赤文字がびっしりと、隅から隅まで余すところなく記されているのだ。


 そして、真ん中には黒々と太い文字で「封」と。


「昇晴さんを封印するの?」


 冥月は眉尻を下げた。当たりだ。蓮希は、腹の内でぐつぐつと怒りが煮えたぎるのを感じた。


「そんなからだで、できるの?」


 答えはない。冥月にも自信がないのだろう。

 蓮希は冥月が持つ札を、はっしと握った。冥月はきつく握っているつもりだったのだろうが、札は、軽く引いただけでその手のひらからするりと抜けた。


「なにをするのです」

「……私もやる」


 冥月ひとりでは無理だ。


「馬鹿な真似はよしなさい。蓮希、あなたはここから」

「そっちこそ、馬鹿な真似はやめて。ふたりなら、ちょっとは成功する可能性も上がるでしょ」


 蓮希も加われば……大した戦力にはならなくても、昇晴の一瞬の隙を突くことくらいは、できるかもしれない。


「どうしてそこまでするのです。ほんの数日をともに過ごしただけの狐と、会ったこともない神のために」

「私が後悔しないため」


 冥月は絶句したようだった。


「冥月さんこそ、ちょっとは考えてよ。ほんの数日だけでも知り合った人が、死んじゃったかもしれないって考えながら、これから生きていくことになる私の気持ち」

「私が死ぬのがいやですか」


 蓮希は引き結んだ口をへの字に曲げる。


「当たり前じゃん……馬鹿」

「……そうですか」


 ふ、と空気が緩んだ。


「それなら、仕方ありませんね」

「……えっ」


 冥月が、笑っている。赤い筋がいくつも伝う口元が、たしかに弧を描いている。


 蓮希が初めて見る、冥月の笑顔だった。

遅くなりましてすみません~~!

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