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 太陽がふたつ。

 違う、金色の目だ。


「ああ、起きたね。タイミングがいいな。もうすぐ冥月が来るよ。やっと僕の結界を破ったみたいだ」

「う……」


 うめいて上体を起こすと、蓮希を覗きこんでいた昇晴の頭が引っこんだ。


 背中が痛い。蓮希は、石畳の上に寝ていたようだった。セミがあちこちで鳴いている。抜けるような青空のなかで、本物の太陽が目に痛い光をまき散らしていた。

 まだ太陽の位置が低い。蒸し暑さもまだマシな気がする。


 頭がぐらぐらするのは、外で一晩中放置されていたからだろうか。

 そこで一気に目が覚めた。


「昼!?」


 冥月を探すといって蓮希が家を出たのは夜だ。少なくとも一晩、行方不明になったことになる。なにかあったら連絡を、と祖母に言われていたのに、やってしまった。


 いや、もはやそれも大した問題ではない。


 蓮希がいるのは波槙神社だった。昇晴のほかに人はいない。偶然か、人払いでもしているのか。鳥居の向こうに伸びた神社の外の道にも、人影はなかった。


 違う、ぽつんとひとつだけ、黒いかたまりが近づいてくる。

 四つ足で駆けて神社に駆けこんできたのは、黒い狐だった。ぶわりと逆立った毛が膨らんで、息を切らした青年の姿になる。


 髪を振り乱した冥月の肌は、いつにも増していっそう白く、紙のようだった。


「蓮希! 怪我は!?」

「はい、そこまで。遅かったじゃないか」


 昇晴が蓮希の腹を踏んだ。

 悲鳴にもならない息のかたまりが、口から出る前に喉で詰まった。蓮希の背が石畳に押しつけられたのを見て、冥月の足がぴたりと止まる。


「それ以上近づかないでね」


 蓮希はからだを起こそうと頭を持ちあげる。できなかった。

 下駄のつま先がみぞおちに食いこんで、力が入らない。


 ひとりで家を出たことや、昇晴に捕まったこと。冥月の言葉を信じれなかったこと。冥月に謝りたいことは山ほどあったのに、どれも胃のあたりにわだかまったまま、まとめて昇晴に押さえつけられている。


 冥月が低く唸った。


「その汚い足を退けなさい、昇晴」

「やだよ」


 昇晴は蓮希を踏みつけた足にさらに体重を乗せたようだった。今度こそ息ができない。

 冥月が牙を剥きだして――諦めた。


「……主のもとへ案内すればいいんですね?」

「話がわかるじゃないか」


 蓮希は足をばたつかせた。昇晴の足が腹の上から退く。冥月さん、だめ、と叫ぼうとして、今度は脇腹を蹴られた。


「君は黙ってて」


 昇晴が咳きこむ蓮希の腕を掴んで、無理矢理立たせた。


「昇晴、あまり乱暴は……」


 冥月の抗議も無視して、昇晴はにっこりと笑う。


「それじゃ、行こうか」


 ■ ◆ ◆


 先を行く冥月が、数歩ごとに後ろを振り返って、蓮希の無事を確認する。目が合うたび、褐色の奥に不安が渦巻いているのが見えて、蓮希は心臓を絞られる心地だった。


「鬱陶しいよ冥月。そんなに何度も振り返らなくても、なにもしないってば。冥月がちゃんと僕を連れてってくれるならね」


 信用できないんですよ、と昇晴を睨みつけて、冥月はくるりと前を向いた。


「ひっどいなぁ。それでも相棒なの?」

「元です、元。あなたはもう狛狐でもなんでもありません」


「つれないなあ」と昇晴が冥月の耳のあたりに顔を寄せた。


「主さまのことだって、一緒にやろうって言ったのに断ったよね」

「当たり前です。主に成り代わろうなんて馬鹿な真似、普通は思いつくことすらしません」


 傍から見れば、軽口を叩いてじゃれ合っている兄弟のように見えたかもしれない。しかし内容があまりにも笑えなくて、蓮希は冷気に首筋を撫でられている気分だった。


「ねえ、本当に昇晴さんが主さまの力を奪っちゃったの?」


 蓮希はそっと口を挟んだ。冥月のうしろにべったり貼りついてにやにやしていた昇晴が、目を丸くして蓮希を見下ろす。


「なあに、まだ冥月を疑ってたの?」


 にやぁ、といやな音が聞こえそうなほど、神経を逆なでする笑みだった。


「そうだよね、僕の方が可愛くて? 愛想もよくて? ニンゲンと話すのが上手で? 仏頂面しかできない冥月とは大違いだもの」


 冥月は否定しなかった。


「昔から、ニンゲンに構ってもらえるのは僕の方で――」

「そうじゃなくて!」


 蓮希の声があたりに響いた。自分で思ったよりも、大きな声だった。うっかり足が止まったが、昇晴に引っ張られて、ふたたび歩きだす。


「わ、私は理由が知りたいの! 昇晴さんの性格が最悪なのは十分わかったから。私ももう、あなたのことは信じてないよ」


 蓮希はもう惑わされないし、迷わない。


 金の瞳をまっすぐ睨み返せば、なかに映った自分の顔と目が合った。蓮希は唇を震わせて、こみ上げてくる激情に耐えていた。

 ほんの少しでも冥月を疑った後悔。自分のせいで主さまが危険にさらされる罪悪感。昇晴の思考を理解できない恐怖。悪びれることなく笑い続ける彼への怒り。


「面白くないなぁ、蓮希は」


 弧を描いていた昇晴の口が、真一文字に結ばれた。笑顔がかき消える。


「僕からしたら冥月の方が裏切り者だもんね。それは本当だよ」


 あーあ、とため息をついて、彼は空いている方の手で冥月の背をつついた。


「最近のニンゲンは調子に乗りすぎなんだよ。誰のおかげで平穏無事に過ごせてるわけ?神社に来ても好き勝手願い事するだけで、神を敬う気持ちなんて微塵も持ち合わせちゃいないんだ」

「宵闇に潜む妖魔は昔と比べてずいぶん減りましたし、天地がもたらす災害はニンゲンが自ら対応策を編み出しています。主や我々の出番が減っているのですから、それも当然のことです」

「そんなんだから舐められるんだよ。だから僕らでニンゲンどもに制裁を加えてやろうって提案したのに」

「私が頷くとでも思いましたか」

「思わなかったさ。でもまさか、主さまに告げ口するだなんて! 相棒としてふがいないよ。主さまも、冥月なんかを眷属にしてるから、あんな平和ボケしちゃうんだ。ニンゲンが自分たちを必要としなくなったのは、それだけ世の中が平和になったからだ……なんて、言っちゃって」


 そんなの神らしくないよ、と呟いた昇晴が、突然ぐりんと蓮希を見た。


「やっぱり、代替わりして僕に神の座を譲るべきだと思うんだけど、ねえ?」


 なるほど、そこに繋がるのか……とは、思えなかった。そこで自分が神になろうと考えるあたり、話が飛躍している。かっと見開いた金の目が怖い。


 蓮希はそっと、昇晴から視線を外した。


「悲しいな。誰にも共感してもらえない」

「いっ……」


 蓮希の二の腕に、昇晴の爪が食いこんだ。もうほんの少しだけでも力をこめられたら、肌を突き破ってしまいそうだ。


「昇晴。蓮希が痛がっています」

「うるさいなぁ、もう。ほら、これなら痛くないだろ」


 昇晴の指が肌をすべって、これ見よがしに、蓮希の手のひらを握った。顔の高さまで持ちあげて、冥月に見せつけるように振る。


 冥月は、前を向いたままだった。


「……蓮希も、口を慎みなさい。昇晴を刺激しないこと」

「冥月ってば、冷たいなぁ」


 昇晴の機嫌は戻ったようだ。その口元にはふたたび、いやな笑みが浮かんでいた。

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