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 冥月が帰ってこない。


 西日が差しこみ始めたあたりまでは、蓮希もまだのんびり待っていた。縁側から足をぶら下げながら「主さまに反対されちゃったのかなあ」なんて呑気に考えていたのだ。

 雲行きが怪しくなってきたのは、祖母が夕飯をテーブルに並べ始めたあたりからだった。


「クロちゃん帰ってこないねぇ」


 大根おろしをたっぷり乗せた和風ハンバーグをつつきながら、祖母が庭へと顔を向けた。

 外はすっかり暗くなっていた。いくら目を凝らしても、動く動物の気配はない。黒い狐の毛の一本すら見かけなかった。


 蓮希の胸には、不安が山と降り積もっていた。

 こんなに遅くなるのは、いくらなんでもおかしい。今までだって冥月は何度も主のもとへ行っているようだったが、一時間やそこらで帰ってきていた。往復にかかる時間がそんなに多くないのを、蓮希は知っている。


「なにかあったのかな……」


 それとも、自らの意志で――?

 疑う気持ちを拭いきれない自分に嫌気がさした。口に入れたハンバーグの味もほとんどわからない。というか、ほとんど喉を通らない。


 とうとう蓮希は箸を置いた。


「おばあちゃん、私ちょっと探してくる」

「クロちゃん?」

「うん。たぶん、裏の祠に行けばわかると思うんだけど」


 うぅん、と曖昧な返事が戻ってきた。祖母が困ったように眉を寄せている。あまり良い顔ではない。


「クロちゃんがいないのに外に出るのは……」

「大丈夫だよ、そのクロちゃんのところに行くんだもん」


 それに、冥月が懸念していた脅威というのは昇晴のことだ。

 夏祭りで会ったときの様子からすると、彼が蓮希に危害を加えるとは思えない。昇晴は「また会おう」と言っていた。それはまたお話しようねと同義だ。


「行ってくる」


 もともと出かける準備はできていた。懐中電灯と携帯電話だけを引っ掴んで、玄関に向かう。


「なにかあったらすぐに連絡するんだよ」


 まだ心配そうな祖母を軽く流して、蓮希は家を出た。


 ◆ ◆ ■


 蓮希の予想は外れた。


 祖母の家の裏、山を登った小さな祠の前で屈んで、肩を落とす。祠の格子扉は、何度開けても閉めても、まったく反応を示さなかった。黒い狐がなかに入っているわけでもない。


 冥月のことならこの祠が鍵になると思ったのだが、間違いだったらしい。

 ほかに思いあたるのは波槙神社くらいだが、違うだろう。敵地だと言って、冥月は近づきたがらなかった。となると、お手上げだ。蓮希にはもうわからない。


 今日は帰った方がいいかもしれない。軽く腰を折って小さな鳥居をくぐる。


 人が立っていた。

 蓮希から見えたのは、着物の裾だ。もしや、と思って顔を上げる。


 背の高いシルエットにほっと安心しかけた蓮希の心は、あっという間にしぼんだ。

 冥月ではない。


「こんばんは。珍しいね、ひとりなの?」


 蓮希が知らない、男にしては高い声だった。


 違う。聞き覚えがある。冥月を拾ったときに襲ってきた、ニセ祖母の――。

 さっと懐中電灯を向けた。


 ふわふわした白髪(はくはつ)が、光を反射してきらきらと輝く。綺麗な顔は大人びて、もう天使のようなと形容することは難しそうだった。蓮希が見上げるほどに背も伸びて、ひょろりと縦に長くなっている。

 しかし、頭のてっぺんからつま先まで真っ白な容姿と、明るい笑みは、間違いようがない。


「昇晴さん」

「冥月は一緒じゃないんだね」


 祭りで聞いたときよりも少しだけ低くなった声が、蓮希の耳を撫でる。気遣うような言葉に、蓮希もぽろりと漏らした。


「冥月さんが帰ってこなくて」

「帰ってこない? それで捜しにきたの?」

「うん、主さまのところにいると思うんだけど」

「そっかぁ」


 昇晴が笑みを深めた。祭りのときに見た人懐っこいものとは違う。いいことを聞いた、と言わんばかりだった。

 笑っているのも不自然だったが、続いた台詞はさらに不穏だった。


「よかった、うまくいったみたいだね」

「うまくいった?」

「主さまのところ、行き方はわからないけど、出入り口がそこの祠なのはわかってる。それを塞ぐだけなら簡単だよ。そんなことしても意味ないから、やらなかったけど……いまは、蓮希がいるだろ? 冥月の帰りが遅れたら、蓮希が捜しに出ると思って」


 大当たり。昇晴の金の瞳が、三日月を描く。


 蓮希はやっと、事態を呑みこんだ。

 考えるよりも先に、足が動く。咄嗟に鳥居の内側に飛びこもうとして――。


「こら、逃げない」


 腕を掴まれた。蓮希の手から懐中電灯が落ちる。あらぬ方向を向いた明かりは、森の奥を無意味に照らした。


 引き寄せられて、甘い香りが鼻をくすぐる。頭がくらくらするような、人を惑わせる香りだった。


「離して!」

「やだ」


 子供っぽい口調とは裏腹に、蓮希を引き留める力はすさまじかった。どれだけ引いてもびくともしない。指先が痺れるまで、きつく握られるだけだった。

 鳥居の、結界の内側の、あと一歩が遠い。


「お、お祭りのときから考えてたの? その……私、を」

「当たり前じゃない。じゃなきゃ君に近づいたりなんかしないよ。いい子すぎておもしろくないもん……だからうまく騙せたんだけど」

「どこからどこまでが嘘だったの?」

「バカ騒ぎはとっくに飽きたよ。夏祭りなんて浮かれたニンゲンだらけでうるさいだけだ」


 つまり、祭りを楽しんでいた姿の、ぜんぶが嘘だ。蓮希は唇を噛んだ。自分が恥ずかしい。


 冥月を助けたときの、蓮希の最初の判断を信じればよかった。

 冥月が傷つけられた、昇晴が傷つけた。それで十分だったのだ。

 いまさら後悔しても遅い。


 掴まれた部分から冷たいものが上ってくるようだった。


「……私を捕まえてどうする気?」

「そうだねえ、どうしようか」


 顎を掴まれる。月明かりもほとんど遮られた木々の下で、昇晴の瞳だけが異様に光っていた。


「とりあえず主さまを引っ張りだす餌にして……ほかはあとで考えるよ」


 意識が暗転した。


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