貸与相談 Ⅲ 裏
一通りの話し合いを終えて、凛音ちゃんはメイドのレイネさんを連れて帰って行った。
私――滝 楪――が送って帰るつもりだったのだけれど、ついでにぶらぶらと買い物とかもして帰るとの事なので、私もそのまま事務所で仕事を片付ける事にした。
そうして見送って、会議室に再び戻ってきた私が見たのは――社長が机に突っ伏した姿と、エフィ達も似たように憔悴したかのような表情を浮かべて力なく座り込む、そんな姿だった。
……え、何これ。
思わず奇妙な光景にドン引きして硬直してしまった私に、社長が机に突っ伏したままこちらに顔を向けてきた。
「……あの子たち、帰ったのよね?」
「はい、見送ってきました。というかこの光景、一体どうしたんですか?」
「……あなたはもうすっかり馴染んでいるんでしょうね。昔からあなた、他人の纏う空気に馴染む順応性が異様に高いものね……」
何を言っているのかと思いつつエフィ達に顔を向けてみても……ダメそうね。
みんなして疲れ切った感じで話なんか聞こえていなさそう。
なんかもう魂抜けてる感じだもんね。
そんな感想を抱いてもう一度社長に顔を向けたところで、社長が身体を起こしてこちらを真っ直ぐ見つめてきた。
「ハッキリ言うわ。あの二人、異常よ」
「はい?」
いくら社長でも、私の身内を異常だなんて言われて最初に出てきたのは、僅かな怒りだった。
思わずぴくりと眉間に皺が寄ってしまった私の表情に気が付いて、社長が苦笑した。
「ごめんなさい、言い方が悪かったわね。馬鹿にしたり見下したりっていう意図はないの。そうではなくて、強烈な存在感、あるいはカリスマ性、なんて言い方をするべきなのかしらね。そういう常人が持ち得ないものが肌で感じ取れるぐらいに強烈なのよ。だから普通ではない、という意味で異常と表現したの」
「……そう、ですか……?」
「えぇ、そうよ。あなたは近い立場にいるから慣れてしまったのでしょうね。それに加えて、あの子が身内と線引きしているからこそ、気を抜いて接する事ができる――つまり、あの重苦しい程の重圧を向けられなくて済んでいるのだと思うわ。でも、私やそっちの3人は違うのでしょうね。正面からあんなものを向けられて疲弊しない方がおかしいわ」
……うん、意味が分からないわ。
社長はこう、普通の人には見えないモノが視えているというか、感じ取る事に長けているせいか、たまにこういう独特な表現をする時があるのだけれど、今回はまさにそれが関係しているらしい事は判るのだけれど……。
「ふふ、相変わらず分からないって顔してるわね。いいのよ、それで。私はそういうモノに敏感で、あなたはそういうモノに鈍感だからこそ物怖じも、贔屓もせずに平等に扱う。そうやってウチはバランスが取れているのだから」
そういうモノに鈍感だ、というのは私も過去に言われた事があるし、そうだからこそ社長が私に声をかけたっていうのは知っている。
もともと芸能界にいた社長は、その独特な感性から俗に言う『光るモノ』を持っている存在を見抜く事に長けていた。
だからこそ、そういう人材が輝けない、輝く資質を持っているのに舞台を与えられないせいで業界を去っていった人達を惜しいと思うようになったらしい。
そこで、芸能界のような狭く少ない席数しかない世界ではなく、インターネットっていう無限に広がる世界を舞台にプロデュースしていきたいと考えて、この事務所を生み出した人だ。
社長の言うような『光るモノ』を持っている人というのは、社長ほどの強い何かを感じられないような人であっても自然と注目してしまったり、底知れなさみたいなものを感じるらしい。それは期待であったり、何かやってくれるという信頼であったり、だ。
その弊害で言いなりになってしまうような存在が一定数現れるのだそうだけれど、そういう人材はプロデュースもマネジメントもできなくなってしまうらしい。
その点、私は姉という圧倒的な存在と共に育ったせいで、そういうものの対象が姉になってしまっていて、感覚が麻痺していると社長に言われている。
だからこそ平等に扱い、贔屓をせず、客観的に長所や短所を判断して冷静に物事を運べるという手腕が買われ、統括マネージャーという立場で他のマネージャー達もタレントも冷静に見るという役割を与えられていたりもする。
「でも、あの子がそこまで、ですか?」
「そこまで、よ。正直、ある程度崩した態度で接してくれたから命拾いできた、というのが本音ね。あの子があなたの関係者じゃなく、しかも繋がりがない状態で顔を合わせていたら、完全に呑まれたでしょうね」
「呑まれた……?」
「えぇ。あの二人が放つ、抗えない程の圧倒的な存在感。ただ佇んでいるだけで近寄り難いと思えてしまう程の重圧。あんなものを持っているのは、それこそ一握りの女優や俳優ぐらいなものよ」
――それこそ、あなたの姉のような、ね。
苦笑してみせた社長が言下に秘めた言葉。エフィ達には伝えていないその真実を知る社長の言葉は、ハッキリと私に伝わっていた。
「あなただって、感じた事はあるんじゃない?」
「そういうモノを、ですか?」
「えぇ、あの子から」
そこまで言われて思い返してみる。
凛音ちゃんの昔の姿を知る私としては、Vtuberとして活動するまでの姿を見ていたし、そういう存在感とかカリスマ性みたいなものは特に感じなかった、と思う。
どちらかというと消えてしまいたいと願っているかのような儚ささえあって、そんなあの子をどうにか支えてあげたいとは思っていたけれど。
「――……あ」
ふと、初配信のあの時の光景を思い出す。
ヴェルチェラ・メリシスがVtuberとして産声をあげて、初配信の際に発した最初の一声。
たった一言、その一言で身体が芯から震えた事なんて、今までに一度たりとも感じる事なんてなかったというのに。
――《頭が高い。跪け、誰の前だと思うておる》。
あの一言に、思わずぞわりと鳥肌が立った。
愉しげな一言に心が弾んで、それは叔母という私の立場が、姪っ子がしっかりと楽しんで配信できているからこその喜びではなくて、ヴェルチェラ・メリシスというVtuberとして誕生したその存在が――凛音ちゃんという中の人なんて関係ない、その存在が愉しげである事に対して生まれたものだった。
「初配信の最初の一声で、もしかしたら感じたかもしれません」
「ふふ、アレね。実は私もそうよ。エフィ、あなたも感じたんじゃないかしら?」
「……うん。アレは衝撃的だったよ」
放心していたエフィも私達の会話を聞いていたみたいで、社長の一言に肯定を返す。
目を向けてみれば、リオやスーも、少しは落ち着いてきたのか落ち着いた様子で頷いていた。
「エフィに言われて配信観たけどさー。あれ、凄かったもんなー」
「ん……。正直、勝てないって思った」
「あら、勝つも何も、スーと彼女は全く違うタイプでしょう。リオも、エフィだってそうよ。あの子は全く違うキャラクター性を持っているから、変に自分と比較する必要なんてないわ。女優、芸人、アナウンサーがそれぞれに他のジャンルの相手を見て勝てないと思うのと変わらないわよ」
「同じVtuberなのに?」
「えぇ、そうよ。どれもテレビに出ていて有名人だけれど、全く違うジャンルでお仕事をしているでしょう? そもそも勝つ必要なんてないし、求められている役割も違うという事よ。他者と自分を比較するんじゃなくて、常に自分の過去と今、未来を比較しなきゃダメ」
「むむ……、難しいなぁ……」
社長の言葉を聞いて、3人がむむむと眉間に皺を寄せながら呻く。
そんな3人を微笑ましいものを見るように見つめてから、社長が改めて私に目を向けて、再び疲れた様子で苦笑を浮かべた。
「まあ、それはともかく……問題はコレよ」
テーブルの上に置かれた、一台のカメラ。
一般的な配信者が使うような、配信用のカメラの中でもそれなりに高品質な部類に入るようなそのカメラを顎で指して、社長は手元に置いていたタブレット端末を操作する。
「メイドさんから取扱説明書をPDFで送ってもらったけれど……使おうと思えばすぐに使えちゃいそうね、これ。ゲリラ配信でも問題なさそう」
「え、マジで!? いいの!?」
「ダメです。社長も変なこと言わないでください」
「えー!」
「さっきも話したでしょ。これはテスト用、動作確認や使用方法の確認用として貸してくれたテスト用のカメラだもの。これで色々とテストをして準備をして、特殊バッテリーとやらを充電した配信用のものを貸してくれるまでは配信はナシよ。私が責任を持って借りてくるから」
「じゃあじゃあ早くテスト行こう!」
「あなた達はレッスンでしょ。こっちでテストはするから行ってきなさい」
「えーっ! 見たいよー!」
……なんていうか、子供を相手にしている気分よね。
というか社長、あなたまで残念そうな顔しないでください。