神とメイドの交渉 Ⅰ
社はこの世界での平安時代あたりに造られたような形式で、寝殿造。
広大な敷地の中に佇む寝殿に、渡殿で繋がれた対屋。朱色の柱や渡殿の柵がいかにも和風という印象で、ついつい実家――篠宮家にいた頃の事を思い出します。
さすがに寝殿造で作られたような家ではありませんでしたけど、儀式と称して似たような造りの建物には赴いた事もありましたので。
「みやび様! お客様でございまするっ! ――ほへ!?」
とととっ、と正面の寝殿に向かって走っていく神使を名乗った狐面の少女が叫ぶと、襟首を掴まれたようにその場に僅かに浮かび上がりました。
「――はあ、この娘は……。すまないねぇ」
寝殿の奥から姿を現したのは、長い黒髪を編み込んで簪で結った一人の女性。
和服というよりも、和服テイストを取り込んだドレスのような服装、とでも言うべきでしょうか。
肩もはだけていて、足も普通に見せていますし、いっそ花魁か何かと言われれば納得できてしまいそうですね。
そんな形容し難い服装の女性は、手に持った扇を畳んだまま口元に当てていますが、眉尻が下がって困ったような表情を浮かべながらこちらを見つめて目礼する。
感じられる神気。
しかし……向こうの世界で相対していた神々に比べて、ずいぶんと弱々しい。
一瞬で消し飛ばせそうな程の力しか感じられませんが、これもまた結界の特徴と同様に、隠す事に特化しているのでしょうか。
「そう警戒せずとも、敵対しようなんざこれっぽっちも思ってないさ。せっかくやって来た客人なんだ、込み入った話もあるだろうし上がっておいで」
「み、みやび様!? お、下ろしてほしいのでございます!」
「はいはい。下ろしてやってもいいけどね、もうちょい慎みを持ちなって言ってるだろう? 駆けない叫ばない。約束できるね?」
「ひゃぴっ!? はう、痛いのです……。わかったのです! お茶用意してくるのです!」
落とされる形となっておかしな声を出していましたが、狐面の少女は即座に立ち上がり、元気よく返事をして、東対の対屋へと駆けていきました。
……駆けない、叫ばない。
約束したのでは??
思わず宮比神と思しき女性に目を向けると、苦笑を浮かべながらこちらに顔を向けてきました。
「まったく……、すまないね、お客さん。小さな子供だ、お目溢ししてくれると助かるよ」
「いえ、私は気にしていませんので」
「そうかい、なら良かった。私は宮比神。雅、と呼んでくれて構わないよ」
「……神が略称を認めるのですか?」
「そんなもん、いちいち構うもんかい。この国、この時代さ。特に堅苦しい儀式の最中って訳でもあるまいし、気にしないでおくれ。もっとも、『そちらさんのいた世界』じゃ、そうはいかないのかもしれないけどね」
「……そうですか。では、私はレイネルーデ……いえ、レイネとお呼びください」
「はいよ。じゃ、中においで」
気さくな様子で招かれて、なんだか調子が狂いますね。
あちらの世界にいた神々と、あまりにも様子が違いすぎると言いますか。
それに、私が元々他の世界にいた存在だという事も理解しているようですし、力がないというのに見透かされているような気がして、少々不気味と言いますか、底知れないものがありそうな気がしてきます。
ともあれ、ここで立ち止まっていても仕方ありません。
雅と名乗る彼女についていく形で、寝殿の中へと足を踏み入れました。
寝殿の中、広々とした板敷きの庇と母屋を仕切るように配置された柱の数々という、日本の建築ならではといった風情ですね。
長押に取り付けられて御簾が垂れ下がる母屋に入れば置き畳が敷き詰められ、円座が用意されていました。
ちらりと見れば、先程の少女と同じように狐面をつけた少女たちが部屋の隅で控え、雅さんが近づくとすっと床に膝をつけて頭を下げているようです。
そんな少女たちも、雅さんが手に持った扇を開いてから勢いよく閉じ、パチンと音を立ててみせると、すっと立ち上がってその場から離れていきました。
下がっていく少女達を他所に、円座に腰を下ろすよう促されて腰を下ろした私と向き合う形で奥に雅さんが腰を下ろしました。
「さて、ここは偶然見つけた、という事でいいんだね?」
「はい、そうですね。意図してあなたに会いに来た、という訳ではありません」
「だろうね。ハッキリ言って、わざわざ私なんぞに会いに来る理由が見えないからね」
「そう、でしょうか? 神であるあなたに接触して何かを画策するというのも珍しくはないのでは?」
あっさりと肯定されましたが、普通に考えれば〝神に接触する〟というのは相応の意味を持つものです。
たとえば、私の生まれた篠宮家の事を考えると、知己を得るというだけでも権威に繋がると思いますし、その影響が及ぼすものは意外と大きいと思います。
ですが、雅さんは一瞬だけ目を丸くして、すぐに口を開いて笑いました。
「はは、そりゃないさ。なんせこの世界に神と呼ばれる私らの力は影響しない。そういう世界として生み出され、そういう世界として進んできたからね。今更、神が表舞台に出ていったところで何がどうなるって事はないさ。逆に私が今、あんたに消されたとしても、ね。どう転んでも、私らは見守る事ぐらいしかできないし、するつもりもないさ」
「……なるほど。影響がないからこそ、異物である私を堂々と招く事もできる、と。神の領域に入り込むつもりはありませんでしたし、攻撃を受けても仕方がないと思いましたが」
「そんな気はないよ。だいたい、追い払おうとしたって力であんたには勝てないんだ。だったら普通に対話を選ぶべきだろう? あんたは力を持ってはいるけれど、それを私利私欲の為に振るうようなタイプじゃなさそうだしね」
「何故そう言い切れるのですか?」
「……いや、あんたのその服、どう見たってメイド服じゃないか……。誰かに仕え、それを誇りに思ってるからこそ外でもそれを身に纏っているんだろうさ。違うのかい?」
「いえ、ご認識の通りです。私は主に仕えております」
あ、そういえばそうでしたね。
私にとってメイド服とは制服でもあり勝負服でもあり、常に身に纏うものです。
故に自分の服装がメイド服であるのは日常でもあり当たり前のことですので、気にも留めていませんでしたが、確かにその通りでしたね。服装からして私が誰かに仕えているのは当然と言えるでしょう。
どこぞの職業メイドのように不特定多数を主として店舗で接客するのではなく、お嬢様ただ一人の為に尽くし、お嬢様ただ一人の生活を支えるメイドなのですから。
もちろん、今生では凛音お嬢様と再会できるまでは着ていませんでしたが。
「やれやれ、あんたのような存在が誰かに仕える、か。その主にちょいとばかし興味が出てきたよ」
「お連れしましょうか?」
「……ふぅむ。それに答える前に聞かせてほしいんだけどね。あんたとその仕えてる主とやら。もしも正面から本気でぶつかり合ったらどうなる?」
「おそらく、5分……いえ、3分と経たない、というところでしょう」
「へぇ、あんた相手にそこまでやれるのかい?」
「はい? それぐらいならば耐えられます、というお話ですが」
「は?」
もしも凛音お嬢様が本気で魔力を解放し、本気で私を殺しに来たと仮定しましょう。
まずそもそも、魔力をぶつけ合う戦いとなる以上、魔力の密度で圧倒的に私は不利でしょう。
何せ私では凛音お嬢様が本気で張った魔力障壁を貫く事はできないからです。
つまり、私は攻撃を一切捨てて全力で防御に力を注ぐ以外に生きる術がないという事です。
先手必勝を狙っても、隙をつくなんて真似をしようとしても、その全てが凛音お嬢様の魔力障壁によって弾かれます。
そうなると守りに徹するしかないのですが、闇竜魔人であった私と今の私とでは、単純に肉体強度が比較にならない程に脆弱になっています。
よって、僅かにでも魔力障壁を貫かれたら、陛下の魔法の余波でさえもこの脆弱な身体では一切耐えられません。
魔力を利用して鱗を再現させる事まではできますが、しかしそれも魔力の密度という点で凛音お嬢様にあっさりと貫かれるのが関の山で、意味がありませんし。
そんな私が逃げる、避けるという方法を取ろうとして下手に意識を割いた時点で、その瞬間に消されてしまいます。
つまり、全力で魔力障壁を張って、それだけに力を注いで2分ほどは耐えられる、というところです。
もっとも、最初から凛音お嬢様が本気の本気で攻撃を仕掛けてきたら、10秒も保たないと思いますが。
「……本気で言ってるんだね?」
「そうですね」
「……絶対連れて来ないでおくれ」
「かしこまりました」
凛音お嬢様は私よりも余程温厚な御方なのですが……、まあ連れて来ないでほしいと言うのであれば連れて来ないようにしましょう。
凛音お嬢様が「会いたい」と言わない限りは、ですが。
あの御方のお言葉次第です。
「まったく、まいったね。そこまでのものとは思いもしなかったよ……」
「そうですか?」
「そりゃそうさ。確かに戦いに、力に特化した神なんてのもいるけどね。それでも私だってそれなりには対抗できるぐらいさ。でも、あんたと戦って生きていられるかって言われりゃ、話は別さ。そんなあんたでさえ勝てないような存在なんてなると、相対しただけで消されちまいそうだ」
「そんな事はないかと……。多分、ですが」
「多分、なのかい……」
凛音お嬢様の力は多少漏れただけで問答無用にこの世界の悪霊等を消し飛ばしていますから。
さすがにそこまで弱々しい存在ではないとは思いますが、凛音お嬢様が少し力んで鼻息を吹いたりしたら、絶対に、とは言えません。
「――失礼いたしまする! お茶を用意してまいりましたでございまする!」
「……はあ。相変わらずおかしな言葉遣いだね」
やって来たのは先程私をこの寝殿に案内してくれた子でしょうね。
さすがにお茶を用意してきているので駆けてくる事はないようですが、相変わらず叫んでいますね……。
もしやあの娘は狐面をつけていますが、鳥の神使だったりするのでしょうか。
鳥頭と言いますし。
手にはお盆を持ち、ふよふよと彼女の横で浮いたまま運ばれる高坏。
高坏が私達の前に音もなく着地すると、狐面の少女がそこにコップに入ったお茶を置いてくれました。
……コップだけは現代的と言いますか、普通のガラスのコップなんですね。
そんな事を考えつつ一口お茶をいただきます。
「……ふぅ。さて、それで、そろそろ本題に入ろうか。一体何が目的で、こんなとこに? 私のような神、もしくはそれらしい存在を探していたっていうのは事実なんだろう?」
「そうですね。実は、神と呼ばれるような存在がいるのならば確認しておきたい事がありまして」
「確認?」
「はい。この世界での魔力の運用と、それを世間に出すこと。それが問題ないかを知りたく」
短く告げてみせれば、雅さんとお茶を運んできた少女が僅かに目を見開きました。




