水無月サツキの心酔 Ⅱ
ドナドナを脳内再生しつつ、諦めの境地である虚無を胸にVCへと参加します。
「こんばんは~」
《ばんわ、です》
《っす》
《……す》
んーーっ!? 気まずいですっ!?
……どうしましょう、昨日よりも酷い事になってませんか、これ……。
というか昨日はまだ空元気とでも言いますか、多少なりとも取り繕う素振りを見せていたはずだというのに、今日のこれはどうしようもなさそうなのですが……。
とりあえずモデルの表情をおろおろとした眉を下げるものへと切り替えて無言で視聴者の皆様へとアピールしておきつつ、コメントを確認しましょう。
『これはキツいw』
『本戦でいつも以上に叩かれたからなw』
『ぼっろぼろだしな、スコアもw』
『これマジで抜けていいんじゃね?w』
……同情的なコメントは有り難いですが、なんで草生やしてるんですか?
笑えませんが?
草生やしておけば冗談に見えるやろ、みたいなのかえってイラっとしますが?
しかし、なるほど……。
確かに昨日は本戦の初戦という事もあってかなり注目度も高めでした。
だからこそチーミング、ゴースティング容疑に対して歯に衣着せぬ物言いで口撃する方々が多かったという事は想像に難くありません。
アーカイブでそれを見たのか、それともモノロジーあたりでそれらのコメントを見てしまったのか、完全に心が折れてしまっているのでしょう。
……同情、はありませんね。
自業自得、因果応報です。
いっそのこと、自白してこの場から立ち去った方が楽になるのではないでしょうか。
それでもそれをしないで今日も参加する準備をしているのは、Vtuberとしても配信者としても、そしてプロゲーマーとしてもそれをしてしまえば終わりになると理解しているからこそ、でしょうか。
私から言わせてもらえば、このまま潰れて消えてしまうのであれば、せめて「立つ鳥跡を濁さず」ではないですがキレイに終わらせてほしいものです。
「……えぇと……、トラストさん~」
《……ぇ、ぁ、はい》
「あの、今日の作戦とかはどうしましょうかぁ~?」
《……ッスね……。多分、狙われるんで、初動はちょいと慎重にいきたいとこすけど》
「狙われる、ですかぁ~?」
《ッ、ぁ、いや、その……! と、とにかく、最初は抑えめで……》
「はぁ~い、分かりました~」
『狙われる?』
『知らんのか? 今回の騒動の首謀者トラストなんじゃねーのって言われてんだよ』
『昨日もトラストのキル獲った配信者のコメ沸き立ってたからなぁw』
『公開処刑みたいなもんでしょ』
『これはツッキー、完全に巻き込まれ事故』
『クロクロの運営ー! ツッキー抜けさせてあげてよー!』
……えぇ……、そんな事になっていたんですか……?
実は私、今日は今回の騒動に対する対応とかで今日はほぼずっとマネージャーさんと対策チームの人たちと話し合ったりしていたので、そんな事情があるかまではチェックしていなかったんですよね……。
しかしなるほど、そういった影響もあって今日はもう完全にメンタルブレイクしてしまっているという訳ですね……。
――めちゃくちゃ空気が重いんですがぁ……!?
私――水無月 サツキというキャラクターには時折無言になってしまったり、配信を忘れて鼻歌を歌いながらゲームに集中してしまう癖がある、という設定があるのですが、さすがにこの状況で鼻歌を口ずさんで全く気にしていないアピールをするのはちょっと……!
『やべー空気w』
『ツッキーはもらい事故だから気にしないでね……!』
『さすがにヤベーだろ、これw』
『どうすんだよ、マジでw』
温かいコメントには本当に感謝しかありません。
いえ、だからこそ、配信歴も長い私がこういう時に場を取り持ち、盛り上げなくてはならないはずです……!
えぇ、それは分かっているんです。
そういう役回りで頑張らなきゃいけないって事ぐらい、分かっているんですよ。
でも、何通りもシミュレートしてみましたが、まったくうまくいく気がしません……!
この空気で私が何かしたら、どう考えても私が独り相撲をしてダダ滑りする未来しか見えないんですよ……!
今回の騒動は不幸な行き違いではなく、誰もが『誰がクロかを理解している』騒動です。
それでも被害者であるはずの魔王様とジェムプロの方々が『本人達が認めないのなら行われなかったという態で不問にした』という状況です。
それ故に、視聴者の向ける目は必然厳しいものになります。
応援している推しに対し、ネタでもなんでもない、純然たる悪意を向けた存在をファンが笑って許すという事はないのですから。
まして、Vtuber界のアイドルグループであるジェムプロの方々を相手にしたのですから、その代償はさらにドン、です。
この状況で私が空気を良くしようと軽口を叩こうものなら、その矛先が私にも向けられる事は火を見るよりも明らかというものです。
かと言って私がこのまま沈黙し、静まり続けていては今度は私を応援してくれているファンの方々まで、口撃に参加してしまう事になるでしょう。
それは本意ではありません。
私は今回の騒動に微塵も加担したい等とは思っていないのですから。
つまるところ、私としてはこのお通夜モードの被害者として巻き込まれるのも、彼らを中傷する加害者の口撃のための大義名分という名の神輿に乗せられるのも御免なのですが……ッ!
だからこそ私は何も気にしていないとアピールするために、マイクに乗らないように静かに、ゆっくりと息を吸い込み、震えないように鼻歌を口ずさもうとした、その時でした。
ピコン、と『Connect』の私たちが参加しているVCへの参加者を示す効果音が、唐突に鳴り響いたのです。
《――なんじゃ、全員離席しておるのかの?》
――……ぇ……?
《――な……!?》
《っ!?》
ガタン、と何かをぶつけるようなチームメンバーの声と、ひゅっと息を飲む僅かな音。
それらが相次いで聞こえてくる中、私は思わず目を見開いたまま固まっていました。
――その声の持ち主を、私が聞き間違えてしまうはずがありません。
しかしその声の持ち主が何故このチームにわざわざやって来たのかも理解できなくて、理解できているのに声の持ち主が何者であるのかが信じられず、答えを求めるようにコメント欄に目を向けました。
『あれ、陛下!?』
『まさかの陛下登場で草ァ!』
『ナンデ!? ナンデヘイカ!?』
『魔王様きちゃあああww』
私の脳裏に浮かんだ人物、声の主を肯定するコメントの数々。
それらを見て私は思わず、彼女と接点を持てるこの機会に歓喜の表情を浮かべそうになりながら、慌てて平静を装い、驚いた表情を意識して取り繕いました。
モデルは表情をしっかりと読み取り、隠してくれません。
技術の発展のおかげでよりナチュラルに表情を生み出せるようになった反面、油断すればこうした時に素の表情を暴いてしまいます。
そういう時にどのように顔に力を入れればモデルの表情を保てるかぐらい、しっかりと把握していますとも、えぇ。
だから視聴者さん、『なんかツッキー笑顔にならんかった?』とかそういうツッコミはいらないですよ!
そんな一瞬を目ざとく見るんじゃありません!
デリカシーないですよ!
「え、あの、ヴェルチェラ・メリシスさん、ですかぁ~……?」
《ぬ、そうじゃ。おぬしは……クロクロの水無月サツキじゃな?》
「――ッ、はい~……! その、どうなさったのですか~?」
《なに、今回の騒動で色々と言われておるチームを嗤ってやりにきたのじゃよ》
「え……?」
《な……にを……?》
《くはっ、無様じゃなぁ、と嗤ってやろうと言っておるのじゃよ。くだらぬ浅知恵を妾に踏み潰され、歯牙にも掛けられぬまま昨日を迎えた愚か者共よ。挙げ句、情けない程にあっさりと倒され、配信も盛り上がらず終い。よもや恥を恥で上塗りして隠すつもりか、ん? なるほど、であれば上手くいっておるやもしれんなぁ?》
《なぁ……っ!?》
《ッ!?》
《……ッ!》
――え……えええぇぇぇぇっ!?
『陛下ww』
『くっそ楽しそうに煽りよるw』
『にっこにこだろ、陛下w』
『噴いたわw』
《本戦までに泣き寝入りもせず、何クソと妾を見返すべく奮起するかと期待しておったが……――ハッ、つまらん奴らじゃな。牙を折られ、尻尾を丸めた獣など家畜も同然じゃ。おっと、食用にもならん上に愛想の一つも振り撒けんようでは、家畜にも劣るというものじゃ》
「え、えっと、ヴェルチェラさん……?」
《おぬしも災難よなぁ、水無月サツキ。このような貧乏くじを引かされて、沈む船に同乗させられるとは》
「え……?」
《沈みゆく船に乗り続ける義理はあるまい。腑抜けどもに気を遣わず、見捨てても良いのではないか? 何一つ言い返せず、情けない結果しか残せず、配信でも視聴者の事すら考えられずにだんまりを決め込むような輩共じゃ。そのような者共をいちいち気にせず、見捨てれば良かろうに》
「っ、それ、は……」
《なに、気にする事はあるまい。――『おぬしがその程度の者達すら御せぬ』というのであれば、見捨てるしかなかろうよ》
――……今、のは……。
『は?』
『おっとぉ、陛下? 調子乗り過ぎじゃね?』
『ツッキーは関係ないだろ!』
『は? 何コイツ』
一瞬、ピタリとコメントが止まったかと思えば、次いで勢い良く流れ出すコメント。
さっきまではまるで勧善懲悪の劇を見る観客であったかのように陛下の言動を笑っていたはずの視聴者たちが、その一言で矛先を変えた。
――あぁ、今のは……。
その一言。
たった一言で彼女が何を為したのかを理解して、私の身体はぶるりと震えました。
――――私の配信を観てくれている視聴者にとって、トラストさん達はすでに敵。
そんな存在と視聴者の皆様が応援している推しである私が一緒にゲームをしているというのは、お世辞にも面白い展開であるとは言えません。
しかも、私としても大会の成功の為にも「じゃあ辞めます」なんておいそれと口にはできませんし、かと言って彼らと表面的に仲良くするという事さえできないような状況です。
今回の騒動、大会のスケジュールの練り直しにならないよう、せっかく魔王様が一つのエンターテイメントとして昇華したというのに、肝心のトラストさん達――つまり不正をした者達の心が折れてしまっていた。
それに対し、今度こそは一泡吹かせてみせると奮起するどころか、トラストさん達や件の不正参加者と思しき者達は、『目立たずにやり過ごす』という消極的な選択をして、結果、昨日は散々な結果となりました。
正直大会としてはあまりにも酷い結果と言えるでしょう。
何せ一人勝ちなんてものを許すような結果になってしまっているのですから。
このままでは大会を無理に開いたのは失敗だったのでは、なんて声もあがりかねません。
故に、大会としてはテコ入れがどうしても必要になる。
しかしテコ入れをしようにも時間もなく、手を打つのもなかなか難しい状況です。
何せ不正をした者達の心は折れてしまっていて、そんな彼らを視聴者たちは『正義』の立場から貶せてしまうような状況が出来上がってしまっているのですから。
私のように今回の不正に参加しなかったのに同じチームにいた人達はそれなりにいますが、そんな彼らと協力体制を築きたいとはお世辞にも思えない状況です。
そういった背景を読み切り、理解したが故に彼女は――魔王様は今、今度は己を『共通の敵』とする事で、それぞれのチームが一丸となるきっかけを与える事にしたのでしょう。
道化師のように『新人Vtuberが騒動を乗り切ったからって、調子に乗って有名Vtuberまで小馬鹿にした』という演出を加えて、『共通の敵』を作る事で一時的な協力体制を築く口実になる、その為に。
昨日と今日、つい先程まではまさに悪意のみをぶつけられていたはずのトラストさんや他の方々。
しかし今、魔王様がこうしてやってきて、見下し、煽る事で視聴者の怒りを代弁してみせた後で、次に取ったのが『悪意の残り滓』の誘導。
それこそが、まさに今――調子に乗って有名Vtuberであるトップと言える私までもを侮ったように見せかけて、視聴者のヘイトを自分へと誘導するという行いの真の狙い。
――――なんて……素晴らしい。
やはり彼女はエンターテイナー。
いえ、あるいはそれ以上に場を支配してみせる力に長けていらっしゃいます。
たった数言の言葉を口にするだけで、完全にこの場の流れを支配し、流れを自らコントロールし、風向きを変えてみせたのですから……!
ならば演者として、私はそれに応じましょう!
あなたのその決断に気付き、その上で演じきってみせるエンターテイナーが――私がここにいるのだとお見せしましょう……!
「……ふふ、お戯れが過ぎますねぇ、ヴェルチェラ・メリシスさん~。あまりオイタが過ぎるのはどうかと思いますよぉ~?」
《……ほう? 愚か者共を御して妾を楽しませてくれるというのかの? くくくっ、水無月サツキよ。そこな腑抜けども、畜生共を上手く使って、せいぜい妾を楽しませてみせよ》
この演出に気が付いたと言下に告げつつ流れに乗ってみせれば、魔王様は実に愉快そうに、強者の余裕を滲ませながら獰猛に笑って、私が更に乗りやすくなるよう応えてくれます。
「……そうですねぇ~。さすがに私も、そこまであなたに言われる筋合いはありませんので~、ちょぉーっと、怒っちゃいますよ~?」
《くはっ、御託は結構じゃ、水無月サツキ。実績と実力のある人気Vtuberであるおぬしならば、妾を愉しませるぐらいはしてくれると期待しておるぞ?》
ディロン、と効果音を奏でて魔王様が退出していきました。
……危ないところでした。
思わず「きゃーっ! 魔王様に認めていただけるなんてー!」と叫びそうになりましたが、必死に抑え込みました。
ふぅ、危ない危ない……。
水無月サツキはそんなミーハーな喜びを見せたりはしません。
心を落ち着かせてコメントに目を向けましょう。
『ツッキーやったれ!』
『魔王だかなんだか知らんけど調子乗り過ぎ』
『ツッキーが怒るとか、レア過ぎて期待大なんだがw』
『いけ、クロクロの裏番長!』
……は? 魔王様は調子に乗ってませんが?
あの御方はこの場を整えていったのですから、むしろ感謝するべきなのですが?
……あと、私をクロクロの裏番長とか言った人、名前覚えましたからね?
「……ふ、ふふ、虚仮にしてくれましたねぇ~……。カルゴさん、トラストさん、アストさん? さすがにあそこまで言われると、ちょぉっと鼻を明かすぐらいはしたいので~……――情けない姿、見せないでくださいね?」
《ひぇ》
《っ、あ、はい……っ!?》
《あ、お、おう……っす》
『これは草』
『ツッキー覚醒きたww』
『最後の一言、ワイもぞくぞくしたわ』
『キレるお姉さんキャラ、いいよね……』
なんだか視聴者の数名が新しい扉を開いているような気がしますが……気付かなかった事にしましょう。