本戦前夜
「ふふふ、楽しみね~」
「えぇ、そうね。凛音ちゃんの初案件、きっとまたやらかしてくれると思ってるから、痛快にやってくれるのを期待してるわ」
「…………私やっぱり部屋で観たいんだけど」
「それはダメよ~。せっかくなんだし、一緒に見ましょうね~?」
「そうよ。せっかく仕事を急いで片付けてきたんだから、一緒に観ましょうね?」
案件撮影を終えた翌日、私の案件配信が公開される20時まであと少し。レイネの用意してくれた夕飯を食べていると、お母さんとユズ姉さんが楽しそうに笑った。
お母さんは今日は仕事も休み――というか台本の記憶中らしい――だから、時間に余裕もあったし一緒に観たがるのは分かる。
でも、基本的には昼過ぎから夜中までが仕事の時間になっているユズ姉さんが、わざわざ忙しい中でウチまでやってきたその理由や目的が、まさか私の配信を一緒に観ることだったなんてね……。
そこまでしなくてもいいじゃないの。
「そういえばユズ姉さん、ジェムプロとクロクロの対応は落ち着いたの?」
「……凛音ちゃん、当事者なのに調べてないの?」
「当事者って、私はジェムプロにもクロクロにも所属してないよ」
「そうじゃなくて……。狙われたのはあなたも一緒でしょう? 普通、気になって調べたりもすると思うのだけど」
「いや? 別に調べてもしょうがないかなって思って」
インターネット上で検索したって、声のデカい発言や人が注目している情報が目につくだけで、それが真実を示しているかどうかなんて分からないしね。
一応私だってモノロジーを投稿したりもしてるから情報は多少は目に入るけど、あれは別に真相を物語るような代物でもないし。
そんな理由から調べるつもりも一切なかった私に対して、ユズ姉さんはどこか呆れたような目を向けてから、ため息を漏らしてカバンからタブレット端末を取り出して操作。
何やら文字ばっかりのページを開いて私に差し出してきた。
「……不正騒動に対する対応について?」
表示されている表題を口にしつつ内容に目を通す。
これ、どうやらジェムプロ、クロクロ、その他の今回『OFA VtuberCUP』に参加する面々が所属している箱からの連名での発表らしい。
内容を見ていけば……うわぁ、そうきたかぁ……。
思わず顔を引きつらせた私を見て、ユズ姉さんが悪役のようにニタリと笑ってみせた。
「不正に関与した面々が認めずに黙秘を貫いている以上、私達としては糾弾しようがないとも言えるのよ。だったら、彼らを信じるしかないでしょう?」
いや、確かにこの声明文を見ればそういう方針だとよく分かるけれど……。
「……これって、『やましい所がないんなら出るよね? 逃げないで本戦でも戦えるんだよね?』って言ってるだけなんじゃ?」
「あら、そう見えるかしら? おほほ、そんな事は考えてなかったわねぇ。でも、問題ないでしょう? だって、ウチの大事なタレントが所属しているチームにくだらない真似をしたなんて輩はいないんだもの」
にっこり、と。
凄いね、ユズ姉さん。
キレイな満面の笑みだっていうのに青筋立ってるよ。
「ふ、ふふふ……凛音ちゃん様々よね、ホント。あなたがあんな風に正面から叩き潰すなんて宣言してくれたものだから、不正疑惑のあるチームに対して『参加を辞めさせろ』っていう風潮から、今じゃ『逃げるな』とか『戦って証明してみせろ』って空気になっているのよ。そこに私たちも乗っかる事にしたという訳ね。おかげで意地汚くだんまりを決め込んでどうにかしようとしていたゴミ……オホン、彼らに逃げ道はもうないわ」
「……お、おぅ……。そうなんだ……」
「えぇ、そうよ。だから……大会の後で証拠をあげてやるわ」
……ユズ姉さん、満面の笑みがかえって怖いことになってるよ。
「お母さん、ユズ姉さんが」
「ふふふ、ユズはもう止まらないと思うわよ~。この子、卑怯な手段とかそういうのをやる人間が一番嫌いなんだもの~。昔も凄い事になっちゃったしねぇ……」
「何それ詳しく」
「姉さん、言ったら怒るわよ?」
「あら、そう? じゃあ凛音ちゃん、今度ユズがいない時に教えてあげるわね~」
「ちょっと!?」
釘を差されたからには教えないという選択になるのかと思ってたけれど、お母さんの場合はどうやら「じゃあ目の前では教えない」という答えに行き着くらしい。
詰め寄るユズ姉さんを相手ににこにこ笑ってるけど、堂々と裏で教えると言い切ったのはさすがにビックリだよ、私も。
それにしても……こういう姿を見ていて思う。
私がVtuberになって――というよりも、私が前世の記憶を取り戻して今の私になって以来、お母さんは以前よりもポンコ……げふん、おっとりと天然ぶりを炸裂させるようになった気がする。ユズ姉さんもそんなお母さんにツッコミを入れる回数が増えてるし。
かつての私が私自身の容姿を嫌い、隠そうとしていたこと。
そのせいで、私は他人と距離を置くようになり、いつの間にかお母さんやユズ姉さんに対しても口数が減ってしまっていたせいで、お母さんやユズ姉さんは私の前では私に気を遣ってくれていたんだと思う。
塞ぎ込んだ私にVtuber活動を勧めてくれて、その結果として『もう一人の自分』を思い出すきっかけになった。おかげで私も自分自身を受け入れられるようになって、結果としてお母さんやユズ姉さんの心の凝りというか、そういうものが解けていったおかげなんだろうなと思う。
「……お母さん、ユズ姉さん」
「ん? なぁに?」
「どうしたの、凛音ちゃん」
「……ありがとうね」
その感謝が何に対してのものかなんて、お母さんとユズ姉さんも改めて訊ねようとはしなかった。
ただきょとんとした表情を浮かべた後で、ふっと穏やかに笑みを浮かべてくれる姿は姉妹だなぁなんて思うぐらいにはよく似ていた。
前世の私には家族なんてものはいなかったけれど……うん。
温かいね、家族っていうのは。
「――どうやら始まったみたいですね」
レイネが声をあげてくれてテレビに目を向ければ、配信30秒前から始まるカウントダウンが表示されていた。
その映像を見るなりお母さんとユズ姉さんがいそいそと大きなテレビの前にあるソファーへと移動していく姿に、ついついレイネと顔を合わせて苦笑してしまった。
「凛音お嬢様は向こうに行かれないのですか?」
「いや、私はパス。移動していいなら部屋に戻りたいぐらいだよ」
なんかこう、自分が配信するのは全然問題ないんだけど、こうして映像になっているものを誰かと一緒になって観るっていうのはどうにも……こう、気恥ずかしいというか、むず痒いものがあるというか。
一人で見返す程度なら問題はないんだけど、中身を知ってる人に目の前で見られるっていうのはまだ慣れないよ、さすがに。
「ほらほら、凛音ちゃん、お母さんのとこにおいで~」
「行かない」
「こっちでもいいのよ?」
「行かないってば」
お母さんは別に悪気はない――というか、ワインも飲んでいたから少し酔っ払って引っつきたがって私を呼んだんだろうけど、ユズ姉さんは明らかにニマニマしていてからかう気満々だって見て判る。
じとりと目を向けてみれば、ユズ姉さんは堪えきれないといった様子でくすくすと笑った。
「ウチの子たちも一緒に配信を観るってなると恥ずかしがるのよねぇ。何万って人が同時に聴いて、視てる中で堂々と配信してるっていうのに」
「それとこれとは話が別なの」
「ふふ、そうねぇ~。私だって演技をする時は他の俳優さんとかスタッフ、監督とかと一緒だからなんとも思わないけれど、私の出たドラマとか映画とか、昔は誰かと観るのは恥ずかしかったわね~」
「……気持ちが分かるなら私が嫌がってるって分かってくれるよね?」
「ふふ、凛音ちゃん」
「ん?」
「大丈夫、すぐ慣れるわ~」
「それは励ましでも理解でもなくて、ただ諦めろっていう通告でしかないんだけど??」
いい笑顔で理解者というか先駆者らしい余裕を見せているお母さんの言葉にため息を吐いて、ちらりとレイネへと目を向ける。
私の前世を知るレイネだって、私が魔王として何万という聴衆を前に話したりする姿は見た事もあったし、そういう姿を知っているのは間違いない。
でも、それが録画されて配信されて、改めて自分で見返すこの居心地の悪さには共感してくれるかもしれない。私の絶対的味方だし。
そんな期待を込めた私の視線を受けて、レイネはゆっくりと、それでいて力強く頷いた。
「――凛音お嬢様、ご安心ください」
「レイネ……」
うんうん。
やっぱり長年の付き合い、しかも前世からの付き合いなら分かってくれるよね。
さぁ、言ってあげて。
なんなら今からでも部屋で観れるようにお母さんとユズ姉さんを説得してくれていいんだよ。
レイネはそんな私の期待の籠もった視線を受けながら、ゆっくりと口を開いた。
「その御威光を不安に思う事はありません。陛下――いえ、凛音お嬢様の御言葉、御姿を届けられる者達にとって、不満などあろうはずもございません」
「このポンコツめ。貴様もか」
「っ!?」
この後、レイネが凹んだ姿を慰めることなく配信を見た。
ちょっと可哀想な気もしたけど、慈悲はない。
――――ついに明日、本戦の日を迎える。