案件撮影 裏
「……ねぇ、レイネ。この車、なに?」
「私の家からこちらまで運ばせました」
我が家の玄関前、噴水の鎮座するロータリー内に停められた一台の車。
一般的な乗用車と違って、やたらと後部座席が長い特徴的な見た目の車は、お金持ちの代名詞とでも言うべき車――リムジン、だっけ。
そもそも私とお母さんは車を持っていない。
免許も取れない私はともかく、お母さんもマネージャーさんが送り迎えしてくれるし、少し栄えた場所なんかじゃ車だとかえって時間がかかる移動が多かったりもするため、特に必要ないから持たないというのがお母さんが車を持たない理由。それについては私も同意だったりする。
なのになんでウチの玄関先にこんなロータリーなんて作ったのか、と言いたいところではあるけど、お母さんの趣味というか夢だったからと言われてはどうしようもない。
ともあれ、要するに。
この目の前にある車はまず間違いなく私の家の車ではない訳で、だからこそ訊ねてみれば返ってきた答えがこれだった。
「……こんな車、必要なくない?」
「凛音お嬢様」
「ん?」
「大女優の娘である事を表立って明言していない凛音お嬢様であれば、確かにこれ程の車は必要ないとも言えるかと思います。しかし、今日は陛下としてのお勤め。陛下の格に相応のものを用意するのは私の仕事です」
「……近い、顔近い」
「失礼致しました」
ずいっと顔を寄せて熱弁を振るうレイネの姿に、これ以上の説得は無理だと悟ったよ。
昨日の夜だってマッサージと称して磨かれたし、今朝も案件の撮影の為に用意されたのも見覚えのないドレスを取り出された。さらに今朝は薄っすらと化粧をされ、髪を整えられ、外に出たかと思えば目の前のコレ。
レイネ……さては張り切ってる……?
私が今生では魔王とかそういう立場にもないし、そうそう出かけたりもしないから、この機会にと勢いづいて……うん、ありそう。
……こうなると譲らないんだよね、レイネ。
仕方ないとも懐かしいとも言える、なんとも微妙な感情をため息で吐き出しつつ、改めてリムジンを見つめる。
「それで、これレイネが運転するの? リムジンなんて駐車スペースにも困ると思うんだけど……一般的な駐車場とかにも停められないだろうし」
「ご安心ください。運転手も我が家の者を用意しておりますし、駐車スペースがないので、適当に時間を潰すよう命じてあります」
「……よくやるね。あ、じゃあ運転手に挨拶を――」
「――凛音お嬢様が御自らお声をかける必要などございません」
「え、でも一応……」
「古い家の古い考えに縛られた有象無象如きに関わる必要はございません」
「あ、はい」
圧が凄いよ、圧が。
レイネ、自分の家の人間なのにすっごい毛嫌いしてるじゃん。
それにしても、レイネの実家がなんか由緒正しい上流階級らしい事は聞いてたけれど、こんな車まで一声で用意できちゃったりするんだなぁ……。
っていうか持ってるんだ、リムジン。どんな家なのやら。
家を出るにあたって話はつけてある、なんて言ってたから問題はないんだろうけれど、一度ユズ姉さんにもレイネの家――篠宮家とやらの情報をもうちょっとしっかり教えてもらっておこうかな。
そんな事を考えつつリムジンに乗り込みつつ、車内の設備やらをレイネに教えてもらっているんだけど、今日以外に使う予定ないんだから覚えなくて良くない?
え、今度から案件の度に使うつもり?
……そうなんだ。
ぶっちゃけ私とかレイネの場合、魔法で姿を隠したまま転移して、認識阻害をかけて目的地まで歩けばいいだけだし要らないんじゃないかなぁ。
そんな事を考えてレイネの説明を聞き流し、ようやく設備やら飲み物の準備やらが落ち着いたところでレイネが運転手さんに声をかけると、車がゆっくりと走り出す。
そうして少ししてから、こちらの声が運転席に聞こえないようにとレイネがそっと結界を張った。
「凛音お嬢様、一つご提案が」
「ん?」
「はい。今回のようなお勤めで仕事先の人間と顔を合わせる際は、少々魔力を放出し、いわゆる軽度の【威圧】状態で対応してはいかがでしょうか?」
「……【威圧】、ねぇ」
レイネの言う【威圧】とは、自分の魔力を放出して文字通りに相手を威圧する状態の事を指している。
前世で魔王として多くの臣下の前に姿を見せたり、他国の王や使者なんかに会ったりとかしなきゃいけない時は使っていたりもしたけれど、転生してからは一度も使ってない。
というか、多分魔力の耐性がないこの世界の人間の前で使ったら、私はもちろん、レイネの【威圧】を浴びただけで普通の人間は窒息して気絶すると思う。
どうしようもない程の大きなプレッシャーみたいなものに襲われて、身体が極度の緊張状態に陥って呼吸が浅くなったりもするらしいからね。
いや、私もそんな風に言われた事があるってだけで、私自身は他者からの【威圧】でそこまでに至った事はないから、あまり詳しくはないんだけど。
「やるのは構わないけど、理由は?」
「私という存在がいてもおかしくない、と。そう思わせるためです」
「……いや、レイネがメイド服から着替えれば――」
「――それはできない相談です」
「あ、はい」
一切譲る気がないって事はよく分かったよ、うん。
まあレイネがそういうところを譲るとは最初から思ってなかったけど……。
「もちろん、ただ私がメイドとして凛音お嬢様のお傍にいる事を正当化させるために申し出ている訳ではありません」
「ん? そうなの?」
「はい。凛音お嬢様については現在、現実でもやんごとなき身分のお嬢様なのではないか、という説がインターネット上で飛び交っているのはご存知でしょうか?」
「あー、なんとなくはね。レイネについてもメイドだって言っちゃってるし」
配信中のコメントでもレイネが本物のメイドなのか、それともただ仲の良い友達とそういう演出をしているのかとか、色々と推測が飛び交ってたりするからね。
メイドなんて存在がいるとなれば、私が本物のお嬢様なんじゃと考える人もそれなりにいてもおかしくはないかな。
「であれば、いっそそのイメージをそのまま利用し、ミステリアスな印象を保っていた方が良いのではと考えております。お嬢様の物言いは良くも悪くも真っ直ぐです。そのお言葉を受け取った結果、妙な輩に逆恨みされないとも言い切れません。そうした者達への牽制にもなるかと」
「牽制?」
「はい。凛音お嬢様や私が一般人程度にどうこうされるという事は有り得ません。ですが、凛音お嬢様が一般人ではそう簡単に手が届かない存在であるという情報が広まれば、おかしな事を考える輩への牽制となるのでは、と」
「ん……、つまり私がVの中身として案件で他人と関わる時は、その相手に私が上流階級のやんごとない立場にいるという情報を掴ませておきたいってこと?」
「はい。外部に凛音お嬢様の情報が広まるとすれば、そういう相手からかと思われますので」
「なるほどね」
リアルの私の情報が拡散されたり知られたりなんて事になるとしたら、当然私を知っている存在からのリークか、知り合いからの拡散となる。
私がVtuberとして活動している事を知っているリアルの関係者はお母さんとユズ姉さん、それに学校のユイカとトモ、それにこのみんだけど、お母さんとユズ姉さんはもちろんそういうのを大々的に公言はしないだろうし、学校の3人もそういう身バレとか情報を出したりなんて真似はしないと約束してくれている。
墓の下まで持っていってくれるまで信用できるかと言われると、人の気持ちなんてものは移ろうものだから難しいけれど、あの3人がそれをするような事はないだろうな、とは思ってる。
あの3人から広まるなら、いっそ私から自分でバラしてしまえばいいや、とも思う程度には知られた事に対して覚悟もしてるしね。一度ネット上に広まった情報は元を断ってもどうにもならないっていうのは確かだし。
もっとも、Vtuberの前世だのリアルの顔だのを公開してる動画とか、匿名掲示板サイトを通して情報を拡散したり、なんて事も実際に起こっているのが現実だ。
もっとも、そういう相手なら普通に肖像権の侵害だとかで開示請求とか訴えたりできそうだし、そういうのは積極的にやっていく事になるだろうね。
……主にレイネが、ね。
法律でどうしようもなければ多分呪ったりすると思う。
そこはもう止めない。
逆に私がお金持ちのお嬢様だからこそ、非合法な連中が身代金だのを狙って何かしようとしたりするかもしれないけど……そんな組織はこちらも容赦なく叩き潰せばいいしね。
そういう連中よりも逆恨みする一般人が現れる方が可能性は高いし、だったら一般人を牽制した方がいいかな。
「分かった。別に断る理由もないし、それでいいよ」
「ありがとうございます。凛音お嬢様は【威圧】を維持したままクライアントとは必要最低限の挨拶のみに留め、後は私にお任せください」
「別に私はそれでもいいけど……失礼だと思われない?」
「問題ございません。全て私の方で受け答えしていれば、そういうものなのだと勝手に勘違いしてくれるかと」
――――とまあ、そんな訳で。
レイネの提案に乗る事にした私は『OFA』の公式案件で言われた通りに【威圧】を弱めに放ちつつ、無口を装ったまま無事に案件の撮影を終えたのだけど。
「いやあ、素晴らしかったっす! エイムもズレない、跳弾も外さない! もうホント、なんなんすか、陛下! というかもうウチがスポンサーになるっすからプロにならないっすか!?」
「おい乃木、やめろ……! すみません、コイツちょっとテンション上がってて……!」
撮影が終わって撮影用のブースを出たところで声をかけてきた、撮影前の打ち合わせでレイネと話していた二人。
ちょっとぼさぼさ頭で服も皺があってヨレヨレで、どうにもだらしない印象の女性と、そんな女性を慌てて止めようと声をかけてきた、なんだか世話役っぽいくたびれた男性の二人がこちらに駆け寄ってくる。
レイネがそんな二人を制止しようと前に出てくれたところで、けれど私は堪えきれずに思わず笑ってしまった。
この二人、どうにもかつての部下に似ているのだ。
研究ばかりしていて、私を見かけるとまるで犬が尻尾を振っているかのように目を輝かせながら駆け寄ってきて成果を語っていた女魔族。
そしてそんな女魔族の上司であり、いつもその暴走めいた行動を止めようとしながらも間に合わず、遅れてやってくるなり慌ててこちらに謝罪しながら連れ去ろうとする、そんな二人に。
思わず笑ってしまったせいか、駆け寄ってきた二人は目を丸くして口まで開けて固まる中、レイネに向かって一つ頷いてみせると、レイネは私の意を汲んですっと一歩下がってみせた。
「――どうぞお気になさらず。こちらこそ、少し部下……いえ、知人に似ていたもので、思わず笑ってしまってすみません」
上流階級のやんごとなきお嬢様ムーブで柔らかく微笑んでみせながら告げてみせる。
ふふん、どう、レイネ。これなら文句ないでしょ。
ちらりとレイネに目を向けて、返事を待って前にいた二人へと再び視線を向けてみるものの、二人は未だに固まったままだった。
……え、無視?
「……はあ。お嬢様、まいりましょう」
「え? ちょ、レイネ……」
「お嬢様はもう少し、自身の見た目というものを自覚しなくてはなりません」
ぽつりと呟くレイネに急かすように手を背中にそっと添えられて、私はよく分からないまま帰路へとつく事になったのであった。
……あれ、割と完璧にこなしてみせたと思うんだけど。
なんでそんな呆れたような反応されてるわけ??