案件撮影 Ⅰ
「……今日、か」
「進藤主任、どうしたんすか? ただでさえ辛気臭い顔してんのに憂鬱さが増して、今にもキノコでも生えてきそうな顔してるっすけど」
「斬新な表現だな、オイ」
「いい表現すよね、これ。潤いのなくなってきた四十代の顔を原木に例えてんすよ。辛気臭くてじめじめした雰囲気の今の進藤主任にぴったりじゃないすか?」
「……てめぇ……言いたい放題言いやがって……」
どうしようもなく失礼な事を抜かす後輩に言い返してやりたいところだが……生憎、今の俺にそんな気力はない。
夜通しで準備を進め、今回の撮影用の設定やらも含めた諸々の調整も終わり、ようやく準備が完了したのだ。今はこのバカと紙一重で天才と言えるような、それでいてやっぱりバカと言いたくなる失礼極まりない部下の相手なんてしていたくない。
約束の時間まであと一時間程度しかない。
今から仮眠……ってのは、かえってダルくなる。
せめて静かに休んでいたいんだ、俺は。
そんな事を考えながらタブレット端末を手に取りつつ、そこに映し出された一人のVtuberを見やる。
個人勢にして活動開始からたった4ヶ月。
チャンネル登録者数は……41万って、ヤベェな、コイツ。
さすがに大手の箱に入った新人に比べれば劣る数字ではあるが、新人でこの数字は正直異常とも言える。
設定は魔王。
魔界の唯一の女王だそうだが、実態は自称華のJKらしい。
公言してんのか。ネットリテラシー大丈夫か?
もっとも、俺は配信を見た事なんて一度もないんだが。
「お、陛下の動画、進藤主任も見たんすか?」
「見る時間なんてなかったっつの。時間がありゃ見ようとは思ってたんだがな。お前が絶賛してたぐらいだしな」
「あー、だったら配信見ない方がいいかもしんないすよ」
「あん? なんでだ?」
「んー、どうせなら生で見た反応を見たいから、すね。進藤主任の立場だと、どうしたって疑いが強くなっちまうかもしれないっすから」
「疑い、ねぇ……。ま、お前がそう言うんならそうするか」
「そうしてほしいっす。あー、でもでも、自分も陛下ちゃんのリアルがどんな感じなのか楽しみなんすよねー」
「……そこまでかよ。つくづく珍しいな、お前が興味を持つなんて」
ウチのゲーム――『OFA』は今やFPSジャンルのメジャーコンテンツだ。
そんな存在であるが故に、今までに芸能人ゲーマーだの配信者、Vtuberだのに案件を依頼した事はあった。その度にひと目でもお目にかかりたいだとか、なんだかんだ関わりたいだのとミーハーな気持ちを持つ方が一般的な反応だと言えるものだ。
だが、そもそも芸能人だの配信だのにも大して興味すら持っていなかったようなコイツは、自分の仕事さえ済めばさっさと帰るぐらいには淡泊な反応しか見せようとはしなかった。
そんな後輩が、この一ヶ月程でファンになったとか言い出した相手、それが今回のプロモーション依頼相手となる個人勢Vtuber、ヴェルチェラ・メリシスだそうだ。
わざわざデバッグ用のテストルームを撮影用に準備して、この場所にまでやって来させて撮影するなんて真似も、企画から交渉までを全てやり切りやがったのが、今こうして俺の目の前でご機嫌な様子で鼻歌を歌ってる後輩――『OFA』のゲームプランナー兼ディレクター様その人だ。
本来ならプロモーションを依頼したり統括するのは他のチームの仕事だってのに、コイツの一存は無視できねぇんだよな……。
一度は断られそうだって話だったんだが、昨日になって突然仕事を受けると言い出し、しかも昨日の今日で撮影したいだなんて言い出しやがったらしい。
それをこちらに確認する事もなく呑んだのもコイツだ。
おかげさまで俺はともかく、他の連中からも徹夜明けの殺意にも似た目を向けられてるってのに、一切気にする様子もないってんだから……どんな神経してやがるんだ、コイツ。
「はあ……。しっかし、よりにもよってお前が率先してVtuberを起用するとはな」
――正直に言うと、俺は配信者やVtuberという存在が嫌いだ。
いや、嫌いというのは語弊があるな。
別に配信をして活動している分にはどうとも思わないんだが、そういう人間と一緒に仕事をするのが嫌い、とでも言うべきか。
昨今のゲーム業界では、特に年齢層を十代後半以上をターゲットとしてプロモーションをする際に、Vtuberを起用するという動きはかなり増えている。
現金な話ではあるが、Vtuberは顔を映して実写で活動する配信者よりも、配信の方向性からゲームやサブカル文化を好む傾向にある視聴者層を獲得しやすい。そのおかげで、必然的にゲームを好む層へのダイレクトマーケティングを可能にするからだ。
そんなVtuberが楽しそうにゲームをしていたり、または大手の事務所――いわゆる箱に所属しているのであればコラボで盛り上がってくれる姿を見せてくれるおかげで、ゲームの良さが伝わりやすい。
だからこそ、Vtuberにプロモーションを依頼するという理屈は理解できるが、個人勢や小さな箱なんかだと、いわゆる天狗になってるようなヤツもそれなりに存在してるってのが現実だ。
実際、一度小さな箱のトップだとかいうVtuberに依頼した時は、納期も守らない、仕事として完成度も低く、ただの日常の配信の延長線上にあるかのような内容だった。
プレゼンするレベルまでしっかりやれとは思わんが、いくらなんでもあんな内容に数十万という金額を支払うってのは馬鹿馬鹿しい話だと思ったものだ。宣伝効果も大した事なかったしな。
仕事として依頼する以上、プロフェッショナルとしてこなしてくれるってのは大前提だ。
その信頼がない相手に金を払って仕事を依頼するってのは、企業側にとってもリスクでしかない。
特にプロモーションで下手な事をされてしまうと、そのせいでゲームそのものまでつまらない物に見えてしまいかねないのだから。
そういった経緯もあって、Vtuberに依頼をするのだとすればマネジメントをしっかりと行う大手の事務所なんかでなければ依頼はしないようにしていたんだが……。
「――進藤主任、乃木ディレクター! Vtuberのヴェルチェラ・メリシスさんがいらっしゃいました!」
「は? 早くないか?」
「おー、早いすね。会議室空いてる?」
「は、はいっ、すでに第2会議室にご案内させていただいてますけど……その、急いでくださいっ!」
「え、なんだよ、急に」
「め、めめ、メイドさんがいるんですよ! ほ、本人の雰囲気というかオーラというか、服もなんかめちゃくちゃ上流階級っぽいですし!」
「……は?」
「あ、そういえばレイネさん、だっけ。え、マジでメイドなんすか……?」
「と、とにかく早くお願いしますっ!」
「はーい。ほら、いくすよ、進藤主任」
「あ、おう……」
告げられた情報量の多さに思わず呆然としちまったが……いや、メイドってどんなんだよ……コスプレかっての。
そんな事を考えながら後輩に引っ張られ、同じフロアにある第2会議室へと向かう。
扉をノックして中に入り――思わず息を呑んだ。
「――……ッ!?」
言葉が、出なかった。
一瞬で惹き込まれたかのように、その少女の圧倒的な存在感みたいなものを目の当たりにしてしまったせいだろう。思わずアホみたいに固まってしまう。
銀色の長い髪。
人間にはそうそうないであろう色合いの長い髪は真っすぐ下ろされていて、結ったりもしていないものの髪が美しすぎてだらしなさは一切ない。
いっそ一本一本にまで神経が通ってるんじゃないかってぐらいに完璧に整えられているようにすら思える。
華奢なその身には黒を基調にした肩口から手元にかけてレースになっているドレス。
一流のレストランで求められるようなドレスコードを意識しているかのような、膝下まである落ち着いていて大人びたドレスだ。
そうそう着る機会なんてなさそうなドレスだってのに、まるで違和感なく着こなす美少女とも美女とも呼べる年代の少女。
その金色の双眸がこちらに向けられて、思わず跪きたくなるような、呑み込まれるような空気を感じて視線が下を向いてしまう。
どうやらそれは俺だけではないようで、隣にいた後輩まで似たように頭を下げているのがちらりと視界の隅に入った。
「――お嬢様。もう少し力を抜いていただかなくては、少々一般人には厳しいかと……」
突然声が聞こえたかと思えば、息苦しさのようなものが和らいだ。
――なんなんだ、これ……。つか、俺、息すら止めてたのかよ……。
何があったのかは、正直わからん。
だが、このメイドの女性があっちのお嬢様とやらに声をかけた途端、確かに空気の重みというか、どうしようもなく息苦しい圧迫感のようなものが和らいだのは間違いなかった。
そうしてようやく自由を取り戻したような気がして声の主へと目を向ければ、こちらも容姿はそうだが、何よりも洗練された佇まいを思わせる一人のメイドの姿があった。
「申し訳ございません。お嬢様も些か緊張しているご様子でしたので、私めの方からお声をかけさせていただきました。ご容赦ください」
「い、いえ……。その、助かりました、というか……一体何が……」
「先程申し上げた通り、お嬢様も些か緊張しているご様子でしたので、気を引き締めておりました。それ故に放つ空気にあてられたのでしょう」
「……そ、そうですか……」
俺も仕事柄色々な人間とは顔を合わせてきたが、デカい企業のトップ、それもたった一代でそれを築き上げるような人物が持つ独特の空気感というか緊張感というか、そういうものと似たようなものだと、今更ながらに言われて思い出した。
もっとも……未だに口を開かずに佇んだままのお嬢様とやらから感じられたそれは、今までに俺が感じた事のあるものなんかよりも圧倒的に大きく、重く感じられるものでさえあったが。
「っと、すみません。どうぞ、そちらにおかけください」
どうにか我に返って声をかければ、小さく頷いて銀髪の少女は椅子に腰掛け、当然のようにメイドの女性がその斜め後方、壁に近い位置で待機した。
……いや、座ってくれよ。