主従のやり取り
お母さんのあっさりとした受け入れと、ありがたい愛情。
そんなお母さんの妹でもあるユズ姉さんからは、本当にレイネルーデが信用できるに値するのかどうかという質問や、守秘義務契約の内容を確認したりという全体的に現実的な心配の数々だった。
なんかこう、バランスいいね、お母さんとユズ姉さん。
父親と母親って感じ? 父親ってどんなのかは知らないけど。
おかげで翌日、学校はお休み。
朝から夕方まで割と忙しなく動いていた。
「……よし、あとはユズ姉さんのチェック待ちかな」
ファイルを送信してユズ姉さんにも一応お目通ししてもらう。
昨日はウチに来るなんて言っていたけれど、ジェムプロの公式バレンタインデー企画で忙しかったのもあってさすがに無理だったようだ。
今日は休みだから朝から来るとは言っていたのだけれど、それは断った。
だって公式配信夜中までやってたんだし、どう見ても寝不足なのは間違いないし。
お母さんが帰ってくるまではあと十日近くあるし、お母さんの代わりに私の面倒を見て、しっかりと親代わりというか、大人としての役割を果たそうとしてくれている気遣いはありがたいのだけれど、過労で倒れそうだから休んでほしい。
家でゆっくり休むようにお母さんに言ってもらおうかとユズ姉さんに脅迫……もとい、説得したらあっさりと折れて、結局夜に時間を作ってこっちに来ることになった。
「どうぞ、お嬢様」
「ありがと……。え、美味し……。何これ、茶葉いいの買ったりしたの?」
「いえ、淹れ方を少々変えただけです。この世界の茶葉は保存方法から何からが異なっていますので、それぞれの茶葉に合わせて淹れ方にちょっとした工夫を施しております」
「すごいね……、さすがレイネ」
相変わらずの万能メイドぶりだよ。
私もそれなりに紅茶には拘りもあったりしたけれど、さすがにレイネのこれには劣るね、やっぱり。
競おうとかは思わないけどね。相手がレイネである以上、レイネに対してこういうもので競うのは無理。魔王としての強化能力で覚える事は別に難しくないけれど、そこまでの拘りを持って臨めないからね。
「そういえば、レイネ」
「すでに楪様の分のお食事の準備も整っており、万事問題ございません。すでに洗濯物や掃除等も終わっておりますし、浴場、寝室も整っております」
「……相変わらず一人でよくそんなにできるね」
「魔王城に比べれば随分と小さな建物ですので、転移魔法による魔力消費もだいぶ減っております。家電などもありますし、むしろ楽になったと言えるかと」
「そうだった。比べる相手が悪すぎた」
魔王城、今思い返すとアホみたいに広かったからね……。
現代表現で言うとなんちゃらドーム数個分ぐらいの広さがあったし、身体の大きな種族も結構いたから、一部屋ずつの部屋の大きさが必然的に大きくなっちゃうっていうのもあったけどね。
そんな魔王城で私の食事とか私に関係する家事全般を全て一人でこなしていたのがレイネだ。そりゃ前世よりはよっぽど楽って言えるかも。
いや、でも魔王城に比べるとアレだけど、豪邸の類ではあるんだよ、ウチ。
大女優の住む家ってだけあって、なんかちょっとした海外のスターの豪邸みたいな家だしね。
さすがに庭にプールはないけど。
「……なんかご機嫌だね?」
「……以前までは、こうして陛下とゆっくり時間を過ごせる機会はありませんでしたから」
「あぁ、うん。そう言われるとそうだったかもね」
前世は私は私でやる事も多かったし、レイネも魔王城の統括侍女長という立場にもあったから、お互いにあまり顔を合わせていられる時間がなかったり、なんて事もあったからね。
……ふむ。
ちょっと思いついたので椅子を詰めて座るようにして、私がいたところをポンポンと叩いてみせる。
「レイネ、おいで」
「え……?」
「ほら、こっち」
「は、はぁ……。失礼、します……」
促されるままに隣に座ったところで、即座にレイネの頭をがしっと両手で掴み、目を白黒させているレイネを無視して半ば無理やり膝の上に頭を乗せさせ、膝枕。
ようやく事態が呑み込めたらしいレイネの鉄面皮がみるみる歪み、顔が赤くなっていくのを無視して頭を撫でてあげつつ、ついつい込み上がった笑いに表情が緩む。
「昔はこうして寝かせてあげたりしたねぇ」
「え、っと、あの、そ、その、へ、陛下……? あ、いえ、お、お嬢様……?」
「はいはい、いいから落ち着きなさいって。私が好きでやってるんだから、素直に従ってなさい」
「う、うぅ……、はぃ……」
特に何か、話したい事があった訳じゃあない。
レイネをからかいたかった訳でもない。
ただ、私が魔王になって、魔界を統べてしまってから永い間、レイネにこうしてあげる事もできないぐらい忙しくて。
いつの間にか、たまに時間ができたとしても主と従者っていう関係が当たり前になってしまっていたなぁって、今更ながらに思ったからかな。
せっかく、前世に比べればずいぶんと平和な世界に生まれ変わったのだ。
こうして関係をフランクなものに戻すのもいいんじゃないかって、そう思ったから、こうしただけ。
まあ、顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしているレイネには悪いと思うけどね。
「……陛下」
「うん? なぁに?」
「……陛下は、何故あんな理不尽な神々の要求に首を縦に振ってしまわれたのですか?」
「あの時も言った通りだよ、レイネ。それが、私が築いたあの時代における最後の一歩であって、そして次の時代が訪れる為の最初の一歩になる、と。そう思ったから」
「……私は……魔界の、人界と神界の未来なんかどうでも良かった。貴女様と一緒にいられれば、それだけで良かったです」
「……うん、前にも言われたね、それ」
「はい。私には、どうしても納得できませんでした。許せませんでしたし、許容なんでできるはずもありませんでした」
そこまで言って、レイネは私の顔に向かって手を伸ばしてきて、そっと私の頬に手を添えた。
「……でも……」
「うん?」
「……今の貴女様の柔らかな空気と表情。そして、こうしていられるぐらい穏やかな時間が流れている今があるのなら……受け入れてしまったのも良かったかもしれないと、そう思えてしまいそうです」
「そうでしょ。私はあの時だって今だって、受け入れて後悔なんてしてないもの。この世界に転生して、記憶を思い出すのに随分と時間がかかってしまったけれどね。……あ、でも乳飲み子の頃とかに思い出さなくて良かったかも。赤ん坊らしくとか子供っぽくなんて振る舞えそうにないもの」
「それは……そう、ですね……」
今の私は、この世界で生まれ育った時間で構築された『私』が、前世の記憶を取り戻したという形になっている。
でも、赤ちゃんの頃から記憶があったとしたらきっと魔王時代の『妾』のまま赤ん坊になっていたはず。
――妾はヴェルチェア・メリシス。魔界を統べる唯一無二の魔王である。 by赤子。
……記憶なくて良かった、割と本気で。
「レイネは生まれてすぐに記憶を取り戻したんでしょう? 赤ちゃんっぽく振る舞ったりとかしたの?」
「…………えぇと、その……」
すすすっと視線が逸れていくレイネの反応に、ついつい嗜虐心というか、悪戯心というか、にまぁっと頬がつり上がっていく。
……にゅふ。
レイネの顔を抑えてこちらに視線を戻したところで、私はにっこりと微笑んだ。
「ねぇ、レイネ? 教えて?」
「い、嫌です……っ! あれは私の黒歴史ですっ! いくら陛下が相手でもあれだけは……っ!」
「えー、なんでよー。レイネのこと、知りたいなぁー」
「絶対からかうつもりですよねっ!?」
「そんなこと……ない、よ?」
「微笑んでますからっ! ぬぐぐっ、へ、陛下、もう起きますっ! 指! 額に指を当てないでください……っ!」
「やーだよー。ほらほらー、教えてくれたら放してあげるよー?」
「こ、こうなったら転移――って、領域がすでに支配されて……っ!? どれだけ本気なんです!?」
魔法はいわば陣取りゲームだからね。
周辺領域を今の私みたいに完全に支配してしまうと、私よりも魔力量が低い存在では魔法の一つも満足に使えなくなる。
もっとも、レイネ程の実力者を完全に封殺できる程の支配領域を展開させる事ができるのは、魔界でも私ぐらいなものだったけれど。
若干涙目になって私を見上げるレイネが可愛い。
普段はツンと澄ました感じだし、レイネの昔の姿を知らない魔族たちはレイネを鉄面皮だのなんだのと言っていたけれど、私にとってのレイネはむしろ今の表情とかの方が印象強いんだよね。
「ふ……、レイネ。この世界の不変のルールを知らないようだね……」
「な、何をでしょう……?」
「――魔王からは、逃げられない」
「無駄にキリッとした表情で言わないでくださいっ!」
――――ちなみにこのやり取りは、数分後にユズ姉さんが到着を報せるインターホンを鳴らすまで続いた。
残念ながらレイネは口を割らなかったけれど、いつかレイネには赤ちゃん時代の話を白状させようと思う。




