母の贅沢
《――あら、そうなの? じゃあちゃんと雇用契約は結んでおかなくちゃね~》
「……えっと、いいの? そんなあっさり決めちゃって」
《だって、凛音ちゃんが決めたんでしょう? あなたの身バレ対策もあったからお手伝いさんを雇うのはやめたけれど、そのメイドさん、武術経験まであるんでしょう? やっぱり女の子が一人ってセキュリティをしっかりしていても不安だったのよね~》
武術経験どころか、人間じゃ束になっても敵わないよ。
束というか、軍隊……うん、レイネルーデが本当の姿になったら敵わないだろうね。
もっとも、それは私もだけども。
「うん、まぁそれはそうだけど……でも、メイドだよ? いきなり住み込みだよ?」
《ふふふ、凛音ちゃんが信頼できるっていうなら、私も信頼できるもの》
「ありがとうございます。凛音お嬢様、並びに凛音お嬢様の御母堂様であらせられる紅葉様もまた同様に、この身に代えてもお守りし、お仕え致します」
《あらあら、お手伝いさんみたいな感じとは全然違うのね。素敵だわ~》
……御母堂様って初めて聞いたよ。
さて、私が今何をしているのかと言うと、まあお母さんに報告だよね。
私は一人暮らしをしている訳じゃないし、レイネルーデことレイネは私の世話をするために一緒に暮らすと言って聞かず、仕方なくお母さんに連絡した。
結果は……うん。
あっさり受け入れちゃったよ、お母さん。
《――あっさり受け入れちゃった、って驚いてるのかしら?》
「え……っ、あ、うん」
《もちろん凛音ちゃんが言ったからってなんでも言う通りにしてあげられる訳じゃないのよ? でもね、凛音ちゃん。あなた、レイネちゃんがいるのが当たり前って顔しているじゃない。よっぽど信頼してるって事ぐらい判るわよ~》
「え……? そんな顔してた?」
思わず自分の顔をペチペチ。
今は自室のカメラを繋いで通話しているから私の顔と、後ろに控えているレイネがしっかりと映っているんだけど……はて?
カメラに映ってる私の顔もいつも通りの顔だと思うんだけど。
《ふふ、『いつも通りの顔をしている』事が何よりも大事なの。凛音ちゃんはお手伝いさん達も避けていたみたいだけれど、レイネちゃんはそうじゃない。一緒にいる事を凛音ちゃんが当然のように受け入れているんだもの。そうでしょう?》
「……あー、なるほど……」
《私とユズだけしかその内側に入れようとしなかったあなたが、今そうやってレイネちゃんを受け入れている。なら、母親である私にできることは、あなたを信頼して見守る事ぐらいだもの》
「……そっか」
前世の記憶を取り戻したからこそ他人を許容できる程度に人との関わりは、以前までの自分に比べればずっと多くなった。
トモとユイカっていう学校での交流、友達を作るっていう事もするようになったのは、前世の自分の記憶を思い出したから、というのも確かにある。
でも、たとえばこれがレイネではなく赤の他人で、行き倒れの人を拾ったとかであったとしたら?
……うん、私はきっと、わざわざ部屋に入れもせず、それどころか家にだって入れないだろうし、お母さんに連絡もしない。
百歩譲って同情したとしても、雇うか雇わないかも含めて『お母さんが帰ってくるまでは保留にする』という選択をしたと思う。
そんな私が今、こうしてわざわざレイネを部屋に入れて、長期撮影の際にも滅多にこちらからは連絡もしないのに通話したいからとメッセージを送って時間を作ってもらっている。
そして通話越しにお母さんに向かって普通の顔を、普段お母さんやユズ姉さんに見せている。
そういう私の性質というか、私の心情を理解して察してくれたようだ。
レイネを受け入れるつもりがあるという、私の意思も。
……ぽやぽやしてるのに凄いな、お母さん。
「ありがとう、お母さん」
《ふふ、どういたしまして。凛音ちゃんにお母さんらしい事ができて嬉しいわ~》
「いつもちゃんとお母さんらしい事してくれてるよ。尊敬できるよ、ホントに」
《……スゥー……。ちょっと抱き締めたくなったからロケ中断してもらって一度帰るわね》
「言ってる傍から前言撤回させないでくれないかな??」
いきなり何を言い出しているの、この大女優。
脇役どころか主役級なのにそんなので帰って来られても困るよ。
なんとかお母さんを宥めつつ、話題はレイネの身の上話に。
レイネはどうやら生まれた時から記憶を持っていたらしく、しかも生まれが俗に言う田舎の地主というか、豪族と呼ばれるような一族の娘として生まれたらしい。
そのため、幼い頃はそれなりに厳しく育てられる――はずが、どうやら早々に当主であった祖父を薙刀稽古で倒してしまうわ、能力を十全に活かすわで十歳の頃には周りからは祀られるような存在になってしまったらしい。
祀られるって何。
そう思って訊ねてみれば、どうやらレイネは豪族の始祖であると言われている神の巫女とやらの生まれ変わりだのなんだのと言われたらしく、本当に巫女のような扱いになってしまい、巫女なのか神なのかもよく分からない扱いでそれは丁重に扱われたとのこと。
そして、レイネがぷちっとキレちゃった、と。
うん、分かるよ。
だってレイネ、神が大嫌いだもの。
結果として一族を黙らせたのだとか。
何をしたのかと聞いてみれば、レイネは相変わらずの無表情で「ちょっと本邸を半壊させた程度です」としれっと一言。
うん、聞かなかった事にしておこう。
ともあれ、自由を手に入れてからレイネは私を探すべく、実家からもぎとった元手を投資で膨らませつつ、資金を作りながらもあちこち旅をしていたらしい。
けれど少し前にこの町の近くで私の魔力を感じたとの事で、空を飛んで帰ってきたのだとか。
さすがにお母さんにそれら全てをぶっちゃける事はなかったけれど、そんな形でレイネこと現代での名前では篠宮琴乃、年齢23歳の生涯は今に至る、らしい。
「――各種スキルについてはご安心ください。メイド検定は当然一級を取得してあります」
「え、そんなのあるの?」
「はい」
……知らなかったから思わずぽちぽち調べちゃったんだけど、本当にあったよ……。
え、現代でメイドってそんなに一般的なの?
あ、メイド喫茶とかそういう所で必要なんだ?
「料理についても一通りは学びましたので、ご要望に応じてご用意致します」
《あら、凄いのねぇ。楽しみだわ~》
「大型バイクから車も大型免許まで取得してあります」
《まあまあ……》
「各種銃器についても取り扱い方法も一通りは学んでおります」
《……えっとぉ……》
「レイネ、もういいよ。お母さんが困惑してるからその辺で」
「畏まりました」
百歩譲って料理までならいいんだけれど、乗り物あたりからちょっと雲行きが怪しくなってきたと思ったら、まさかの各種銃器とか。
というか私とかレイネの場合、基本的に銃器なんて使わない方が強いのに。
よく覚えたね。
《色々資格とかも持っているみたいだし、お給料どうしましょうか~》
「私の動画の収益化が通ったから、そっちから出すつもりだよ。最初はそっちの売上は少ないから、私の貯金も崩しながらになるけど……」
《それはダメよ?》
「え?」
《凛音ちゃん、そんなに焦って大人にならなくていいのよ。お母さんだって有名な女優だもの、レイネちゃんを雇うのだって難しくないわよ~?》
「うん、まあそれはお母さんの仕事の数々とか、家の大きさとかお手伝いさんとか見ていれば分かるけどね。でも、レイネは私が――」
《――ふふ、だぁめ。凛音ちゃんのワガママを叶えるっていうお母さんの贅沢を取らないでちょうだい?》
「贅沢……?」
《だって、凛音ちゃんずっとワガママ言ってくれなかったんだもの。お母さんだって『お母さん』してあげたいの。それに、お母さんもご飯作ってもらったりお家の事をしてもらうんだもの。一家の大黒柱はお母さんなんだから、お母さんがちゃあんとお金は払うのは当然なのよ?》
「……でも……」
《だめでーす、ゆるしませーん。凛音ちゃん、そんなに早く大人にならないで? 私の娘として、もっともっと私に甘えなさい。それが、レイネちゃんを雇う条件よ~》
……あぁ、もう。すごいね。
母なんて立場になった事がないから分からないけれど、娘に、家族に向ける愛情っていうか、懐が深くて、広い。
私、すっごい愛されてるんだなぁって、そう思う。
「……ありがと、お母さん」
《いいえ~。そういう訳だから、レイネちゃん。これからよろしくね?》
「ありがとうございます、紅葉様。よろしくお願いいたします」
《とりあえず~、200万円ぐらいあれば準備できるかしら?》
「うん……うん?」
《そのレイネちゃんの着てる服と同じものを何着か作ったり、お部屋の準備もあるでしょう? 部屋数はあるけれど、ベッドとかテーブルとか、色々買うんだし……あ、好きな間取りに工事したりとかもするならやっぱり500万円ぐらい――》
「――うん、ユズ姉さんに相談してみるから大丈夫だよ」
《あら、そう? じゃあ500万円ぐらいで抑えておいてちょうだいね?》
「……うん、分かった」
……懐が深いとか広いとか思ったばかりだけれど、そっちの懐まで凄まじい事にならなくていいんだよ。
というか工事って、そんな事しなくてもウチには部屋もたくさんあるよ。使ってない部屋も。
なのに、なんでそれで束がぽんぽん飛ぶような数字が出てくるの……。
とりあえずユズ姉さんにもメイドとしてレイネが一緒にいるって事は伝えなきゃだし、お母さんの懐事情問題というか金銭感覚問題についてはユズ姉さんにお願いしよう。
《ふふ、楽しみね~。必要なお金決まったら教えてね?》
「うん。それじゃあ、おやすみなさい」
《はーい、おやすみ、凛音ちゃん。レイネちゃんも、ゆっくり休んでね》
「ありがとうございます、紅葉様。紅葉様も体調にお気をつけください」
《ふふふ、ありがと、レイネちゃん。さーって、みんなに自慢しちゃおーっと》
「え、自慢って何を……って、切れちゃったよ……」
自慢……「家にメイドさんがいる」、とかお母さんなら確かに嬉しそうにぽやぽやしながら自慢してもおかしくはない、かも?
もしくは、「娘におねだりして甘えられちゃったー」とか?
……いや、別に知らない人にどう思われても気にならないけど。
そこからうっかり歪曲して「娘に500万円おねだりされたのよ~」なんてぽやぽやしながら言うのだけはやめてほしい。
知らないところで私がどうしようもない貴族の馬鹿娘みたいに思われそう。
早急にユズ姉さんに相談しておいて、お母さんのマネージャーさんにも真相を伝えておいてもらわなくちゃ……。