バレンタインデー Ⅵ
「――どうか落ち着いてください。その拳を振るうべき相手ではありません、陛下」
……止められた?
明らかに人間では止められない程度に怒りを、魔力を込めた一撃だったのに。
そう思いながら私の手を受け止めた相手を赤い瞳で見やれば、そこにいたのは二十代前半といった綺麗な女性だった。
長い黒髪のロングヘアで、少し冷たい印象を与えそうな切れ長な瞳。
その瞳の色は黒に近いアメジストカラーで、私の手を止めた手は人間のものとは思えない何か――そう、黒い鱗で覆われていて、それが徐々に人間の手に変わっていく。
……見覚えがありすぎる。
「……一つ、聞かせてもらえる?」
「なんなりと」
「……どうしてここにいる、レイネルーデ」
「これは異な事を仰りますね、陛下。陛下の世話をし、付き従うのが私のメイドとしての責務。故に陛下がいる場所に現れるのは当然の事かと」
「……当然じゃあないんだよなぁ……」
はあ、とため息。
先程までの怒りがレイネルーデの登場によって一気に冷めていき、振るった腕を下げていくとレイネルーデもそれに合わせて手を引いた。
パリパリと音を立てながら剥がれ落ちる、彼女の種族特性であったはずの鱗。
本来なら地面に落ちて残るはずのそれらが虚空に溶けるように消えていく事に違和感を覚えてレイネルーデの顔を見ると、レイネルーデは小さく口元だけを動かした。
「詳しいお話は、後ほど。今は御友人を」
「うん、分かった」
「では、失礼いたします。今回は突然の事でしたためこのような格好でお目汚しを失礼致しました。後ほど、しっかりと正装で参ります」
「……うん、わかった……」
……いや、別にいいんだけどさ。
レイネルーデの正装って、アレだよね……?
っていうか、その場で忍者みたいに飛び上がって姿を消すとかやめてよ。
人間っぽくない事を当たり前のようにしないでもらえる?
……いや、今更私が言えた義理ではないかもしれない。
今しがた、どう考えても人間が腕を振るった程度じゃ出ない速度と衝撃を放ったばかりだったしね。
さすがにトモにまた手を出そうとした事に気が付いたものだから、プチンときちゃったんだよ、しょうがないじゃない。
本当ならトモに近づけないように結界とか張っておけば良かったんだけど、そんな事したら魔法がバレちゃうかもしれないから自重してたんだよね。
だから注意はしていたんだけど、まさか東條がトモに襲いかかるなんて思わなかったから、つい。
はあ。
トモに怯えられてたら泣く。
振り返ったら化け物を見てるような目をしてたりしてたらどうしよ。
「リンネ……」
……いっそ意識を奪っておいて誤魔化せば良かった。
そんな事を考えつつ、恐る恐る振り返ってトモに顔を向けると、トモは俯いて震えていた。
……あー、終わった。
これどう見ても私怖がられてるヤツだよね?
「……トモ……」
でもまあ……いいかな。
私が怖がられて避けられたりしたとしても、トモが無事だったんならそれに越した事はないし、最悪私も転校するか、通信制の高校にでも行きながらVtuber頑張っていくのもありだと思うし、うん。
通信制なら動画編集とかの時間も取れるし。
なんだかんだで自分のペースで色々進められるし。
……あれ?
思ったより通信制の学校に入る選択、割とアリなのでは……?
「……リンネ、助けて……!」
「え、いや、私はトモを助けに来たわけであって、トモを殴ろうとかそういう事は――」
「――めっっっっちゃトイレ行きたい……! 早く、早く手、外して……!」
「ア、ハイ」
それは一大事だ。
言われるままに裏に回って指先に魔力を通し、手を留めていたそれらを切ってあげると、トモは慌てて立ち上がり、そしてこちらを見つめた。
「……トイレ、どこ……?」
「いや、知らないケド」
「ですよねーっ! リンネ、ありがと! でもまずはトイレに!」
……トモ、私たち華のJKよ。
トイレトイレ連呼するのはどうかと思う。
とりあえずそれらしいものが見つかってトモが走っていく姿を見送ったけれど、私は複雑な気分だよ。
もしかしたらトモ、私を怖がって逃げるためにあんな風に言ったりしたんじゃないかなって、そんな事をついつい考えつつ、その辺で伸びている男たち一人一人に呪いをかけていく。
被害に遭った人達の事もしっかり自供させる洗脳も施したのは、泣き寝入りしてしまった人達のためだ。
一生拭えない傷を負わされた心が少しでも軽くなるように、そして法的に賠償を求められるようにすれば、ちょっとは救いになるはず。
ただ、やっぱり警察に捕まってもコイツらの罪はそこまで重くはならない。
被害者はずっと背負い続けなくちゃいけないのに、それを与えた存在だけが人権がどうとか権利がどうとか、そういう理由で守られ解放されるというのは私個人の考えでは気に喰わない。
だから、呪う。
学校にいたあの三人と同じだ。
もちろんだけれど、この男たちのせいでトモとの関係が壊れる事に怒って重めの呪いをかけている訳ではない。断じてない。ないったらない。
ただちょっと。そう、ほんのちょっと、料理のアクセントに調味料を一振りするようなそんなニュアンスで、毎晩猟奇殺人犯に追われて絶望する夢を見せて毎朝激しい動悸と目覚めるような、そんな呪いを追加しただけ。他意はない。
そうして呪いを一通り施したところで、最後に壁に吹き飛んで倒れていた東條のところへ行く。
うわぁ、ぼろぼろ……。
即死には至っていないみたいだけれど、骨もあちこち折れているみたいだし、内臓も傷付いているっぽいし、放っておくと死ぬかな、これ。
一応魔法でそれなりに治療して……うん、激痛だけど死にはしないって程度にしておいた。
さて、この諸悪の根源をどうしてくれようかなと考えていると、トモがこちらに向かって小走りに戻ってきた。
「リンネ!」
「おかえ――わっ、と」
振り返ったらトモが抱きついてきて、そんなトモを抱き留める。
トモの身体は僅かに震えていて、多分、怖かったんだなぁと思って少し強めに抱きしめ返しておいた。
「ありがと、リンネ……! すっごく怖かったのに、リンネがきてくれて嬉しかった! それに、あの男たちも倒してくれてすっごくカッコ良かった!」
……引いてないの?
いや、どう見ても東條のあの一瞬のアレは魔力がある私じゃなきゃできないような攻撃だったし、人間業じゃないって判ると思う。
「リンネ、言ってよ! あれ、リンネってこう、なんかの達人とかなんでしょ!? あんな強いとか凄すぎ! メッチャカッコ良かった!」
「うん、ごめ……うん?」
「やっばいよね! 最後に出てきてたあの女の人もリンネの先輩とか!? あっ、分かった! 師匠でしょ! あの人に教わってたんでしょ!?」
「え? なんて?」
「こう、達人同士で拳をぶつけ合うと周りに衝撃が走る、みたいな! ウチ知ってるよ! アニメで見た時あるし!」
……いや、アニメはアニメだよ?
多分人間の達人同士で本気で振った拳と拳をぶつけ合ったら、両方とも骨砕けるだけだと思うし。
現実見て?
「それにほら、こうやってこう、手ぇクイックイッてしてかかってこいみたいにするのも見た時ある! リンネ達人じゃん!」
んんんん、それ私も映画で見た事あるからやったヤツ……!
あれ、私、実はトモに現実見てなんて言えないのでは……?
「ありがと、リンネ! ホントに! マジでありがと!」
……うん、まぁ、なんかもうそういう事でいいかな。
なんだかんだでトモはそういう方向で納得したらしいし。