バレンタインデー Ⅲ
――”私”には怒るという感情が存在していない。
おそらくだけれど、これは『怒り』という激しい感情がトリガーとなって、”妾”という前世の自分の記憶を持たないままに当時の力を、魔力を使ってしまわないようにと無意識に自分で課したストッパーのようなもののせいだと思う。
万が一、何かの拍子に記憶も持たないまま、力の使い方も分かっていない小娘が尋常ではない魔力と力を手に入れようものなら、どうなるか。
そんなものは火を見るより明らかだ。
まず間違いなく、「力で解決すればいい」という極論に至る。
制御できない力が多大な被害を生み出し、次々襲ってくるものを壊滅させ続け、今頃私はこの世界の全てを敵に回してたりもしたかもしれない。
だから”私”は”妾”の記憶を思い出すその日まで、意図的に感情を希薄にしたまま過ごしてきたのだろう、と今なら理解できる。
――でも、今は違う。
かつて一つずつ組み上げて研鑽してきた力だ。
力の段階というものを理解し、何をどうすればどのようにできるのかを十全に理解していると言える。
だから、殺さずに済む。
私の足元で地面とキスする形で動かなくなった、汚い金色をした髪の男。
コイツはしばらくは動けないだろう。
ほんの少しでも踏みつけて力を込めれば、熟れたトマトのように踏み砕く事も容易い。
それをしないのはお母さんとユズ姉さんという大切な家族に迷惑をかけないため。
それと、トモがもし何かの拍子に私が人を殺したなんて知った時に、「自分を助ける為に殺した」と罪の意識を持たせないためだ。
――断じて、貴様らのようなクズの為の配慮ではない。
そんな殺意を目に宿して向けてみせれば、残された二人の男はガチガチと歯を鳴らしながらへたり込み、目を大きく剥いたまま身体を震わせた。
魔力を目に宿して感覚を強化させるという、ただの【交戦眼色】というものではあるのだけれど、それだけで怯え、震え、涙をぼろぼろと壊して心が折れるなんて……。
「……殺意にすら慣れておらぬような小僧共が、おいたが過ぎたようじゃな。自分達は無事だと、強者なのだとでも思っておったか? 愚かなことよ。周りが貴様らに向けておる目は畏怖や畏敬などではない。関わったら面倒になるという現実を理解し、避けておるだけじゃ、たわけめ」
ガタガタと震える一人の胸ぐらを掴み上げ、そのまま片手で持ち上げるようにして身体を起こせば、男は震えながら情けない声を漏らした。
「で、トモはどこにおる」
「ぁ、ぁぁぁ……っ、ぉ、俺ら、の、た、溜まり場、の……」
「溜まり場? 貴様らの溜まり場なんぞ知るはずがなかろう、阿呆。どこじゃ。ほれ、答えよ」
「ぇ、ぁ、えっと、そ、その……!」
「なんじゃ、貴様。さっきまであんな偉そうに余裕綽々な態度を取っておったくせに。時間稼ぎか? ん? へし折るぞ、貴様」
「ひぃ……っ!?」
「――わ、私、知ってる!」
「ひ……、ぐぇッ」
後ろから声が聞こえてきたので持ち上げていた男をもう一人の男の上に放り捨てて振り返れば、びくりと身体を震わせる私を連れてきた女子――このみんがこちらを見ていて、目が合った途端にこのみんにまで「ひっ!?」と声をあげて怯えられた。
解せぬ。
別に私、あなたまでどうこうするつもりないのに。
「た、多分だけど、ここから車で二十分ぐらいかかると思う。場所はえっと、地図アプリとかで教える感じでいい? その、道とか、分からないし」
「うん、大丈夫」
「あ、じゃあ待って。えっと……」
やっぱり目を合わせてくれない。
むぅ、もう【交戦眼色】も解いておいたし、殺意だってぶつけてないのに。
そんな事を思う私を他所に、このみんは地図を表示してから場所を教えてくれた。
「えっと、ここの廃工場、倉庫が広いし人が近くにいないから溜まり場になってるって聞いた事あるわ。多分、ここ、だと思う」
「ほうほう……分かった。ありがとう、このみん」
「ちょ……っ、いきなり愛称とか距離感バグってるわよ!?」
「え、そう? まあ積もる話はいずれという事で。私ちょっとトモを迎えに行ってくるから」
「え……? ちょっ、ちょっと待った! なんでアンタが行くのよ! 警察にでも言えば……!」
歩こうとしたところで腕を取られて振り返れば、このみんは何やら不安で、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
え、いや、私がどうこうなるなんて、さっきの惨状と汚い金髪クンを見れば分かると思うんだけど……。
ははぁん、さてはこの男達の後処理をか弱い女子一人でこなすのは不安なんだね?
起きて復讐されたりとかも考えた方がいいし。
「……うん、そうだね。やっぱ処理するなら殺して――」
「――何か物騒なこと言ってない!? なんで唐突にそんな話になったのよ!?」
「えっ、違うの?」
「えっ、本気なの……?」
おかしい。
何かが致命的に噛み合っていないような感じでお互いに顔を見合わせて動きを止めていると、このみんが疲れたようにこめかみに手を当てて、それはもう深い溜息を吐き出した。
「……もう。私はただ、アンタが心配だっただけよ。そりゃ、あんな風に男だって倒せちゃうぐらい強いのかもしれないけど、不意打ちだったからどうにかなっただけでしょ? さすがに東條とかその仲間がいるような所に行ったら、こんなもんじゃ済まないわ」
……うん?
あ、もしかしてこのみん、私が武術経験者とかで運良く攻撃を入れる事ができたから、その結果あの男達が怯えているとか、そういう風に思ってるって感じ?
床とかめっちゃ亀裂入ってたりするんだけど。
なんて思ってたら倒れた金髪クンの周りを見ながら「改修ってここの事だったんだ。脆いのかしら」なんて言ってるし。
んんんんんん?
……この子……もしかして天然で私の力に気付いてない……?
「このみん」
「だからその呼び方……っ、あぁっ、もうっ! いいわよ! それで、なによ!?」
「このみんは純粋だから、不安定なんだね」
「は……!?」
感情、想いの揺れが激しい幼さは、裏返して言えば純粋さだと私は思ってる。
計算、妥協、打算ありきで計算して答えを出している訳じゃなくて、純粋な感情を持って相手に接してしまっている。だからこそ染まりやすく揺れやすい。
この子はそういう子だったのか。
幼いというより、周りから、家族から愛されて育ってきた普通の子なんだろうね。
トモとユイカは、自分の道を自分で決めて、そこに向かって進んでいるから芯を持ってしっかりしているけれど、この子はまだそれが決まっていない、揺り籠の中で守られている子供らしい子供。
平和な国の、平和な時代だなって思う。
子供が子供らしくいられるなんて、背伸びしなくても生きていけるなんて。
「このみん。アイツらは私が起こして帰らせるから、このみんは先に帰っていいよ」
「はぁ!? だから、そうじゃなくって……!」
「これ以上、あなたは関わらない方がいいから。これはそもそも私と東條の問題だよ。私が決着をつけるのは変わりない」
「そんなの……ッ! なんでよ……警察に頼めばいいじゃん」
「大丈夫だよ。だから――帰ってゆっくりおやすみ」
「ぁ……。……ハイ」
このみんの瞳から感情が消えて、まるで何もなかったかのようにこの場から去っていく。
ちょっとした暗示系の魔法なのだけれど、中身が純粋なこのみんだからこそあっさり魔法にかかってくれた。
場合によっては洗脳するような精神支配系の魔法を使う事も視野に入れていたのだけれど、あの子に関してはこの場から離れて暗示が解ける頃には、この場で起こった事も曖昧になってすぐに忘れてくれそうだし、良かった。
洗脳系の魔法は心が壊れやすいから、あまり使いたくなかったんだよね、このみんには。
「――もっとも、貴様らにそんな配慮などするつもりはさらさらないが、のう」
振り返り、男たちに向かってそう告げてみせれば、意識を残していた二人は再び恐怖を思い出したかのように震えて泣き出した。
……覚悟もない存在。
取るに足らない蛮勇に身を任せて痛い目を見る子供はいるけれど、コイツらはあまりにも悪事に慣れてしまっている。
さっき私に手を出そうとした時も、そういう事を今までやってきたと言わんばかりの経験則に則った物言いだった。
そういう被害者の想いを、痛みを知ればいい。
そう思いながら手を翳して、魔法を発動させながら私は無感情に口を開いた。
「貴様らには、夢のような暗示も全てを忘れる洗脳もくれてやらぬ。妾がくれてやるのは、一生背負い続ける咎に対する苦痛だけだ。懺悔など許さぬ、贖罪などさせぬ。一生、永遠に、その魂が枯れ果てるまで苦しみ続けよ」
さっさとこいつらを処理して、早くトモの所へ行かなくては。