バレンタインデー Ⅰ
あの後、結局私はマップをあまり知らないため、どこが跳弾の狙えるポイントか、どこに飛ばせばどこに跳ねるのかという情報もなかったために全てを屠る、なんて事はできず、割りとあっさりチームは敗退してしまった。
ユズ姉さん曰く、一方的な勝利をするよりもしっかりと爪痕を残しつつあっさりと終わってしまった方が、次回の配信に期待や評判が向くから都合がいい、だそうだ。
ビッグマウスよろしく「見せてみよ、人間共」なんて私が言ったのに負けた件については、どちらかと言うとジェムプロファンからはかなり好意的に取られているらしい。
実際、スナイプの腕と跳弾のインパクトが相当評価されているし、ジェムプロにいないタイプのキャラクターだからちょうどいいというのもあるだろう、というのがユズ姉さんの見解だ。
うん、そりゃそうだよね。
私みたいなのが箱にいたりしたらすぐに問題になるだろうし、今みたいに振る舞えてはいないと思うよ。
ジェムプロにいるはずがないだろうね、確かに。
一身上の都合か病気で活動休止という名の自然消滅まっしぐらになるんじゃないだろうか。
ともあれ、それから数日、本日は2月14日。
男子がこの日が近づくにつれて妙にそわそわしたり、机を空っぽにしたりと気遣いをする一日、バレンタインデーがやってきた。
まあ私は男子に渡すつもりなんてこれっぽっちもないけどね。
前世の記憶を取り戻す前も含めて、バレンタインなんてものは私には無縁な一日である。
何せ友チョコを用意するような相手すらいなかったのだから。
実はユイカには友チョコ交換しないかみたいな話を持ちかけられたんだけど、トモが忙しそうだったし、私とユイカみたいなのとは状況が違うからね。
だったらみんなで喫茶店でチョコケーキを楽しもう、みたいな話になった。
「おはよ、リンネ」
「おはよー。あれ、今日もトモは一緒じゃないの?」
「あれ、言ってなかったっけ? 今日はトモ、お昼過ぎまでお仕事だよ。あのチョコを渡す相手も一緒の仕事だから、そっちで渡すみたいだねー」
「へー、そうなんだ」
てっきり学校の男子に渡すのかと思ってたけど、そうじゃなかったらしい。
近くにいた男子が明らかに凹んでいるように見えるけど……トモ狙いだったりするのかな、あの人。
名前知らないけど。
……あれ、もう一人の男子が何かジェスチャーして私に訴えてきてる。
うん……? ……あぁ、なるほど。
「ユイカはどうなの?」
「何がー?」
「チョコ。渡す相手いるの?」
「いないってばー。前も言ったけどさー、仕事で年上の人達と一緒になるせいか、同級生とかの年齢じゃそういう対象として考えれないよねー。まあ仕事も頑張りたいからそんな気ないしさー」
「うん、そうだよね」
すまぬ、名も知らぬ男子よ。
木端微塵に砕け散ってしまったかもしれないが、強い心を持って立ち直っておくれ。
どうしても聞いてほしそうだったから聞いてみただけなんだ、私は悪くないよ?
「そういうリンネはどうなのさー? 一気に可愛くなったんだから、実はそういう相手が密かにいたりとかするんじゃないの?」
「あ、それはないね」
「うわっ、即答」
「うん。恋愛には興味ない」
「ア、ハイ。ソッスネ」
すん、と真顔になって答えたらニヤニヤと笑っていたユイカも感情を殺して頷いた。
「あ、じゃ、じゃあさ、義理チョコとか渡したりしないの?」
「あー、実は昔、単純にお裾分けしたつもりが、そのせいでちょっとした誤解を生んじゃった事があるんだよね」
「え、なになに? どういうこと?」
実は私、前世で似たような行事があった日に、たまたま見かけた部下にお菓子をお裾分けしてあげただけなのに、「魔王様に今日お茶に誘われてお菓子をご馳走になった」みたいな誇張表現をして変な噂が流れた事もあったんだよね。
まぁ、そんな噂があったものだから、私も改めてその部下を呼び出して懇切丁寧に偶然、たまたま見かけただけであって、特別呼び出した訳でもお茶に誘った訳でもなく、誰であっても見かければ分けるつもりだったこと。
それと、そもそも私はその部下の名前も知らないし、恋愛対象どころか顔も初めて見たと思うし、話した事もなかったと思うけど、それなのに勘違いさせるような行事であったと知らなくてお菓子を渡してしまってすまんって説明した。
そしたらその部下ってば、その日の内に魔王城辞めてどっか行っちゃったんだっけ。
執務室に同室してた他の部下は顔を真っ赤にして俯いたままぶるっぶる肩を震わせてたし、あれはきっと私の迂闊な行動に怒っていたんだろうね、多分。
きっとあれは私の失態だったんだろう。
そういう大事な日なのに紛らわしい事をしてしまった私の失礼さに気を悪くしてしまったんだと思う。
そんな体験を当時を思い出しながら、けれど現代風にして語ってみせたところ、ユイカの表情が段々とチベットスナギツネみたいな険しいものになっていって、何故か周りの男子たちの数名が胸を押さえて壁にもたれかかったり、膝をついていたりした。
……何事?
「……うん。リンネ……その、なんていうか、ほら……。……うん、悲しい事件だったんだね……」
「……? まあうん、そうだね。だからそういうのを渡すのはやめておこうかなって」
「……そう、だね……。リンネはそのまんまの方がいいかも、ね……」
なんでそんな遠い目をしながら言うんだろう。
まあ、酷く傷つけるような事はしない方がいいに決まっているよね。
実際、前世の私はそういう所にどうにも鈍感だった節がある。
だけど今の私は違う。
魔王として生きた訳ではなく、現世の一般人少女として生きてきた知識だってあるのだし、培ってきた常識というものがあるのだから、二度と同じ轍を踏むような真似はしない。
ふふふ、私だって成長しているのだよ。
そんな事を伝えたら、何故かユイカに頭を撫でられた。
……別にユイカから撫でられるのは嫌いじゃないからいいんだけど、なんで撫でる?
なんとなく腑に落ちないものを感じつつ、どこか浮足立った空気を放った校内を歩いていく。
「……なーんか、やっぱ男子ソワソワしてるよね」
にしし、とからかうような笑みを浮かべてユイカがヒソヒソと話しかけてきたので、私もこくりと頷いた。
教室に入ってくるまでに歩いている間、目が一瞬合った男子が何故か興味ありませんよとでも言いたげに視線を逸らして何故かこちらに気が付いていないアピールみたいな事をしてくるのだ。
……何がしたいんだろう。
私、もしやおかしな寝癖とかついていたり……?
いや、毎朝の身だしなみは魔法で整えているから問題ないはず。
「ねえ、ユイカ」
「ん? なに?」
「私、寝癖酷かったりしないよね?」
「……うん、大丈夫だよ。だからそのままでいてね」
「そう? って、そのままでいてねって何?」
「可愛いし面白いから」
ぐっとサムズアップして親指をビシッとあげてきたユイカが何を言いたいのかは分からないけれど、まぁ問題がないのならいいだろう。
春休みに向けた流し授業という名の睡眠導入に抗いつつ時間を過ごす。
ぐぬぬ、おのれ教師め。
干渉系の魔法にすら抵抗力を持つ私にここまでの眠気を与えるとは、やりおる……。
そんな悔しさとも戦いつつ、どうにか耐えて休み時間。
二時間目の授業が始まろうかというところで、私と話していたユイカのスマホが鳴り、「ちょっとごめん」とだけ言って電話に出た。
「お疲れ様です。……え、トモが? いえ、学校にはいないですし、そもそも今日仕事だって言ってたので忘れてるって事もないと思いますけど? ……どうしたんだろ……。分かりました、私からも電話して、出ないならトモの家の様子見に戻りますね。……いえいえ、大丈夫ですよ。はい、失礼します」
何やら困惑した様子で通話を切って、スマホを操作してすぐに通話状態にする。
でも、電話しても繋がらなかったのか、数秒程してからユイカがスマホを手に持ち直してこちらに目を向けた。
「ごめん、リンネ。トモが仕事に来てないみたいで……連絡つかないみたいだから、私今からトモの家に行ってくる」
「え、寝坊でもしたのかな?」
「んー、それはないと思うんだよねー。トモ、朝早いから寝坊しても学校に間に合うぐらいには必ず起きるんだよね。だから今日の約束、もしかしたらキャンセルになるかも。ごめんね?」
「ううん、こっちは大丈夫。何かあったら連絡してね」
「ありがと。後で絶対連絡するね!」
何やら慌ただしくユイカは教室を出て行ってしまった。
ユイカがトモの事でこんなにも慌てる姿なんて初めて見たし、基本的にトモって見た目ギャルっぽい感じで適当そう――私の勝手なギャルへの偏見だけど――なのに、実はすっごいちゃんとしてる子だったりするんだろうか。
なんか意外。
いや、ギャルだからってルーズとは限らないけどね?
どっちにしても、ユイカとトモがいないんだったら私も学校にいる意味はないんだし、帰ろうかなぁ。
家帰って色々やる方が有意義だし、友達の輪を広げよう、なんて思ってもいないしね。
うん、帰ろう。
「――滝さん、ちょっといいかな?」
荷物をまとめ終え、さて帰ろうと席を立ったところで声。
振り向いてみると、そこには今までに話した事のない女子から声をかけられた。
「ん? なに?」
「ちょっと話がしたいんだけど、少し時間もらっていい?」
そんな質問をこちらに投げかけている割には、なんというか酷く追い詰められているような、お世辞にも学校で見せるような気軽さは感じられない。
うーん。
私は話ないから、って言ってさっさと帰った方が良さそうな気はするんだけど……なんていうか、こう、魔王的直感ピキンときてるんだよね。
ここで無視しても意味はないだろうし、多分、ここは話を聞いた方がいいんだろうなぁって。
「……別にいいけど?」
「ホント!? 良かった……。ここじゃアレだから、付いてきてもらえる?」
明らかに安堵している様子だし、うん、やっぱり何かあるんだろうね。
というか、「アレだから」の「アレ」ってどれの事なんだろう、なんてくだらない事を考えつつ、声をかけてきた女子の後ろを突き進んでいく。
はてさて、鬼が出るか蛇が出るか、だったっけ。
何が出てくるのやら。