【初配信】魔王の覚醒 裏
コンテンツ飽和の時代とも言えるこの時代において、私――滝 楪――の所属する会社である『アステーリ株式会社』は、動画配信サービス、Ourtubeを利用して2D、3Dのキャラクターを使って配信する配信者、『Virtual Ourtuber』こと『Vtuber』の所属する『ジェムプロダクション』を運営している。
ジェムプロのようなプロダクションを『箱』と呼んだりするのだけれど、箱に所属するアイドル達の頑張りもあって、今や大手の中でもトップを争う事務所という存在だ。
そんな事務所で、私はとあるVtuberのデビュー配信を待っていた。
というのも、これからデビューするのは私の歳の離れた姉の娘であり、私にとっての姪に当たる子だからだ。
彼女にVtuberにならないかと薦めたのは、私だ。
さすがに大手も大手のこのジェムプロにいきなりスカウトしてデビューさせるなんて真似はできないし、実力的にも実績的にも厳しい。それらをコネで無視できたとしても、それはむしろ彼女にとっても荷が重いだろうと思い、まずは個人勢としてやってみないかと。
焚き付けた代わりに色々と融通を利かせて機材の選定等は私が付き合ってあげて、お金は私と姉が融通した。
というのも、我が姪ながらにあの子は美人だ。
北欧系の顔立ちに銀色の髪、金色の瞳という、本人は隠してしまっているが、あれらを隠していない時の美しさは、同じ女の私でさえ息を呑む。
そんな彼女が見た目の事もあってか引っ込み思案になり、いわゆる引きこもり気味になってしまった事に気を病んだ私と姉は、あの子をどうにか表舞台に引きずり出したかったのだ。
そこで目をつけたのが、Vtuber活動であった。
人の前で話す事に慣れ、自信に繋がってくれるのではないか、と考えたのだ。
もっとも、今朝話した時は緊張のあまり声も震えていたし、もしかしたら喋れないなんて事もあるかもしれないけど、キャラ絵と環境は良く、本人も声が良いのだから、慣れていく内にじわじわと伸びていくだろうとは思っている。
ただ……不安がない訳でもない。
Vtuberはキャラクターと声や言動の親和性、バランスが求められる。
例えば見た目がお嬢様なのにダミ声ではコレジャナイ感が出てしまうし、必然的に声色に合わせてイメージしたキャラクターを生み出すのが一般的だ。
けれど、私がそうした事を教えてあげたというのに、あの子は自分が培ってきた画力とモデリング技術を駆使し、自分とは全く違う性格のキャラクターを完成させた。
――ヴェルチェラ・メリシス。
圧倒的カリスマによって魔界を統べる魔王であり、見た目は十代中盤から後半に差し掛かる頃の少女と大人の境界を体現する、白銀の髪に金色の瞳を持った女王。
その髪色と瞳の色、そして顔の形は、あの子が何も隠していない時の見た目そのままであり、それを少し大人っぽくさせて、自信に溢れる表情を浮かべているようなキャラクターだった。
……もしかしてこの子って隠れ中二病なのかしら、と思ってしまったものだ。
「この子があの姪っ子ちゃんですか?」
私と一緒に画面を見ていた後輩であり、ジェムプロ二期生の一人のマネージャーをしている佳純ちゃんが、待機絵を見ながら訊ねてきたので、私は肯定を返した。
「へぇー、どんな子なんです?」
「設定上の話なら、異世界の絶対的な魔王という設定よ。リアルは……オタク少女、かしら。あまり口数も多くない子なのだけれど……」
「え、それなのに女王サマキャラなんですか?」
「演技をする、とは言っていたけど……どうなるかしらね。うまくイジられる方向で可愛がられてくれればいいけど……」
キャラクターと、いわゆる中の人との相性が正反対であるが故に、その違いをネタに可愛がられる、なんて事もあるのがVの世界だ。
彼女もまたそうなってくれればいいのだけれど、正直、個人勢の伸びはなかなかに難しいところがあるので、そうなるぐらいに慣れて、愛されるようになるまでは時間がかかるだろうと思う。
もっとも、姉さんも私もそれでいいとは思っている。
あの子は商業目的でやる訳じゃないのだし、自分の抱えている問題と向き合っていくのだから、何も焦る事はないだろう。
根強いファンと一緒にそれなりに活動して慣れてくれれば――と考えていると、ふと画面が切り替わり、オープニングアニメーションが流れ始めた。
「え、可愛い。これも用意したんですか?」
「あの子が自分でやったのよ。ペンタブで絵も描くし、クリエイターとしてもやっていけるんじゃないかって思って、姉さんがPCだけはいいものを用意してあげてたから。だけど、まさかオープニングアニメーションなんてものを用意するとは思わなかったけど……」
実際に絵はそこまで大きな動きもないし、そこまで大変ではないだろう。
ベースとなる絵を少しずつ編集して動かしているだけのようだし。
でも、すごいわね。
正直このアニメーションクオリティとキャラクターのデフォルメ絵を描けるなら、ウチの箱のオープニングアニメーションを依頼してあげてもいいかも。
そんな事を考えていたら、画面が暗転した。
誰かがカツカツと暗い城内を歩くような目線で映像が動いていき、やがて、ヴェルチェラ・メリシスが映る。
数段登った階段の先に置かれた玉座に腰掛けて足を組み、頬杖をついた女王。
その目が来訪者――カメラを真っ直ぐと見つめて、眇めた左目が光を放った。
《――頭が高い。跪け、誰の前だと思うておる》
――ぞわり、と鳥肌が立った。
短い声だけで、私の身体は思わず強張り、息が詰まった。
カメラはその一言に応じたかのように視線を下に下げたようで、ヴェルチェラ・メリシスは映らず、靴と膝、それに足元の絨毯だけが映っていた。
《くくっ、冗談じゃ。許す、面をあげよ》
映像が顔をあげたところで、2Dで表示されたヴェルチェラ・メリシスが映し出されていた。
《しかと目を見てよぉく聞いておけ。妾は魔界の女帝にして唯一の王、ヴェルチェラ・メリシス。この名、しかと胸に刻んでおくがよい》
銀色の眩い髪に金色の瞳。
十代半ばから後半にかけて少女が女性へと羽化する、その短い期間を切り取った女性の姿で、絵が動いているだけだというのに、目を離せない、目を合わせられないという何故か相反するものが混在する。
くくっ、と含んで喉を慣らすその姿は、どうしてだか妖艶だと思った。
上機嫌である事が嬉しい、と何故か彼女の一言を聞いただけで、心が弾むようだ。
早く次の言葉を、と思わず黙りこくったまま画面を見つめていると、ヴェルチェラ・メリシスは言葉を悪戯に並べたりはしないよう、ゆっくりと、旋律を奏でるように紡いでいく。
《……さて、と。自己紹介、とやらは良かろう。どうせこの場で流れるように語ってみせたとて、貴様らは今、妾に呑まれ、言葉の半分も拾えておるまい。故に、必要な事だけに絞って声を聞かせてやろう。有り難く思えよ》
傲岸不遜で、一切媚びる姿勢を見せないというのに、コメント欄すらも荒れる様子も、鼻につくだのと言う人間もいなかった。
「……なん、ですか……、この子……。この、引き込まれる感じ……」
佳純ちゃんが絞り出すように呟いた一言に、私は何も答えられなかった。
私とて、あの姪っ子が、こんなにも完璧なキャラクターで、カリスマ性を魅せつけてくるとは思ってもみなかったのだから。
普通、ここまでの極端な態度は人を選ぶ。
偉そうなキャラというのは刺さる人には刺さるものだけれど、そういう高圧的な態度を嫌う人は少なくない。基本的にキャラクターとして当たり障りなく、愛されるようにある程度は角を丸くするのが一般的だ。
有り得ない、と一蹴するのは容易い。
けれど、だとしたら目の前のこれは何?
鼻につく、なんて思う余裕すらなく、ただただその在り方が当たり前に存在していて、それに納得させられてしまう自分がここにいる。
元々のキャラクターを理解していてなお、この衝撃なのだ。
知らない人であればその衝撃は、おそらく私のそれよりも圧倒的に大きいだろう。
そもそもヴェルチェラ・メリシスは媚びる気配も、変えるつもりも全くない。
彼女はまるで「自分がこう在るのは当然のことだ」といった様子で、ただのキャラ付けというような次元を超えている。
それが彼女の狙い通りなのか、視聴者数83名という数字から減っていない――どころか、一気に増えていて、佳純ちゃんが慌てて検索をかけた。
「せ、先輩! ウチのエフィがモノロジーでヴェルチェラさんのこと拡散してますよ!?」
「え……っ?」
エフィというのはジェムプロの一期生の一人で、個人や他の箱のVtuberをちょくちょく応援しているような内容を、SNSである『モノロジー』を使って発信したようだ。
私は断じて姪の事を言っていないし、私とあの子の繋がりもエフィは知らない。
あの子を応援しているのは確かだけれど、一気に有名にさせようとか、バズらせたいとかは一切考えていなかったのだから。
これは完全に偶然だ。
偶然ではあるけれど……ある意味、必然だとも思った。
あの子は『デビュー配信』を漁る癖がある。
そこで何かを感じると、モノロジーを使って発信するのだ。
さっきの一言に私が感じたものを、私よりも人の持つナニカに敏感なあの子が感じないはずはないのだから。
視聴者数はエフィのモノローグによって一気に増えてきて、最初から見ていない人たちが増えているらしい。
最初の圧倒的なヴェルチェラ・メリシスという個を叩き付けるような、あの瞬間を見ていないせいか、コメントに、アンチコメント――いわゆる文句が増え始めた。
「アンチ、多くなりそうですね……」
「……どうするつもりかしら、あの子……」
佳純ちゃんと私が見守る中、ヴェルチェラ・メリシスもまたアンチコメントには気が付いたようであった。
しかし――彼女は画面の中で笑顔を浮かべた。
《――くはっ、堪え性のない連中よな。妾に文句を言うためにわざわざ配信を観て、届くかも分からぬ嫌味を吠えておるのか? くくくっ、愉快よな。貴様らのような愚か者のおかげで、妾の視聴者は増えておるようだ。礼を言おう》
「え、つよ」
佳純ちゃんと同じく、私もまた思わず同じ感想を抱いた。
いや、本当なら無闇矢鱈に喧嘩を吹っ掛けるべきではないのだ。
なのに、彼女は堂々と言い放つ。
それは喧嘩を吹っ掛けるとか売り言葉に買い言葉とか、そういう次元ではなく、本当に愉快そうに言うものだから、一切の毒気を感じられないという不思議な物言いだった。
《くくっ、妾が言えることは一つ。本当に妾のやり方が気に喰わぬと言うのであれば、さっさと去ね。妾はやり方も意見も曲げる気はないのでな。貴様らが好きに選べば良かろう? 妾は一度たりとも、貴様らに媚びた覚えはないからの。万人が万人、妾を観て欲しいと思うとらん、好きにせい》
……あはは、なんだろう。
彼女の言う事はいちいちもっともで、それを感情の赴くままに口にしているという訳ではなく、ただただ事実を飲み込めと口にしているだけに過ぎない、というものだとよく分かる。
だからこそ、いっそ痛快だ。
彼女は本当に心からそう思っていて、本当に心から好きにしろと言っているのだ。
その根底にあるのは、おそらく――揺るぎない自らに対する自信。
それは空虚な張りぼての自信や勘違いではない。
彼女は圧倒的なカリスマ性を持っているのだと、この数分程度の配信で嫌という程に魅せつけられてしまった。
だからこそ、あの傲岸不遜な態度ですらも、視聴者を切り捨てるような言い方すらも、全くもって嫌味に聞こえないというのが凄まじい。
彼女の中の人を知っているからこそ、余計に私はぞくぞくした。
実はこれこそが、彼女が彼女の中で飼い続けてきた真実の姿なのではないかと、そんな予感に震えた。
それが、彼女の始まり。
Vの業界に舞い降りた、一人の魔王という存在の始まりだった。