◇9◇ ギアン様再び!
◇ ◇ ◇
夜会の翌朝。
客人扱いで朝食をいただいた私は、そのあと奥さまとマクスウェル様と、お茶をご一緒した。
今日の茶も最高に美味しい。貴族の皆さんと同じものを食べていると味覚にインフレが起きてしまいそうで、邸を出る時が怖い。
「……あんな妹だけど、学業成績はずっとトップクラスだし、少し前までは品行方正、同年代の令嬢たちにも憧れられる、まさに理想の貴族令嬢……だったんだ。まぁ性格は変わらず悪いが」
「マクスウェル様、もうちょっとオブラートにくるみましょうか」
「しかし、昨年秋に祖父が亡くなったんだが、それより少し前からどうもおかしくなってしまって……。
いや、待てよ。そうだな、ちょうど王太子交代の時期ぐらいからだろうか」
ときどき話聞かないの、やっぱり兄妹(&親子)だなって思う。
「ねぇ。リリスは、昨年王太子が交代したのは知ってるかしら」
「はい奥様。新聞で読みました」
昨年春、王妃様のお子である前の王太子アトラス殿下が何か不祥事を起こして、廃嫡され、今のクロノス殿下に代わったとかなんとか。
新王太子がすごい美男子だとかで、ものすごい騒ぎになったのを覚えている。
(でも不祥事を起こした前の王太子も追っかけファンがいるぐらいの美男子だったらしい。顔で評価しちゃ駄目なんだよね、ほんとは)
「今の王太子クロノス殿下は、公妾をおつとめになったウェーバー侯爵夫人のお子で、王太子交代までは、公にはウェーバー侯爵家の長男でいらしたわ。
絵に描いたような白皙の美青年……氷の貴公子というあだながあるわね」
ふむふむ。名目上は侯爵令息で、実際は国王陛下の公然の隠し子……みたいな。
「そういえば、王太子交代のときには、祖父がなぜかずいぶんショックを受けていたな。
前のアトラス殿下とそれほど親しいわけではなかったんだが」
「なんだか、マレーナ様はお祖父様にずいぶん複雑な感情を持っているように感じました」
「そうかな? あの大公妃にこだわる考え方は、まさしく祖父譲りだが」
マクスウェル様はため息をつく。
「祖父も父も、さっさと跡継ぎが誰かを先に聞いておけば、マレーナに要らない期待を持たせずに済んだだろうに。
うちの国の貴族と同じく長男が継ぐと思っていたのか。あるいは聞いていても、女だからギアン様が成人するまでの中継ぎだとでも思い込んだのか……」
つられるように奥様も目を伏せた。
「大公になられなくても将来は約束されているし、本当にありがたい婚約なのよ。
あちらは豊かな国だし、大公家は財産もあるし、ギアン様は人間的にも問題のない方だし。
ギアン様より良い結婚相手なんて、王国内にいるかしら?」
「さっきおっしゃった、王太子のクロノス殿下とかでしょうか?」
「王太子妃候補の選定は進んでいるが、マレーナの名前は上がってもいないよ。
まぁ、婚約者がいるから当たり前だが」
と、マクスウェル様はバッサリ切る。
そのとき。
「奥様。先ほど大公家からお手紙が届きました」
従者の方が緊張した面持ちで、お手紙を持ってきた。
「あら、昨日のお礼のお手紙かしら?」
「確認しますね、母上」
マクスウェル様はペーパーナイフで手紙を開封し、読み……そしてうめいた。
「どうかしたの? マクスウェル」
「…………母上。
本日午後、ギアン殿下が、昨日のお礼にこちらの邸に来たい、と」
「「…………なんですって!?」」
────緊急事態発生。
奥様とマクスウェル様と私は即、お茶を切り上げる。
そしてマレーナ様の部屋にいき、ギアン様の訪問のことを伝えた。
マレーナ様のお返事は一言。
「出たくありませんわ」
……以後、3人がかりで一生懸命説得する私たちと、会話を拒否するマレーナ様。
時間だけが刻々とすぎていく。
「仮病を使ったほうが良くないですか?」
「いや、使いすぎてるからやはり仮病はッ」
「今までこちらの邸にいらっしゃったことなんてなかったのに、どうされたのかしら??」
結果、仕方ないので、もう一回私がマレーナ様のふりをすることになった。
マレーナ様が見計らったように、「これ一度も着ておりませんの」というアフタヌーンドレスを渡してくる。
上品なクリーム色の生地に見事な刺繍が入った、それはそれは素敵なドレスだったんだけど……
(せめてさぁ、もうちょっと感謝とか、すまなそうな態度とかさぁ……)
内心文句を言いながら、私は着替えて支度した。
◇ ◇ ◇
その人は、ぴったり時間通り、ファゴット侯爵邸にやってきた。
「急にお伺いして申し訳ない。
昨日のことで、どうしてもファゴット家の皆様にお礼を申し上げたく参りました」
昨日と変わらず、聞き心地の良い声。
20人以上の従者を従えたギアン様を、奥様、マクスウェル様、そして私で出迎える。
この人、今日も笑顔だな。
奥様がにこやかに応えた。
「わざわざいらしてくださるなんて、大変恐縮ですわ。
ご足労くださいまして、ありがとうございます、ギアン殿下」
「姉の命を助けてくださり、どれほど感謝しているか、言葉では言い尽くせない。
このたびは心ばかりのお礼を用意させていただいた。
気に入っていただけるとよいのですが」
(…………心ばかり?)
……と言うには、ちょっと贈り物多くない?
連れられた従者がみんな、手に手に、高価なお酒や花やフルーツや、それから美しい箱に詰められたプレゼントらしいものを持っている。
心ばかり、の定義とは。
「こんなにお気遣いいただいてかえって申し訳ないですわ……」
狼狽える奥様。
そうだよね。これが貴族の普通って言われたらどうしようかと思った。
従者がそれぞれファゴット家の使用人にプレゼントを渡しては使用人たちが往復して運んでいく。
終わるのを見届けてから、私たちはギアン様をファゴット侯爵邸の客間にお通しした。
(ギアン様が妙に私を見つめている気がするのは、気のせい?)
目があうと、急に視線をそらす。
それでいて、しばらくするとまた見られている、気がする。
あと心なしか昨日より瞳がキラキラしてるような。
「改めて、昨日我らの夜会に来てくださったこと、そして姉を助けてくださったこと、心より感謝申し上げる。まことにありがとうございました」
ギアン様の所作は貴族の男性らしいものだけど、お礼を言うときは、軍隊教練でも受けたような姿勢になる。
「犯人はとある伯爵家の三男で、招待客の侍従に紛れて侵入したとのこと。
『自分は由緒ある伯爵家に産まれたのに、三男だからと平民にならなければならない。なのに、レイエス人が王家から叙爵されて、ベネディクト人と対等な扱いをされる。それが許せなかった』
……と供述しました」
やっぱり、逆恨み以外の何物でもなかった。
「ファゴット家の皆様がいなければ、今頃姉はどうなっていたか……また、姉の身に何かあれば、レイエス大公国はどうなったか。
想像しただけでぞっとします」
「…………お役に立てましたこと、こちらもまことに嬉しく思います」
マクスウェル様が神妙な顔で話を合わせている。
「それで、マレーナ殿にもぜひ贈り物をさせていただきたい」
(……?)
「ギアン殿下。わたくしは関係ないのではございませんこと?」
「足を怪我していたのに、それでも夜会に来てくれただろう?
姉の身が助かったのはあなたのおかげでもあるのだ」
見計らったように従者の1人が前に出て、持っていた革張りの箱を、うやうやしく開けた。
(!!)
息を飲んだ。それは大粒の水色の宝石をメインに、真珠とダイヤモンドが三連に輝く、豪華なネックレスだった。
メインの宝石は、冷たく冴えたような光を放つ淡い水色。
宝石には詳しくないから名前はわからないけど、吸い込まれそうなほど美しい。