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番外編:ギアン様とオペラに出かけましょう(5)


 そっと扉を細く開けて外を窺う。

 ロイヤルボックス席の前はギアン様の従者たちが厳重に警護していて、シンシアさんがそれに加わるようにこの扉の前で仁王立ちしている。


 そして広めにとられた廊下には、通りすがりや、近くのボックス席から出てきたらしい人がたむろし、騒動の中心部を面白半分で遠巻きに見ている。



「────この尻軽(しりがる)め! この私を袖にしておきながら、男とこんなところで……!」


「違うのです! 私、祖父にオペラを見せてあげたくて……」



 貴族らしい20代後半ぐらいの紳士が目を吊り上げ、女性の髪を掴み上げていた。



(……私じゃなくて、あの人のこと??)



 女性の顔には覚えがある。

 アイラという名で、他の劇団の花形だった。

 でも2~3年前に引退していたはず。



「アイラに何をするんだっ……やめろっ……」

「こんな上席に小汚い爺が入ってくるな、劇場が汚れる」



 アイラさんの連れらしき小柄なよぼよぼのおじいさんが、暴漢を懸命に止めようとしている。

 けれど暴漢の仲間らしい2人の男たちが、それを嘲笑いながら引き剥がし、蹴りまで入れる。

 ────で、そこに。



「……い、痛っ!

 痛たたたっ!

 何だっ、おまえは……」


狼藉(ろうぜき)はやめろ」



 邪魔な野次馬を掻きわけて中心部にたどりついたギアン様が、あっさりと暴漢の腕を捻り上げて拘束し、アイラさんを解放した。

 彼女は、暴行され鼻血を出した祖父をかばう。



「おい、誰だか知らないが入ってくるな……んん!?」


「ここはレイエス人の来るところじゃ……んぐわッ!?」



 ギアン様に掴みかかろうとした仲間2人も、何をどうされたのか身体がほぼ同時に宙を舞う。

 男2人、そろってタイル敷きの床に落ちて目を回した。

 ギアン様の侍従たちが心得たように3人の男を拘束する。


「劇場の者に憲兵を呼ぶよう伝えろ」ギアン様の指示に、侍従が1人走っていった。


「2人、ケガはないか?」

「あの、わしは少し蹴られたぐらいで……アイラ、大丈夫か?」

「はい、あの、ありがとうございますっ」



(やっぱりギアン様、強いんだな)



 見事な手並みに感心した私は、不意に周囲の人々の目が気になった。

 ただ野次馬していただけの男女が、アイラさんと祖父を助けたギアン様に、なぜか冷ややかな目を向けている?



「……なんだ……なんなんだ。

 誰だか知らんが、こんな売女(ばいた)助けて何になる」

と、暴漢は呻いた。


「こいつは平民、しかも女優だぞ?」



(!!)

 その言葉に小さくうなずく野次馬たちに、私は衝撃を受けた。



「女優だからどうした。

 暴力を振るっていい理由なんてない」


踊り子(バレリーナ)や女優なんて枕やってなんぼ、公娼みたいなもんじゃないか……」



 つい私は舌打ちした。

 女優にも踊り子(バレリーナ)にも『大人の関係』を求める男たちは多い。

 確かに、生活苦とか野心でそれに応じる人もいる、けれど。



「こいつの舞台に通うのに私がどれだけ金をつぎ込んだと思っている。

 金を払っても仕事をしない娼婦に怒って、何が悪いんだ……」


「暴力の上に侮辱か。

 見さげ果てた男だな」



 ギアン様はアイラさんをかばうけれど、野次馬も同調するように小声でひそひそと話し始める。



「あれ、レイエス大公国のギアン殿下ですわよ」

「婚約者を連れてきているんですって……それなのにこんなところで女優なんかに色目を使われて、婚約者様もおかわいそうに」

「これだから貴族の立場というものをわかっていない野蛮な国は……」



 ……わけがわからないけれど、どうやら、彼らの頭の中ではこうなっているらしい。


 『女優』という『いかがわしい仕事』をしていたアイラさんが悪いのであって、男にそういう目に遭わされても仕方ない。

 そして貴族でありながら『いかがわしい』アイラさんと祖父を助けたギアン様は『いかがわしい』女の色香に惑わされ、貴族の分をわきまえないことをしたのだと。


 ……うん。自分で分析したけど、やっぱりわけがわからない。



 私は、すう、と息を深く吸って、扉を開けた。



「────鮮やかなお手並み、さすがですわね。ギアン殿下」



 声を廊下に響かせる。

 狙いどおり、その場の視線は私1人に集まった。

 視線、しぐさ、効果的な演出を計算しながら、私はゆっくりと歩み出た。



「まぁ、これだけ大勢いて誰1人、たった3人の暴漢に手出しできない虚弱な殿方たちが情けないだけですかしら?

 虚弱というよりは腰抜け?

 パートナーの貴婦人が同じ目に遭われても、きっと先ほどのように指をくわえてご覧になっているのですわね。お気の毒」



 野次馬たちが目を白黒させてこちらを見る。

 次第にこちらの言ったことを理解して、顔を真っ赤にし始めた。



「せっかくですし、皆さまお顔も覚えましたし、夜会で話の種にさせていただきますわ」



 付け加えると、何人かの顔が青くなった。赤くなったり青くなったり、紫陽花(あじさい)か。



「それと、そちらの紳士。不名誉なこの場ですのであえてお名前はお呼びせずにおきますが(←嘘。マレーナ様を演じているので知っているふり)、いつの時代のお話をなさっているの?

 オペラやバレエや演劇はベネディクト王家が文化保護の対象として議会で検討しているのをご存じないのです?(←ファゴット家に届いた新聞で読んだ)

 その御歳で自ら老害のようなことをおっしゃるなんて、失礼ですけれど新聞お読みになっていらっしゃいますこと?」


「ろ、老害ですって……」


「文化の担い手を大切にできない国が、『先進国』を名乗ってよいとお思いですか?

 わたくしの婚約者の国を侮る前に、ご自分がベネディクト王国の貴族だと名乗れる人間か、胸に手を当ててお考えになってはいかがかしら?」


「………!!!!」



 言い返してきたら3倍ぐらい返してやろうと構えていたのだけど、言い返してこない。

 どうやら暴漢はマレーナ様の顔を知っていて、ファゴット侯爵家より格下の家の貴族らしい。

 その時、ギアン様の侍従が何人かの男性たちを連れて帰ってきた。



「ギアン様。劇場の者たちが着きましたようですわね。戻りましょう。

 それから、こちらの婦人とお祖父様が意地悪な方々に何かされぬよう、お席に侍従の方をどなたかつけて差し上げることは可能でしょうか」


「うむ。すまない」



 ――――ギアン様は侍従に指示し、さらにアイラさんとお祖父さんのために上物のワインを渡した。


 お2人は何度もギアン様と私に頭を下げて(アイラさんは私の顔を知っていたのかこちらを見てびっくりしていたようだけど、私はあくまで赤の他人のふりを貫いた)、自分の席へと戻っていった。

 せっかくお祖父さんにオペラを見せてあげたくて連れてきたのに酷い目に遭って、ほんとに気の毒だったけど、せめてオペラの続きは楽しめるといいな。



「ありがとう、マレーナ」ギアン様の微笑みに、つい目をそらしてしまった。


「別に、わたくしの名誉にもかかわったので口を出しただけですわ」


「私は……何か、また間違えたんだろうか?」


「いいえ。何も間違っていらっしゃいませんでしたわ。周りの方々が間違っておられただけ」



 言いながら私は、『女優だからどうした』というギアン様の言葉を思い返す。

 保身や、私=マレーナ様にどう思われるかよりも、アイラさんと祖父を守ることを優先したギアン様の姿を思い返す。


 ギアン様がそういう人であることを再確認して、なぜか嬉しく思った。



   ◇ ◇ ◇

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