番外編:ギアン様とオペラに出かけましょう(1)
ご無沙汰しています、番外編です。
作中、卒業式よりも前の時期のお話です。
よろしければまた少しお付き合いください。
◇ ◇ ◇
「オペラ……ですか?」
「うむ。恋愛ものではなくミステリーだ」
ファゴット侯爵家のティールーム。
今日もギアン様の訪問に合わせて私はマレーナ様を演じている。
その私の目の前に、ギアン様は極彩色のパンフレットを出してみせた。
『六人の復讐者』というそのタイトルが刷られたパンフレットは、いかにもお金がかかっていそう。書かれている演者の名前もそうそうたるメンバー。
「先日できたばかりの新しい劇場での公演だが、原作は人気のミステリー小説家ミス・メドゥーサの最大のベストセラー作品だ。
劇場の素晴らしさが評判だが、演出も演奏も歌も一級品だという。
恋愛ものが苦手だというマレーナでも楽しめるのではないかと思うのだが、ぜひ、一緒に見に行かないか?」
「そうですわね……」
私は平静を装ってそう呟いたけど、内心は(見ーにー行ーきーたーいー!!!!)と思い切り叫んでいた。
チケットはとても高価で私にはとても手が出なかったけれど、オペラは一度でいいから見てみたかった。
しかも私の大好きな作曲家。
ここで私がリリス・ウィンザーとして返事をしていいなら、即答で『見に行きたいです!』と言うところだ。
だけど私は今マレーナ様を演じている。
あの人、ミステリーも『そんな低俗なものに興味ありませんわ』とか言いそうだし……。
「……どうだろうか? マレーナ」
ギアン様が私の顔を覗き込む。
私の微妙な反応に、外したかな、と気にしたようだ。
その瞳は心配げで、(ごめんなさいギアン様)と思わず心の中で謝った。
「……今度も、あまり興味がわかないだろうか?」
「い、いえ??」(今度も? というかマレーナ様、前にも誘われたの?)
「やはりだめだろうか……以前、手紙で古典の名作悲劇に誘った際も『名作といえど恋愛劇のような低俗なものに興味はない』と言っていたが……やはり歴史劇などにすべきであっただろうか」
「…………」賭けてもいい。それいちゃもんつけて断りたかっただけだと思う。
マレーナ様に断られたのを思い出してか、ギアン様がしゅんとする。
胸が落ち着かない。
最近気づいたんだけど私、ギアン様のこの、雨に打たれた子犬のような顔に弱い。
「人気の演目でしょうしチケットを取るのも難しいのでしょう?
誘ってくださったことはありがたく存じますわ」
「で、では!」
マレーナ様じゃなく私だったら、答えはもちろん快諾だ。
だけどここでもし『はい』と返事をしても、さすがに私が行くわけにもいかないだろうしなぁ……。
あの夜会では何とかなったけれど、貴族だらけだろう劇場のなかでは、マレーナ様の知り合いに会う確率が高すぎる。
(でも、もったいない! せめてマレーナ様が行けばいいのに!!)
悩んだ挙句私は、「……少し検討させていただいてもよろしいでしょうか」と保留した。
◇ ◇ ◇
ファゴット侯爵家では客人扱いの私は、平民だけど侯爵家のみなさんと同じ席で食事を頂いている。
その夕食の席でマレーナ様に、ギアン様からの誘いについて報告した。
「当然行きませんわ」
鬱陶しそうに言うマレーナ様。
「ですよねぇ……」
「ミステリーなどという得体の知れない低俗なものを、喜んで見に行く貴族がいるというのが信じられませんわ」
「いや、そこまで言うことなくないですか?」
相変わらず、『貴族らしくない』ものに対して辛辣なマレーナ様に対して、思わず私は言い返したくなった。
「見る人を楽しませることが演者の矜持です。そこに低俗も高尚もありません」
「演者側のお気持ちなど聞いていませんわ。大体そんなところに誘うなんていやらしい」
「……いやらしい?」
マレーナ様の言っている意味がわからず、私はマクスウェル様の方を見た。
マクスウェル様は咳ばらいをする。
「マレーナ。そういう目的と決まったわけじゃないだろう」
「劇場のボックス席に誘う殿方など、そういう目的の方ばかりなのでは? 道ならぬ恋の逢い引きの定番と聞いていますわ」
マクスウェル様と侯爵夫妻が困った顔をしている。
よくわからなくて、私は傍らに立っていたシンシアさんに助けを求める視線を送った。
「ああ、つまりですね。
劇場にはボックス席という、個室のような席があるんです。
値が張る席なので、それなりの身分の人ほどそちらで見るのですけど……ほかからの視線をさえぎることができるので、人によっては逢い引きしていちゃいちゃしたり、それ以上のことをなさっている、ということですね」
「なんですかその迷惑行為」おもわず演者目線で突っ込んだ。
「殿方がふたりきりになる場所に誘う目的など、ひとつですわ」マレーナ様が吐き捨てるように言う。「本当にいやらしいこと」
「いやいや、ギアン様ですよ?」つい私は言い返した。
「たぶんあの人、いやらしいことしようなんて、そんなこと考えもしてないですよ。
純粋にマレーナ様に喜んでほしくて誘ってると思います。
新しい劇場に人気の演目……私だったら絶対行きたいです」
「リリスの言うとおりだ。
男だって皆が皆そんなことだけ考えているわけじゃない」
「お兄様、リリスに教えてあげていただけませんこと?
貴族社会では、女は一度でも殿方とふたりきりになると処女ではなくなったと見なされるのだと。
いずれにせよ、お断りするお話ですもの。もうこの話題は良いでしょう」
そう、そっけなく切ったマレーナ様に、私たちもしぶしぶ口をつぐんだその時。
「ふたりきりじゃなければ良いわけで……私がついていけばよいのでは?」とシンシアさんが事も無げにそう言いだした。
「……それでもわたくしは行くつもりはありませんわ」
「ええ。別にマレーナ様は行きたくなければ行かなくて良いと思います。だから」と、シンシアさんは続ける。
「リリス様が行かれたらよろしいのでは?」




