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◇41◇ 【ギアン視点】


   ◇ ◇ ◇



 ――――5月。



 ベネディクト王国王都レイエス大公邸、大公執務室。



「……このように、今回の試験でもマレーナは〈淑女部〉学年別1位、大公子妃進講でも大変優秀な成績を修めております!

 なんら問題なく、将来レイエスを支える柱のひとつになってくれるものと考えます」



 私の報告を「ふぅん……」と気のない様子で聞いていた姉上に、「学業成績だけでありません、マレーナはですね」と、さらに婚約者の良いところを伝えようとしたのだが、姉は「もう良い」と払うような仕草をした。



「そなた、あれから婚約者に会ったのか?」


「ちょ、直接会いはしておりませんが、私の手の者が」


「夜会を休みなどしなさそうな、至極健康そうな様子だと報告でもあったか?」


「マレーナは、両国をつなぐ架け橋になる存在なのです。我々と会う前にはそれなりに緊張もし、重圧も感じて体調を崩すこともあるでしょう!」


「嫌々嫁いでくるのならば、断ってもらって良いのだが」


「姉上!!

 異国に1人嫁ぐ女性に、その言い種はないのではありませんか!?」


「…………」



 はー……と、姉は深く息をついた。



「私はそなたの婚約者に、そんな無茶なものは求めていない。

 戦えるようになれとも言わぬし、従順になれとも言わぬ、高慢もかまわぬ。ベネディクト流の品格とやらも求めておらぬ。才気煥発なのはむしろ良い。大公子妃進講もマレーナの力を伸ばせればと、こちらが金をかけて施した」


「では」


「求めているのは2つだ。

 配偶者であり大公子であるそなたへの愛情と、レイエス国民への敬意だ。

 その2つが、いかにも欠けてみえる」


「妃たるもの……結局、結果を出せれば良いのではないですか!?」


「開き直ったな。

 それで言えば、今の時点で私に悪印象を与えるという結果を出しておるぞ」



 自分もそれなりに減らず口だが、姉はさらに強い。

 18歳下の弟に対しても昔から容赦が一切ない。



「……軽んじているわけではありますまい。

 民を軽視しているとは、級友たちに言われるがままにいることを指しているのかと存じますが……。

 ベネディクト王国内での貴族同士の関係性もありますので、安易に関係をこじらせるわけにもいかないのでしょう、そのあたりのバランス感覚は見事で」


「ちなみにその級友の親どもが、そなたとの縁談をこちらに打診してきたぞ?」


「!?」


「条件の良い婚約者を奪うために、せっせと我らの悪口を吹き込んでいたというわけだ。

 …………人を見る目があるとも言いがたいな」


「………………でも、マレーナは、適性と能力が」


「夫を愛せぬ時点で適性がひとつ欠けておろう」


「亡き父上が決めた婚約ですが」


「父も人の子、判断を誤ることもある」


「それでも、一度決めた婚約を破棄するというのは、人の道として」


「くどい」



 姉はぴしゃりとさえぎった。



「明日の夜会には来るのだそうだ。

 また来られなくなるかもしれぬが、もし来たら、そなたが直に話してそろそろ覚悟を決めるが良い。

 決まっていた婚約を解消してこちらの名誉にかかわる事態になろうが、新たな火種を国の中枢に招き入れるよりはマシだ。

 おのれの立場を考えろ。そなたの妻となる女が国に及ぼす影響を考えろ。婚約者だからと、かばい続けるな。

 話は以上だ」



 そう言いきった姉は、それ以上はマレーナの話をしようとしても答えてくれなかった。



 私は、執務室を出ていくしかなかった。



 …………私がマレーナ・ファゴットと婚約したのは12歳の時だ。



 初めて引き合わされたとき、その美しさに目を奪われ、賢さに心を奪われた。

 今まで会ったことのない女の子、感じたことのない甘い感情に支配された。


 この素敵な女の子が私の婚約者なのだと、嬉しくて嬉しくて、世界中に叫びたい気持ちになった。

 妻として死ぬまで守り、大切にすると誓った。



 けれど、彼女のほうは、婚約者が私であることに失望していたようだ。



 帰ってこない手紙。曖昧な返事に冷たい瞳。

 常にその胸の中には、違う誰かがいるような気がした。



 私はその男を追い出せないかと躍起になった。

 マレーナにこちらに振り向いてほしくて、手紙を書き、花を贈り、そしてプレゼントを贈った。


 そうすればするほどマレーナの心は、引いていくようだった。



 考えてもわからなくなり、どうすればマレーナの理想になれるのかと何度も聞いた。


 とにかく、彼女のなかにいる誰かを追い出すには、自分がそこに座る存在になるしかないと思ったのだ。

 耐えて、その誰かを真似しよう。いつか、私がそこに座れればいい。そう思った。


 最初はマレーナは話さなかったが、やがて自分が私に対してものを教える立場であるという優越感からか、男を自分の思いどおりに変える快感からか、いろいろなものを私に要求するようになった。


 出てきた条件は、

『すらりと手足が長い美しさの、銀髪でアイスブルーの瞳の優美な貴公子』。


 そう聞かされれば、いやでも彼女の理想はクロノス・ウェーバーなのだと察しがつく。

 苦手なものがない完璧貴公子。

 よりによってなぜその人なんだ。

 茶会などで会うときは、とても良くしてくれていた人だったのに。

 ……憎みそうになるほど、嫉妬した。


 だが、そんなことは私の心の修養が足りぬからだ。


 もっと精進しなくては。

 いつか、マレーナが振り向いてくれるように。

 いつか、私を見てくれるように。



『黒髪のままなんて、だらしない。

 きちんとした貴族はきちんとした髪色に染めるべきですわ。

 色を抜く方法などいくらでもあるのでしょう』



 黒髪が圧倒的に多いレイエスの人間からすれば理不尽としか言い様のない要求に、それでも自らやり方を調べてやってみたのも、マレーナが恥ずかしくない夫になりたかったからだ。


 肌を刺す日差しと、くらくらするような暑さのなか、必死で何時間も耐えた。

 頭皮がピリピリと痛んで、痛んで、まるで剥がれそうなほどに痛み出して。

 それでも、耐えた。



 ただそれが結局、レイエスのなかでマレーナの評価を下げてしまったのだ。


 婚約に懸念を示した父と姉を説得した。

 マレーナは頭がいい。努力だってする人だ。必ず、素晴らしい妃になるはずなのだ……と。


 それから5年。



 いつか、クロノス・ウェーバーのことを忘れてくれる。

 いつか、私に振り向いてくれる。

 いつか、レイエス大公子妃という未来を受け入れてくれる。



 ……そう、自分に言い聞かせながら、私が期待を捨てなかったことは、彼女にとって残酷なことだったのだろうか。

 もっと早く、手放してやるべきだったのだろうか。



(…………諦めねばならないのだろうか)



 自室の壁にかけた、彼女の肖像画を見て、私はため息をつき――――翌日の夜会に挑んだ。



   ◇ ◇ ◇



 婚約者の顔を見た瞬間、胸が震えた。


 直接会わなかった、というのは嘘だ。男女別学の学園のなかでも、少しでも彼女の姿を見られる場所を探して、見に行った。遠くからで、その視線は決して私のほうを向くことはなかった。


 正面から顔を会わせるのは、2年ぶり。

 相変わらずどころではなく、昔よりずっとずっと美しくなっていた。

 彼女に会えて、話せたことが嬉しかった。


 だけど、今夜が最後なのかもしれない。私が贈ったドレスを着ているのだから。今までドレスを贈っても、着てくれたことなどなかったのに。


 せめて楽しんでもらえれば。



 ……その予想は、裏切られた。



 どれだけ心尽くしの料理を出しても、いつも何かを抗議するようにほとんど食べず残していたマレーナが、料理を美味しそうに食べている。


 あい変わらず、マナーは完璧だ。

 それでいて、驚いて声をかけずにはいられないほど、残さず綺麗に食べていた。



「失礼いたしましたわ。

 その……お料理があまりに素晴らしく、美味しかったものですから」



 そう言って、伏せるまつげに、ドキリとした。



「お気遣いありがとうございます。

 すべては食べきれないかもしれませんが、本当に素晴らしいお料理だと、料理人の方にお伝えいただきたいですわ」



 初めて、我々が出した料理を誉めてくれた。

 嬉しいのに胸が締めつけられた。


 いったい、マレーナはどうしてしまったのだろう?

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