◇31◇ レイエスへ
◇ ◇ ◇
7月に入っても、マレーナ様は塞ぎ込んだままだった。
シンシアさんによると、マレーナ様は婚約者には会わなくても、学校の勉強や妃教育の課題には真剣に取り組んでいて(部屋のなかでのことは、私にはわからなかった)深夜まで勉強していることも珍しくはなかったそうだ。
新聞(貴族向けのだけど)の内容も欠かさずチェックして、国際情勢や時事問題についてもよく学んでいたのだとか。
けれど、最近はそういったものも手につかないようだった。
ペラギアさんたちの連絡を待つ私は、邸のなかで、マレーナ様の侍女のような仕事をし、時折彼女に話しかけた。
最初は邪険にされることが多かったけど、次第にポツポツ、話してくれるようになった。
「…………ギアン様が良い方だなんて、あなたに言われなくてもわかっていますわよ。
だけど…………愛情が…………まるで、わたくしにも同じものを求めているようで…………」
愛情のない夫婦であれば良かったんですか?
……とか突っ込みそうになるのを抑えて、マレーナ様の言い分をとにかく聞くことにした。
全部吐露させる前に中途半端に突っ込めば、そこから反論のための反論になってしまうことに、おくればせながら私は気づいたからだ。
それで、言葉でやりあって論破したって、マレーナ様自身が心を動かされることはなかったのだ。
「押し付けられるのが、嫌だったんですか?」
「わたくしは…………わたくしの心は、わたくしだけのものですわ。
お祖父様もわたくしの人生を勝手に決めましたが、わたくしの心の中まではどうでもよかったのです」
口からこぼれる言葉は、断片的で、時に矛盾していて、お祖父様とやらの教育のもとで『理想的な貴族令嬢』として育てられるなかで、とことんこじらせたんだなぁ……と感じた。
私自身もこじれてるところがないわけではない。
両親が非常にアレだし。
暴力はきつかったし。
食うに困る日々を味わったし。
稼いだお金を端からつかわれるのは悔しかったし。
(原因ほぼ両親だな)
私のほうが苦労してるっつーの!と言いたくなる時はある。
だけどそれはいつか山ほど聞かせてやることにして、私は、来る日も来る日も、マレーナ様の話を聞き続けた。
「…………手紙を書きますわ」
ある時、起き上がったマレーナ様は、どこかへ向けて手紙を書いた。
マレーナ様付きの侍女の1人を呼び出して、彼女に託す。
「お手紙、どなたに送ったんですか?」
「……わたくしを手助けしてくださった方々に向けてですわ。すっかり寝込んでしまい、連絡ができませんでしたの」
「手助け?」
「……ご期待に添えませんでしたから」
そういって、マレーナ様は深くため息をつき、私をじっと見て、
「……リリス。火傷の跡をみせてくださらないかしら?」
と言う。
「いいですけど……」
何だろうと思いながら、私は前ボタンを外し、右肩を剥き出しにして見せた。
マレーナ様は、その火傷を、じっと見つめる。
「痛みますの?」
「まぁ、それは。左肩のようには動かないですし」
「そう…………」
うっすら、マレーナ様の口が
『ごめんなさい』
と動いた気がしたけれど、気のせいだっただろうか。
◇ ◇ ◇
数日後。
「――――それでは、行ってきます」
私はマレーナ様に声をかけた。
レイエスに向かうファゴット家一同、その中に、私は“マレーナ・ファゴット”として加わることになったのだ。
侯爵と奥さまは、一生懸命マレーナ様に、自分で来るようにと説得した。
だけど、まともに食事も取れないその状態では、正直レイエスへの旅は難しいだろうと、私は感じた。
「今回で、本当に最後です。
このレイエスへの招待の間の身代わりが終わったら、私は、リリス・ウィンザーとして劇団に戻ります」
劇団のなかで私を中傷した人間は軒並みペラギアさんに〆られ、私に直接の謝罪をするか、劇団を辞めていった。
さらにペラギアさんがお偉い方々の伝で、すごいお医者さんを連れてきてくれるらしい。
ここまで深い火傷は、さすがにもとの通りまではいかないだろうけど、ペラギアさんの介入によって私は人生を、一気に取り戻せている状態なのだ。
「気をつけて」
「……え、は、はい」
マレーナ様らしくない言葉に、私は面食らいながら頭を下げた。
ファゴット侯爵、侯爵夫人、マクスウェル様、それにシンシアさんほか侍女の皆さんもついて、私たちは数台の馬車に別れて乗り、いざ、レイエスへの旅路に向かった。
────招待されている期間は、1週間。
これまでで最もハードルの高い身代わりだった。
◇ ◇ ◇