◇10◇ 「あなたが婚約者で良かった」
宝石に見とれて、一瞬惚けてしまった奥様が、あわてて言う。
「そんな高価なもの、いただいてしまっては申し訳ないですわ!
わたくしたちそこまでのことはしてはおりません」
「婚約者への贈り物であれば、おかしくはない。
似合うかだけが気にかかるのだが」
そう言ってギアン様はゆっくり立ち上がるとネックレスを手に取り、私の首もとに回してうなじのところで留め金をとめた。
ギアン様の指の感触、距離の近さ。
これはマレーナ様に贈られたものだから……そう思いながら、心臓が跳ねる。
劇でいくらでもこんな場面はあったけれど、どんな舞台よりも緊張する。思わず唾を飲み込む。
胸元に感じるネックレスの重量。
首の下から視界に入る眩しさ。
プレッシャーと高揚。
「…………ありがとうございます」
「気に入ってくれただろうか?」
「ええ。大変素晴らしいと存じますわ」
「良かった!」
気に入るかどうか、という質問にどう答えるかは難しい。
マレーナ様の好みは私にはわからないからだ。
ただ、さすがにここまで素晴らしいものをいただいて気に入らないと答えるほどの鬼畜ではないだろうと思ったので、今回は肯定した。
ただ、それに対して、ぱああっ、とわかりやすくギアン様の顔が明るくなったのは、あれ?と思った。
ほぼ、お礼言っただけですけど?
「少し、マレーナ殿と2人で話をしたい」
(……?)
「えっ……2人で…?」奥様とマクスウェル様は顔を見合わせる。
「わたくしは、かまいませんわ」
私はそう答えた。
ネックレスを贈ってきたということは、少なくとも、昨日の“マレーナ・ファゴット”が偽者とはバレていないし疑ってもいない……ということなんだろう。
バレてたら、わざわざ高価な宝石を贈ったりしない。
「そうか!!」
「大丈夫なの?」と奥様が心配げにこちらを見るのにうなずいてみせると、奥様とマクスウェル様はしぶしぶ部屋を出ていった。
2人といってもギアン様の従者(の一部)もいるし、うしろにはシンシアさんが私の侍女のごとく控えている。
なのに。2人で話したいと言ったのはギアン様なのに、いざ奥様とマクスウェル様がいなくなるとそわそわしだした。
そして、意を決したように私と目を合わせる。
ぎゅ、っと両手で私の手を取った。
手袋ごしなのに、感じる体温。
「昨夜は来てくれて本当に嬉しかった。ありがとう!
それから……姉の命を救ってくれてありがとう」
(!!!???)
もしかして、緊急事態発生第二弾。
「あの、何のことだか、わたくし……」
「隠さなくても良い。
ベネディクトでは武術など女らしくないと言われてしまうから、大っぴらには言えないのだろう?
しかしあの短剣投擲術は素晴らしかった! 目を奪われる技術だった」
(………… 投 げ る と こ 見 ら れ て た ! ! !)
バレてた!?
マレーナ様じゃないって!!
「恥ずかしながら、マレーナが本当に久しぶりに会ってくれたから嬉しくて、会場の中で動きながらも、状況が許す限りマレーナを見ていたのだ。そのせいで、暗殺者に気づくのが遅れてしまったが……マレーナの素晴らしい腕のおかげで姉上は助かった。心より礼を言いたい」
(…………あれ?)
「マレーナがナイフを投げてくれたことは誰にも言わぬ。
あなたがベネディクト貴族の間で何か言われてしまうようなことを、私は漏らしはしない」
あの────もしかしてギアン様。
私がマレーナ様じゃないって、まだ気づいていない……?
『貴族令嬢がナイフ投げなんてできるわけがない』というお考えはない……?
「そのことを直接礼を言いたかった。
それからもう一つ」
「え……ええ」
「5年前、我々は12歳で婚約した。
だが、この2年、私はマレーナとは会えず、手紙を受けとることもなかった。
だから、結婚に不満があるのではないかと悩んでいた。この婚約は正しいものなのか…と」
マレーナ様。
めっちゃバレてます。
「――だが昨夜。あらためて、これから先も、どうかマレーナがただ1人の私の伴侶であってほしいと強く思ったのだ」
「昨夜……わたくしは何も、しておりませんわ。ナイフを投げた以外には」
断言できる。
ナイフを投げた他は、出席と食事と塩対応しかしていない。
「してくれた。私にとって、本当に嬉しいことを。
私はマレーナが好きだ。そして昨日改めて好きになった。愛おしくなった。あなたが婚約者で、良かった」
ギアン様は私の、いや、“マレーナ・ファゴット”の手を取り、手袋越しに口づけた。
「私は、婚約者という立場にはしゃぎすぎた。
だが、己の至らぬところは何回でも反省する。
銀髪にもアイスブルーの瞳にもなれないが、最善の夫になることを誓う」
「ギアン様……?」
「良ければ、マレーナの思いも聞かせてくれ。正直な思いを」
めっちゃ叫びたい。
今!マレーナ様!いたら!良かったのに!!
婚約を解消したいとか結婚への不満とか……今!私の代わりに!ここにいたら!!ギアン様と真っ直ぐ向き合って話せたのに!!
(ほんと、なにやってんの、あの人!)
「……思いもよらぬお言葉で、驚いておりますわ」
私は、そう返した。
マレーナ様に投げよう。自分で答えろ。
「……考えを言葉にするのは、少しお時間をいただきたいところですわ。
また後日お話する時間をいただくか、あるいはお手紙とさせていただけますでしょうか?」
「わかった!
マレーナが望むなら、私はいつでも時間を空ける。場所も、学園でも邸でも、いずれでもかまわないぞ! 手紙もいつでも嬉しい」
ニカッと、嬉しそうに笑む。
まったく、貴族らしくないその笑顔は、向日葵みたいに明るい。
ああ、これが素のギアン様なのかな。
「そのドレス、とても似合っていて良かった――――首飾りも、良ければぜひつけてくれ!」
そう言って、ギアン様は私の額に口づけた。
その感触は妙に甘く────口づけなんて芝居で数えきれないぐらいやったのに────同時に私の胸をギリリと締め付けた。
◇ ◇ ◇