◇1◇ “婚約者”様が“私”を好きすぎる。
(─────綺麗…………)
バルコニーからまぶしい日差し。
その向こうにはどこまでも青い海が見渡す限り広がっている。
広々としたこの寝室は、上質な調度品で品よくまとめられていた。
天蓋つきの大きなベッドの寝具は、とても柔らかで手触りも極上だ。
隣接して、ティールームと衣装部屋までもついている。
海の近くに立つこの大きな宮殿の中でも、紛れもなく最上級の客室を、“私”は与えられていた。
「マレーナ!!」
“婚約者”が“私”の名を呼び、手を取る。
ギュッと握る手は手袋越しでも体温が高く、力強い。
そして絶対に離すまいとする執着を感じた。
「……ギアン様」
「出かけるためのドレスを用意した!
好きなものを選んでくれ。
好みに合うものがあれば良いのだが」
光の加減で漆黒と焦げ茶を行き来する髪、焼けた小麦色の肌、少し私よりも高い背。
キラキラとした強い光を放つ、琥珀色の瞳。
顔立ちは17歳という年齢相応。
なのに、“私”に向けるこのはじけるような笑顔は、とても少年らしい。
整った顔立ちなのを、時々忘れてしまうほどだ。
彼の指示で、この宮殿の侍女たちがつぎつぎと山のような数のドレスを運んでくる。
クラシカルなもの。
モダンなもの。
ここレイエス大公国の民族の意匠を取り入れたエキゾチックなテイストのもの。
どれもため息が出そうなほど素晴らしい。
ここに来てから彼は、着替える必要があるたびごとにすべて用意をしてくれる。
素敵な靴に、宝石まで加えて。
普通の女の子なら非日常なお姫様扱いにぽーっとなるところかもしれない。
だけど、いまの“私”は、私が演じている役は、普通の女の子じゃない。
「────出歩くならば、もう少し動きやすい外出着の方が良いのでは?」
わざわざ言う必要もないだろうに、と思われそうな冷たい言葉を“私”は口にした。
「いや、船だ。
これから船上のパーティーだ。
マレーナに綺麗な海を見せたくて、船を新調したのだ」
笑顔を崩さずに“婚約者”様は……ギアン・ミンドグラッド・レイエス様は“私”に顔を近づける。
美男美女は見慣れている。
だけど、この曇りのない笑顔、まっすぐな強い瞳には、演技の最中でも居心地の悪さを覚えてしまうことがあった。
今回は台本のある芝居じゃないから、“役”に忠実でなければならない。
その“役”が揺さぶられるほど、彼は“私”を好きすぎる。
「……船まで新調なさったのですか」
「ああ!
マレーナを迎える船だからな。喜ばせたかった」
いくらかかったんですか、などと聞いてはならない。
高位貴族のご令嬢が聞くことじゃないからだ。
「どうだろう?
もっと他にドレスを見たいか」
「いえ。
ギアン様、その必要はございませんわ」
自分はそれだけのことをされて敬われて当然と考える、贅沢と特別扱いに慣れた侯爵令嬢。
それがいまの“私”だから。
ギアン様の手をゆるりとほどき、一番“私”が好みそうな青のドレスを選び、手に取った。
「こちらで着替えさせていただきますわね」
「わかった!!
気に入ってくれたか?」
口もとだけ上品な微笑みをつくり、
「とても素敵だと思いますわ。ありがとうございます」
と返す。
気に入った、とは返さない。
だけどギアン様はホッとした様子を見せた。
「…………良かった。
マレーナが好きなものがあって良かった!」
塩対応としか言い様のない“私”の態度でも許す。
いい人が過ぎる。
そして、“私”が大好き過ぎる。
だけどその彼を、“私”……つまりいま私が演じている役、“ベネディクト王国の侯爵令嬢マレーナ・ファゴット”は毛嫌いしている。
「では私も着替えてくる!
またあとで」
“私”を自分の国に呼べたことが、そんなに嬉しいのか。
ニカッ、と、大公子らしからぬ笑顔を見せて部屋を出ていくギアン様。
わずかに胸に浮かんだ痛みを私は無視した。
これが最後だ。この7日間が。
私が彼を騙すのはこれが最後。
だからそれまでは“マレーナ・ファゴット”を演じ切ろう。
最後まで────。
◇ ◇ ◇