#8 真実の断片
――キーンコンカンコーン……
「はぁぁぁ……」
「あ、りつ!おきたしー!……って大丈夫だし?」
私は山盛りのトランプを避けて、机の上にゴローンと転がった。
「みっちゃーん……アイス食べたい。宇都宮くん……ポテチ食べたい」
「え? 帰り寄り道しちゃう~?」
「あっそ」
両極端の二人の反応を聞きながら、親友とクラスメイトを見上げる。放課後ループ、11回目。とうとう二桁の大台に乗ってしまった。だけど、ループの謎の手がかりはいまいちほやけている。
私はぺったりと顔を机に伏せた。みっちゃんがそんな私のつむじをツンツン突く。
「律ー? どったの? アリスと喧嘩した?」
「してなーい」
「してないよ?」
宇都宮くんと返答が揃う。そう。別に喧嘩じゃなくて、これは意見の違いなのだ。彼の話をもっと聞ければ、私の意見が変わるかも知れないし、もっと頑なに「帰りたい」と思うかも知れない。
だから、話をしたいと言ってみよう。そう思うのだが、いまいち踏み切れない。だって、まだ校舎を全部探していないし、それに……
(宇都宮くんにも、佐伯さんにも、戸田さんにも、辛い話かも知れないし……)
それなら、誰にもさせたくない。彼らが放課後ループに安寧を感じているのなら、壊したくない。
(うん。もうちょっと一人で頑張ってみよう)
そうして顔を上げる前に、私のつむじがギュムリと押された。みっちゃんの攻撃が変化したらしい。
「なになに、みっちゃ――」
顔を上げた私の頭から、手が離れてゆく。でも、それはみっちゃんの手ではなかった。みっちゃんは、私たちの隣で両手で口を覆って、ちょっと頬を赤らめている。
「……何だよ」
「あ、うん。間違ってゴメンナサイ」
宇都宮くんの相好が崩れる。彼はすごい棒読みだとか何とか笑って、黒いカードケースを持って自分の席に戻って行った、
みっちゃんと少し話をしてから、2年2組の教室を出る。ちょっと歩いて、2年1組の教室近くの壁に寄りかかり、私は自分の頭を撫でてみた。
頭だ。ただの直毛の黒髪だ。特に面白くはないな。
「たぶん……慰めて、くれんたんだ」
それとも。――がんばれって、言ってくれたのかな。都合のいい妄想に、思わず噴き出してしまう。ないない、相手は宇都宮くんだぞ。けれど現金なことに、私は自分の妄想で元気を取り戻してしまった。
「よし、まずは3年5組のあの人!」
夕方の特有の涼しい風が、頬を撫でていく。
私は屋上を覆う金網にしがみつき、ふかーくため息をついた。
3年5組に、例の人は居なかった。念のため見て回った3階の教室やトイレ、倉庫も蟻の子一匹居やしない。
他の学年の教室も、職員室も校長室も、美術室や家庭科室とかあらゆる特殊教室も。どこにも、人がいない。
居るのはうちのクラスだけ。そして発見できた人間は、2年2組のクラスメイトだけ。
「どう見てもうちのクラスの宇都宮有住くんが原因です。わっかりやすーい!」
イロイロと謎はあるけれども、結局ソコなのだ。けれど本人は話したくなさそう。なにか知っていそうなクラスメイトも同様だ。
……ちょっと状況を整理してみよう。
宇都宮くんがうそつきと正直者を始めて、午後5時から6時の間を繰り返すループが始まった。現在11回目。他の人がうそつきと正直者やっているのを見たけれど、特に不思議現象は起こっていない。
他に怪しいモノ、場所はなくて……
「……本人に、帰還の意思なし」
やっぱり、宇都宮くんに話を聞くしかないのだ。聞きたくないのなら、私が諦めるしかない。
(……それは、まだ嫌だ)
目を瞑り、覚悟を決める。次の12回目のループで、宇都宮くんに話を聞こう。
(でも宇都宮くんは、どうしてこんなことができるんだろ)
超能力か? それとも……
思考に沈みそうだった私は、目を見張る。
「あ!?」
金網が揺れる。手に食い込んで痛い。しかし、私の視界の隅。ちょうど今、校舎から出てきた校舎から出てきた人影が、校庭の隅で柔軟体操をしている。井岡くんではない気がする。でも男子っぽい。ジロジロ眺めていると、人影が走り出す。私も急いで、屋上の扉を開けた。
校庭を走っていたのは、やはり見知ったクラスメイトだった。小柄な体と、短く刈り上げられた薄色の髪。陸上部の浜田徹くんである。
とりあえず私は、荒い息を整えて、大きく息を吸い込む。
「はまだくーん!」
小柄な体が、ぐいーんとカーブを曲がる。
「坂川ですけども、ちょっと止まっていただけないでしょうかー!」
私の目の前の直線を、浜田くんはまっすぐ走り去る。
「あのー!」
ぐいーん。カーブを曲がる。
「浜田くーん!」
直線を抜けて、カーブを曲がる。
「話が、したいんだけどー!!」
直線を抜けて、カーブを曲がる。直線を抜けて、カーブを曲がる。直線を抜けて、カーブを……。
――止まる気ないな、これ!
……仕方ない。スカートのポケットに無造作に入れていたゴムを取り出して、顔にかかる髪を高くあげる。
私の前を、六週目の浜田くんが過ぎ去っていく。私はその背を追いかけ、革靴で大地を蹴った。
「ぐは…………ぐぇぇ……」
「革靴で全力疾走とかバカっすか?」
地面に座り込んだ私の足から、浜田くんがカパッと革靴を抜く。後は自分でやるからと断れば、浜田くんは素っ気なく頷いた。
靴下を脱いで、踵の裏を見てみる。ひぇぇ……血がにじんで、皮がめくれてるぅぅ……。そよ風があたるだけで痛む親指を見てみる。あああ……やっぱり血豆ぇぇ……!
「そんなこと言ったって、言ったって……浜田くん、止まらないから、追いかけるしかないじゃんよぅ……」
「止まるの待つって発想はなかったすか」
「なかったッスね!」
「やっぱ、バカっすね」
憐れむような目で、浜田くんが見下ろしてくる。貰った絆創膏を踵の裏と血豆に張り付けて靴を履くと、浜田くんがドカッと地面の上に男らしくあぐらを掻いた。
「で? 何スか?」
「すこし、おかしなことというか、SFというか、そっと不思議なことを聞くんだけどね」
「そういう前ふりいいんで。アンタが大概おかしいのはよく知ってるんで」
ピッとクラスメイトは、右手を直立に立てた。割り込み仕草だ。足だけじゃなくて、心が痛いぞ! いつのまにこんな印象を持たれたのかな!?
「では、浜田くん。今日の5時から6時が、もう何回も繰り返されているって言ったら……どう思う?」
「どうも思いません」
「い、家に帰りたくない?」
「思うも何も、自分は有住と幸を信頼してますから」
明快に、きっぱりと。それが揺るぎ無い真実だと示すように、浜田くんは言った。
有住――宇都宮有住と、幸……加納幸。
2年2組でも一際目立ち、このループする放課後にももちろん居る二人だ。
「待った。宇都宮くんがこのループを続けてるって解釈であってる?」
「そこはなんとも。ただ自分は、有住が始めようって言って、幸が賛同した。だから、ここに居るんス」
「……佐伯涼香さんと、戸田由愛さんも?」
「そうっすね」
ちょっと待ってくれ、頭が混乱してきた。宇都宮くんがループを始めた。これはあってた。それで、加納くんや佐伯さんたちも、ループに賛同して……
「なんで? なんでみんな、時間をループさせるなんてことができるんだ?」
科学の力? 実は誰かが宇宙人? それとも不思議な種? はたまた魔法か?
そもそも、どうして。七月十一日。特別でもない、なんでもない今日。そんな日を繰り返す、意味はなんなんだ?
「明日、地球が滅ぶ?」
「さあ?」
「宇都宮くんって宇宙人? 古代文明の生き残り?」
「知らないっス」
「今日、誰かの誕生日?」
「違うんじゃないスかね」
それじゃあ。残っているクラスメイトの誰かが、不幸な事故に遭うとか?
考えてみた中で、一番それがしっくり来る。タイムリープ物で、不幸な事件や事故を失くすために動くって、定番だ。でも違和感は消えない。何せこの一時間で、何の事故も起こってないし、誰も怪我は負っていない。
それなのに、しつこく。しつこく、時間は戻され、ループは繰り返される。何にもない今日を終わらせない。下校チャイムを鳴らさないという強い意思を感じる。
「今日の6時から、何か起こるってことか」
浜田くんはスッと手を上げた。
「これ以上は言えません。不公平っすから」
「……宇都宮くんと、加納くんに?」
「ええ。……本当は、ずっと黙ってるつもりだったんスけどね」
浜田くんは立ち上がって、あっけらからんと言った。
「アンタにも、知って選ぶ権利がある。そう思ったんス。せいぜい頑張って、みんなを説得してください」
ひらりと手を振って、浜田くんは歩き出す。私も立ち上がろうとしたが、血豆がぶにゅぅと存在感を主張した。
「どぇっ……!」
地面に座り直して、ぼんやりと夕焼けの空を見上げた。この怪我は、ループしたらどうなってるのかな。
校舎の壁についている大きな時計を見上げると、時計の短針はまだ5時を指していた。5時45分。まだ、ちょっとだけ今回のループの時間が残っている。
「あいてて」
さほど痛くない左足に体重をかけてなんとか立ち上がり、私は校庭を見回した。猫の額というよりは、犬のおでこくらいはある戸西高校の校庭には、私だけがぽつねんと立っている。校庭は、放課後に最も賑わう場所の一つだ。下校する生徒、外周を走る陸上部、隅でキャッチボールをする野球部、サッカー部……。
でも、今はだれも居ない。生徒の居ない学校は、空っぽのミニチュアのようだった。
「えーと。いま、人が居るのは、2年2組。実習棟の方に、戸田さんと佐伯さん。そろそろ教室に来るのが井岡くんで、浜田くんは今どこかに行っちゃって……」
私は、ふっと校門に視線を向けた。校門の外は、アスファルトの公道だ。左側に行くと駅に、右側に行くと街の中心地に向かう。
――学校の外に、人は居るのだろうか?
痛む足を引きずって、ゆっくりと校門に近づく。
「――待って」
透き通った声が、目の前からかけられる。彼は耳にかけていたイヤホンを外して、私を見る。……この時間は2年2組に居るはずの宇都宮有住が、私の前に立っていた。
「どうして?」
「ソレは、おすすめしないから」
宇都宮くんは、私の目をまっすぐ見て真摯に言った。普段の私なら、それで引き下がっていたかもしれない。宇都宮くんとは、みっちゃんや佐伯さんみたいに中学からの付き合いであるとかそういうわけじゃない。ただ、戸西高校には、基本的にクラス替えがないんだ。一年以上、付き合ってきたクラスメイト。だから、それなりに宇都宮くんのことは分かる。ほんとに、本気で、宇都宮くんは、……そう思ってる。心の、底から。
「でも、宇都宮くん。私、やっぱり帰りたい」
「そう言うと思った」
すっぱい珈琲を飲んでしまったように、彼の眉間にシワが寄る。しぶい顔だ。
「帰らない方がいいって、宇都宮くんも、佐伯さんも戸田さんも言ってくれた。もしかしたら、……帰った先に、なにもないかも知れない」
だけど、私はきっと忘れられない。今日の先を、七月十二日をずっと待っている。
「帰りたいよ。……できるのなら、宇都宮くんと、みんなと一緒に、帰りたい」
そう言うと、宇都宮くんが、掌を額に当てて俯いた。まるで耐え難いなにかに、耐えるように。
「うそつきと正直者ってさ、君が作ったんだよ」
「え?」
いきなりの言葉に、ポカンと口を開ける私に、宇都宮くんは続けた。
「小さい頃、兄さんと一緒に作ったんだって笑ってた。だから、ルールは穴だらけで、プレイする人間によってまるで勝率が違う。……だけど、遊ぶと楽しいんだって」
記憶の引き出しを、引っ張ってみる。私が? 兄さんと? クラスで流行っているゲームを、作った……?
きぃと錆びた蝶番が軋むような音がして、ぎゅうっとこめかみが引き絞られる。痛い。
「私、そんなの……知らない」
「俺が、忘れさせたから」
宇都宮くんが、目を伏せてから笑おうとした。迷い込んだ少女を、からかうように。でも、その笑顔は失敗して……崩れた笑みが、辛うじて口の端に引っかかる。
――まるで、今にも泣いてしまいそうだ。
頭を殴られたような衝撃だった。だって、宇都宮くんはいつも飄々としていて、私がいくら怒っていてものらりくらりと避けて、煙に巻いて……。
「なんで……宇都宮くんには、そんな、力が……」
「俺だけじゃないよ。皆にもある」
宇都宮くんが、校舎をふり仰いだ。長い針が、ぎこちなく音を立てて、天を指す――。
6時。
11回目のループが、終わる。
「坂川」
意地悪な猫みたいに、意味深に、愉快に、宇都宮くんが笑った。
「ゲームを続けよう。大丈夫、記憶はちゃんと消しておくから」
「待って、嫌だ! ちゃんと、話を――!」