#6 新たなクラスメイト・2
床に敷かれた赤い絨毯。窓を覆う重たげな暗幕。教壇の近くに置かれたグランドピアノ、出入り口の近くに置かれたアップライトピアノ、壁にかけられた音楽家の肖像画に、部屋の奥のケースに収められた弦楽器に吹奏楽器。そのどれもこれもに薄暗い影がぼんやりかかっていて、戸田さんが出入口近くのスイッチを押して照明をつけても、どうも薄暗い影が漂っている。
でも、この教室におかしなところはない。これが普段通りの戸西高等学校の音楽室なのだ。
佐伯さんが音楽準備室から、花柄のクッションを三つ持ってきて、赤い絨毯の上に敷く。三人それぞれ、正座だったり、横座りだっりでクッションに座ったのを見届けてから、私は口を開いた。
「佐伯さん。ここは大丈夫なんだよね? 何もないんだよね?」
「ええ、そうですわ。そうですとも」
気位の高いお姫様のように、佐伯さんはツンとそっぽを向く。
「戸田さん……」
「大丈夫、ですよ~。怖くないです」
戸田さんは、膝の上に座らせたたぬきのぬいぐるみの手を振った。
「ええと……」
続きが思い浮かばなくて、額縁のショパンを眺めてしまう。ピアノの詩人さん、今だけ私に語彙力を!
「いきなり連れてきて、ごめんなさい。でも、あなた……坂川さんは、なにか大変なことに、巻き込まれていると気付いたのでしょう?」
「え!」
びっくりして佐伯さんを見ると、なぜだか佐伯さんは……沈んでいく太陽を見送るように、目を細めて私を見た。
「――あなたとこういう風に会うのは、初めてなんですもの」
ごくりと唾を飲み込んだ私の膝に、ぽすんとたぬきが置かれた。
「すずかさん、うそつきと正直者をしましょう。りつさん、見ていてください」
「ごめん、戸田さん。私にちょっと時間をくれませんか。佐伯さんに聞かなくちゃいけないことがありまして」
「……そうですわね。坂川さん、見ていらして」
ぴんと背筋を伸ばし、佐伯さんが戸田さんを見つめてそう言った。佐伯さんの言葉を受け、戸田さんが背後から黒いカードケースを取り出す。見覚えがありまくるカードケースに目を奪われていると、戸田さんがちょっぴりはにかんだ。
「……ありすくんと、同じ会社の、やつです」
それはそうだ。二年二組にあったカードケースは、いつもこの時間帯は私の席にある。ゴミ箱漁りといい、今の私はちょっと疑り深すぎるぞ。
「って、ちがーう! 私、このループから抜け出しモフ!?」
柔らかい毛玉が、私の口を塞ぐ。ついでに顔も覆う。ちょっ、ちょっと戸田さん!? 戸田さんがたぬきを私に押しつけてる? それとも佐伯さん!?
程なくして、ずるずるとたぬきが私の胸を滑り落ちて膝に落ち着いた。さらば、私のファーストキス。
「わたくしが、うそつき」
佐伯さんが、スペードの9を掲げた。
「私が、……正直者、です」
戸田さんも、自分の前にハートの6を掲げる。
もー、これは仕方がない。私は諦めて口を噤み、膝の上のたぬきを抱えた。
二人のゲームは、武藤さんと宮本くんのゲームとはまた違った。
気が強くて口の回る佐伯さんと、おっとりしていて一言、一言大切に喋る戸田さん。今回は、「うそつき」が勝つのかなと思えば、意外とそうでもない。
「二丁目のケーキ屋はご存知?」
「うん、美味しい、とこです」
「ええ。チーズケーキが絶品ですわね。15日からアイスクリームケーキを販売するんだとか」
「15日じゃなくて、17日、ですよ」
「あら、そうだったかしら?」
うふふと佐伯さんが笑う。あれはそらっととぼける笑顔だ。対して、笑顔を向けられた戸田さんは、はにかみながら笑う。多分分かってない顔だ。そうこうしているうちに、4分と30秒が過ぎた。佐伯さんが、残念そうに肩を落とす。
「あなたの勝ち、ですわね」
「そんな、まだ分からない、です」
「そうですわね。ところで、由愛さん覚えていらっしゃる? 最初に、7月12日は雨の予報だと言いましたが、本当は晴れですの」
「あっ」
戸田さんがしまったというように声を上げたところで、ビリリ!と戸田さんのスマホのアラームが鳴った。知らず知らずに抱きしめていたたぬきを解放し、戸田さんに渡す。
「佐伯さん、戸田さんお疲れ様。白熱した戦いだったね」
「当然ですわ。遊びですもの、全力でやらなければ」
「……やっぱり、すずかさん、強いです……」
やりきった笑顔で、戸田さんがたぬきの頭を撫でる。武藤さんが荒唐無稽な嘘をつくタイプなら、佐伯さんは現実にちょっとした嘘を混ぜるタイプだった。騙すのにも性格出るのかもしれない。
音楽室の時計が、5時40分を指す。……武藤さんと宮本くんの時と同じだ。たぶん、ただのうそつきと正直者では、一回目の時みたいなことは起こらないんだ。
(もしかして戸田さんは、それを教えてくれようとしたのかな)
でも、どうしてそんな遠回しなことを? ……直接言えない理由でもあるのか。私の単なる勘違いか。判断できるだけの材料がない。クッションを滑り落ち、私はじりじりと二人ににじり寄る。
「佐伯さん、戸田さん。なんでうそつきと正直者を?」
「……りつさん、わからない?」
「不思議なことが起こらないうそつきと正直者ってことしか、分からない」
二人は顔を見合わせた。
「でも、先にこれだけは言わせて。私はこのループを抜けて家に帰りたいんだ。二人はどうしたいと思ってるの?」
佐伯さんと戸田さん。二人の顔を交互に見る。戸田さんはたぬきの頭にぽふっと顎を乗せた。暫くの間、沈黙が落ちて、……破ったのは、佐伯さんだった。
「そんなに難しく考えなくてもよろしいのでは?」
「どういうこと?」
「だって、時間は無限にあるのですよ? 深刻にならず、楽しめばいいんです。例えば、わたくし、ピアノが弾けるんですの。流行の曲だって大丈夫ですわ。鹿乃子も呼んで、カラオケとかいかが?」
「……りつさんも、たぬき、作って、みます?」
「ええええ?」
むぎゅっと戸田さんに、たぬきを押しつけられる。たぬきの顔がぐにゃりと歪んだ。