#3 茜色の放課後・3
「――来たか」
重々しく、厳かに、宮本くんが言う。まるで神聖な勝負の前みたいである。対する武藤さんは、三つ編みと頭を前後左右に揺らしてた。どうやら頷いているらしい。
「宮本くん! お、お相手、ね、願いたく奉ります!」
「あたしと律は観戦だよ~。気にしないでネ」
「武藤さんのサポーターです、お邪魔します」
武藤さんが宮本くんの後ろの席に座ると、宮本くんが席から立ちあがりくるりと椅子を回した。このゲーム、会話形式だからどうしても対面になるんだろうなぁ。みっちゃんと共に、武藤さんと宮本くんの隣の席を借りて腰掛ける。
先ほどみっちゃんから受け取った黒いカードケースを、武藤さんが開けた。ケースに入っているのはハートとスペードのカードだ。26枚のカードを武藤さんが机に並べ、宮本くんがかき混ぜてゆく。
「ところでみっちゃん。どうしてクラブとダイヤは入ってないの?」
「役が二つだからじゃないかな?」
「それなら、ハートとスペードのカードを一枚ずつでもよくない?」
目を見開いたみっちゃんが、少ししてから小さく噴き出した。
「そ、そ、そうだよ~! ほんとそれ! でもそういうゲームなんだよね」
腕組するみっちゃんがしみじみと頷く。どうやらうそつきと正直者は、無駄を楽しむタイプのゲームでもあるようだ。
「でもカードがいっぱいあった方が、どっちになるか分からないドキドキ感はあるね」
「ね~。だけど律の案いいなぁ。もっと気軽にできそうだしっ」
笑い含み混じりだったみっちゃんの声が、ふと聞こえなくなる。宮本くんがカードをかき混ぜる手を止めていた。
武藤さんと宮本くん。二人の右手が、伏せられたカードの山に伸びる。私とみっちゃんは息を止めて、それを見つめた。
「――スペードの、4です」
「ハートのジャックだ」
武藤さんが、うそつき。宮本くんが、正直者。
武藤さんが、大きく深呼吸して宮本くんを見上げた。もうその手も、肩もちっとも震えていない。眼鏡の奥には、炎のように熱い闘志が宿っている。私はごくりと唾を飲み込んだ。彼女はなにかとてつもない嘘をつこうとしている。そんな気がしてならない。
「私……、ずっと、今日まで、ずっと、長いこと、黙っていたんですが……実は白鳥座から来た人型生命体――宇宙人なんです!」
「それは……さすがに信じられんぞ」
宮本くんが実にあっさりと、武藤さんの嘘を一刀両断した。
「あっははっはっ!」
「みっちゃん、そろそろストップ」
「だっ、だって!おかしーんだもん!あーもう宇宙人に前世がチョコレートの川で、来世は三軒隣の飼い猫になって日向ぼっこしたいって面白すぎて佐代子ってば最高だしっ!」
最上級の漫才を見たみたいに、みっちゃんがけらけら笑う。武藤さんと宮本くんの戦いから十分後。教室の中央の最後尾という私の席の前の座席に、みっちゃんと武藤さんが座っていた。お腹を抱えて笑うみっちゃんの隣では、頭上にどんよりと薄暗い雲と、背中に豪雨を武藤さんが背負っている。
「ふ、ふふ……。どうぞ、坂川さんも笑ってください……お二人に笑顔を提供できたと思えば、わっ私も、恐悦至極の万々歳の寿限無寿限無ですから……!」
敗北しても震え声で笑って見せる。武藤さんの勇姿は当分忘れることはできないだろう。軽く礼と謝罪をすると、武藤さんは目の前の私の机に頭突きした。どうやら頭を下げすぎたらしい。ぐらぐらと頭を揺らしながら、謝罪の言葉を口にする武藤さんの額は、ちょっぴり赤くなっていた。
「武藤さん、おでこ赤くなってる。念のため、保健室いく?」
「えっ。えーと……こ、このくらい、大丈夫です」
「でも頭だよ。けっこう凄い音したし」
額を押さえた武藤さんが、ぷるぷると首を横に振る。武藤さんはもう一度、大丈夫だと口にした。あまりしつこく言うと迷惑には違いない。違いないけど、頭はやっぱり怖い。兄さんもそう言っていた。自転車に乗る時もヘルメットを忘れるな、出かける時は帽子を被って行け、枕は大事だ。低反発もいいが、高さも気にしろとか何とか。
「私、ちょっとハンカチ冷やしてくる」
2年2組からはちょっと遠いが、トイレまで行けば水場はある。しかし私が立ち上がる前に、みっちゃんが武藤さんの額に手を当てた。そうして、目を閉じ、いつもより一段声のトーンを落として、その言葉を口にしたのだ。
「ちちんぷいぷい、ぷーい! 佐代子の痛いの痛いのとんでいーけー!」
……み、みっちゃん。みっちゃん、みっちゃん、みっちゃんー!
それ、御年五歳の颯太くんと同じ対応! 宮島家の敦くん、流子ちゃん、燐ちゃんにもかけられてきた、鹿乃子お姉ちゃんのちちんぷいぷいのおまじない! 対する武藤さんは十七歳!私たちと同じせぶんてぃーん!
ハラハラしながら二人を見守っていると、みっちゃんに釣られて目を閉じていた武藤さんが、目蓋を開けてパチパチと瞬きする。
「い……」
「い?」
「痛くありません! 効きましたー!」
武藤さんが満面の笑みを浮かべる。みっちゃんが彼女のおでこから手を退けると、額の赤みが引いていた。
ちちんぷいぷい。いくつになっても、効果、ある。
念のためにと渡した乾いたハンカチを、しっかりと左手で押さえた武藤さんが、こてんと首を傾げた。
「うそつきと正直者、次は、誰の番、でしたっけ……?」
「誰だっけ~? あたしと加納は違うし……まあ、やりたい人がいれば、そっちからってことで!」
と言いながら、みっちゃんがカードケースを持ち上げる。ふと時計を見てみれば、時刻は5時42分だった。
(6時になったら帰らないとなぁ)
戸西高校では、6時になると帰宅を促すためのチャイムが鳴る。今、教室に残っている生徒たちも、あの独特の音が聞こえれば、帰宅の途に就くはずだ。もちろん部活動に励む生徒はもうちょっと学校に居ることもあるけどね。
(兄さんは、きっと今日も遅いよね。お父さんはいつもどおり7時。お母さんはたぶんもう帰ってて……)
6時に学校を出れば、みっちゃんと駅前をぶらぶらしていても、お父さんより早く家に帰りつく。武藤さんも誘ってみようか? 今まで、そんなことはしたことないけれど……
(うん。武藤さんと仲良くなりたいし)
気合いを入れて、武藤さんを見る。すると目が合った武藤さんは、何故か気まずそうに顔を逸らした。
「宮島さん。次は、その……井岡くんです。井岡くんに、カードを渡さないと」
「……井岡かぁ」
瞬きの合間だけ、みっちゃんの表情が消えた。人形のような無表情で、黒いカードケースを見下ろしたかと思えば、何事もなかったかのようにカラリと笑って立ち上がる。
「みっちゃん?」
「なぁに。律もやりたくなっちゃった?」
「……そういう訳じゃないんだけど」
歯切れの悪い返答をする私に、みっちゃんはカードケースを持って歩き出す。井岡くんの席は、廊下側の方だ。廊下側の席といえば、宇都宮くんが居るけれど、こっちことなんて全く気にしてないようでイヤホンを耳につけて目を瞑っている。
そんな宇都宮くんの前に、井岡くんが座っていた。こげ茶色の髪を剣山のように尖らせ、いつもシャツのボタンの一個外しているお調子者のクラスメイト。それが井岡咲人だ。……彼は机に突っ伏し、すやすやと眠っているようだった。机の上から投げ出された彼の腕を一瞥し、みっちゃんは彼の顔の横に黒いカードケースを置いた。
(井岡くん、寝てるのに)
何故なんだろう。そんな疑問が浮かんだけれど、口について出ることはなかった。