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#2 茜色の放課後・2


 宇都宮くんの言葉に、みっちゃんが緑の瞳を丸くする。


「次? あれ、律とアリスの番じゃなかったっけ」

「俺たちはもう終わったよ。だから、次は……宮本と武藤かな?」


 小首を傾げた宇都宮くんは、机の上のトランプカードの山を指して私の方を見る。


「坂川は覚えてる? ……うそつきと正直者の順番」

「……順番って何の順番? カードの使用順?」


 私の答えに、宇都宮有住は目を細めて笑った。例えようもなく魅力的な笑みだけど、胸の奥をざわつかせる謎めいた笑みだ。


(何だ、その笑み)


 まあ、宇都宮くんが謎めいているのは今に始まったことではない。何より気になるのは、ついさっきの怪現象だ。私は声を潜めて、二人の様子を窺った。


「さっきの、見た?」

「サッキノ? 律の寝顔?」


 みっちゃんの言葉に固く首を振る。宇都宮くんは、カードの山を片付けて、黒いカードケースに入れていた。


「宇都宮くん。さっきの現象は、何」


 すると宇都宮くんは、まじまじと私の顔を見て、自分の髪の一房を指してみせる。そんな些細な仕草でも美少年は様になるのだなと惚けていると、宇都宮有住は言った。


「寝ぐせついてる」

「!?」

「枕が固いから、おかしな夢でも見たんだろ」


 唇の端を吊り上げて、にやりと笑う宇都宮くんに喉がひくひくと鳴る。そうかも知れない。さっきの出来事は夢で、私は今起きたばかり……


(なんて思えるか!)


 歯を食いしばり、しかし反論の言葉も思いつかない私を涼しい顔で眺めてから、宇都宮くんは黒いカードケースを机に置いて、自分の席へ戻っていった。彼の悠々とした足取りを恨めし気に見ていた私に、みっちゃんがぱちくりと瞬きする。


「なになに? アリスと何かあったん?」

「あったっていうか……みっちゃんは、ほんとに覚えてない?」


 さっきほどの怪現象を語ると、みっちゃんも首を捻る。


「あたしもそんなの初めて聞くなぁ。あれだ。戸西高校七不思議~とか?」

「宇都宮くんならそれもあり得そうだけど……」


 時間が戻った。たしかにそういう七不思議はありそうだけれど、どうにも据わりが悪い。


(だって、それまで「何もなかった」)


 天変地異も、大きな事件も、重大な告白も。ちょっと変わったことと言えば、「うそつきと正直者」を教えてもらったくらいだ。


「……やっぱり、夢だったのかも。変なこと言ってごめんね、みっちゃん」

「んーん。でも、あたしも見てみたかったなー、その怪現象。うちの高校ってそういう七不思議とか怪現象、少ないっしょ。超貴重体験じゃん!」


 拳を握って力説するみっちゃんに、そういえばと頷く。

 東京の郊外にある戸西高等学校は、ちょっと古い校舎と広い校庭を持つ歴史ある公立の学校だ。創立は今年で百年だか九十年だかで、学校につきものの七不思議なんて十個や二十個もあってもいいと思う。でも、ない。夜中に鳴り響く音楽室のピアノも、勝手に動く人体模型も居ないのだ。

 偏差値はやや平均より上。立地は東京の郊外。一学年のクラスは六組で、生徒数は約六百人ほど。制服は、男子も女子も冬は黒のブレザー。夏は黒のベスト。スカートやズボンは、夏冬ともに灰色。制服の改造は禁止だけど、髪留めや靴なんかは割と自由だ。みっちゃんも髪を緑色のシュシュで結んでいるし、男女問わずヘアピンをつけたり、スニーカーを履いていたりする。もちろん、式典なんかでは禁止だけど。


「普通だよねぇ、うちの学校」

「平凡平凡。でも、あたしはそういうのが一番好き」


 頬を緩ませ、みっちゃんは頬杖をついた。


「私はたまには非日常ってヤツを覗いてみたいな。動物が喋ったり、いきなりトイレに閉じ込められて血の雨が降ってきたりとかそういうの」

「……律ってさぁ。グロいのほんと平気だよネ」


 呆れ果てたみっちゃんが、黒いカードケースに手を伸ばす。するとそれを待っていたかのように、一人の少女が私たちの方に寄ってきた。


「あっ……あの……。貸していただいても、よろしいいでございますでしょうか……っ」


 少女が綺麗な角度でお辞儀をすると、艶やかな黒髪をきっちりと編んだ三つ編みが、ぴょこんと上下に揺れた。目元には、シャープな黒いフレームの眼鏡。正に「文学少女」と言った風貌の彼女は、武藤佐代子(むとうさよこ)さん。あんまり話をしたことはないけれど、落ち着いた物腰と丁寧な言葉遣いのクラスメイトだ。


「はい。サヨコ、どーぞ」

「ありがとうございます。感謝感激雨あられです!」


 武藤さんに向けて、みっちゃんがひょいと黒いカードケースを渡す。


(うそつきと正直者、かぁ)


 正直、興味がないと言えば嘘になる。みっちゃんも武藤さんも知っていて、自分だけ知らないという今の状況にも疎外感を覚えるし。カードケースを握りしめ、フンッと丹田に力を込めている武藤さんの方を向くと、何故か彼女がびくりと体を震わせた。


「武藤さん、あの……」

「坂川さん、あ、あの――」

「ごめんね。図々しいとは思うんだけど……」


 ごくりと武藤さんが唾を飲む。私も心臓がドキドキしていた。


「わたしと宮本君の勝負を、見学しませんか!?」

「する! めちゃくちゃしたい!」


 すぐさま立ち上がった私に、みっちゃんが小首を傾げた。


「ところで律って、うそつきと正直者のルールって知ってたっけ?」

「そういえば知らないなぁ。ルールを知ってた方が、楽しめる?」


 私の問いに、武藤さんが眉を八の字に寄せ、みっちゃんが腕組する。


「知らなくても楽しめると思うケド」

「知らなかったら、ちょ、ちょっと意味が分からないかも知れませんね」


 これは簡単にでも教えてもらったほうがよさそうだ。ルールの説明を二人にお願いすると、快く引き受けてくれた。

 プレイは一対一。まずは同時にトランプのカードを引き、スペードのうそつきとハートの正直者に分かれる。それから何をするかと言えば、「うそつき」が嘘をつくのだ。その嘘に、「正直者」が騙されたら負け。この時、「正直者」は嘘をついたらいけない。「正直だから」。 制限時間は五分。「うそつき」が「正直者」を騙せたら「うそつき」の勝ち、騙されなかったら、「正直者」の勝ち……らしい。


「なるほどなぁ。端から見てると、ただ二人で雑談してるだけのように見えるんだね」

「そうそう。でもね、うそつきと正直者の肝は「心理戦」なんだよネ。うそつきは正直者がどんな嘘なら騙されてくれるかを考えながら嘘を吐かなくちゃいけないし、正直者はうそつきの嘘を見極めながら、自分に正直でいなくちゃいけない」

「うそつきが大変そうだなぁ。嘘だって最初から分かってるんだし」

「そ、それが意外にそうでもございませんのです。た、例えば――」


 真剣な顔で押し黙った武藤さんの後を引き継ぎ、みっちゃんがコホンと咳払いする。


「実はあたしとサヨコ、先週の金曜日にユキから、「ヘーイ。小麦ガールと文学ガール、ちょっと次の日曜日にお茶しなーい?」って誘われちゃって」

「へ!?」


 思わず窓際の席を見ると、そこには座席の主である加納幸(かのうゆき)くんが座っていた。

 机に本を広げて、もくもくと読む彼を一言で例えると、沈黙のミステリアス。幽玄(ゆうげん)の美少年。  

 混迷する文化祭の出し物クラス会議を、いきなり「じゃあ、お化け屋敷にしよう」と言い出して、5分でみんなの意見を纏めてしまったり、いきなり宙に指文字を書きだして、くつくつ笑い始めたりとか……。

 加納くんなら、ヘーイって言うかもしれない。みっちゃんと加納くんは友人だって聞いたことがあるし、常に二年の成績上位グループである加納くんと武藤さんが一緒に勉強している姿も見たことがある。


(で、でもでも! 日曜日にお茶ってデートではないかな? 三人でデート……三人でデート!?)


 混乱の極みに達して目を白黒させる私の前で、みっちゃんが舌を出し、武藤さんが申し訳なさそうに頬を掻いた。


「まあ嘘なんだけどねっ」

「ご、ごめんなさいっ。嘘なんです……」

「騙された!?」

「そういうこと! ベツに一つだけしかウソついちゃいけないってわけでもないしネ」


 みっちゃんがぱちんとウィンクする。武藤さんは両手で顔を覆って、眼鏡に指紋をつけたらしく「ひゃあ!」と声をあげていた。

 なるほどなぁ。相手のことをよく知っていても、知っていなくても。何となく緩く楽しめる遊びってところかな。


「ところで勝ったらご褒美とかあるの? 負けたら罰的なものは?」

「どっちもないかな~。楽しくワイワイ遊べればいいじゃんって感じだしっ」


 みっちゃんのゆるゆるな返答に納得する。うん。やっぱり緩い遊びだ。トランプの役目がほぼないことも、その緩さに拍車をかけている気がする。

 ふと思い出して時計を見ると、もう5時20分だった。まずい。武藤さんともう十分近く話し込んでいる。


「ごめん、武藤さん! 宮本くんとの対戦があるんだったよね。時間は大丈夫……」


 ぶるり。武藤さんが震え、顔を青くする。まるで今から命の危険に遭遇したかのような――と思ったけれど、それも無理もない。

 放課後の2年2組には、今は6人のクラスメイトが居残っている。クラスの後ろ側で話をしていた私とみっちゃんと武藤さん。自分の席で悠々自適に過ごす、宇都宮有住くんと加納幸くん。


 そして、窓際の最前列の席。そこには、仁王像が腰かけている。いや、仁王像みたいな雰囲気の角刈り頭の男子生徒が座っている。身長180cm越え、体重は80kgを悠に越す正に巨漢。

 身長152cmの私より小さい武藤さんからすれば、巨人のごとく見えるだろう彼の名は宮本和弘(みやもとかずひろ)

 我が戸西高等学校柔道部のエースである。性格は寡黙で真面目であり、クラスの三分の一が謎の眠気に襲われる世界史の授業でも、ぴしりと背筋を伸ばしているタイプだ。……だからこそ、緊張してしまうのも分かる。


「宮本くんの前では、失敗したくないよね。宮本くんがこっちの心配を怒るとかじゃなくて、あれだけ立派な人に恥をさらしたくない……」


 武藤さんがコクコクと頷く。2年2組の中で誰に失望されたくないかと考えた時、真っ先に顔が浮かぶのが宮本くんだ。あと加賀見(かがみ)委員長。


「宮本くんは私が極めて失礼で無礼な物言いしない限り、どっしりと構えてくれるのは分かる……分かるんですけど……っ」


 どうしても緊張してしまう。そう呟いた武藤さんは、俯いてしまった。


「それだけじゃないんです。宮本くんは、す、すごいんです……。うそつきと正直者での総勝利数は六十四勝……勝率が低いと言われるうそつき側でも、何度も勝ってます……対する私なんて、百三十七連敗中……」

「ほぼ全敗ダヨネ」

「うわーん!」

「こら、みっちゃん!」


 みっちゃんはぺろりと舌を出す。可愛いけれど、告げた事実はあまりにも的確に武藤さんの心をえぐったようで、彼女はしばし静止して……決然と顔をあげた。


「だ、だから…宮本くんは、私なんかとゲームしても、ちっとも……楽しくないだろうけど……! 私、勝ちたいんです! そして私の勝利を……どうかお二人に、見届けて、いただきたいんです……!」


 震えながら拳を握る武藤さんに、じーんと胸が熱くなる。何という健気なチャレンジ精神だろう。思わず拍手とともに頷いてしまった。それにしても、うそつきと正直者って流行っているのだなと呟けば、宇都宮くんがこの専用の黒いカードケースを用意してくれてから、ゲームのプレイ回数が増えたらしい。このささやかなゲームが、2年2組の7月のトレンドって感じなのか。


「宮本くん。武藤さんとのゲーム、宮島さんと一緒に見学させてもらっていい?」


 窓際の最前列で膝に手を置き、ジッと黙っていた宮本くんの背に声をかけると、彼は律義に体ごと振り返った。


「オレは構わない」


 ごくん。

 真っ赤な顔した武藤さんが、特大の唾を飲みこむ。緊張が臨海に達しそうな彼女の横で、みっちゃんがえいえいおーと拳を振り上げていた。



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