#1 茜色の放課後・1
「ふんふん、ふふん」
手拍子のリズムで鼻歌を刻みながら、彼女は机の上のトランプの山をかき混ぜる。中央の最後尾という、教室内で絶妙に目立つ席に座っているので、まあ彼女の行動は、放課後といえど、けっこう目立っていた。
「何してんの?」
声をかけると彼女は、椅子からずり落ちそうになる。振り返ってこちらの顔を見ると、安堵と若干のうんざりが混じったなんとも言えない表情になった。
「ゲームの準備だよ。うそつきと正直者っていうやつ」
聞いたことがない。聞けばオリジナルのゲームだとかで、そいつはカードの山を示しながら教えてくれた。
「いかに嘘をつくか、騙されずにすむか……みたいな」
「へぇ」
「プレイ時間はなんと五分。トランプの意味はあんまりない。まあ軽い暇つぶしというか。みっちゃんと一緒に――ってなに!? なぜ私の前の席!?」
後ろに仰け反った彼女の椅子が大きく揺れて、ちらほらと居残っていた生徒たちがこっちを振り返る。すると慌てて、席に座り直してペコペコ無意味に頭を下げるのだから、彼女は少しばかり落ち着いた方がいいと思う。
「対人ゲームなら、相手が必要じゃない?」
「暇なんだな、宇都宮くん」
「君が暇そうにしてるからね」
「おあいこじゃん!」
「で、ルールは?」
憤っていいのか、拗ねればいいのか。そんな沈黙を置いてから、彼女は机の上のトランプをかき混ぜる。
「じゃあ、ルールを説明するよ――」
――キーンコーンカーンコーン……
「りーつ。起きろ、りーつー」
耳元でみっちゃんの声と、バックグラウンドにチャイムの音。今は多分、放課後だ。授業が終わって、HRも終わって。私もみっちゃんも部活に入ってないから、駅前まで一緒に帰る――前に、私は机を枕として高いびきをかいていたらしい。
「起きてる。起きてるから、もうあと五秒で起きるから」
「三秒で起きて?」
急速に意識が覚醒する。すこし低い艶やかな高音。突き放すような言葉。これは間違いなく、私の親友である宮島鹿乃子嬢ではない! こわごわと目を開けた先には、緩やかに癖のある黒髪から覗く、深海のような蒼い瞳を細めて、口元に作り笑いを浮かべる悪魔的な美貌をもつ美少年が居た。彼の名は宇都宮有住。戸西高校の二年二組へと共に通うクラスメイトの一人である。
「で。人とのゲーム中に寝るなんてどういうコトなのかな、坂川?」
「律、ごめんネ。アリスのお怒りは鎮められなかったん」
横から顔を出したみっちゃんが、緑の目を細め、頭の横で束ねた小麦色の髪を、猫のしっぽのようにぷらぷらと揺らした。段々思い出してきたぞ。みっちゃんが生徒会長のマーコ先輩に呼び出されたから、私は教室で彼女を待っていた。けれどただ待つのは暇で暇で仕方なく、宇都宮くんが『死ぬほど暇なら、ゲームに付き合ってあげる』って言って……
――そこからの記憶がない。
顔から血の気が失せてゆく。机に額を打ちつけんばかりに、私は頭を下げた。
「すみませんでしたー!! みっちゃんもありがとうー!」
「言い訳、聞いてあげるよ?」
「めっそうもない。ささっ……ええと……ゲームの続きするぞー!」
言いながら、手元を見る。私たちがしていた暇つぶしはカードゲームだ。だけど、私の手元は空。その代り、私と宇都宮くんの間の机には、トランプの山……大体二十枚くらいのトランプが、机にぺったりと伏せられている。
(神経衰弱かな?)
トランプのカードに手を伸ばすとみっちゃんが、あ!と声を上げた。
「律ちょっとタンマっしょ。役決めカードは同時にとらないと」
「役決めカード?」
「うん。赤い――ハートの柄のカードを取った人が「騙される人」で、黒――スペードの柄のカードを取った人が、「騙す人」だよ」
「はあ、なるほど……」
「せぇので引くよ」
そう気軽に言って、宇都宮くんが近くのカードに手を伸ばす。私も机の端で伏せられたカードに手を伸ばした。
「せぇの」
とった札をめくる……前に、宇都宮くんがひらりと自分がとったカードを私に見せた。カードの柄はスペードのエース。
「坂川さんのカード、当ててみようか?」
「どんとこい」
「……ハートの2」
宇都宮くんの白い指が私のカードを指す。宇都宮くんがエースで、私が2なんてそんな出来過ぎな状況あるわけが……。
「あったし!」
ハートの2を前に項垂れる。トランプカードで2は最弱のカードだ。もちろん最強はジョーカーだが、あのトランプの山には入ってないみたいだから、次点のエースが一番強いカードになるだろう。最弱カードで最強カードに挑むとか、無理ゲーにも程がある。落ち込む私に、みっちゃんが勢いよく頭を振った。
「でも律、エースとか二とかキングー!とか関係ないんだしっ!」
「そうなんだ?」
「そうだしそうだし! アリスが律を騙しに来るから、ソレを全身全霊をもって、律が正直に食い止めればいいんだし! ……きっと勝てるよ、律なら!」
真剣な顔をして、みっちゃんが拳を握る。胸がジーンとして、落ち込んだ気分も徐々に上向きになってゆく。持つべきものは友達だなぁ。すっかり機嫌をよくして、ハートの2を机に置く。正面の宇都宮くんを見てみれば、彼はスペードのエースを手元でくるりと回して。
「――2016年7月11日、午後5時」
「え?」
今日の日付だ。私が首を傾げ、餌を待つひな鳥のようにぱかりと口を開けると。
――キーンコーンカーンコーン……
放課後を知らせるチャイムが鳴った。おかしい。でも何が? どこがおかしいんだ? 疑問が解消されぬまま、宇都宮くんの声が続く。
「放課後のチャイムが鳴る。一時間後には放送が流れる。でも、下校を促す放送は、いつまで経っても流れない」
そして。宇都宮くんは、スペードのエースを宙に放り投げた。
釣られて私の視線も上を向く。宇都宮くんの顔。その後ろにある黒板。更に上にある時計――
「俺たちは、この夕暮れの放課後で――いつまでも、いつまでも、ゲームをし続ける」
カードが机に落ちて、カードの山に混ざる。でも、私の目はもうカードの動きを追っていなかった。
5時23分。時計の半分より右に傾いていた長針が、ゆっくりと戻ってゆく。
それと同時に、クラスメイトたちが動画の逆再生ボタンを押したみたいに、後ろを向いたまま行動し始めた。私の横のみっちゃんも、ぱくぱくぱく……と忙しなく、目蓋と口を開閉していたかと思うと、パッと私の方を見た。
「あ、律!おきたしー!」
「えっ!?」
「ゲーム中に寝ちゃだめっしょ? でもちゃんと起きてよかった!」
「え、え、え?」
隣に居るのは、ニコニコ笑うみっちゃん。正面に居るのは、クラスメイトの宇都宮くん。
先ほどと同じ光景に、宇都宮くんは笑った。
「じゃあ、次のゲームを始めようか?」
蒼い瞳を三日月の形に歪めた彼の笑みは、まるで迷い込んだ少女をからかう猫のようだった。