09初訪問
「結城、この入力頼む」
「はい!」
カタカタカタカタ……
「紅葉ちゃん、ここの検算お願い」
「了解しました」
カタカタカタカタ……。
「結城さん、そこ間違っていますよ」
「えっ!?うそっ」
カタカタカタカタ……。
「検算終わりました」
「ありがとう。共有にあげといて」
「あげてます」
仕事がひと段落ついて、ふと顔を上げると目の前に広がる書類の山々。USBだったりプリントだったり冊子の作成だったり。生徒会に入ってわかったことがいくつかあるが、今一番言いたいのはこれだけ。
「……仕事の量多過ぎませんか?」
果てしない量の仕事だ。生徒会に入ったと思ったら、すぐに仕事に忙殺されている。
「部活動の人員が決まると追加の予算が発生したりするし、GW前にやっておきたい仕事が多いから、とにかくバタつく時期だね」
げんなりする私の隣で白銀先輩が苦笑気味に言う。手を動かしながらというのがすごい。中学時代から生徒会の運営をしているとはいえ、即戦力の社員みたいだ。学生の貫禄ではない。
「……ってかこの学校の予算おかしくありませんか?ひとつの部活に通常運転で30万ちょいって。あと、ここの計算間違ってましたよ」
「あ、そう?この学校では普通だよ?」
なにこのセレブクオリティ。30万あれば大抵のことができるだろうに。
「うちの中学では普通じゃなかったんですよ。価値観が崩壊しますね」
合計金額が恐ろしい部活運営に手が震える。ちょっとこの金額を扱うのは怖すぎる。だが仕事の手は休められない。副会長が怖い。
「……なんか、紅葉と白銀先輩仲良くなりました?」
「……さぁ?」
「…いつもこんな感じじゃないかな?」
ふと私たちの会話を聞いていた桜に問いかけられて、私と白銀先輩はそう答えるが、鋭い。確かに私は前ほど白銀先輩が嫌ではなくなった。
もともと私は次期会計を見越して白銀先輩の補助についている。純粋に数学の成績が桜より良かったことなどから私のほうが会計に向いているだろうということで、桜はいわゆる庶務、私は庶務の中でも会計専門のような役割にいる。その為、そもそも白銀先輩と会話をする下地はあったのだが、実際に雑談をするようになったのは最近のことだ。
「結城さん、手が止まっていますよ」
「は、はいっ!」
そんなこんなで最近は毎日がひどく忙しい。あと会長はおおらかだが副会長は厳しい。銀先輩は優しそうに見えてまあまあ厳しい。小野寺君は癒しオーラが出ている。
忙しい生徒会だが、時折訪問者は存在する。生徒会業務に関連する用事でやってくる教師や学生だ。生徒会メンバーのファンが来るのではないかとも思っていたのだが、恐れ多くも彼らの負担になってはならない、という理由で生徒会室が禁域となっているらしく、不要な訪問者はいない。
生徒会室のドアがノックされて、返事を待たずに開けられた。大体は優秀過ぎる生徒会に萎縮して、返事がしてからも入ってくるのに時間がかかるのだが、その人はそうでなかった。
「邪魔するぞ」
はい。またもや攻略対象者登場。なんで私はこんなに遭遇する立ち位置にいるんだろうか。
入ってきたのは緑がかった黒髪に同色の瞳。制服の襟には風紀委員を表す四角のバッジ。顔立ちは少し土御門先輩に似ているところがある。
入室した生徒の顔を見て、生徒会長は露骨に顔を歪めて声をかける。不機嫌に尖った声色に、向かいで桜の肩が跳ねた。
「何のようだ。土御門」
それもそうだろう。だって彼は―――副会長、土御門朔夜の兄なのだから。
彼は、副会長と同じく、勤勉でストイックな雰囲気を持つが、副会長より神経質そうな外見が目立つ。副会長が不機嫌を笑顔で押し隠すタイプならば、彼はネガティブもポジティブな感情も、はっきりと表しそうだった。
おもむろに部屋を見渡した後、私と桜を見つけたらしく、こちらを向いて軽く会釈をする。不機嫌そうな顔はそのまま、無愛想な声音だが、攻撃性はない。
「風紀委員長の土御門深夜だ。何かと関わりがあると思うからな、よろしく頼む」
私と桜は椅子から立ち上がり頭を下げ、自己紹介をした。
「神薙紅葉です。よろしくお願いします」
「結城桜です、よろしくお願いします!えっと、副会長の土御門先輩とは…?」
恐る恐るといった風情で桜が問いかけた。
ま、気がつくよね。土御門だなんて名字早々いないし。だが勇気がある。
「朔夜は俺の弟だ。紛らわしいから俺と朔夜は下の名前で呼んでくれ」
「はい。わかりました!」
思っていたより問答が成立したことで桜はほっとしたのか、いつもの溌溂とした表情に戻った桜が返事をするが、生徒会長の声がそれを遮る。
「神薙、結城、そんな奴に頭下げなくていいぞ」
「こんな奴とは失礼だな浅倉」
売り言葉に買い言葉で口喧嘩を始める二人に、終話のタイミングを失った私たちは立ち尽くしてしまう。
どうやら会長と深夜先輩は仲が悪いようだ。弟である副会長も、あまり話したくないようで書類から顔を上げない。何かどんどん空気が悪くなっていってる気がする。気のせいではないはずだ。
桜もそれを感じているようで口を開かず、気まずそうに目を泳がせている。自分の質問が悪かったとか思っているのかもしれない。
「それで、今日は何の用ですか?」
見かねた白銀先輩が立ち上がって応対に入った。会長も副会長もこの人のコミュ力には及ばないんだろうなあ。
深夜先輩はファイルを白銀先輩に渡した。結局は会長の手に渡るのに、直接私はしないところが不仲を感じさせる。
「ああ、これ。今年の風紀委員の名簿だ」
「ありがとうございます。でもわざわざ風紀委員長直々でなくとも…」
「ん、まあな…」
言葉を濁した深夜先輩が、ちらりとこちらを見たような気がした。あー確かに風紀委員には挨拶にいかなかったなあ。生徒会に入った新一年生が気になったのだろうか。乙女ゲームだと風紀委員と生徒会は相互監視、というか、互いに干渉しないがお互いの挙動を監視しあう、という不正をしないための仕組みがあった気がする。もしかしたらこの二人の仲が悪いからそのように見えていただけかもしれないと思ってしまうところもあるが。
白銀先輩は受け取ったファイルをパラパラと眺めて内容を確認すると、「確かに受け取りました」と風紀委員長に告げて小野寺君にファイルを渡した。
「透、これの入力お願い」
「了解です」
その会話が終わると風紀院長と会長は嫌味のおうしゅうに戻ってしまう。
いつもの事なのだろう。白銀先輩も小野寺君も気にせず止めようともしないため、何やら空恐ろしいものがある。
ため息を一つ溢した銀先輩はデスクの脇に積まれていた神束を持ち上げると、立ち尽くした私たちにそれを向けた。
「紅葉ちゃん、桜ちゃん、悪いけどこれ職員室と事務局に分担して渡してきてくれない?」
「わかりました。…どっちか一人でも行けますよ?」
職員室と事務局は少し遠いが一人でいけないことはない。それに、帰りがけに済ませるタイプの仕事ではないだろうか。
困惑するが、それにも理由があったらしい。
「いや、あの二人がいると色々厄介なことが起こるからさ……ここ危ないから行ってきて」
真面目な顔でそんなこと言われた。表情からそれが嘘ではないと分かる。……よりにもよって本心かい、と内心で突っ込んでしまう。
「……わかりました」
きっと私は今、とても微妙な顔をしているだろう。原作乙女ゲームでは、白銀先輩の本心が現れるシーンは恋愛要素の強い心打たれる内容だった。一方現実では上司と他部署の板挟みから後輩を逃がす中堅社員のような状況で発揮されてしまっている。あまりにもむなしい。
ついでに飲み物でも買っていこうと思って財布を持って生徒会室を出る。どのぐらい二人の言い合いが長引くか不明だが、少し休憩しても罰は当たらないだろう、と帰りに自動販売機の紙コップ飲料を飲んだ。
「ねえねえ紅葉、さぼっちゃって怒られないかな?」
桜が不安そうに問いかけてくる。その手にはホットココアが握られている。春といっても夕方ごろには気温が下がる季節だ。温かい飲み物が欲しくなる。私も温かいココアを飲み込んで、答えて見せる。
「5分以内に飲んじゃえば、大丈夫だよ。白銀先輩も、休憩しておいでってことだと思うし」
「そうなのかな……」
「そもそも、」
「うん?」
「帰って、まだ会長と風紀委員長がぎすぎすしてたらすごく気まずと思う」
「そうだね……」
桜が得心した様子で安心して飲み物を煽った。
「戻りました」
「おかえりー」
少し時間を空けて生徒会室に戻ると深夜先輩はもういなかった。
「あれ?深夜先輩は?」
「帰りましたよ」
首を傾げた桜に副会長が少し不機嫌そうに答える。やはり深夜先輩と副会長は仲が良くないようだ。完全に無視していたので会長と生徒会長ほど不仲は目立たなかったが、兄弟が来てもリアクションがないのは関係性が悪いと想像できた。桜と私、そして深夜先輩の応対をしていた白銀先輩が仕事に戻ろうとしたそのとき、今度はノックもせずに扉が開いた。
「失礼しまぁす」
砂糖菓子のような甘い香りがして、振り向くと今度はもう一人のヒロイン、千里葵がいた。
「土御門委員長いますかぁ?」
…やっぱり、原作とはキャラが全然違う。
原作では『千里葵』は明るく人付き合いの良い『結城桜』とは違い、真面目で大人しい性格で、人見知りだった筈。
しかし目の前にいるの千里葵は人見知りなどどこへやら、まるで人が違ったかのように思える。
弱弱しさを演出しようとして失敗しているような、不自然な振る舞い。
生徒会室を見渡して、首をかしげるとツインテールが揺れる。顔は可愛い。原作の『千里葵』とは印象が異なるがよく手入れされた黒髪はつややかだし、やや過剰な化粧も元の顔立ちのおかげか似合っている。
「彼ならさっき帰ったけど…君は?」
「1年3組の風紀委員千里葵ですぅ。先輩、この書類忘れちゃったみたいでぇ………きゃっ」
白銀先輩の問いに笑いかけて答え、返事もないままに部屋の中に入ってきて千里さんはこけた。うん、見事に何もないところでこけた。
少し離れたところにいた白銀先輩が駆け寄る前にとっさに入り口の近くにいた私と桜で支え、転倒するのは防げたが、彼女が持っていた書類が床に落ちてしまった。
「大丈夫?怪我はない?」
「え、うん……」
桜の声に、強張った表情で千里さんが頷く。白銀先輩が書類を拾い上げて確認すると、千里さんに手渡した。
「…君、これ生徒会宛てじゃないよ」
「えっ、あっ、ホントだぁ。すみませぇん」
彼女は確認もそこそこに慌てて退出する。何だったのか分からない。多分風紀委員長を探しに来たのだと思うのだがそれにしてはどこかもじもじしていたし、生徒会ファンに珍しく生徒会室に突撃するタイプのファンなのだとしたらアクションが少なすぎる。
「あの子、怪我してなかったかな」
「……大丈夫そうだったよ」
ぽかんとしていると桜が心配そうに呟いたので、見解を呟き返しておく。未然に防げたのでけがなどはしていないはずだ。
何だったんだろう……と考えながら席に着くと、同じように考えていたのか生徒会長もぼそりと呟いた。
「……変な奴だったな」
「まったくもう、何で俺一人に相手させたのさ。透はともかく先輩も朔夜も」
ため息をつきながら白銀先輩がぼやくが、皆そ知らぬふりだ。
「ああいう女とは関わりたくない」
「同じく。それに、女性の扱いが一番上手なのは拓巳でしょう?」
「だからって酷いだろ」
……女性の扱いのくだりに関しては否定しないんだ。桜もそれに気づいたのか目を眇めた。
「最低だね」
「うん、女の敵」
顔を見合わせて頷きあう。
「ちょっ、そこっ!そんなこと言わないで、傷つくから」
軽蔑の目で見る私達と胸を押さえる白銀先輩。それを見て他のメンバーは笑っている。
「ククッ、言われてやんの」
「まあ、当然ですよね。前に…」
「あー!もうやめ!やめよう!これ以上やると俺の先輩としての威厳が、」
「もう既にありません」
私の前に小野寺くんが言った。あまりこういうことを言わない人かと思っていたから意外だ。目を僅かに見開きつつも、私も同意した。
白銀は現状そうは描写されていないかもなのですが基本チャラ男(遊び人?)枠なのでこういうこと言われます